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(一発屋特集244曲)

[Artists Index] 

 A/B/C/D/E/F/G/H/I/J/K/L/M/N/O/P/Q/R/S/T/U/V/W/X/Y/


Albert Hammond/It' Never Rains In California

アルバート・ハモンド/カリフォルニアの青い空:72
ハモンドは、ロンドンで生まれのスペインで育ちで、66年頃からイギリスでファミリー・ドッグやマジック・ランタンのメンバーとして知られるようになります。日本でヒットしたマジック・ランタンの「 孤独の夜明け」は、彼とヘイゼルウッドの共作です。ソロ転向後の初シングル「Down By The River」は全米91位でしたが、南カリフォルニアに移住して制作した爽やかで親しみやすいこの曲が、全米5位で世界的ヒットとなりました。「落葉のコンチェルト」が日本のみでヒットしますが、アメリカでは、7枚のシングルが下位でしたが、レオ・セイヤーの「はるかなる想い」(全米1位)などの作曲で活躍が続きました。


Andrew Gold/Lonely Boy

アンドリュー・ゴールド/ロンリー・ボーイ:77
カリフォルニア、バーバンク生まれで、両親が有名な音楽家のアンドリュー。孤独な少年時代を回想した内容の歌なのですが、ノリの良いリズムに乗せて軽く歌っています。彼は、70年代、リンダ・ロンシュタットのセッションやアレンジを担当しますが、リンダのバッキングの協力を得たソロ・シングルの2曲目が、全米7位のヒットとなりました。80年代には、10C.C.のグラハム・グールドマンとワックスと言うグループを結成します。


Aphrodite's Child/Rain & Tears

アフロディテス・チャイルド/雨と涙:68
パッヘルベルのカノンをベースにしたヨーロッパを中心としたヒット。1981年に「炎のランナー」の世界的なヒットを放つギリシャ生まれのキーボード奏者、作曲家のヴァンゲリスが、1968年から70年代初めまで結成していたグループ。ポップ・サイケな曲を得意とし、甘酸っぱい多彩なメロディーのアルバムは今でも十分に新鮮に楽しめます。


Apollo100/Joy

アポロ100/喜びのカンタータ:72
キーボード奏者のTom Parkerをリーダーとしたイギリスのベテラン達のスタジオ・ロック・バンド。バッハの原曲「Jesu,Joy Of Man's Desiring」(主よ、人の望みの喜びを)をテクノ・ポップ風にアレンジしたインストルメンタル・ヒットで全米6位。Tomは、10代からジャズ・クラブで演奏して、アニマルズなどのプロデュースやセッションに参加していました。セッション・ドラマーが、ClemCattini という人で、イギリスのポップ・シングルに数多く登場しています。"The Sun Ain't Gonna Shine Anymore" The Walker Brothers "You Don't Have To Say You Love Me" Dusty Springfield "Green Green Grass Of Home" Tom Jones "Release Me" Engelbert Humperdinck "The Last Waltz" Engelbert Humperdinck"Love Grows" Edison Lighthouse "などなど。続く「太陽のシンフォニー」は、72年に全米94位。


Arkade/Fools' Way of Lovin'

アーケイド/愚かな愛:70
アーケイドは、ダンヒル・レコードの3人組で、グラスルーツに「燃ゆる瞳」等、多くの曲を提供しました。彼ら自身では、この曲と「僕らの朝」など4枚のキャッチーなポップ・ロックのシングルをリリースしますが、アルバムは出ていません。
Woman In My Life(DUNHILL-4235)Sing Out The Love(DUNHILL-4247)僕等の朝(The Morning Of Our Lives)、愚かな愛(Fools' Way Of Lovin')、Rhythm Of The People( DUNHILL 4235) Susan (DUNHILL 4247 )、Sentimental Lisa (DUNHILL 4277 )、Where You Lead (DUNHILL 4277)計8枚のシングルを70〜71年に発表しています。 メンバーのオースチン・ロバーツは、75年に「ロッキー」の全米トップ10ヒットをソロで放ちます。


Alan O'day/Undercover Angel

アラン・オデイ/アンダーカバー・エンジェル:77
ジー・ベイビー」やライチャス・ブラザースの「ロックン・ロール天国」で名を上げます。ワーナー・ブラザースの社長、エド・シルバースが、新レーベルPacificの初シングルに起用したのが、ワーナーで売れっ子ライターのアランでした。自作自演のポップ・ナンバーは、スティーブ・バリのプロデュースで、全米1位の強運をつかみますが、シンガーとしては一発屋で終わりました。


American Bleed/Bend Me Shape Me

アメリカン・ブリード/ベンド・ミー・シェイプ・ミー:68
分厚いコーラスワークとブラスセクション。グラスルーツとアソシエイションをミックスしたようで、イギリスのハーモニーポップへのアメリカ人種「アメリカン・ブリード」の解答みたいなグループ。この曲は、4枚目のシングルで、全米3位のミリオン・セラー。日本盤ベストCDが発売中。


Argent/Hold Your Head Up

アージェント/ホールド・ユア・ヘッド・アップ:72
解散してから「二人のシーズン」が全米3位の大ヒットとなったゾンビーズ。そのキーボード奏者ロッド・アージェントが70年に結成したグループ。最初のアルバムは売れず、全米ツアーを続けて徐々に人気を集めて、72年に発表したシュールでシリアスなこの曲が全米5位まで上昇します。しかし8枚のアルバムと数枚のシングルを発表しますが、ヒットしたのはこの曲のみ。スリー・ドッグ・ナイトの「ライアー」も彼らの1STアルバムからのカバーでした。


Archies/Sugar Sugar

アーチーズ/シュガー・シュガー:68
アーチーズは、68年にスタートしたアニメ番組の主役となった実在しないバンド。そのボーカルは、セッション・シンガーで有名なロン・ダンテと女性のトニ・ワインが多重録音したものでした。ダンテは、カフリンクスで「トレイシー」ワインは、ダスクで「エンジェル・ベイビー」ドーンで「ノックは三回」などをヒットさせています。この曲は、ジェフ・バリーとアンディ・キムが元々は、モンキーズに用意したもので、シンプルでキャッチーなサウンドが一般受けし、全米1位を4週間続けました。


Austin Roberts/Rocky

オースティン・ロバーツ/ロッキー:75
バージニア州生まれで、ダンヒルのグループ、アーケードのメンバーだったオースチン・ロバーツ。3枚目のTOP 40 シングルのこの曲が全米9位まで上昇。ポップ・カントリーを多く作曲していますが、彼のヒット曲は、すべて他人の作曲でした。


Bells/Stay a While

ベルズ/恋はつかの間:70
カナダのアン&クリフ・エドワーズ夫妻を中心に結成されたポップ・グループ。アルバムは数枚発表していますが、この曲が全米7位のヒット。出産のアンと交代したクリフの妹であるジャッキーのキュートなウィスパー・ボイスがなんとも魅力的。チャーミングなメロディーーにのせた歌詞は、濃厚なラブ・シーンで、トロントのラジオ局では放送禁止の扱いを受けたとか。


Barry Mcguire/Eve Of Distruction

バリー・マクガイア/明日なき世界:68
アメリカン・フォークの草分けニュー・クリスティ・ミンストレルズで「グリーン・グリーン」のリード・ボーカルを担当していたバリーは、ダンヒル・レコード最初の契約アーチストでした。ダンヒル社長のルー・アドラーが、お抱えのソングライター・チーム、P.F.スローンとスティーブ・バリに制作させた世界中の悲劇を扱った問題作は、数局で放送禁止の扱いを受けながらも、全米1位となりました。


Barry Devorzon & Perry Botkin Jr/Nadia's Theme

バリー・デボーゾンとペリー・ボトキン・ジュニア/妖精コマネチのテーマ:76

カリフォルニアでペアを組んだ二人は、作曲、アレンジをこなすプロデューサーでした。デボーゾンは、Valiantレコードの創設者。この全米8位まで上昇したインスト・ヒットは、元々は「Cotton's Dream」のタイトルで、「動物と子供たちの詩」の映画(主題歌はカーペンターズ)で使われた曲でした。これが、テレビのテーマ曲にも使われ、モントリオール・オリンピックで、ABCテレビがルーマニアの美人体操選手ナディア・コマネチの テーマ・ミュージックとして使用したことで、シングル化。


Beverly Bremers/Don't Say You Don't Remember

ビヴァリー・ブレマーズ/ひとりぼっちの涙:72
60年代風のノスタルジックなガールズ・ソングは、70年にNBC系列のテレビ・シリーズで活躍したThe Gogglesのシングルがオリジナル。リーダーは、ソルトウオーター・タフィのロッド・マクブライエンでした。この曲をヒットさせたのは、シカゴ出身の美人女優兼歌手のビヴァリーでした。彼女が、この曲の作者のヘレン・ミラーの事務所で働いていたことが、録音のきっかけでした。この全米15位のヒットとあわせて、72年にセプター・レコードからI'll Make You Musicのアルバムをリリースしテレビドラマでも活躍しました。
Billy Paul/Me & Mrs.Jones

ビリー・ポール/ミー&ミセス・ジョーンズ:72
フィラデルフィア生まれのソウル・シンガー。ケニー・ギャンブルとレオン・ハフが創設したフィラデルフィア・インターナショナルの最初の全米NO1シングルでした。11才の頃から地元ラジオ曲で歌い始め、ナット・キング・コール、チャーリー・パーカーなどのジャズ・シンガーの影響を強く受けます。この傑出したスタンダード・ナンバーは、黒人男性と白人Jones夫人との密会、不倫関係を大胆に描写したディープなソウル・バラード。


Blues Image/Ride Captain Ride

ブルース・イメージ/ライド・キャプテン・ライド:70
70年の全米4位。ギタリストとしてアイアン・バタフライに少し在籍したマイク・ピネラをリーダーとした5人組で、フロリダ州タンパで結成。その後、ニューヨークに自分達のクラブを開き活動しますが、リラックスした感じのラテン・ロックを得意としました。"Blues Image""Open""Red,White And Blues Image"の3枚のアルバムを発表していますが、疲れずに聞ける名盤で、CD化希望。個人的は、All Time Best 20に入れたい曲。


Blue magic/Sideshow

ブルー・マジック/愛ははかなく:74

フィリー・ソウルで有名なフィラデルフィアで結成された5人組。MFSBといわれたフィリーのスタジオ・ミュージッシャン集団に支えられて制作されたソウル・バラードは、シンプルでバランスの取れた心を和ませる佳曲で全米8位のブレイクを見せますが、ポップ・チャートでは次作の"Three Ring Circus"までがトップ40。R&Bチャートでは、永く彼らの名前を見ることが出来ます。
Bobbie Gentry/A Ode To Billy Joe

ボビー・ジェントリー/ビリー・ジョーの唄:67
ミシシッピー出身でハスキー・ボイスの美人シンガー。ギター、ピアノ、ベース、バンジョーと楽器を幅広くこなします。67年に発表したこの曲は、シングルはB面でしたが、シリアスな歌詞とスワンプ風の弾き語りがDJの注目を浴び、3週間で全米1位に上り詰め、グラミー賞の新人賞を獲得します。同じキャピトルのスター、グレン・キャンベルとのアルバム・デュエットが話題を呼びました。


