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ベル・レコードは、66年から75年まで、ハード・ロックやプログレッシグ・ロックに人気が集まった頃、シンプルでワクワクするようなヒット・ポップスを多く出し続けました。フィフス・ディメンションやドーン、パートリッジ・ファミリーなどが有名グループでしたが、一発屋さんのヒット・シングルが多いのが特徴でした。このページで日本で発売されたシングルを1曲づつ登録していきます。シングルお持ちの方、御協力お願いいたします。

BELL-88000シリーズ
ボックス・トップス<The Box Tops>
ソウル・ディープ<Soul Deep>BELL-88001/1969.10(#19)
ターン・オン・ア・ドリーム<Turn On A Dream>BELL-88011/1970.28(#58)
クライ・ライク・ア・ベイビー<Cry Like A Baby>BELL-88012/1970.2.
冷たいあの娘<You Keep Tightening Up On ME>BELL-88023/1970.5(#92)

日本で中断されていたBELL Recordsは、69年秋にCBS SONYが版権を獲得しますが、第一号はボックストップスでした。1967年にThe Letter「あの娘のレター」が全米1位、第3弾の「クライ・ライク・ア・ベイビー」が第2位と ブルーアイドソウルの人気者となっていました。メンバーのAlex Chiltonは、70年代後半から現在までロック・バンドBig Starのギター・ボーカリストやソロ・アーチストとしてもかなりの支持を得ています。

ソロモン・バーク<Solomon Burke>
プラウド・メアリー<Proud Mary>/BELL-88002/1969.10/#45

フィラデルフィア生まれのソウル・シンガー。60年代にアトランティックからたくさんのヒット曲を連発して、自ら「The King Of Rock and Roll」と冠したアルバムも発表するほど,レイ・チャールズやオーティス・レディング、ジェイムズ・ブラウン等と並び称されるソウル界の大御所です。ソロモンが69年に、古巣を離れてBELLから発表した1枚のアルバムからシングル・リリースされて、全米45位まで上昇したのが、C.C.R.の代表曲、プラウド・メアリーのカバーでした。ソロモンは、現在も活躍しており、2002年に、ボブ・ディランなどが曲を提供した「Don't give up on me」のアルバムをリリースしています。

メリリー・ラッシュ<Merrilee Rush>
朝の天使/Angel Of The Morning>BELL-88003/1969.11(#7)

近年再評価された幻の女性ロックシンガーEvi Sandsは、カメオからこの曲でデビューしますが、会社が倒産してしまいます。トロッグスの「Wild Thing」やホリーズの「I Can't Let Go」を作曲したチップ・テイラーの作品。シアトル生まれのメリリーは、13歳の頃から地元のバンドに加わり、クラブやダンスホールで歌っていました。レイダースのリーダー、ポール・リヴィアが彼女が率いるターナバウツを目に留めて、マネージャーとなります。ターナバウツはレイダースのツアーと同行し、テレビショウにも準レギュラー出演しました。グループは、「朝の天使」のミリオン・セラーの後に、「That Kind Of Woman」「Reach Out」の2曲をHOT100にチャート・インさせます。71年には、ソロ・シングル「セイヴ・ミー」を54位に登場させています。

ジェイムス&ボビー・ピューリファイ<James & Bobby Purify>
恋のあやつり人形<I'm Your Puppet>BELL-88004/1969.9(#6)

60年代後半のサザン・ソフト・ソウルのフロリダで活動した従兄弟デゥオ。1966年の「恋のあやつり人形」I'm Your Puppetが全米6位に輝き、HOT100に8曲も送り込みました。60年代のBELL Recordsは、ソウル、R&Bが主流でしたが、ソウルを代表するデルフォニックスやジェイムス&ボビー・ピューリファイは、スイートなポップ・エッセンスがまぶされているところがたまらない魅力で、ポップ・ファンもすんなり溶けこめますね。

デルフォニックス<The Delfonics>
ララは愛の言葉<La La Means I Love You>BELL-88005/1969.11(#4)
愛をなくして<Didn't I Blow Your Mind This Time>BELL-88022/1970.2(#10)
ばかにしないで<Trying To Make A Fool Of Me>BELL-88031/1970.9
ララは愛の言葉(再発)<La La Means I Love You>BLPB-223/1973.3
壮麗かつスイートなシンフォニック・ソウル。LOVEをテーマに官能美さえ漂わせるフィラデルフィアの3人組は、ポップス・ファンにも愛されて、68年から74年までチャート上位に食い込むなど、常に第一線で活躍し続けました。スタイリステイックスも手がけたフィラデルフィア・ソウルのリーダー、トム・ベルとメンバーのウイリアム・ハート作のデビュー曲「La La Means I Love You」は、シンプルでロマンティックな名曲で、多くのカバー・バージョンが存在します。私の生涯最高の曲として愛し続けています
デルフォニックスは、68年から74年まで、Philly Grooveから15曲のバラード・ヒットをHOT100に送り込みましたが、69年末には、フレンチ・ホルンのイントロが印象的なセクシー・バラード「Didn't I (Blow Your Mind This Time)」が全米10位のミリオン・セラーとなり、グラミー賞を獲得して、「La La Means I Love You」と並ぶ彼等の代表曲となりました。
ミッチ・ライダーとデトロイト・ホイールズ
悪魔とモリー<Devil with A Blue Dress On & Good Golly Miss Molly>BELL-88006/1969.11(#4)

60年代後半、ライチャス・ブラザースやポール・リヴィアとレイダース、ヤング・ラスカルズと並んで人気を博した白人によるブルー・アイド・ソウル・グループ。ミッチ・ライダーは、ボブ・クリューに認められて19歳でデビューしました。ミッチは、リズム&ブルースのメッカ、デトロイトで育ち、ハイスクール時代からパワフルでストレートなロックを歌って人気を集めていました。彼等のヒット作品は、カバー作が多いのですが、本物以上の聞きごたえで、疲れないストレートなロックンロールを展開します

ボビー・ダーリン<Bobby Darin>
ロング・ライン・ライダー<Long Line Rider>/BELL-88007
ボビー・ダーリンは、第二のシナトラと呼ばれました。1956年にトミー・ドーシーのTVショーにゲスト出演したのをきっかけにデッカ・レコードからデビューをはたします。自作自演の「スプラッシュ・スプラッシュ」「ドリーム・ラバー」や「マック・ザ・ナイフ」のミリオン・ヒットを飛ばします。映画にも出演して共演した女優サンドラ・ディーと結婚しました。このシングルは、キャピトルから移籍して彼が設立したDIRECTION RECORDで自ら制作したものでした。
クレイジー・エレファント<Crazy Elephant>
ギミー・ギミー・グッド・ラビン<Gimmie Gimmie Good Lovin'>/BELL88008/1969.11(#12)
ギミー・サム・モア<Gimmie Some More>BELL-88015/1970.2

1910フルーツガム・カンパニーなどのバブルガム・ヒットを連発したカセネッツ・カッツは 「Gimmi Gimmi Good Lovin'」を、Buddahの社長ニール・ボガードが気に入らなかったことで、BELLで元キャデラックスのロバート・スペンサーに歌わせたところ、全米12位のヒットとなりました。アルバムでは、キーボードをメインにしたロックが意欲的に展開されています。デビュー・ヒットで、急遽、5人グループがツアーのメンバーに仕立てられますが、第2弾の「Gimmie Some More」や10CCのグラハム・グールドマンに託された「Umbopo」は不発に終わりました。

ボイス&ハート<Tommy Boyce & Bobby Hart>
風にくちづけ/I'll Blow You A Kiss In The Wind>BELL-88009/1970.01

モンキーズの恋の終列車や素敵なバレリなどの裏方コンポーザーとして名を馳せた彼等は、A&Mでアルバムを3枚、素敵なあの娘やアウト&アバウト等のTOP40ヒットを残しました。そんなヤンキー・ポップスの旗手が、自らのレーベルAquarianで放った最後のスマッシュ・ヒットが1分55秒のこれぞポップスというべき爽やかな名曲。75年には、ドレンツ・ジョーンズ・ボイス&ハートとして、来日コンサートも行いましたが、トミー・ボイスは94年に病気を苦にしてこの世を去りました。

マーゴ・グリヤン<Margo Guryan>
サンデー・モーニング/Sunday Mornin'>BELL-88010/1970.01


スパンキーとアウア・ギャングのサンデイ・モーニングの作者として、知られていたガーヤンですが、自作の作品が注目されだしたのは、20数年経過してからでした。日本でもソフトロック・ファンに高く評価されるようになり、2000年にベルに残した唯一のアルバム「Take A Picture」がCD発売されました。クラシックとジャズの素養をベースに、ウィスパー・ボイスでアンニュイでミステリアスな雰囲気を表情豊かに醸し出しています。その後、教師に転向したマーゴですが、各国の人気の高まりにあわせて未公開の作品集「25 Demos」「Thoughts」などが、発売されています。

サラ・ボーン<Sarah Vaughan>
サボテンの花<The Time For Love Is Anytime>/BELL-88013/1970.2.

ベル・レコードの映画音楽第一弾は、コロンビア映画「サボテンの花」でした。ウオルター・マッソー、名女優イングリッド・バーグマン(5年ぶりの映画出演)そして、お目々パッチリ・キュートなゴルディ・ホーンの豪華キャストで繰り広げる爆笑コメディでした。音楽はジャズ畑から映画音楽に進出して成功したクインシー・ジョーンズが手掛け、主題歌をサラ・ヴォーンがしっとりと渋く歌い上げています。このシングルからベル・マークのデザインが変わっていますね。

ビッキー・ローレンス&フレンド<Vicki Lawrence & Friend>
初恋のアラバマ<The Whole State Of Alabama>/BELL-88014/1970.2.

「ハニー」「リトル・グリーン・アップルス」「恋のフェニックス」などの作者と知られるカントリー・フォークを得意としたボビー・ラッセルは、BELL傘下にelfという自らのレーベルを持ちます。当時18歳の女の娘ヴィッキーは、キャロル・バーネットにそっくりなことでファンレターを出したことがきっかけで、テレビ・シリーズにレギュラー出演することになります。その関係でボビーと出会い、レコード・デビューを飾りますが,フォーク調で味わいはあるのですが、地味すぎたせいか不発に終わりました。その後、二人は結婚して、ヴィッキーは、ボビーが作った「ジョージの灯は消えて」の全米1位の大ヒットを飛ばすことになります。

オリジナル・キャスト<The Original Caste>
天使の兵隊<One Tin Soldier>BELL-88016/1970.03(#34).
ミスター・マンデイ<Mr.Monday>BELL-88024/1970.6
愛する未来に歌おう<Leaving It All Behind>BELL-88032/1970.9
虹を架けよう/BELL-88040/1970.12
カム・トゥゲザー/BELL-88043/1971.2
朝やけの二人/BELL-88051/1971.5

BELLで日本で一番ヒットしたシングルは、彼等の第二弾の「ミスター・マンデイ」で、46万枚を売り上げました。プロデューサーのデニス・ランバーとブライアン・ポッターは、後にダンヒル・レコードの立て役者として活躍します。ディクシー&ブルース夫婦を中核としたオリジナル・キャストは、アルバム「One Tin Soldier」から、日本で「天使の兵隊」「ミスターマンデイ」に続いて「愛する未来に歌おう」がヒットして、日本での縦断コンサートも実現しました。デニス等がダンヒルに移籍して、ロジャー・ニコルスがプロデュースした「朝やけの二人」はサウンドの分厚さが抜けてアダルト・ポップな美しい曲でしたが、アメリカでは不発に終わり、グループも解散します。

マウンテン<Mountain>
ミルクとハチミツの夢<Dreams Of Milk & Honey>BELL-88017/1971.8
ミッシシッピ・クイーン<Mississippi Queen>BELL-88026/1970.4(#21)
ヤスガーの農場<For Yasgur's Farm>BELL-88038/1970.11
アニマル・トレーナー<Animal Trainer>BELL-88052/1971.6(#76)
ベートーベンをぶっ飛ばせ<Roll Over Beethoven>BLPA-3/1972.3
暗黒への旅路<Travellin' In The Dark>BLPA-17/1972.17.
想像されたウエスタンのテーマ<Theme From An Imaginary Western>BLPB-214/1973.8.