Bobby Hebb/Sunny

ボビー・ヘブ/サニー:66
ボビーは、ナッシュビルに生まれ、ソングライター、ギタリスト、シンガーとして頭角を現します。12歳の若さでカントリー・ウエスタンの殿堂GRAND OLE OPRYに黒人として初出演。チェット・アトキンスにギターを師事し、ミッキーとシルビアの解散後、ボビーとシルビアのデュオを短期間、結成。シンプルで憂鬱さを秘めた名曲「サニー」(全米2位)は、彼の兄で、ソウル・グループMarigoldsのメンバーだったハル・ヘブが、ケネディ大統領の暗殺の翌日に、追剥ぎに殺された悲しみを曲にしたものでした。


Bobby Sherman/Little Woman

ボビー・シャーマン/リトル・ウーマン:69
ボビー・シャーマンは、70年頃のアメリカのトップ・アイドルでした。64年頃からテレビ番組にレギュラー出演するようになって、メトロメディア・レコードからの全米3位まで上昇したデビュー・ヒットがこのミディアム・テンポのこの軽快なナンバーでした。その後も「ラ・ラ・ラ」「イージー・カム・イージー・ゴー」「いとしのジュリー」の全米トップ10ヒットを続けました。マイナー・レーベルのメトロメディアで唯一、成功したアーチストでした。現在は、ロサンゼルスの消防士さんとか。


Bobby Bloom/Montego Bay

ボビー・ブルーム/モンティゴ・ベイ:70
ボビーは、74年2月に銃の暴発で28歳で命を落とします。61年にイマジネーションズとしてデビューして以来、69年までブルー・アイド・ソウルのシングルを発表し続けますが、 HOT100に登場したのが、6枚目でいきなり8位まで上昇したモンティゴ・ベイでした。ジェフ・バリーとボビーが共作したジャマイカ風のバブルガム・ソウルでしたが、71年に3枚のシングルを80〜90位台に登場させた後、名前は見られなくなります。


Bo Donaldson & Heywoods/Billy D'ont Be A Hero

ボ・ドナルドソンとヘイウッズ/悲しみのヒーロー:74
この曲は、全英1位のイギリスのペーパー・レースがオリジナル。アメリカでは、辣腕プロデゥーサーのスティーブ・バリがヘイウッズでメリハリのある絶妙なアレンジで先取りカバー。全米1位のポップを代表する名曲なのですが、歌詞は戦場で散ったビリーにたいするフィアンセの悲しい鎮魂歌。


Boots Waker/Geraldine

ブーツ・ウオーカー/ジェラルディン:69
日本のポップ関係者が、アメリカで不発だった1年前のシングルを強力にラジオでオンエアし、日本のみで大ヒットしました。嵐の効果音で始まる哀愁味を帯びたロッカ・バラード。ブーツは、全米では、コミカルなポップ・ソング「They're here」の90位台の一発屋で終わりました。どちらも、L.Zeratoの名前でのブーツの自作曲。


Bossa Rio/Do You know The Way To San Jose

ボサ・リオ/サンホセへの道:70
バート・バカラック作の軽快なボサノバのスタンダード。A&Mで、セルジオ・メンデスとブラジル66の弟分でした。全米チャートでは、68年に、ディオンヌ・ワーウイック盤が10位まで上昇しています。キュートな美人女性ボーカルのグラシーニャ・レポラーセは、現在のセルジオメンデスの奥様で、一緒に活躍を続けています。


Brotherhood Of Man/United We Stand

ブラザーフッド・オブ・マン/二人だけの世界:70
イギリスのスタジオ・セッション・グループ。中核は、エジソン・ライトハウスやファースト・クラスで、リード・ボーカルを努めたトニー・バロウズと女性ボーカルのサニー・レスリー。サニーは、スイート&キュートなバック・ヴォーカルとして、Joe CockerのWith A Little Help From My Friendsなど多くの作品に参加しています。サニーがソロでリリースした、キャッチー・ポップの傑作「恋の診断書 」Doctor's Order は、イギリスでヒットしますが、全米11位に輝いたのはキャロル・ダグラスのカバー盤でした。


Brook Benton/Rainy Night In Georgia

ブルック・ベントン/レイニー・ナイト・イン・ジョージア:70
ブルック・ベントンは、60年代、R&Bチャート・トッパーとして名を馳せました。ベントンの渋いボーカルと、雨に煙る雰囲気がマッチしたバラードは、トニー・ジョー・ホワイトの作品で、ポップ・チャートの2位まで上昇しました。ベントンは、この後、ディスコ・ミュージックに転身をはかるものの成功せず、88年にこの世を去りました。


Buffy Sainte-Marie/ The Circle Game

バフィー・セント・メリー/サークル・ゲーム:70
「いちご白書」の映画主題歌。バフィーは、カナディアン・インディアンの両親を持つフォーク・シンガー&ソングライターでサッパリした歌いっぷりが爽やかでした。76年から91年までは、テレビのセサミ・ストリートのキャストをこなしました。またバフィーは、60年代中期から70年代中期まで、多くのシングル、アルバムを発表しています。


Buoys/Give Up Your Guns

ボーイズ/涙の架け橋:71
ボーイズは、ペンシルバニア州で結成された5人組で、アコーステイックで四畳半フォーク風なこのデビュー曲は、全米84位のスマッシュ・ヒットとなりました。ヒット・メーカーのルパート・ホームスが、彼らの作曲とアレンジを担当しましたが、全米大ヒットの「ヒム」といい、寂し気で心に染み入る感じの作風は、日本人向きのところがあります。彼らの第二弾ヒットの「ティモシー」は、全米17位まで上昇し、セプター・レコードからアルバム"Timothy"をリリースしました。


Brewer & Shipley/One Toak Over The Line

ブリューワーとシップレイ/人生の道:71

カルフォルニア生まれのマイク・ブリューワーとトム・シップレイは、ロサンゼルスのフォーク・クラブで歌っていて、1968年にデュオを結成します。新興カマストラ・レコードと契約して2枚のアルバムを発表した後に、70年にカントリー・フォーク・ポップ調の「人生の道」のシングルが、全米10位のヒットとなります。この後に、ミズーリ州に落ち着き、活動を続けますが、再びチャートに登場することはありませんでした。

Butterscotch/Don't You Know

バタースコッチ/そよ風の二人:70
この曲のファン、多いですね。爽やかでジェントルなブリティッシュ・ハーモニー・ポップ。78年のバリー・マニロウの「涙色の微笑み」(全米3位)エジソン・ライトハウスの「恋のペチューラ」「涙のハプニング」ハミルトン・ジョー・フランク&レイノルズの「アナベラ」など、多くの人にヒットを提供している3人組アーノルド・マーチン・モロウも、オリジナルでは、一発屋さんでした。グループ名と同名の傑作ポップなLPを1枚残しており、「Things I Do For You」の隠れた名曲もあります。


Capricorn/Liverpool Hello

カプリコーン/ハロー・リバプール:71
ルルのヒット曲「アイム・ア・タイガー」やステイタス・クオの「アイス・イン・ザ・サン」などを作曲したロニー・スコットとマイティー・ワイルドの共作。この曲は、英国BBC・TVのミュージカル「ライム・ストリート行の電車はない」の主題歌として作られ、ファンの強い要望でシングル化。当時19才の女性リード・ボーカルのスー・アボリーと男性二人のギター、バックコーラスの3人のポップ・グループ。日本では、スー・アポリーのエコーたっぷりボーカルのポップ・ソングがオリコン11位で、「恋のフィーリング」も第3回世界歌謡祭グランプリとヒットしました。


Carl Carlton/Everlasting Love

カール・カールトン/恋のときめき:74
直訳すると「永遠の愛」。オリジナルは、テネシー生まれのR&Bシンガー、ロバート・ナイトが67年に放った全米13位の一発ヒット。多くのアーチストがカバーしているラブ・バラードですが、伸びやかに高らかに歌う74年のカール盤の全米6位が、最高位。デトロイト生まれのカールは、16歳で小ヒットを出して、教会やクラブで歌を続けますが、全米ブレイクしたのは、この曲のみでした。


Carole Douglas/Doctor's Order

キャロル・ダグラス/恋の診断書:75
黒人女性ディスコ・ボーカリストのキャロルは、60年代後半から、テレビ・コマーシャルの仕事に就き、70年代に入りThe Chantelsに参加しますが、彼女を一躍有名にしたのが、75年全米11位の「恋の診断書」の大ヒット。この曲は、 Roger Cook, Roger Greenaway, Geoff Stephensのトリオの作曲で、イギリスで元ブラザー・フッド・オブ・マンの女性ボーカルのサニーが大ヒットさせた軽快なディスコのカバーでした。その後は、 "A Hurricane Is Coming Tonight"が81位、名曲 "Burnin"がノン・チャートと奮いませんでしたが、現在もなお歌い続けています。


Cascades/Rythm Of The Rain

カスケーズ/悲しき雨音:63
一発屋とレイン・ソングの両方の代表曲。全米3位ですが、日本では永らく1位を続け、毎年、梅雨の頃になると必ずラジオで繰り返しかかったモンスター級の大ヒット曲。ウエスト・コーストのサンディエゴの5人のグループで、リーダーでボーカルのジョン・ガモーが作曲しています。続くThe Last Leaf「悲しき北風」も日本人好みの曲でしたが、全米では60位どまりでした。


Cats/I Walk through The Fields

キャッツ/ひとりぼっちの野原:71
このメランコリックでマイナータッチなバラードは、アルバム「Take Me With You」の収録曲で、日本のみのシングル大ヒット。オランダではポピュラーで多くの作品をヒットさせている彼等も、これには驚いたらしいのですが、日本では、残念ながら一発屋に終わっています。


Chantal Goya/Une Echarpe,Une Rose

シャンタル・ゴヤ/乙女の涙:66
60年代のフレンチ・ポップスで、フランス・ギャルと人気をわけたのがゴヤ。キュートとエレガント。ヒップとアンニュイ。陽と陰の対比的なアイドルでした。ファッション・モデルもしていたゴヤのフェイスが表紙のおしゃれなベストCDが日本でも発売。


Choir/It's Cold Outside
クワイア/冷たい初恋:68

クリーブランド出身の4人組。メンバーから3人が、後にエリック・カルメンとラズベリーズを結成させて、Go All The Wayを大ヒットさせます。このビートの効いたポップ・ロックは、67年に全米68位まで上昇しました。70年まで4枚のシングル
をリリースしましたが、一発屋に終わります。92年に、Sundazedから未発表曲も集めてCD化されました。


Chicory/Son Of My Father

チッコリー/サン・オブ・マイ・ファザー:72
本国イギリスでは、Chicory Tipの名前の4人組のポップ・ロック・バンド。シンセサイザーを全面に出したテクノ・ポップ風の曲でした。全米では90位台どまりでした。オリジナルは、競作となったジョルジオ。60年代にマナ・マナやルーキー・ルーキーをヒットさせた人でしたね。


Climax/Precious & Few

クライマックス/そよ風にキッス:72
クライマックスとしては一発屋でも、リーダーのソニー・ゲラーチは、アウトサイダースで66年に「Time Won't Let Me」(全米5位)などの4曲のヒットを連発し、4枚のアルバムを出しました。ソニーは、60年代の終わりに、クライマックスを結成して、72年に発表した6枚目のシングルがやっと日の目を浴び、全米3位の大ヒットとなりました。ソフトなイントロから始まる優しくそよ風に心地良く触れるようなこの曲は、隠れた名作として人気が高いのですが、続く「愛のいぶき」が52位どまりで、ソニーは、82年には音楽活動から離れてセールスマンの道を選びました。