パワフルながらも繊細で叙情的なメロディーラインも持ったスケールの大きなハードロックグループでした。ヤングブラッズやクリームをプロデュースしたフェリックス・パッパラルディと巨漢のレスリー・ウエストがニューヨークで結成。日本でかなり人気のあったグループで、70年発表のCliming!からの「ミシシッピ・クイーン」「ヤスガーの農場」が、スマッシュ・ヒット、72年の「ベートーベンをぶっとばせ」「暗黒の旅路」とヒットを続けました。83年に、フェリックス・パッパラルディは、愛妻に口論の末、射殺されています。



ボビー・ラッセル<Bobby Russel>.
シュアー・ゴナ・ミス・ハー<Sure Gonna Miss Her>/BELL-88018/1970.4

ナッシュビル生まれのボビー・ラッセルは、ボビー・ゴールズボロのハニーやO.C.スミスの「青い果実」など多くのヒット曲を制作してヒット・チャートに送り込みました。彼は、ELF Recordsを興して、自分の作品をカバーして歌った曲をディストリビュートしていました。日本発売された唯一のシングルSure Gonna Miss Herは、ゲイリー・ルイスとプレイボーイズが、1966年に全米9位に上昇させたヒットで、B面では「青い果実」が収録されています。

エジソン・ライトハウス<Edison Lighthouse>
恋のほのお<Love Grows(Where My Rosemary Goes>BELL-88019/1970.4(#5)
恋のテクニック<She Works In A Woman's Way>BELL-88034/1970.10
恋するペチューラ<It's Up To You Petula>BELL-88046/1971.3(#72)
恋に恋して<My Baby Loves Lovin'>/BELL-88066/1971.11
涙のハプニング<What's Happening/BELL-88058>/1971.8

スタジオで活躍するセッション・ボーカリストとして70年前後、イギリスで活躍したのがトニー・バロウズで、74年にはファースト・クラスの大ヒットのビーチ・ベイビーでも歌っています。彼の甘くハスキーなボイスがキャッチーなポップ職人のトニー・マッコーレイのウキウキ・テンポの曲にぴったりマッチしたポップを代表する名曲でした。スタジオ・ミュージッシャンが集まったグループは、英米では一発屋でしたが、日本では、涙のハプニングというアーノルド・マーチン・モロウの曲もヒットしました。

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フィフス・ディメンション<The Fifth Dimension>.
平和のために(独立宣言)<The Declaration>BELL-88020/1970.4(#64)
セイブ・ザ・カントリー<Save The Country>/BELL-88029/1970.8(#27)
パペット・マン<Puppet Man>BELL-88027/1970.7(#24)
ふたりの渚<On The Beach>/BELL-88036/1970-10(#54)
悲しみは鐘の音と共に/ONE LESS BELL TO ANSWER/BELL-88044/1971.2(#2)
愛のロンド(輪舞)/Love's Lines, Angles And Rhymes/BELL-88050/1971.5(#19)
新しい世界の歌/Light Signs/BELL-88056/1971.8(#44)
ネバー・マイ・ラブ/Never My Love/BELL-88068/1971.12(#12)
恋を見つけましょう/Together Let's Find Love/BLPA-7/1972.5(#37)
夢の消える夜/(Last Night) I Didn't Get Sleep At All/BLPA-9/1972.6(#8).
輝く星座/Aquarius/BLPA-11/1972.6
ビートでジャンプ/Up-Up And Way/BLPA-12/1972.6
ウエディング・ベル・ブルース/Wedding Bell Blues/BLPA-13/1972.6
ストーンド・ソウル・ピクニック/Stoned Soul Picnic/BLPA-25/1972.9
とどかぬ愛/If I Could Reach You/BLPA-29/1972.10(#10)
愛の仲間たち/Living Together Growing Together/BLPB-213/1973.6.

「輝く星座」などのヒットで有名なポップ・ソウルの大物グループは、70年にSoul CityからBellに鳴りもの入りで移籍します。初シングルの「平和のために」は独立宣言をテーマにした大作ながらも重厚すぎたきらいがあり、大ヒットとはなりませんでした。BELLからのアルバム、「ポートレイト」から、「パペット・マン」や「セイブ・ザ・カントリー」のヒットが続いきましたが、アルバム用に制作されたバート・バカラックとハル・デビッドの美しいスロー・バラード「悲しみは鐘の音と共に」がラジオのオンエアで人気を呼び、シングル化されて全米2位の大ヒットとなったのを契機に、アダルト・ポップ路線に転換していきます。
72年に入ると、フィフス・ディメンションは、ソロ志向を高めていきます。アルバム「Indivudually And Collectively」では、マリリンのソロをフィーチャーした二つのシングルがトップ10ヒットとなりました。「夢の消える夜」は、トニー・マッコーレイが来日時の眠れぬ夜に作曲したエピソードがありますが、彼らしい円熟したポップなメロディーが光ります。「とどかぬ愛」は、マリリンの奥深い味わいあるボーカルが美しいメロディーに溶け込んで、たまらなく魅惑的なナンバーに仕上がっています。

シールズ&クロフツ<Seals & Crofts>
明日こそ二人で/See My Life/BELL-88021.

Steve Binderは、友人ランバート&ポッターをヘッド・プロデユーサーにT.A.(Talent Assosiates)レーベルを設立します。T.A.からは、オリジナル・キャスト、カントリー・ストア(実体はランバート&ポッター)、ファイブ・フライツ・アップの作品が全米チャート・インしますが、忘れてならないのは、72年にWerner RecordsからSummer Bleezeの全米6位の大ヒットを飛ばしたシールズ&クロフツが、T.A.からデビュー・アルバムを発表していることです。当時、二人はペルシャで発祥したバハイ教に入信しており、作品にはオリエンタルなムードも漂っていますが、ジム・シールズは、イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーのダン・シールズと兄弟です。シングル・ジャケットには、期待のフォーク・グループ登場、第二のサイモンとガーファンクルを狙うとコピーされていますが、残念ながら日米ともに不発に終わりました。

コニー・スティーブンス<Connie Stevens>
涙におわかれ/5:30 Plane/BELL-88025

1970年は、ベル・レコードにとって記念すべき年になるだろうと、当時の社長ラリー・ウエルタが発表したのは、大物アーティストのフィフス・ディメンションに続いてコニー・スティーブンスがベルに移籍したからでした。美人でチャーミングなヴォーカルのコニーは、60年に「シックスティーン・リーズンズ」のミリオン・セラーを飛ばしていますが、TV映画「ハワイアンやアイ」やマリリン・モンローを模した映画「セックス・シンボル」でのセックス・アピールで話題をさらいました。ベルでの移籍第一弾となったアップテンポのロマンティックなナンバーは、ジミー・ウエッブ作品で、ヒットしなかったのが残念でした。日本版シングル、かなりのプレミアがついていますね。