Colleen Lovett/Freckled Face Soldier

コリーン・ラベット/帰らぬ少年兵:67
ベトナム戦争が本格化した67年、71年に日本で少しヒットした反戦のプロテスト・ソング。アメリカでは、ノン・チャート作品。物憂げなイントロに、コリーンの語りが続く異色曲でした。 ゴージャスなブロンド美人のコリーンは、60年代からエロティックな曲や悩殺ジャケットのアルバムを発表したり、サックス奏者のテディー・フィリップスと結婚して「Five Men and One Girl」のコーラス・アルバムを共同制作しますが、チャートの表舞台には立てませんでした。


Cornelius Brothers & Sister Rose/It's Too Late Turn Back Now

コーネリアス・ブラザース&シスター・ローズ/トゥー・レイト・トゥ・ターン・バック・ナウ:72
エドワード、カーター兄弟といとこのローズのコーネリアス・ファミリーがマイアミで結成したグループ。途中で、ローズの姉妹のビリーが加入して、男女4人組となっています。殆どの曲を書いているエドワード作のこの曲は、流れるようなストリングスをバックに、ミディアム・テンポのいかしたソフト・ソウルで全米2位まで上昇しました。数曲のヒットを残した後に、74年に、カーターが黒人ヘブライのセクトに入り、グループは解散。


Cowsills/The Rain,The Park & Other Things

カウシルズ/雨に消えた初恋/67
カウシル家の5人兄弟に母親も加わり、MGMから出したこの曲は全米2位。雨音にオルガンの印象的なイントロから、美しいメロディーに爽やかに重なる若々しいコーラスの極上のポップスの仕上がりで、世界中で大ヒット。69年には、ミュージカル「ヘアー」の主題歌で全米2位に返り咲きましたが、ここで活動を終えました。


Crabby Appleton/Go Back

クラビー・アップルトン/ゴー・バック:70
ミレニウムのメンバーだったマイケル・フィネリー率いる5人のロック・グループの唯一のヒット曲は、全米36位。風変わりな名前は、人名ではありません。元キングスメンのドン・ガルーシがプロデュースしたこの曲は、アップ・テンポのゴージャスでたまらなくカッコ良いナンバー。日本でも洋楽マニアの間で、話題となりました。


Crazy Elephant/Gimmie Gimmie Good Lovin'

クレイジー・エレファント/ギミー・ギミー・グッド・ラビン:69
1910フルーツガム・カンパニーなどを育てたバブルガム・サウンドの旗手、カセネッツ・カッツがベルレコードに移籍して送りだしたグループで、デビュー曲が全米12位のヒット。続くギミー・サム・モアは最高にノリの良い曲でしたが、二匹目とはなりませんでした。アルバムが最近、CD化。ボーカルは、元キャデラックスのリード・シンガーのリチャード・スペンサーで、セッション・マン達の制作。ツアーは全く違うメンバーが担当しました。Cashbox誌に「昼間は鉱山で働く炭坑夫で、夜、演奏するロックンロール・バンドたち登場」とでっち上げの奇怪な宣伝が掲載されました。


Cristie/Yellow River

クリスティー/イエロー・リバー:70
CCRでグリーン・リバーというのがありますが、こちらは軽快でキャッチーなポップ・ロックで、全米23位。イギリスのジェフ・クリスティー率いる3人組で、デビュー・ヒットをフィーチャーしたアルバムを1枚リリース。このアルバムからの第2弾「思い出のサンバーナディーノ」は、良く似た路線の曲で全米100位。メンバーのマイク・ブレイクリーの兄弟は、トレメローズのメンバー。


Clint Holmes/Playground in My Mind

クリント・ホームス/希望の明日:73
リー・ポックリスとポール・ヴァンスのヒットメイカー・コンビは、ブライアン・ハイランドのビキニスタイルのお嬢さん、カフリンクスのトレイシーなどなど、永く数々のヒットを作ります。クリント・ホームスは、イギリスで生まれ、ニューヨーク州に移り、高校時代からポップ・バンドを組み大学卒業後、ナイトクラブで歌っているところで、このコンビからレコーディングの誘いをかけられます。ポールの息子がバック・コーラスをしている口ずさみやすい歌は、全米2位の大ヒットとなりましたが、その後のシングルは不発に終わります。今でもナイトクラブ回りを続けるクリントですが、自分とぴったりこないこの歌は歌わないようにしています。
Critters/Younger Girl

クリッターズ/ヤンガー・ガール/66
メロディー・メーカーのドン・シコーネひきいる6人組。カマストラ系で、とろけるようなドリーミー・ポップスを得意としました。このデビュー曲は、ラヴィン・スプーンフルのカバー・ヒットで全米42位を記録。次作の「ミスター・ダイングリー・サッド」は、類い稀なる美しいメロディアスな曲で、全米17位のヒット。


Cuff Links/Tracy

カフ・リンクス/トレイシー:69

アメリカのセッション・ポップ・ボーカリスト、ロン・ダンテが、大きく成功したのが、アーチーズとカフ・リンクス。アーチーズの、全米1位の「シュガー・シュガー」とカフ・リンクスの全米9位の「トレイシー」が、同時に全米チャートに登場。カフ・リンクスは、女の子シリーズで"When Julie Comes Around""Run Sully Run"のヒットを続けました。ロン・ダンテが抜けた後のセカンド・アルバムには、ルパート・ホームスがボーカルとして参加します。作曲は、ブライアン・ハイランドの「ビキニ・スタイルのお嬢さん」のポール・ヴァンスとリー・ポックリス。
Cyndi Grecco/Making Our Dreams Come True

シンディ・グレコ/夢は駆け足でやってくる:76

77-79年に放映されたABCテレビの人気コメディ・ショウ「ラバーン&シャーリー」のテーマ曲。シンディは、ニューヨーク生まれの女性シンガーで、アメリカでも、この一発は25位で終わりましたが、大変明るい息もつかせぬリズムでキャッチーなポップ・ソングとして記憶に残ります。

Cyrkle/Red Rubber Ball

サークル/レッド・ラバー・ボウル/66
ブライアン・エプスタインがマネージャーで、ジョン・レノンが名付け親で、ポール・サイモンとブルース・ウッドリー(シーカーズ)作の恵まれた環境で、全米2位のデビュー・ヒットとなります。幸運なスタートを切りましたが、このフォーク・ロック・トリオも、エプスタインの死により、一発屋に終わってしまいます。近年、ソフト・ロックの方面で、再評価されています。


Daniel Vidal/Aime Ceux Qui T'aiment

ダニエル・ビダル/天使のらくがき:69
フランス人形のような青い目のブロンド娘は、当時、日本を中心に活動してアイドルとして定着していました。マルセーユ、モンテ・カルロなどの音楽祭で入賞し、17歳で、この曲でデビューのチャンスをつかみます。早いテンポの哀愁を帯びたメロディーにのせたキュートな声が、今、聞いてもとても心地よいです。「カトリーヌ」の大ヒットもありました。


David McWilliams/The Days Of Pearly Spencer

デビッド・マックウイリアムス/パーリー・スペンサーの日々:68
イギリス北部ベルファスト生まれのポップ・ロック・シンガー。彼の2枚目のシングル「パーリー・スペンサーの日々」がヨーロッパの国々でヒット。66年から74年まで、シングル・アルバムともに7枚をイギリスでリリース。この曲は、イギリスでは3回再リリースされましたが、チャート上は低迷。壮麗なオーケストラのバッキングに、ラジオ音声のようなセリフが哀愁を漂わせた曲で、グラス・ルーツやレーモン・ルフェーブルなど、多くのアーチストにカヴァーされスタンダード化しました。近年、再評価の傾向にあり、2001年にベスト・アルバムがCD化。


David Geddes/Run Joey Run

デビッド・ゲッディス/ラン・ジョーイ・ラン:75
娘の結婚に猛反対する父。銃で恋人を射殺しようとした間に割って入った娘が、恋人ジョーイの腕で抱かれて息絶えるという衝撃的なシーンを描いた曲。ドラマティックに歌い上げる野太い男性ボーカルの間に、訴えるような娘の声が割って入る話題を呼んだ曲でした。ブライアン・ハイランドの「ビキニ・スタイルのお嬢さん」やカフ・リンクスの「トレイシー」を制作したポール・ヴァンスが作曲、プロデュースを担当しています。


Dave Dee Group/The Legend Of Xanadu

デイブ・ディー・グループ/キサナドウーの伝説:68
イギリスの5人組。本名は、Dave Dee,Dozy,Beaky, Mick & Tichの名前を並べた長い名前。グループ・サウンズ風でエキゾチックなアレンジのサイケ・ビート・ポップ。全英1位、オリコン11位の大ヒット。「オーケイ」とか「ザバダク」なんてヒットも続きました。ユニークな個性は、もっと評価されても良いですね。


Dalida、Alan Delon/Paroles Paroles

ダリダ、アラン・ドロン/あまい囁き:73
フランスの名俳優ドロンとベテラン女性歌手ダリダが、恋の駆け引きでわたりあう異色デュエット・ソングで、日本でも大ヒット。ドロンが求愛を囁き、ダリダが焦らすパターンで、日本でも細川俊之と中村晃子のカバーが出ました。


David Cassidy/Get It Up For Love

デビッド・キャシディ/恋の誘惑:75
ベル・レコードのドル箱、パートリッジ・ファミリーの中心スターだったデビッド。私生活では、母親役のシャーリー・ジョーンズは、継母の関係にありました。75年に、ブルース・ジョンストンのイクイノックスに移籍。アイドルから脱皮して、デビッドとブルースが制作した心機一転、発表した第一弾は、アップ・テンポのいかした本格的なロック・ナンバー。


David Soul/Don't Give Up On Us

デビッド・ソウル/やすらぎの季節:77
ヒット・ポップスの巨匠、トニー・マッコーレイが自作で最も好きとする全米第一位ソング。キャッチーなヒット・ソングが多いトニーですが、この曲は、美しくたまらない優しさが溢れる名作。デビッド・ソウルは、スキー・マスクをつけた覆面の男として、MGMから出した数枚のシングルは不発。70年代に入り、テレビ・シリーズの「Here Comes The Brides」刑事役の「Starsky & Hutch」の俳優としてスターとなったのを機に、再度、Private Stockレーベルから歌手デビューを果たしました。


Debby Boone/You Light Up My Life

デビー・ブーン/恋するデビー:77
全米チャート連続10週一位。グラミー賞年間最優秀シングル賞・最優秀新人賞。ワーナー史上最大の500万枚などなど、記録的な大ヒット。パット・ブーンの愛娘として育ち、4人姉妹によるブーン・ガールズは、レコードは売れませんでした。マイク・カーブが、コロンビア映画のタイトル曲として、デビーに歌わせた曲が大当たりしました。「何故、地味なこの曲が10週も」とあちらこちらで話題になりますが、低迷した次作のCaliforniaなどを聞いても、彼女の歌は、歌に素直でせつせつと心に沁みいって来る魅力があると思うのです。


Derek & The Dominos/Layla

デレク&ドミノス/いとしのレイラ:72
ロック界の頂点に立ったクリームは、68年に解散しますが、エリック・クラプトンが落ち着いた先が、デレク&ドミノス。70年にマイアミの彼らのスタジオ・セッションには、デュアン・オールマンが参加します。ATCOからリリースされた3枚のシングルの中で、この曲だけが、71年に51位にランクされ、72年の再発完全バージョンが10位まで上昇しますが、クラプトンは、すぐに重度のヘロイン中毒に陥り、グループは解散してしまいます。クラプトンが、ジョージ・ハリスンの妻、パティに捧げた報われない愛を曲にしたものでした。


Donna Fargo/The Happiest Girl In The Whole U.S.A.

ドナ・ファーゴ/アメリカの女の子:72
元々は高校教師のドナ。プロデューサーの夫の支援のもとで、明るく愛らしい感じのこの自作曲が全米11位のビッグ・ヒットとなりました。その後もTOP10HITの「ファニー・フェイス」等のヒットで、ポップ・カントリーの中堅どころとして、活躍を続けました。


Donna Lynn/I Had a dream I Was a Beatle

ドナ・リン/夢見るビートルズ:64

ビートルズが全米チャートを席巻した1964年の日本のヒット曲。当時13歳のヤンキー娘、ドナがビートルズの一員となって歌う夢を見たことを、楽しげに歌っています。この曲は、アメリカでは、「ビートルズ・カットのボーイ・フレンド」のB面で、アメリカでは、こちらが83位のスマッシュ・ヒット。続くシングルもワン・パターンの邦題で「夢見るデイト」。
Dr.Hook & The Medicine Show/Silvia's Mother

ドクター・フック&メディスン・ショウ/シルビアズ・マザー:72

1968年にニュージャージーで結成されたポップ・ロック・グループ。フック博士こと、レイ・ソーヤーの泣きがはいるボーカルと合わせるように、ジョニー・キャッシュの「スーという名の少年」の作者で漫画家のシェル・シルバースタインがブラック・ユーモアと悲哀を漂わせたユニークな作品を提供。アメリカでは、80年代前半まで20曲近いヒットを飛ばします。シルビアズ・マザーは、72年全米5位のデビュー・ヒット。恋人だったシルビアが嫁ぐ朝に入れた別れの電話に、彼女のお母さんが巧みに取り次がない会話のやりとりを綴った作品。
Dusk/Angel Baby

ダスク/エンジェル・ベイビー:70
ベル・レコードから、70年に「エンジェル・ベイビー」や「二人のウエディング・ベル」の2曲をスマッシュ・ヒット(どちらも全米50位台)。ダスク(夕暮れ)は、ドーン(夜明け)のコンパニオン・グループで、ベル・レコードで、トーケンズのメンバーがプロデxy−ス。60年代の人気グループ、エンジェルスにいたペギーとアーチーズの女性ボーカルのトニ・ワイン等の3人組でした。ドーンの「キャンディダ」「ノックは3回」は、ダスクがバッキング・コーラスを担当。ドーンの正式ツアー・メンバーへの参加を断った経緯があります。


Eddie Holman/Hey There Lonely Girl

エディー・ホールマン/ヘイ・ゼア・ロンリー・ガール:70
ファルセット・ボイスが印象的でメロディアスな全米第二位のビッグ・ヒット。最初に雑音まじりのラジオで聞いた時は、キュートでハスキーな女性の声と思いました。しかし、アルバムジャケットで黒人のおじさんとわかり、びっくりした思い出があります。オリジナルは、63年のルビー&ザ・ロマンティックスで全米27位。その後、ソフトーンズやロバート・ジョンなども、カバー・ヒットさせています。


Edward Bear/Last Song

エドワード・ベア/ラスト・ソング:73
漫画Winnie The Poohから名付けた67年にトロントで結成されたポップ・トリオ。70年にキャピトルから発表したデビュー・シングルYou,Me And Mexicoがカナダでトップ10ヒット(全米68位)に輝き、これに続いたセカンド・シングルが、永い時間をかけてチャートを上昇し全米3位のビッグ・ヒットとなりました。アダルト・コンテンポラリー部門では1位に輝いた、落ち着いた心和む佳曲。


England Dan & John Ford Colley/Simon

イングランド・ダンとジョン・フォード/シーモンの涙:72
彼等が全米で有名となるのは、76年の「秋風の恋」(全米2位)でした。こちらの曲は日本のみで大ヒット。のびやかで遠くまでとおりそうな綺麗なハーモニー。メロディーも、少し寂し気で、とても日本人好みでした。


Emitt Rhodes/Fresh as a Daisy.

エミット・ローズ/恋はひな菊/70
ポールマッカートニーとエリックカルメンを融合させたような多彩で繊細にメロディーをあやつるエミット・ローズは、自作自演で編曲、プロデュースまで手掛ける器用ぶりでした。ダンヒル・レコードから70年にリリースされたEmitto Rhodesのアルバムは全米29位、シングル・カットされたこの曲は、54位とそこそこの成績を納めますが、その後はなぜか後退していきます。2001年にCD化されました。


Eternity's children/Mrs' Bluebird

エタニティズ・チルドレン/ミセス・ブルーバード:68
印象度の高いクオリティの高いポップスでは、最高級のグループ。プロデュースには、ミレニウムのカート・ベッチャーが深く関わり、紅一点リンダを含む4人のメンバーは、全米から選りすぐられた若きミュージッシャンたちでした。デビュー曲は、幻想感漂わせたハーモニー・ポップスで、全米69位まで上昇。彼らのアルバムは、端正な出来の1ST、ポジティブなコーラス・ワーク満載の2NDともに個性の異なる名作です。2枚パックになったCDが、イギリスのRev-Olaから99年に発売されましたが、すぐに会社が閉鎖となりました。


Equals/Baby Come Back

イコールズ/ベイビー・カム・バック:68
ジャマイカ出身の双子のゴードン兄弟を中核とした黒人3人白人2人の混声ポップ・グループ。グループ名も「平等な人間たち」とユニークでした。ゴードン兄弟は12歳の時に、両親とイギリスに渡り、スクールメイトのメンバーを集めて発売した自作のデビュー・シングルは、ドイツで1位を獲得しますが、イギリスでは不発。第二弾の「ホールド・ミー・クローサー」のB面だった黒人特有の迫力あるボーカルの自作曲が、NMEの30位から徐々に上昇し、発売から9ヶ月をかけて、全英1位、ゴールド・ディスクを獲得しました。


Earth & Fire/Seasons

アース・アンド・ファイアー/シーズン:71
ショッキング・ブルーの次に出たオランダのグループ。メランコリックなバラードで透き通るような女性ボーカルが良くマッチしたこの曲は、日本で大ヒット。「明日への叫び」の数曲が日本でもヒットしました。


Family Dogg/A Way Of life
ファミリー・ドッグ/ウエイ・オブ・ライフ:69

カリフォルニアの青い空のアルバート・ハモンド、スティーブ・ローランドと女性のクリスティーン・ホルムスの3人のボーカルが中心となったニューシーカーズのような男女5人のポップ・グループ。結成のきっかけは65年にマドリッドでのスティーブとアルバートの出会いでしたが、アルバートは、当時、孤独の夜明けのマジックランタンと二つのグループに在籍していました。ファミリードッグは、67年から72年までイギリスBELL、Buddhaで9枚のシングルとLP2枚を発表しました。ステージでは、まん中にスティーブに二人の女性が並ぶ構成でしたが、69年に唯一ヒットしたこのラブリーで美しいナンバーは、クック&グリーナウエイの著名コンビが制作して、全英で6位まで上昇しました。マーク・リンゼイでヒットした花咲くアリゾナも、彼等がオリジナルですが、95年にCD化されています。


Fanny/Charity Ball

ファニー/チャリティ・ボール:72
ファニーは、カリフォルニア出身の全員女性5人のロック・バンドでした。このデビュー曲は、颯爽とした感じのポップ・ロックで、全米で40位まで上昇しました。75年まで、4曲がチャートインしますが、途中で、スージー・クアトロの姉妹のパティが加入しています。このグループ、ヒットは一発屋なのですが、70年から74年まで、シングル11枚、アルバム5枚もリリースしています。


First Class/Beach Baby

ファースト・クラス/ビーチ・ベイビー:74
エジソン・ライトハウスの美声ヴォーカルのトニー・バロウズとイギリスの名うてのソング・ライターのジョン・カーターが中核となって結成した大型のブリティッシュ・ハーモニー・ポップ・グループ。2枚のアルバムを残し、1STは、全曲シングルにして良い程の粒揃いの名曲集。デビュー・ヒットのタイトル曲は、全米4位の大ヒットとなりました。


Flying Machine/Smile a Little Smile For Me

フライング・マシン/笑ってローズマリーちゃん:70
トニー・マッコーレイのセンチでノンビリした曲。ちょいと地味な曲調で、じわじわと全米チャートを上昇して全米5位の大ヒット。Flight Recorderのタイトルのアルバムは、多彩なポップがつまった秀作LPでした。第二弾の「急いでベイビーちゃん」も名曲ながら、全米87位の小ヒットに終わります。


Flower Pot Men/Let's Go To San Francisco
フラワーポットメン/花咲くサンフランシスコ/68

「恋のほのお」のエジソン・ライトハウスのヴォーカル、トニー・バロウズは、60年代後半、ジョン・カーターと組んでThe Ivy Leagueのコーラス・グループで、Tossin & Turnin、Funny How Love Can Beなどの美しい作品をヒットさせます。このグループから、トニーほか3名が67年に結成したグループがThe Flower Pot Menで、美しいサイケ・ポップのジョン・カーター作品Let's Go To San Franciscoは、当時、ウエスト・コーストで流行した愛と平和のFlower Movementをテーマとしたもので全英4位の大ヒットとなりました。1969年で解散しますが、途中Friendの名前でPiccolo Manのシングルをリリースしていますが、これらのタイトルは、CDcompilationで発売されています。カーター作品のファースト・クラスのビーチ・ベイビーのエンディングと花咲くサンフランシスコのイントロが似ていますよね。


Fortunes/Here Comes That Rainy Days Feeling Again

フォーチュンズ/雨のフィーリング:71
65年デビュー曲は、You Got Your Teoublesで、全米7位・全英2位の大ヒットとなりましたが、71年15位のこの曲は、ロジャー・クック/ロジャー・グリーナウエイ/トニー・マッコーレイの豪華ヒットメーカー陣の作曲で、軽めのシンプルでコーラスが美しい曲でしたが、本国イギリスでは、少しもヒットしませんでした。


Foundations/Build Me Butter Cup

ファウンデイションズ/恋の乾草:69
イギリスの白人・黒人8人の混合大型グループ。トニー・マッコーレイがパイ時代に制作を担当して成功したグループ。ソウル・ポップ風のキャッチーで多彩な音をミックスさせた感じの曲で、全米3位全英2位まで上昇しました。Baby, Now That I've Found Youほか合計5曲をチャート・インさせています。


Four Jacks & A Jill/Master Jack

フォー・ジャックス&ア・ジル/マスター・ジャック:68
南アフリカ出でHOT100の18位に上昇した異色グループ。リード・シンガーのグレニス・リンとフォ−・ジャックスの混成ですが、グレニスのラブリー・ヴォイスが印象的ですが、「Master Jack」はジャック導師、「Mister Nico」(69:96位)は賢人ニコを歌い、シンプルなメロディーに民族音楽の楽器も入り神秘的な雰囲気を漂わせます。全米では一発屋ですが、「素敵なティモシー」など、母国では彼等の人気が続きました。オリジナルとリミックスと二枚でCD化されています。


Freddy Fender/Before The Next Teardrop Falls

フレディ・フェンダー/涙のしずく:75
フレディーは、テキサス州生まれで、メキシカン・アメリカンのギタリスト・シンガーでした。カントリー・チャートには21曲をチャート・インさせますが、ポップ・チャートにも、75年から76年に7曲の全米ヒットを出します。しかし、全米1位に輝いた、この渋い味わいのカントリー演歌がダントツのヒットでした。90年にテックス・メックスのテキサス・トーネイドスを結成して活躍中。