ドーン<Dawn>
恋するキャンディダ<Candida>BELL-88035/1970.10(#3)
ノックは三回<Knock Three Times>BELL-88045/1971.2(#1)
拍手はいっぱい<I Play And Sing>BELL-88049(#23)
海辺で遊ぼう<Summer Sunds>Bell 88060/1971.9(#33)
恋は日曜日に!<What Are You Doing Sunday>BELL 88067/1971.12(#39)
悲しき街角<Runaway/Happy Together>BLPA-6/1972.5(#79)
嘆きのジプシーローズ<Say Has Anybody Seen My Sweet Gyosy Rose>BLPB-216/1973.7(#3)
いちご畑のサリーちゃん<Who's In The Straberry Patch With Sally>BLPB-228/1973.11(#27)
心の痛手を胸に秘めて<It Only Hurt When I Try To Smile>BLPB-233/1974.6

幸せの黄色いリボン<Tie A Yellow Ribbon Round The Old Oak Tree>BLPB-236/1973.9(#1)
夜のブギウギ・パーティ<Steppin' Out Gonna Boogie Tonight>BLPB-237/1974.8(#7)
恋する瞳<Look In My Eyes Pretty Woman>BLPB-238/1974.12(#11)

ドーンのリーダー、トニー・オーランドは、60年代前半に、ティーンアイドルとして2曲をトップ40入りさせています。70年にトーケンズのハンク・メドレスとデイブ・アペルが用意した「恋するキャンディダ」のリード・ボーカルを引き受けますが、予想に反し全米3位の大ヒット。そしてテルマとジョイスの女性バッキングを揃えて急遽レコーディングしたフォローアップソング「ノックは三回」が、1位を3週間続ける大当たりとなりました。このグループ、ポップスのスタンダードともなった「幸せの黄色いリボン」(73年)「恋のシーソーゲーム」(75年)の全米1位のヒットを続けました。第四弾の「海辺で遊ぼう」のシングル・ジャケットまで、全くグループと関係ない4〜6人の面々が写されていますが、やっと「恋は日曜日に」で、実体の三人が登場します。
ドーン、トニー・オーランドとドーンのクレジットで発売されたシングルは、70〜77年に、HOT100に20曲、しかも全米1位3曲、トップ10に6曲がチャート・インしたことを見ても,70年代のアメリカン・ポップスを代表するグループの一つでした。

カントリー・ストア<Country Store>.
ユア・ラブ<Your Love Is The Only One>BELL-88030/1970.8

オリジナル・キャストやダンヒル・レコードでグラスルーツやフォー・トップス、タバレスなどを育てたデニス・ランバート&ブライアン・ポッターが自らセッションしたグループがカントリー・ストアでした。オリジナル・キャストが所属していたT.A.レーベルで3枚のシングルをリリースします。日本発売のこの曲は、アメリカではノン・チャートで一枚がチャート下位に食い込むのみでした。ポップソウル風のキャッチーな曲ですが、ハミルトン・ジョー・フランク&レイノルズの恋のかけひきは、彼等がレコーディングしていたということです。

アンドレア<Andrea>
友達ってなあに<What Is A Friend>BELL-88033

BELL は、ベテラン・アーチストを新しいグループで再生させることを戦略とした傾向がありましたが、このアンドレア・マルコビッチは、当時21歳の純粋の新人女性ボーカルでした。NBCテレビのショー・ケース68音楽番組で期待の新人としてデビューしてからショウ・ビジネスの世界に入ったようです。彼女が,70年に「ジョイ」というブロードウエイのラブ・ロック・ミュージカルのテーマを歌い、日本でもシングル化されました。ボサノバ調の曲ですが,日本発売された中では、このシングルが一番、アーチスト・タイトルともに知名度が薄いかもしれませんね。

デビッド・キャシディーとパートリッジ・ファミリー<The Partridge Family Featuring:David Cassidy>
悲しき初恋<I Think I Love You>BELL-88037/1970.11(#1)
悲しき青春<Dosen't Somebody Want To BE Wanted>BELL-88048/1971.4(#3)
いつか会う日まで<I'll Meet You Halfway/BELL-88053/1971.5(#9)

夢見るデビッド<I Woke Up In Love This Mornning>BELL 88062/1971.10(#13)
ジングル・ベル゛<Jingle Bell>BELL-88070/1972.11BLPA-31
チェリッシュ<Cherish>BELL 88072/1972.2(#9)
夢見るデビッド<Could It Be Forver>BLPA-8/1972.5(#37)
さよなら初恋<It's One Of Those Night>BLPA-10/1972.4
風に消えた恋<Am I Losing You>BLPA-16/1972.7
悲しき慕情<Breaking Up Is Hard To Do>BLPA-21/1972.8
ロッキン・アラウンド・ザ・クリスマス・トゥリー<Rokkin' around The Christma Tree>BLPA-26/1972.10
ロック・ミー・ベイビー<Rock Me Baby>BLPA-28/1972.10
涙の片想い<
Friends & A Lover>BLPB-23/1972.5
太陽に歌おう<Sunshine>BLPB-215/1973.7
デイドリーム<Day Dram>/BLPB-220/1973.9
幸せを求めて<Lookin For A Good Time>BLPB-229/1974.3
君へのバラード<If I Didn't Care>BLPB-231/1974.3
プリーズ・プリーズ・ミー<Please Please Me>BLPB-235/1974.10.
母親役の大女優シャーリー・ジョーンズ、長男役のデビッド・キャシディーを中心とした6人とムク犬シモーヌの「人気家族パートリッジ・ファミリー」のホーム・コメディーが全米のテレビで大当たり。シャーリーとデビッドは、現実に継母の関係にあったことは、あまり知られていません。 全米1位デビューの「悲しき初恋」「悲しき青春」のベスト・セラーに継ぐ第3弾は、しっとりしたバラードでした。パートリッジ・ファミリーのバッキングは、L.A.を代表するセッション・プレイヤーのThe Wrecking Crew(Joe Osborn,Hal Braine,Larry Knechtel)やバーラー兄弟(Love Generation)やロビン・ワードがコーラスを担当するなど、豪華な布陣が敷かれました。

トニー・バロウズ<Tony Burrows>
いとしのメラニー<Melanie Makes Me Smile>BELL-88028/1970.3(#86)