Free/All Right Now

フリー/オール・ライト・ナウ:70
フリーは、元来、アルバム・アーティストで、ブルースとロックン・ロールを得意としたロンドンッ子4人が、68年にグループを結成して、アイランドレコードと契約します。3枚目のアルバム「ファイアー・アンド・ウオーター」が注目を浴び、重厚でシンプルなこの曲が、全米4位の唯一のシングル・ヒットとして、ポップス・ファンにも愛されました。日本人ギタリストの山内テツも在籍しフェイセスに移籍しました。中核のポール・コゾフは、76年ドラッグ常用の心臓発作で亡くなりましたが、ポール・ロジャースとサイモン・カークはバッド・カンパニーで活躍を続けました。


Free Movement/I've Found Someone Of My Own

フリー・ムーブメント/愛の影:71
フィフス・ディメンション同様に、ソウルとポップスの中間に位置しそうなロサンゼルスで旗揚げした黒人男女6人組。71年にデッカ・レコードからリリースしたソフト・バラードは、全米6位のヒットとなります。72年には、コロンビア・レコードから同名タイトルのアルバムをリリースしますが、すぐにポップ・シーンからは消えていきました。


Frijid Pink/A House Of The Rising Sun

フリジド・ピンク/朝日のあたる家:70

アニマルズの代表曲を、稲妻のようなヘビーなイントロで再生させたのが、フリジド・ピンクでした。彼らは、1969年にデトロイトで結成して、パロット・レコードと契約して、3枚目のこのシングルが、翌年、全米7位のヒットとなります。このヒットにより、アルバムFrijid Pinkを発表して、2枚のシングルをリリースしますが、不発に終わりました。

Gallery/Nice To Be With You

ギャラリー/恋するあなた(ナイス・トゥー・ビー・ウイズ・ユー):72
ソウル・レーベルのサセックスからデビューしたデトロイト出身の4人組。曲はタイトルどおりの明るいキャンディ・ポップスで、全米4位のデビュー・ヒットを記録します。続く「アイ・ビリーヴ・イン・ミュージック」(全米22位)も同様の楽しい曲でした。


George Baker Selection/Little Green Bag

ジョージ・ベイカー・セレクション/リトル・グリーン・バッグ:70
70年オランダからのグループが全米チャートに多く登場しましたが、ショッキング・ブルー、ティー・セット、そして、このグループ。ジェイ&テクニクスなどを手掛けたジェリー・ロスが、ダッチ・サウンド専用に設立した新生レーベルCollossusからのヒットでした。心はずむようなポップ・ソウルは、全米チャートでは21位まで上昇しました。75年に女性ボーカルを加えてヨーロッパで大ヒットしたPaloma Blancaで、全米26位に返り咲きます。


Grapefruits/Elevator

グレープ・フルーツ/エレベーター:68
イギリスのトニー・リバース率いるカスタウエイズがハーモニー・グラスとグレープフルーツに分裂。パワーのあるサイケ・ポップを展開。69年に日本で大ヒット。ちなみに、バンド名は、ジョン・レノンが命名したApple最初の契約アーチスト。


Gypsy/Gypsy Queen

ジプシー/ジプシー・クイーン:70
ジプシーは、69年にミネアポリスからカリフォルニアに移り結成されました。フィルモア・ウエストで実力が認められ、アトランティックとの競争に勝った新興のメトロメディアが、契約します。70年発表の2枚組「ジプシー・クイーン・パート1」は、幅広な楽器と分厚いハーモニーが複雑にバランス良く絡み合う解放的でプログレッシブな力作でした。マイナー・レーベルからのデビュー・シングルは、素晴らしい曲ながら全米62位に終わり、日本でもスマッシュ・ヒットとなりましたが、ヨーロッパでは不発に終わりました。


Gerry Rafferty/Baker Street

ジェリー・ラファティ/霧のベイカー街:78
スコットランド・ペイズリー生まれのシンガー・ソングライターのラファティは、73年の「スタック・イン・ザ・ミドル・ウイズ・ユー」がヒットしたスティラーズ・ホイールのリーダーとしても活躍しました。ソロのデビュー・シングルは、サキソフォンが霧の静寂をやぶって冴え渡る印象的なイントロに続くラファティのお洒落でクールなボーカルが、都会的でミステリアスなサウンドを醸し出しています。アンデイ・ギブのシャドウ・ダンシングに阻まれて、6週連続2位を続けたのが残念でした。


Hamilton Joe Frank & Reynolds/Don't Pull Your Love

ハミルトン・ジョー・フランク・アンド・レイノルズ/恋のかけひき:70
ベテランを集めてダンヒルが鳴りもの入りで売り出したグループ。収録完了と同時に1位を確認と人を喰ったようなセールスも、話題を呼びました。実際のビルボード・チャートでは4位。制作は、ランバート&ポッター。5年後に新生プレイボーイ・レコードから自前の「フォーリン・イン・ラヴ」で全米一位の復活をとげました。彼らの「エイント・ノー・ウーマン」を、後にフォー・トップスがカバーさせて大ヒット。


Harold Melvin & Blue Notes/If You Don't Know Me By Now

ハロルド・メルヴィン・アンド・ブルー・ノーツ/二人の絆:72 .
フィリー育ちのハロルド・メルヴィン率いるブルーノーツは、72年にフィラデルフィア・インターナショナルに移籍して開花します。ギャンブル・ハフのプロデュースのもとで、テディ・ペンダーグラスの冴えたリードとコーラス・ハーモニーが見事にきまったメロウでスイートな傑出したバラードが誕生します。ハロルド亡き後も、ブルーノーツは、現在も音楽活動を続けています。全米3位。


Hedva & David/Ani Holem Al Naomi

ヘドバとダビデ/ナオミの夢:71.
70年の世界歌謡祭の初代グランプリに輝き、オリコン1位となったメイド・イン・ジャパンの洋楽大ヒットナンバー。イスラエルからの混声デュオで、中近東風のエスニックな曲調が大変、受けました。グランプリ獲得で一夜にしてスターとなった彼らは、母国で大変な祝福を浴びたそうです。日本語とヘブライ語のAB面でシングル発売となりました。何回か日本のテレビにも登場しましたが、2001年に残念ながら男性のダビデが亡くなりました。


Herd/From the Underworld

ハード/夜明けを求めて:66
ハンブル・パイのピーター・フランプトンが在籍したロンドンのサイケ・ポップ・グループ。軽快なテンポの「アイ・キャン・フライ」でデビューし。教会音楽をベースに美しく深みのあるこの第二弾で、英日の多くのポップス・ファンの心を掴みました。68年には、「二人だけの誓い」をヒットさせて、イギリスでは、もっとも期待されるグループに選ばれました。彼らの初期のヒットは、デイブ・ディー・グループやハニーカムズを成功に導いたケン・ハワードとアラン・ブレイクリーの作品。

High Noon/Old Fashioned Feeling

ハイ・ヌーン/涙のフィーリング:70
本当の一発屋さんで、突然、一斉に日本中のラジオでかかりだしました。スケールの大きいおおらかなブリティッシュ・ポップソングでしたが、謎のグループでした。この曲を皮切りにイギリスCBSから'Dragonfly ''Living Is A Loving Thing 'と
3枚のシングルを70〜71年に発表したことまでしかデータが残ってません。当然のことながらCDへの収録は、期待できそうにもありません。


Hitmakers/Stop The Music

ヒットメイカーズ/ストップ・ザ・ミュージック:66
66年に日本で結構ヒットしたビート・ポップスの「ストップ・ザ・ミュージック」。アメリカのディック・ジョーダン、スエーデンのレーン&リー・キングスと相次ぐ競作となりましたが、ヒットメイカーズ盤が一番、人気を集めました。彼らは、63年にデンマークで結成、最初のシングル、I Saw Her Standing Thereがヒットして、フィンランドでも人気アイドル・グループとなり、コペンハーゲンのビートルズ公演の前座を努めました。


Honey Cone/Wants Ads

ハニー・コーン/希望に燃えて:71.
ロサンゼルス出身の3人のR&B系の黒人女性ボーカルトリオ。The GirlfriendsやBob B.Soxx &The Blue Jeansを渡り歩いたキャロリン・ウイリスほか3人ともに、ベテランのバック・ボーカリストたちでした。ポップなメロでパンチの効いたこの曲は、ダイアナロスとシュープリームスを手がけたホランド兄弟がモータウンを離れて設立した新生ホット・ワックスからの全米1位の大ヒット曲となりました。


Hues Corporation/Rock Your Boat

ヒューズ・コーポレーション/愛の航海:74 .
69 年にロサンゼルスで結成された女性一人を含む黒人のボーカル・トリオ。ヒューズは、大富豪ハワード・ヒューズを模したもの。アルバム「ヒューズ・コーポレーション」の最初のシングル・ヒットは「フリーダム・フォー・ザ・スタリオン」(全米63位)。このセカンド・シングルは、ライブの聴衆の反応を見てシングル化。2月にリリースされ、5月にチャートイン、7月に全米1位と、実に5ヶ月かけてトップに到達したディスコ・ポップ。


Hurricane Smith/Oh,Babe,What Would You Say

ハリケーン・スミス/オ-・ベイブ:73 .
初期のピンク・フロイドの制作やビートルズのアレンジを手がけたイギリス生まれのハリケーン・スミス。49才でのデビュー作は、1940年代風のオールド・ファッション風な異色作ながら、モダンでハート・ウオームな雰囲気が当たり、全米3位まで上昇するビッグ・ヒットとなりました。


Ides Of March/Vehicle

アイズ・オブ・マーチ/ヴィークル:70.
経歴は長いバンドで、Early Timesの作品が最近CD化。イメージ・チェンジをはかったブラス・ロック風の曲が全米2位の大当り。Chase とか他にもいましたね、BSTフォロワーが。リーダーのJim・Peterikは、後にSurvivorを率いて映画ロッキーのテーマをNO1HIT。次のSupermanも、ヴィークルによく似た曲でした。


Innocense/There's Gotta Be A Word

イノセンス/すてきな言葉:66.
カマストラ・レコードのアンダース&ポンシアは、イノセンスやトレイドウインズのスタジオ・グループで、心の中の細やかな感動、笑い、もの悲しさを、小気味良く表現したドリーミーでグッドタイミンなレコードを制作します。トレイドウインズ のExcursionsのアルバムもそんな姉妹盤で、どちらも映画の字幕を音楽に変えたような心暖まる洒落た名盤。このデビュー曲は、全米34位。


Issac Hayes/Theme From "Shaft"

アイザック・ヘイズ/黒いジャガーのテーマ:72.
ソングライターとして名を馳せたヘイズが、黒人スタッフ制作映画「シャフト」のテーマ曲を自作自演。全米1位を獲得し、その年のアカデミー賞やグラミー賞のタイトルを総ナメにしました。スリリングなイントロや、語りっぽい歌や掛け合いの女性コーラスがファンキーでエレガントな曲にみがきをかけています。


Iveys/Maybe Tommorow

アイビーズ/メイビー・トゥモロウ:68 .
中核のピート・ハムとトム・エヴァンスが相次いで自殺した悲劇のグループ、バッド・フィンガーの前身でウエールズ出身のグループ。ポール・マッカートニーに認められて、アップル・レコードと契約。この曲はクラシック調の大変に美しいロック・バラードでしたが、日本やヨーロッパのみでしかヒットしませんでした。バッド・フィンガーも1STアルバムに収録。