僕のアイドル<Every Little Move She Makes>BELL-88039/1971.1

トニー・バロウズは,多くのグループにセッションし、同時に英米チャートを上昇します。エジソン・ライトハウス、ブラザーフッド・オブ・マン、ホワイトプレインズなどですが、トニー・マッコーレイやクック・グリーナウエイなどの一級職人がパートナーでした。BBC放送が、違うグループのボーカリストとして出演したトニーの実情を把握していないトラブルがあり、トニーを閉め出します。マッコーレイ作の「いとしのメラニー」は、アメリカのチャートの下位に終わり、「僕のアイドル」の後も4枚をBELLからリリースしますが、チャートに返り咲くのは、ジョン・カーターと組んだ74年のファーストクラスの「ビーチ・ベイビー」(全米4位全英13位)を待つこととなります。

ファイブ・フライツ・アップ/浮気なあの娘/BELL-88041
サウンドトラック<Sound Track>
アラビアのロレンス<Lawrence Of Arabia>/BELL-88042

1963年、7のアカデミー賞を受賞したベスト・ワン・ピクチュアのコロンビア映画。第一次大戦のバルカン半島で、トルコとドイツが手を結ばないようにアラビア人の反乱を幇助した砂漠の英雄ロレンスの主役はピーター・オトゥールが演じました。美しい旋律のサウンドトラックの作曲者モーリス・ジャールは音楽賞を受賞して、映画史に残る作品となりました。

ダスク<Dusk>.
エンジェル・ベイビー<Angel Baby>BELL-88047/1971.4(#57)
二人のウエディング・ベル<I hear Those Church Bells Ringing>BELL-88063/1971.10(#53).

夕焼け(Dusk)と朝焼け(Dawn)は、トーケンズが仕掛けたベテラン再生プロジェクト。女3人組でリードがエンジェルスのぺギー・サンテグリア。バックに参加したトニ・ワインは、マインド・ベンダースの「恋はごきげん」などのライター、アーチーズの女性パートなどのセッションでも活躍しますが、多くのソロ・シングルは不発でした。ダスクの2曲目の「ふたりのウエディング・ベル」もスマッシュ・ヒット。3曲目のキャッチーなポップ「Treat Me Like A Good Piece of Candy」は、HOT100に届きませんでした。

モンキーズ<The Monkees>
素敵な女の子<Do It In The Name Of Love>BELL-88054/1971.7
自由になりたい<I Wanna Be Free>BLPB-224/1973.10.

モンキーズは、業界が万全の態勢を敷いた60年代後半のアメリカを代表するスター・アイドル・グループでした。コロンビア映画の新しいTVシリーズ向けのオーディションには400人が応募者し、作曲もボイス&ハート、バリー・マン、ニール・ダイアモンド、ポール・ウイリアムスなどの一流どころが担当しました。TV番組は66〜68年にかけて56作話が制作されました。69年には、マイク・ネスミスとピーター・トークが脱退して、ミッキー・ドレンツとデイビー・ジョーンズの二人で、ジェフ・バリーのプロデュース、ボビー・ブルーム作の1枚のシングルをBELLからリリースしましたが、HOT100には届きませんでした。

ニュー・ホライゾン<New Horizon>
悪い女<One Bad Thing>BELL-88055/1971.7

エジソン・ライトハウスやホワイトプレインズのセッションで一躍、脚光を浴びたボーカリストのトニー・バロウズがプロデユースという触れ込みなのですが、自らボーカルをとっています。ビージーズのバリー・ギブが作者で、シンプルでスイートなリフレインが印象的ですが,日本で、スマッシュ・ヒット。全英全米ともにノン・チャートに終わりました。

デイビー・ジョーンズ<Davy Jones>
かわいいジェーン<Rainy Jane>/BELL-88059(#52)
愛してあげる<I Reaaly Love You>/BELL-88069 
愛の小道(ロード・トゥ・ラブ)<Road To Love>/BLPA-14

デイビー・ジョーンズは、モンキーズ以前にも1枚のソロ・アルバムと数枚のシングルを発表していました。モンキーズ時代では、「自由になりたい」「灰色の影」などが、彼の代表的なボーカル・ナンバーとして挙げられますが、ポール・ウイリアムスの「サムデイ・マン」のカバーもうまく歌いこなしています。彼のソロアルバム「DAVY JONES」は、モンキーズ解散後の71年10月にBELLからリリースされましたが、ダニー・ジャンセン、デヴィッド・ゲイツ、そして最初にシングル・カットされて全米52位まで上昇した「かわいいジェーン」は、ハワード・グリンフィールドとニール・セダカの作と一流どころの作曲家が勢ぞろいし、粒ぞろいの明るいポップ・ナンバーがならんでいます。

ミッシェル・ルグラン<Michel Legrand>
おもいでの夏<The Summer Knows>/BELL-88061 
コニャックの男のテーマ<Les maries De L'an >/BELL-88071 
風のささやき<The Wind Mills Of Your Wind>BLPA-18/1972.7
愛のささやき<Dis-Moi>BLPA-22,BLPA-34/1972.8/1973.1
三銃士のテーマ<The Three Musketeers>BLPB-232/1974.4

フランスを代表する映画音楽の巨匠と言えば,フランシス・レイとミッシェル・ルグラン。フランシス・レイは「男と女」「白い恋人たち」「ある愛の詩」の音楽を担当して世界中の注目を浴びましたが、ミッシェル・ルグランは、60年代半ばから「シェルブールの雨傘」「華麗なる賭け」などで、フランスの粋なフィーリングを映画にミュージカルに表現していました。彼の音楽のベースは、クラシック、ジャズ、シャンソン、ロックと幅広く融合して人々の感動を誘います。70年にBELLに移籍して担当したアメリカ映画が「おもいでの夏」・・・はじめて愛を知ったその夏…鏡のようにきらめく海に涙を沈めて あの女は去って行った・・・でした。.

ボーグス<The Vogues>
ラブ・ソング<Love Song>/BELL-88057/1971.8.

ヴォーグス、ソフトロックの有名どころですが、美麗で壮大、黒っぽさも持っていたりして、単に美しいコーラスグループとして片付けられない実力派でした。BELLは69年からフィフス・ディメンションなどのベテラン・アーチストを招聘して再生させる戦略を進めますが,リプリーズから移籍したヴォーグスには、これもソフトロック系では名高いテディ・ランダッツオをプロデューサーとして充てました。この組み合わせによる唯一のシングル、Love Songは、途中の盛り上がりも素晴らしい厚みのある叙情的なバラードに仕上がっていますが、残念ながら不発に終わりました。

ジョニー・ジョンソン<Johnny Johnson>
スイート・インスピレイション<Sweet Inspiration>/BELL-88064/1971.8

ジョニー・ジョンソンとバンドワゴンは、イギリスのトップ40に5曲送り込んでいます.トニー・マッコーレイのファミリー・グループで、このシングルも、トニーがプロデユースしています。黒人4人組でキャッチーなポップ・ソウルを聞かせます。サウンド・トラック&ソウルというグループにいたビリー・ブラッドレイとリー・ブルックスがジョニーとニューヨークで出会って、67年バンドワゴン名義で米Epic、英Direction Recordsからデビューします。'69年Jonny Johnson & The Bandwagonに改名。メンバーは John Johnson('45年フロリダ出身)、Terry Lewis('46年オハイオ出身)、Arther Fullilove('47年ニュー・ヨーク出身)、Billy Bradley('45年ニュー・ヨーク出身)。英Bell Records移籍後にSweet Inspirationが全英10位の大ヒットとなったために、イギリスへ移住して活躍。Blame It On The Pony Expressは、マッコーレイ・クック・グリーナウエイのゴールデン・コンビの作曲で全英7位に上昇しました。その後はオリジナル・メンバーを入れ替える等してJonny Johnson &His Bandwagonに改名したものの、人気は衰えたということです。

トム・ハートマン<Tom Hartman>.
サンシャイン・ウーマン<Sunshine Woman>/BELL-88065/1971.9

カナダ出身のシンガー・ソング・ライターのトムは、バークレー大学でクラシックを勉強しながら、ロック・グループを結成して音楽活動を始めます。71年にカナダのBELLレコードとソロで契約して発表したのが、ポップなロックン・ロールの「サンシャイン・ウーマン」で.71年の7月から8月にかけて、カナダのヒットチャートの1位を飾ったとありますが、アメリカでは、残念ながら不発に終わりました.TV映画「ロックフォードの事件メモ」の音楽などで有名なマイク・ポストが、プロデュースしています。

エンニオ・モリコーネ<Ennio Morricone>
華麗なる大泥棒<Le Casse>/BELL-88073/1971.11

ジャン・ポール・ベルモンドが巨大エメラルドを盗み出す泥棒。追いかける刑事がオマー・シャリフ。アクション・スリラーの巨編でした。サウンド・トラックが、イタリアの映画音楽界の第一人者、エンニオ・モリコーネでした。「死刑台のメロディ」「鉄人長官」「シシリアの恋人」「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」などの作品で有名ですね。

BLPA・BLPBシリーズ
ベイシティローラーズ<Bay City Rollers>
朝まで踊ろう<Keep On Dancing>/BLPA-1/1972.3
恋のロックンロール<Shang-A-Lang>BLPB-236/1974.9
75年に、日本では「バイ・バイ・ベイビー」アメリカでは「サタデイ・ナイト」で颯爽とデビュー・ブレイクした感じのローラーズですが、デビュー曲で、60年代にジェントリーズがヒットさせたカバーで、72年に全英チャートで2位まで上昇しています。続く「恋のロックンロール」もイギリスではNo.1ヒットとなり、イギリスでのアイドル・グループの地位を固めます。スコットランドのエジンバラで結成され、タータンチェックがトレードマークで、モンキーズ以来の世界中のアイドル・グループとして大成功しました。74年にレスリー・マッコーエンをメイン・ボーカルに迎えて、Aristaからの発売となった「バイ・バイ・ベイビー」「サタデイ・ナイト」などの世界的なヒットで人気が爆発しました。
ピグレッツ<The Piglets>
ポルノ・ソング<Johnny Reggae>BLPA-2/1972.3

ピグレッツは、全英2位の一発屋なのですが、レコードは、コミカルな女性ボーカルのように聞こえます。しかし、この奇妙な邦題のシングルは、イギリス・ポップス界の大御所「月にひととび」のJonathan Kingのソロが早回しで録音されたものでした。Johnny Reggaeの英題ですが、歌詞の内容がロンドンの下町あたりでたむろする下層階級の連中が使うエゲツナイ、エッチなジョークなので、ポルノ・ソングのタイトルに化けたわけです。ちなみに、このシングルは、アメリカでもリリースされていますが、まったく理解されず、ヒットしませんでした。
ベブ・ハレル<Bev Harrell>
幸せだった昨日<Bringing back Those Memories>BLPA-4/1972.3

70年に始まったヤマハ国際歌謡音楽祭は、世界のポピュラー音楽がマーケットとして成り立っていた日本ならではの企画でした。第一回のグランプリは、イスラエルのヘドバとダビデの「ナオミの夢」で大ヒットしました。71年の第二回からは世界歌謡祭に衣替しましたが、グランプリは、上條恒彦と六文銭の「出発の歌」マルティーヌ・クレマンソーの「ただ愛に生きるだけ」でどちらも大ヒットしましたが、イギリス代表で入賞したのがこの曲でした。ベブ・ハレルは、オーストラリアで中心に活躍したトップ・シンガーで、その証拠にホームページも見られます。

ロビン・ジャック<Robin Jack>
<涙をぶっ飛ばせ/ Girl I've Got News For You>/BLPA-19/1972.8

イギリスのポップ・シーンで忘れてならないのが、ジョナサン・キング。自らは,ファンタジックなポップ・バラード「月へひととび」Everyone Gone To The Moonの全英4位全米17位のヒットを残しますが、ジェネシス、ベイ・シティ・ローラーズ、10CC,ファーストクラス等のグループを発掘したビジネス面での業績が光ります。このキングは、架空のグループ名義でシンガー・セッションを続けますが、この曲もその一つで、不発に終わりますが、彼らしくインパクトの強いポップ・ソングとなっています。ジョナサンキングの6枚CDセットに収録されていますが、シングルとはバージョンが異なります。

ボビー・ホース<Bobby Horse>
サマータイム・サマータイム/Summertime Summertime>/BLPA-23/1972.9

モデルのツイギーからポール・マッカートニーに紹介されて、「悲しき使」Those Were The Daysで世界中で大ヒットして幸運なデビューを飾りました。グッドバイや夢見る港、幸せの扉なヒットが続きましたが、アップルの進めるポップ路線と違和感を持ったメリーは、自ら選曲にあたったフォーク調のアルバム「大地の歌」を最後にアップルを離れます。メリーは、このアルバムをプロデュースしたトニー・ビスコンティと結婚しますが、二人が作成したシングルが、軽快なリズムのこの曲でした。