Jessy Colter/I'm Not Lisa

ジェシー・コルター/アイム・ノット・リサ:75 .
ジェシーは、47年フェニックス生まれのカントリー系のシンガー・ソングライターでした。長い黒髪、大きな瞳の魅力的な女性で、デュアン・エディやウエイロン・ジェニングスと結婚を重ねました。全米4位まで上昇した自作自演のこの曲は、去った女性に未練を残す恋人への思いをせつせつと歌っていて、カントリー・チャートでは、1位に輝いています。


Jackie De Shannon/What's The World Needs Now Is Love

ジャッキー・デシャノン/世界は愛を求めている:65
ジャッキーは、シンガーとしても活動しますが、ソングライターとしても活躍します。61年のブレンダリーのDum Dum(全米4位)に始まり、キム・カーンズのベディ・デイビスの瞳(全米1位)などが代表作です。44年にケンタッキーに生まれ、6歳でラジオに出演し15歳でレコード・デビューしています。シンガーとしては、63年から80年まで16曲をHOT100にチャート・インさせていますが、下位のものが多い中で、バート・バカラックのタイトル曲(65年全米7位)とPut A Little Love In Your Heart(69年4位)がTOP40に上昇しています。


Jane Birkin & Serge Gainsbourg/Je T'aime...Moi Non Plus

ジェーン・バーキンとセルジュ・ゲ-ンズブール/ジュ・テーム:69.
「夢見るシャンソン人形」などで有名なシンガー・ソングライターのセルジュ・ゲ-ンズブールとイギリス生まれの女優・歌手のジェーン・バーキンのデュエット。ジェーンの喘ぎ声と露骨な歌詞が交錯するベッド・イン・ミュージック。世界中で放送禁止の扱いを受けましたが、全英1位。全米58位。このヒットのあと、二人は結婚して一女をもうけますが、離婚後も、ゲ-ンズブールは、ジェーンにお洒落な曲を提供しつづけます。ゲ-ンズブールは、91年に他界しますが、ジェーンは、現在も活躍を続けています。


Jaggers/Rapper

ジャガーズ/ラッパー:70
.
ピッツバーグで結成されたドニー・アイリス率いる6人組のポップ・ロック・グループ。最初は、ギャンブル&ハフのレコード会社と契約しますが、すぐにカマ・ストラレコードに移籍し、第二弾のアルバムからのシングル・ヒットが、全米2位の「ラッパー」。この後、2枚のシングルを発表しますが、チャート下位に止まります。ドニーは、80年代に、ソロ・アーチストとして活躍して「My Girl」などの7枚のシングルをチャート・インさせます。
Jeanette/Porque te Vas

ジャネット/カラスの飼育:75
ウィスパリング・ロリータ系の女性ボーカリストとして、隠れた人気を集めているのが、スペインのアイドル歌手として、60年代後半から70年代前半に人気のあったジャネット。暖かみのある憧憬を漂わせる少女の歌声の2枚組ベストCDが発売されています。彼女が主題歌を歌った75年の映画「カラスの飼育」は、スペインの有名監督カルロス・サウラが、当時、結婚していた俳優チャップリンの娘であるジェラルディン・チャップリンを主演女優に撮影したもの。同名のドイツの女性シンガーのCDが出回っているので区別が必要です。


Jeannie C.Riley/Harper Valley P.T.A.

ジェニー・C・ライリー/ハーパー・ヴァリーP.T.A.:68
周囲から反感を買うミニ・スカートの自由奔放な未亡人を歌ったこの曲は、600万枚の売り上げを記録し、全米1位に輝きました。歌ったのは、無名のカントリー・シンガーのジェニーで、その年のグラミー賞最優秀カントリー女性シンガーに選ばれました。ジェニーは、高校を卒業しカントリー歌手のスターを目指し、恋人とナッシュビルに移動し、音楽社の秘書を務めながら、懸命に努力したあげくにこの曲のチャンスを掴みます。しかし、歌のイメージと自身のギャップに悩むジェニーは、酒におぼれるようになります。70年代後半にゴスペル・シンガーとして立ち直りました。


Jamestown Massacre/Summer Sun

ジェイムスタウン・マサカ/遙かなる夏の陽:72
シカゴ出身のポップ・ロック・グループ。「ドゥービー・ブラザース」のリズムの歯切れ良さと「シカゴ」をサマー・ポップ風に仕上げたようなブラス・サウンドをミックスさせたようなサウンド。全米でも90位どまりでしたが、シカゴ周辺では、結構、人気があったようで、3枚のシングルを発表後、中核メンバーは、全米1位「アイズ・オブ・タイガー」の「サバイバー」に合流します。CD収録希望。


Jerry Wallace/Mandom-Lovers of the World

ジェリー・ウオーレス/男の世界/:70 .
ジェリーは、アメリカのベテラン・ポップ・カントリー歌手でした。58年から64年まで、11曲をHOT100にチャート・インさせており、59年の「プリムローズ・レイン」は8位まで上昇しています。この曲は、チャールズ・ブロンソンを起用した男性化粧品「マンダム」のCMソングとして、オリコン1位の日本のみの大ヒットとなり、これに気を良くして72年に2曲を再び全米チャートに登場させています。


Joan Sheppard/Summer Creation

ジョーン・シェパード/サマー・クリエイション:71 .
「新婚さんいらっしゃい」の派手なメイクの金髪女性は、元来はジャズ・シンガーとしてならしていました。この曲は、千昌夫と結婚する前に出したフォーク・タッチの清涼感のある曲で、マックス・ファクターのCMに使われて、日本で、結構のヒットとなりました。その後のジョーンは、テレビ・タレントとして活躍しました。.


Jigsaw/Sky High

ジグソー/スカイ・ハイ:75.
Dragon Fliesの映画のテーマともなったこの曲は、歯切れの良いパワー・ポップで、全米3位で世界中で大ヒット。日本でも、NTVプロレスのミル・マスカラスのリング登場のテーマ曲として使われていました。ジグソーは、イギリスのポップ・グループで、全米では4曲のみがチャート・インですが、70年から82年まで11枚のアルバムを発表して、クオリティの高いポップ・ロックを多く制作しています。


Jonathan King/Everyone's Gone To The Moon

ジョナサン・キング/月へひととび:65.
ロンドン出身のジョナサンは、作曲、シンガー、プロデューサーのマルチ・タレントとして、成功しました。この曲は、邦題どおり、シンプルでファンタジックな印象の佳作で、イギリスはもとより、全米でも17位まで上昇するデビュー・ヒットとなりました。72年にUKレコードを創設するとともに、ファースト・クラスや10.C.C、ベイ・シティ・ローラーズ、ジェネシスなどを発掘しました。


John Fred & His Playboy Band/Judy In Disguise

ジョン・フレッドとプレイボーイズ/ジュディーのごまかし:68
ビートルズのルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイアモンズのパロディー・ソングで、奇抜でサイケな曲は全米1位を2週続けました。リーダーのルイジアナ生まれのジョン・フレッドは、15歳でR&Bバンドのプレイボーイ・バンドを結成し、ファッツ・ドミノのバック・バンド・メンバーと録音した「Shirley」を59年に82位にランクさせています。ジョンは、大学卒業後、再びプレイボーイ・バンドを再結成して、この大ヒットを生みます。その後は不発に終わりましたが、現在でも、南部でツアーを続けているようです。
Jose Feliciano/The Rain

ホセ・フェリシアーノ/雨のささやき:69.
プエルトリコ生まれの盲目シンガー。アメリカではドアーズの「ハートに火をつけて」をカバーした全米3位のヒットを持つなどラテン風の情熱的な歌唱とギター・ワークが持ち味のベテラン・シンガー。彼と妻ヒルダの共作のこの作品は、一転して情熱を抑えたような哀調を帯びた曲で、全米では76位のヒットが、日本ではトップ3に入る大ヒット。アン・マレーもカバーしています。


Joe South/The Games Of People Play

ジョー・サウス/孤独の影:69
「孤独の影」が、69年のグラミー賞ソング・オブ・ジ・イヤーを受賞したことが有名なシンガー・アンド・ソングライターですが、一発屋でした。元来は、カントリー畑で、ナッシュビルでのセッションに多く参加し、ソングライターとしては、ディープ・パープルの「ハッシュ」リン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」オズモンズの「ヨー・ヨー」などの曲を提供しています。70年代は、ドラッグに溺れ、スキャンダラスなショー・ステージなどで物議を醸し低迷しました。


Keith/98.6

キース/98.6:66.
フィラデルフィア出身のポップ・ヴォーカリストのキース。ジェリー・ロスに認められて、66年にマーキュリーに移籍してシングル「Ain't Gonna Lie」でデビューし、全米39位。続く「98.6」が、全米7位にまで上昇する大ヒットとなります。粋で洒落た余裕さえ感じさせるポップ・センスには、今でも多くのファンの支持を得ています。ジェリーがプロデュースした「98.6/Ain't Gonna Lie」「Out Of Crank」の2枚のアルバムは、ソフト・ロックの名品。


Kenny Nolan/I Like Dreamin'

ケニー・ノーラン/夢のバラード:77
ライトダウンした部屋でハープと絡んだ美しいストリングスにつつまれて、まぶたの裏で恋人を懐かしむといった情景がぴったりな、ロマンティックで抱擁力のある最高級のバラード。ケニーは、ロスを拠点にボブ・クリューと組んで、フランキー・ヴァリの「瞳の面影」やラベルの「レディ・マーマレード」を共作しています。この曲は、本来、ヴァリが気に入らず、仕方なしに彼が歌ってみたものが、全米3位の世界的なヒットとなりました。


King Harvest/Dancing In The Moonlight

キング・ハーヴェスト/ダンシング・イン・ザ・ムーンライト:72
ライトなアダルト・ポップとして人気がある曲ですが、反面、このヒットがグループを一発屋としてしまったようです。ニューヨークで結成された6人組は、ハード・ロック派から幅広なメンバー構成でした。マイナー・レーベルのパーセプションと契約したデビュー・シングルが幸運にも全米13位の大ヒットとなり、ライトポップなグループ・イメージが固まったため、メンバーチェンジが相次ぐこととなりました。


Le Costa/Lady Hi! Lady Ho!