ゴッドスペル<GodSpell>デイ・バイ・デイ<Day By Day>BLPA-24/1972.9

1971年のニューヨークでは、イエス・キリストがビッグ・スターとなってしました。
キリストをテーマとしたGodspellとJesus Christ Superstarのロック・ミュージカルが大ヒットしていました。前者は、ヒッピーの道化役者として、後者は、ストイックなヒーローとして、好対照の描写でした。Godspellは、聖マシューの福音をテーマとしたオフ・ブロードウエイのミュージカルでしたが、スティーブン・シュワルツの素晴らしいミュージック・スコアが話題を呼びました.We Beseech Thee," "Prepare Ye the Way of The Lord" そして "Day by Day" と誰もが口づさめるタイトルが並びました。

ゲイリー・グリッター<Gary Glitter>
ロックン・ロール・パート2<Rock'n Roll Part2>BLPA-30/1972.10
ロックにしびれて<I Did'nt Know I Loved You(Till I Saw You Rock & Roll)/BLPA-32/1972.12.
シェイキー・スー<Shaky Sue>BLPB-204 /1973.3

ハッピー・バースデイ<Happy Birthday>/BLPB-217/1973.8

日本ではグラムロックの王者として知られたゲイリー・グリッターは、レコード・デビューが60年で多くのシングルをリリースしますが、いずれもセールスは失敗に終ります。長い下積みの後に,72年にBELLと契約しリリースしたロックンロール・パート2は、B面のパート1とあわせて約6分以上の大作でしたが、3ヶ月かけて徐々にチャートを上昇して2位まで登り詰めます。イギリスでは、72年から76年まで、UK・TOP40に13枚のヒット・シングルを送り込み、ロックンロールの王者の座をつかみました。今、聞いてもポップでグラマラスなロックンロールとして楽しく聞けます。

ハーレー・クイン<Harley Quinne>
ニューオーリンズ<New Orleans> /BLPA-33/1973.1.

72年、イギリス・ベルは、ゲイリー・グリッターに続いて、グラム・ロックの新生をヒットチャートに送り込みました。「Picturs of You」のヒットを放ったジョー・ブラウン&ブルーバーズのメンバー、ピーター・オークマンをリーダーとした3人組は、数曲のデモを、ヒット・ソング・メーカーのロジャー・グリーナウエイに送って認められます。ロジャーの命名とプロデュースで、ハーレー・クインは、60年にゲイリー・US・ボンズが大ヒットさせた「New Orleans」をカバーして、全英19位のデビュー・ヒットを放ちます。ベルからは、3枚のシングルをリリースしています。

セルジオ・メンデス&ブラジル77<Sergio Mendes & Brazil'77>
ラブ・ミュージック<Love Music>BLPB-205/1973.4

セルジオ・メンデスとブラジル’66がマシュケナダを大ヒットさせたのは67年で、ボサノバの王様として君臨し続けました。72年に永年住み慣れたA&Mを離れて、ベル・レコードに新天地を求めてグループ名もブラジル’77と改名します。そして来日記念版として発表したのが、このシングルですが、ミスター・マンデイや天使の兵隊のオリジナル・キャストを手掛けたデニス・ランバートとブライアン・ポッターのコンビによる洗練された軽快なナンバーで、ボーンズ・ハウのプロデュースによるものでした。ブラジル77では、オリジナル・メンバーはセルジオ・メンデスのみで、「サンホセへの道」を日本でヒットさせたボサリオの紅一点グラシーニャ・レポラーゼが参加しています。ジャケット写真の右から2番目の彼女は,この時、既に、セルジオ・メンデスと結婚していたのですね。

テリー・ジャックス<Terry Jacks>。
そよ風のバラード/Seasons In The Sun>/BLPB-230/1974.2(#1)
行かないで/If You Go Away/PLBP-234/1974.6(#68)

原題がThe Dying Man、ベルギーのソングライター、ジャック・ブレルの作品は、自殺した実在の青年の遺書をベースとしたもので、シンプルでほのぼのした曲調が哀感を漂わせます。カナダのシンガー・ソング・ライターのテリーは、ソロ転向前に、妻のスーザンと一緒に、ポピー・ファミリーというフォーク・グループを結成しますが、3枚目のシングルB面の「ビリーの別れ道」が全米2位の大ヒットを記録しました。大きな農場を持って魚釣りが大好き自然派のテリーは、有名になってからのロードツアーの忙しさが大嫌いだったようで、片やショウビジネスが好きな大柄なブロンド美人のスーザンと離婚することになりますが、その後も彼女に曲を提供し続けました。

ヴィッキー・ローレンス<Vicki Lawrence>
ジョージアの灯は消えて/The Night The Light Went Out In Georgia>/BLPB-213/1974.4(#1)
二人の時間/He Did With Me/BLPB-218/1973.8
「ハニー」や「青い果実」のソングライターで知られるボビー・ラッセルが実際の殺人事件を題材に作成し、夫人のヴィッキーに歌わせた曲が、予想外に全米1位の大ヒットとなりました。ボビーは、最初にシェールに持ちかけますが、断られてのことでした。激情を秘めた歌詞と哀しく抑え気味の曲調にハスキーなヴィッキーの声が良くマッチして印象的な曲となっています。この大ヒットでアルバムと数枚のシングルを発表しましたが、この曲のインパクトが大き過ぎたのか、人気は継続しませんでした。ボビーとも程なく離婚しています。
ファースト・チョイス<The First Choice>
BLPB-210暁の非常線<Armed And Extremely dangelous>/1973.5(#28)
BLPB-226スマーティ・パンツ<Smarty Pants>/1973.11.(#56)
BLPB-239恋の火遊び<Player(Pt1)/1975.5(#70)

70年前後にコンスタントにヒットを続けたフィラデルフィア・ソウルの王者、デルフォニックスが在籍したフィリー・グルーブで活躍した女性ソウル・トリオがファースト・チョイスでした。フィラデルフィアのハイスクールで知り合った3人は、THE DEBONETTESを結成したところを、フィリー・サウンドのバック・ミュージッシャン・バンドで有名なMFSBのギタリスト、ノーマン・ハリスが見い出し、73年にフィリー・グルーブでスタン・ワトソンがプロデュースして発売した「暁の非常線」が、イギリスで火がついた後,全米28位のヒットとなりました。兄貴分のデルフォニックスは、スイートなソフトソウルであるのに対して、こちらは、端正なディスコ・タッチでもあったので、70年代後半も、ワーナーに移籍して、ヒットを続け活躍しました。「恋の火遊び」がBELL Recordのクレジットで日本発売された最後のシングルとなりましたが、ジャケットにはArista のマークが登場しています。