コスタ/素敵なクラスメート:72
70年代前半には、ミッシェル・ポルナレフやシルビー・バルタンなどのフレンチ・ポップスが日本で人気がありました。エレガントなフレンチのエッセンスと世界的なポップ・ロックの流れが融合した斬新さが受けたと思えます。そんな72年に、フランスの無名の二人組が英語で歌ったバブルガム・ポップが、爽やかな風とともに、日本でスマッシュ・ヒットを記録。フランスでの7曲目のシングルでしたが、正体不明のデゥオでした。


Leblank & Carr/Falling

ルブラン・アンド・カー/フォーリング:78
レニー・ルブランとピート・カーのデゥオは、グレッグ&デュアン・オールマンなどのバック・ミュージッシャンとして永い下積みを重ねた後に、76年に、Big Treeレコードから、相次いでソロ・アルバムを発表します。これが不発に終わったため、デュオとしては唯一のアルバム「Midnight Light」を制作し、甘く切ないコーラスが全編を覆うこの曲が全米13位のヒットとなりました。しかし、二人はすぐに袂を分かち、ソロで著名なアーチストとのスタジオ活動を続けました。


Liz Damon And The Orient Express/1900 Yesterday

リズ・ダモン・アンド・オリエント・エキスプレス/遠い初恋:70.
リズ・ダモンは、ハワイでティーン・エイジャーの頃から歌い始めます。グループは、リズをメイン・ボーカルに3人の女性フロント・コーラスダンサー、5人の男性のバック・バンドといった9人の大型編成で、ハワイのラウンジでショウ・パフォーマンスを続けました。このハワイアン・ドリーミーな名曲は、地元のローカル・レーベルで発売され、その後にWhite Whaleが全米発売して、33位まで上昇しました。グループ名やルックスからも、メンバーは東洋系の人たちです。


Lemon Pipers/Green Toumblin

レモン・パイパース/グリーン・タンブリン:68,.
バブルガムの草分けとなったブッダ・レコードが新興レーベルとして、初めて全米1位をうち立てた記念すべきヒット。まだ新進プロデューサーだったポール・レカが、女性ライターのシェリー・ピンズと組んで制作したオリエンタルな雰囲気のポップ・ソングですが、無名のレモン・パイパーズ自身はバブルガム風が気にいらないのを、無理にレコーディングさせられたようです。


Love Generation/Groovy Summertime

ラヴ・ジェネレーション/二人のサマータイム:67 .
通称ラブ・ジェネは、67年にカリフォルニアからデビューした男4人女2人のヴォーカル・グループ。ママス&パパスをもっとラブリーでフラワー・サイケ風にした感じで、タイトルとぴったりのデビュー曲は、日本でも洋楽チャート8位まで上昇しています。中核は、殆どの作曲をこなすトムとジョンのバーラー兄弟。2枚目のアルバムを発表した後のツアー・バス事故で、兄弟以外の4人が死亡したという話でしたが、作り話だったようです。バーラー兄弟のみで作成した3rdのMontageは、哀愁感を漂わせた名作。


Love Unlimited/Walkin' In The Rain With The One I Love

ラブ・アンリミテッド/恋の雨音:72
カリフォルニアのサン・ペドロの教会や学校で歌っていたグローディーンとリンダのジェイムス姉妹とダイアン・テイラーを、バリー・ホワイトが見いだしてR&Bボーカル・トリオとして、スターに育て上げます。ユニ・レコードと契約してリリースしたデビュー曲は、大変ロマンティックなボーカルとアレンジメントで、全米14位まで上昇しました、バリーも電話の声で参加しています。74年にバリーとグローディーンは結婚し、同年、40人編成のラブ・アンリミテッド・オーケストラに拡張し、全米1位の「愛のテーマ」で頂点を究めます。


Lobo/Me And You And A Dog Named Boo

ロボ/僕と君のブー:70.
日本では「放浪のシンガー・ソング・ライター」として紹介されたロボ。一発屋じゃないけど、素朴で郷愁を感じさせる曲風で人気がありました。始めてこの曲を聞いた時は、何度もテープを繰り返し聞いた覚えがあります。このデビュー・ヒットは、全米5位まで上昇しますが、「片想いと僕」が全米2位の代表曲となります。


Looking Glass/Brandy

ルッキング・グラス/ブランディ:72
ニュー・ジャージーで結成されたエリオット・ローリーがリーダーの4人組のロック・バンド。下積みの長い本格派のロック・グループでしたが、当時のコロンビア・レコード社長のクライブ・デイビスが、彼らを気に入り、彼らをエピック・レコードからデビューさせます。キャッチーなポップ仕立ての曲は、全米1位に輝きますが、続くJIMMY LOVES MARY-ANNEは、全米33位に終わりました。ブランディとは、ローリーのガールフレンドの名前、ランディをもじったもの。ポップなデビュー曲の大ヒットが、実力派の彼らの進みたい道を閉ざさしてしまったようです。


Los Bravos/Black Is Black

ロス・ブラボース/ブラック・イズ・ブラック:66.
スペインから世界に躍り出た5人組。ベルリン生まれのマイク・コーゲルのギンギンに粘っこいボーカルと情熱的なビートが打ちたたくこの曲は、全英2位、全米4位の大ヒットとなりましたが、一発屋さんで終ってしまいました。マイク・コーゲルは、72年にマイク・ケネディの名前で、"Louisianna"の全米62位のソロ・ヒットを記録。


Lulu/To Sir With Love

ルル/いつも心に太陽を:67.
60年代を代表する大きいお目目のUKシンガー。本名はマリー・ローリー。1948年イギリスのグラスゴー生まれで、一時はビー・ジーズのモーリス・ギブの奥さんとしても有名でした。64年に、パンチの効いた「シャウト」のデビュー曲は、イギリスで大ヒット。同名の映画主題歌で全米NO1となり、自らも出演しました。制作はミッキー・モスト。


Lynn Anderson/Rose Garden

リン・アンダーソン/ローズガーデン:71.
全米TOP40では一発屋さんでも、彼女は、カントリー界では60曲のヒットを持つ大スターでした。鼻にかかった少しセクシーな声でリズミカルに歌うジョー・サウス作のカントリー・ポップは、全米3位まで上昇し、日本でも大ヒットしました。リンは、カントリー・シンガーのリズ・アンダーソンの娘で、66年にはカルフォルニアのミス・コンの女王にも選ばれる美人でもありました。


Magic Lanterns/One Night Stand

マジック・ランタン/孤独の夜明け:70
ちょいとアクのある個性的なイギリスのポップ・ソウル・グループ。「孤独」シリーズを続けましたが、日本でヒットしたのは、この曲(全米74位)ですが、アメリカでは、デビュー曲の"Shame Shame"が29位でヒットしています。メンバーのOzzy Osborneはブラック・サバスのメンバーと同姓同名の別人なようです。日本での唯一のヒットのこの曲は、アルバート・ハモンドとヘイゼルウッドのコンビの作品。


Mac Davis/Baby Don't get Hooked On Me

マック・デイビス/愛は心に深く:72
エルビス・プレスリーのメンフィス・セッション「イン・ザ・ゲットー」「ドント・クライ・ダディ」の素晴らしいバラードの作者のマック・デイビス。フォー・シーズンズなどのプロモーションの仕事を経て、リバティ・レコードの出版部門で作曲活動に専念します。そんな彼のコロンビア・レコードから発表したソロ・シングルは、地味ながらも親しみやすいフレーズの繰り返しが人気を集めて、全米No.1の大ヒットとなります。


Manfred Mann's Earth Band/Spirit In The Night

マンフレッドマンズ・アースバンド/スピリット・イン・ザ・ナイト:77.
60年代に「ド・ワ・ディ・ディ」「マイティ・クイン」等のビッグ・ヒットを連発したマンフレッド・マンですが、70年代に入ると、ポップ・ミュージックからジャズ志向のロックに傾倒して、このグループを結成。都会的なロックセンスが映えるこの曲は全米40位でしたが、続く全米一位「光に眼も眩み」は、どちらもブルース・スプリングスティーンの作品。


Main Ingredient/Everybody Play The Fool

メイン・イングレディエント/エブリバデイ・プレイ・ザ・フール:71
「主成分」と面白い名のソウル・グループ。1964年にThe Poetsとして、Red Bird レーベルからのデビュー・シングルは、不発。71年にグループのリーダーのDonald McPhersonが白血病で亡くなると、現在のリーダーCuba Goodingが参加します。72年に発表したこの曲は、「恋に落ちると人は馬鹿になっちゃう。みんな経験があること。」という内容のほのぼのした味わいのある佳作で、全米3位まで上昇しました。


Malo/Suavecito.

マロ/スアベシート:72
ワーナーからのファースト・アルバムMaloからのシングルSuavecito。ミディアム・テンポの素晴らしいラテン・ポップ・ナンバーが、72年に全米18位まで上昇しました。70年に名前をMalibからMalo(スペイン語でBad)として、サンフランシスコで結成されました。プエルトリコ出身のリードシンガーのガルシアとカルロス・サンタナの弟のジョージ・サンタナなど10人のホーン・セクションを入れた大所帯のグループでした。


Marjorie Noel /Dans Le Meme Wagon

マージョリー・ノエル/そよ風にのって:65
フレンチ・ポップスのスタンダードだった曲。邦題どおり、いつ聞いても心地よさが風のように通り抜ける健康爽やかソング。マージョリーは、日本でも「春のときめき」などのヒット曲を続けていて、日本語のカバーも多く歌ってます。


Maria Mulder/Midnight At The Oasis

マリア・マルダー/真夜中のオアシス:72
ニューヨークで育ち、ジャグ・バンドのボーカルで活躍を続け、72年にバンド・メンバーの夫との離婚を機に独立して、ソロ・アルバム「Old Time Lady」を発表します。ディキシー、カントリーなど、軽やかで粋な熟女歌唱を聴かせる名作として高い評価を得ます。ポップ・チャートでの上位は、この曲のみでしたが、以降、アメリカン・ルーツ・ミュージックの歌姫として、アルバムやライブで息長い活動を続けています。


Marisa Sannia/Casa Bianca

マリーザ・サンニア/カーザ・ビアンカ:68.
マリーザ・サンニアは、国営ラジオのコンテストで、セルジョ・エンドリゴに認められ、66年にデビュー。これは、68年のサン・レモ音楽祭準優勝曲。マリーザは、鼻にかかったセクシーな声で、アンニュイな魅力の女性でした。70年のサンレモ音楽祭では、ジャンニ・ナザーロと組んで「恋は鳩のように」をヒットさせて、大阪万博に来日しました。表題の「白い家」とは、二度と戻らない青春を意味しています。


Martine Clemenceau/Un Jour L'amour

マルティーヌ・クレマンソー/ただ愛に生きるだけ:71 .
71年の第二回世界歌謡祭のグランプリ。アンドレ・ポップのロマンティックなメロディーをマルティーヌ・クレマンソーが透き通る声でスケール豊かに歌っています。マルティーヌは、1949年のパリ生まれで、ハイスクール卒業後、ラジオの新人コンテスト入賞により、バークレー・レコードと契約。ピエール・カルダン劇場で「Je Fus Cet Enfant La(その子は私だった)」のミュージカルの主演女優でデビューしたところを、ジョー・ダッサンに認められて国内の演奏旅行のパートナーとして活動して、アンドレ・ポップに認められ世界歌謡祭出場のチャンスを得ます。83年の全米7位の世界的ヒットとなったローラ・ブラニガンの「哀しみのソリティア」は、彼女の作品です。アンドレ・ポップがプロデュースしたアルバムもリリースされましたし、日本語バージョンが世界歌謡祭のコンピレーションCDに収録されました。


Mashmakhan/As Years Go By

マッシュマッカーン/霧の中の二人:70.
妙な名前のカナダはモントリオール出身のグループですが、オルガンやフルートを活かしたちょいとサイケ気味なロックを得意としていて、LPも2枚出しました。このヒット曲は、本当に日本人向きのマイナーでオリエンタルな雰囲気の曲でした。全米31位のスマッシュ・ヒット。ドラムスのジェリー・マーサーは、同じくモントリオール出身の、エイプリル・ワインに参加します。


Mercy/Love(Can Make You Happy)

マーシー/ラブ:69.
フロリダ、タンパ出身のマーシーは、男5人女2人の混成グループ。いきなりこのデビュー曲が全米2位の大ヒットとなります。綺麗なしっとりとしたメロディーを混声ハーモニーで聴かせるドリーミーなポップ・バラード。90位台のヒットしか続かず、一発屋で終わります。"LOVE"をフィーチャーしたアルバムが、Sundi盤とWarner Bros盤(再録盤)と、2枚リリースされています。