ジョー・ブラウン<Joe Browne>
BLPB-219ヘイ・ママ<Hey Mama>1973.8

ジョー・ブラウン、多くの曲をイギリスのヒット・チャートに送り込んでいるものの、日本では無名なアーチストの一人です。1941年ロンドン生まれで、ギターの腕前が認められ Bruvversというグループを率いて、60年に最初のPye Recordでのシングル、Shineが33位まで上昇します。次いで62年にPicadelly Recordから出したWhat A Crazy World We're Living Inがスマッシュ・ヒット、そしてA Picture Of Youが1位を独走します。その後は、映画、テレビ・ショー、ラジオ・ショーの多くに出演しています。このHey Mamaは、73年のベルからのリリースですが、マイナー・ヒットに終わっています。90年代に入り、Chas & Daveとのライブ・ツアーが大きな成功をおさめ、ライブアルバムのリリースなど活躍を続けています。

リトル・リチャード<Little Richard>
BLPB-222 グッド・ガリー・ミス・モリー/1973.10.

「ロックンロール・エクスプロージョン」は、72年に3日間に渡ったロックンロール・リバイヴァル・ショーをベースに往年のスターの様子も重ねあわせた映画でした。チャック・ベリー、チャビー・チェッカー、ファッツ・ドミノとともに、ロックン・ロールの基礎を作り出した黒人歌手のリトル・リチャードですが、1955年から57年まで、「のっぽのサリー」「ジェニ・ジェニ」「ルシール」などの大ヒットを連発しました。

バリー・ブルー<Barry Blue>
PLBP-225ダンスでごきげん<Dancin'(On A Saturday Night)>/1974.9

ユーライア・ヒープの前身バンド「Spice」に在籍したバリー・ブルーで注目したいのは、「シュガー・ミー」の大ヒットで有名なリンジー・ディ・ポールの作詩作曲のパートナーなんですね。「シュガー・ミー」も、バリーのデビュー盤「ダンスでごきげん」も二人の共作です。下積みのバンド生活や、レコード・プロモーション・マン、スタジオ・ミュージッシャンが長かったのが、「シュガー・ミー」のヒットをきっかけに表舞台に登場して、73年9月に、このキャッチー・ポップなデビュー曲が、全英1位の大ヒットとなったわけです。

バート・バカラック<Burt Bacharach>
世界はまるい<The World Is A Circle>BLPB-212/1973.6.

1973年のコロンビア映画「失われた地平線」では、バート・バカラックとハル・デビッドが初めてミュージカル映画を完成させました。この映画は、1937年に第一回の映画化(日米同年上映)で二回目の映画化でした。バカラック・デビッドのゴールデン・コンビは、この映画のために11曲の作詞作曲をしているので、貴重なサントラ盤かもしれませんね。ジャケットにはオリビア・ハッセーの顔も見えますね。

サウンドトラック<Soundtrack>
ニコライとアレクサンドラ<Nicholas & Alexandra>BLPA-5/1972.4
栄光のライダー<On Any Sunday>BLPA-20/1972.8.

オリジナル・キャスト/Bell78002
天使の兵隊
私は一人
ミスターマンデイ
明日に生きよう
エジソンライトハウス/Bell78003
恋のほのお
エブリーロンリーデイ
恋のテクニック
ロンリーサマー
BEST HIT Vol.1BEST HIT Vol.1/ Bell78004
ミスターマンデイ/オリジナルキャスト
恋のほのお/エジソンライトハウス
風にくちづけ/ボイスアンドハート
パペットマン/フィフスディメンション
BEST HIT Vol.2/ Bell78007
悲しき初恋/パートリッジファミリー
虹を架けよう/オリジナルキャスト
ドーン/恋するキャンディダ
セイブザカントリー/フィフスディメンション
パートリッジ・ファミリー/Bell78008
悲しき初恋
僕はひとり
ほんの少し前には
言葉がなくても
R.P.M./メラニー/Bell78009
悲しみの足音
どこに行くの
悲しみの足音
パコのさよなら
ドーン/Bell78010
恋するキャンディダ
恋は日曜日に
ノックは3回
雨の日の男
Live In Japan/The Original Caste/Bell78012
ミスターマンデイ
素直になろう
虹をかけよう
天使の兵隊
BEST HIT Vol.3/ Bell78013
ノックは3回/ドーン
カムトゥゲザー/オリジナルキャスト
哀しみは鐘の音とともに/フィフスディメンション
悲しみの足音/メラニー.
BEST HIT Vol.4/ Bell78020
涙のハプニング/エジソンライトハウス
悲しき青春/パートリッジファミリー
素敵な女の子/モンキーズ
愛のロンド/フィフスディメンション.
オリジナルキャスト/BELL78021
ミスターマンデイ
虹を架けよう
天使の兵隊
カムトゥゲザー
デヴィッド・キャシディ/BLPE1
チェリッシュ
友達なんかでいられない
恋するデビッド
恋の道化師
Fifth Dimension/BLPE2
輝く星座
ブローイングアウエイ
ウエディングベルブルース
レットイットビーミー
ミッシェル・ルグラン/BLPE-3
華麗なる賭け

おもいでの夏
ブライアンズ・ソング.
フィフス・ディメンション/BLPE-4
哀しみの部屋
夢の消える夜
とどかぬ愛
ブラック・パッチ.
David Cassidy/BLPE7
ロックミーベイビー
ゴーナウ
ロンリートゥーロング
高鳴る心

ジャケットを捜索中です。

BELL88041 ファイブ・フラッツ・アップ 浮気なあの娘
BELL88071 ミッシェル・ルグラン コニャックの男のテーマ

Established 2002.9.15

最新更新日

70年頃の洋楽の人気レーベル、BELLの日本シングルの紹介もあと2枚ほどで完成を迎えます。下記の方々の親切な協力によって、ここまできました。
ここにあらためて感謝させていただきます。

Toshirou Kishinami
Takeyoshi Onishi
Hiroshi Asada
Tohru Ueshiba
Tomoo Mutoh
Takashi Nemoto
Tomoko Katsui
Kenji Sato
Emiko Ikeda
Ryuji Iijima
Mikiko Matsumura

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