Merrilee Rush & The Turnabouts/Angel Of The Morning

メリリー・ラッシュ&ザ・ターナバウツ/朝の天使:68
トロッグスのWild ThingやホリーズのI Can't Let Goを作曲したチップ・テイラーの作品。この曲は、近年再評価された幻の女性シンガーEvi Sandsのデビュー・シングルに用意されたのですが、カメオ・レコードが倒産したことで、不発に終わりました。メリリーは、シアトル生まれで、ティーンの頃からロック・バンドのシンガーとして活動し、メリリー率いるターナバウツがレイダースのポール・リヴィアの目に留まり、彼らのツアーと同行することになります。BELLから発売されたこのデビュー・シングルは、全米7位のミリオン・セラーとなりました。


Messengers/That's The Way A Woman Is

メッセンジャーズ/気になる女の子:71
モータウンが白人グループ専用に設立したレア・アース・レコードの4人組。全米では62位ながら日本ではオリコン5位の大ヒット。終始アップ・テンポで、あっという間に終わってしまう感じのキャッチーなポップ・ナンバーでした。 同名のグループは、確認しているだけでも、4グループいます。


MFSB/TSOP(The Sound Of philadelphia)

MFSB/ソウル・トレインのテーマ:74
MFSB(Mothers,Fathers,Sisters,Brothers)は、ケニー・ギャンブルとレオン・ハフのフィラデルフィア・インターナショナルの約40人の専属スタジオバンド。彼らは、フィラデルフィアのヒットの殆どを演奏しています。MFSB主体のアルバム制作話が持ち上がり、TV番組「ソウル・トレインのテーマ」TSOPがフィーチャーされることとなりました。スリー・ディグリーズが、ボーカルを担当したこの曲は、全米1位の大ヒットとなり、彼女達も、これを機にメジャーへの道を歩むこととなります。


Michel Delpesh/Wight Is Wight

ミッシェル・デルペッシュ/ワイト・イズ・ワイト:70.
69年にイギリスのワイト島でのコンサートは、ウッドストックの倍の40万人の観衆で埋まり大成功に終わりました。これを対岸のフランス側から、ミッシェルがこの曲で賛美。相棒のローランド・ヴィンセントと数枚のシングルを発表して、この曲が初めての大ヒット。続いて「青春に乾杯」も72年にヒット。


Michael Murphy/Wild Fire

マイケル・マーフィー/ワイルド・ファイア-:75 .
マイケルは、日本では一発屋なのですが、アメリカでは、ポップスチャートで6曲をヒットさせた後に、70年代中期からはカントリーの一線級として29曲をチャート・インさせたベテランSSWでした。ポップ・ヒットの代表曲ワイルド・ファイアー(全米3位)にしても、数々のカントリー・ヒットを聴いても、大自然の繊細さと悠久さと一体となった彼独特の音楽にひたれます。アルバム「青い空、夜の雷鳴」も秀作。


Middle Of The Road/Chirpy Chirpy Cheep Cheep

ミドル・オブ・ザ・ロード/チピチピ天国:72.
イギリスはグラスゴウで結成された紅一点サリー・カーとルイス兄弟にケン・アンドリューの4人組。最初は、ラテンアメリカ音楽のグループで、70年にイタリアRCAのプロデューサーに認められ「チピチピ天国」そしてフィアットのコマソンの"Tweedle Dee,Tweedle Dum"をリリース。71年のイタリア発の「チピチピ天国」は、スペイン、ベルギー、イギリスなどのヨーロッパで大ヒット。日本でも結構、ヒットしました。「素敵なU.S.A.」も日本でヒット。ベストのCDも軽めの良い曲が揃ってます。


Mike Curb Congregation/Burning Bridges

マイク・カーブ・コングリゲイション/燃える架け橋:71
マイク・カーブは、アメリカ・ポップス界の重鎮でもあり、80年にはカリフォルニア州知事まで努めた著名人です。25才の若さでMGMレコードの社長を務めるかたわら、自ら15人の混声コーラス・グループを率いて放ったヒットが、クリント・イーストウッド主演の「Kelly's Heroes」のテーマ曲で全米34位まで上昇しました。72年には、サミー・デイビス・ジュニアとのジョイントで、「The Candy Man」を全米1位の大ヒットに仕立てます。現在はCurbレコードの社長として、音楽界でも活躍しています。


Mike Nethmis/Silver Moon

マイク・ネスミス/シルバー・ムーン.
モンキーズ解散後、最も実力を発揮して地道に活動を続けたのがマイク・ネスミス。ファースト・ナショナル・バンドを率いて、ジョアンナ(全米22位)や日本でのこのヒットを放ったのち、カントリー・ポップの中堅どころとして、アメリカ・ヨーロッパで長く活動を続けます。


Mindbenders/A Groovy Kind Of Love

マインドベンダーズ/恋はごきげん:66
イギリス、マンチェスターのポップ・グループ。リード・シンガーのウエイン・フォンタナとギタリストのエリック・スチュアートを中核とした4人組。65年に「ゲーム・オブ・ラブ」の全英1位で華々しくデビュー。ウエインが抜けた後、66年にこの曲が再び全英2位のヒットとなりました。アーチーズの女性ボーカルでも活躍するトニ・ワインとキャロル・ベイヤー・セイガーの若い女性コンビが作曲したラブリーな曲で、日本でもヒットしました。68年にグラハム・グールドマンが加入し、エリックとともに、10C.C.を結成することになります。


Millenium/5 A.M.

ミレニウム/霧のファイブ・エイエム:68
ソフトロックの雄として、死んでから評価され直したカート・ベッチャーが率いたミレニウム。68年のコロンビアで制作した幻の名作「ビギン」からのシングル・カットは、日本でも発売されました。全米ではノン・チャートながら、シンガポールで一位となりました。ポップなメロディーを書くメンバーのサンディー・サルスベリーの作曲で、最高にビューティフルな名曲です。


Minnie Riperton/Lovin' You

ミニー・リパートン/ラヴィン・ユー:75.
5オクターブの張りのある美声のミニーは、スティービー・ワンダーのバック・コーラスで評判を勝ち得ました。74年の初のアルバムはスティービーが制作し、ミニーと夫のリチャードが作曲したシングル第二弾のこの曲が全米一位を獲得します。天使のさえずりのような魅惑的な曲を残したミニーは、31才で79年に癌で他界しました。


Morris Albert/Feelings

モーリス・アルバート/フィーリングス:74
ブラジル出身のモーリスが自ら制作した究極のメロディアスなバラードは、日本では、ハイファイセットの「恋のフィーリング」でヒットし、世界中で約300タイトルがカバーされ、スタンダードナンバーとなりました。ブラジルでは超有名なSSRなのですが、アメリカでは、この曲のみが全米6位でロングランを続けて年間チャート4位となりましたが、一発屋で終わりました。彼のアルバムは、AORポップの秀作ものとして高い評価を得ています。


Mouth & Macneil/How Do You Do

マウス・アンド・マックニール/ハウ・ドゥー・ユー・ドゥー:72 .
オランダではヒット曲が多い、ウイレム・デュイン(当時30才)&マギー・マックニール(21才)のデュオ・チーム。オランダ、ベルギーなどのヨーロッパでの大ヒットがアメリカに飛び火して全米8位。太く凛々しい声のマウスと、キュートな声のマギー・マックニールの掛け合いのハーモニー・デュエットが楽しいキャンディ・ポップ。この他にも74年に"I See A Star"の全英8位のヒット。


Mungo Jerry/In The Summertime

マンゴ・ジェリー/イン・ザ・サマータイム:70.
イギリスのジャグ・バンド風のレイ・ドーセイ率いる4人のロック・グループ。この曲は、明るくハッピーなノリのリフレインとレイのくせのあるヴォーカルが、しつこく頭にこびりつきそうな曲で、全英1位を独走し続けました。


Murmaids/Popcicles And Icicles

マーメイズ/恋のドライブイン:67 .
ロサンジェルス出身のキャロルとテリーのフィッシャー姉妹、サリー・ゴードンからなる白人トリオ。 1963年にチャタフーチー・レコードから、キム・フォーリィ・プロデュースで新進の頃のデヴィッド・ゲイツの作品でデヴュー。ティーン・エイジ・ポップスの懐かしい感じのフィーリングのアルバムがCD化されています。全米3位まで上昇し、68年頃までシングルをリリースしますが、純正一発屋に終わりました。


Neil Reid/Mother of Mine

ニール・リード/ママに捧げる詩:72
当時、11才のニールが純真一筋に母への愛情を歌った悲しげなバラード。全英2位とブレイクし日本でもオリコン3位と大ヒット。しかしニールの人気はこの一発で終わります。大人になってからは、芸能界には馴染めず、レストランで働いたり、セールスマンと職を変えているようです。


Neil Young/Heart Of Gold

ニール・ヤング/孤独の旅路:72
ビッグネームが集まったロックの金字塔CSN&Yに参加したニールは、ソロへの転向後、アルバム・アーチストを目指したため、シングル・ヒットは、意外に名作アルバムの「ハーベスト」に収録されたこの一曲のみです。カナダのトロントに生まれ、66年にLAでスティーブン・スティルス等とともに伝説のロック・グループのバッファロー・スプリングフィールドに参加してからの行動は、あまりに有名です。


Nancy Ames/Cry Softly

ナンシー・エイムス/ほとばしる愛を君に:66
ナンシー・エイムスは、1937年、ワシントンD.C.生まれの女性シンガーで、スペイン語の歌も得意としました。彼女のおじいさんはパナマの大統領の名家の出です。HOT100には、"Cry Softly"「ほとばしる愛を君に 」が66年に95位、Barry Sadler軍曹の"Ballad Of The Green Berets"のアンサー・ソングの"He wore The Green Beret"が同年に89位とマイナー・ヒットが2曲しかありませんが、TVドラマのキャスト等でも活躍しました。最近、ヒットシングルもボーナス・トラックとして含めたアルバム2in1でCD化されました。


NADA/Il cuore uno zingaro

ナーダ/恋のジプシー:71
ナーダは、1969年のサンレモ音楽祭で、「なんて寒い」が入賞し、カンツオーネのスターの仲間入りをします。この物憂げでロマンティックなバラードは、ニコラ・ディ・バリとのお相手で、71年のサンレモで優勝して、日本でも大ヒットとなりました。彼女には、この他にも「愛よふたたび」などのバラード調の名曲があります。


New Seekers/I'd Like To Teach The World To Sing

ニュー・シーカーズ/愛するハーモニー/:72.
オーストラリア出身の「ジョージー・ガール」の大ヒットを持つ元祖「シーカーズ」が68年に解散し、ギタリストのKeith Potgerが70年に「新生シーカーズ」を結成。第4弾のこの曲が、コカ・コーラのコマーシャル・ソングとして世界中で大ヒット、全米7位、日本でもオリコン1位を記録しました。イギリスでは、78年の永くまで、チャートに登場しました。


Nicollette Larson/Lotta Love
ニコレッタ・ラーソン/溢れる愛:78

ラーソンは、75年頃からウエスト・コーストでセッション・ボーカリストとして働くようになり、ニール・ヤングのアルバムのセッションを機に、「愛しのニコレット」でアルバム・デビューを78年にはたします。シングル・カットされたニール・ヤング作のLotta Loveは、全米8位まで上昇します。サックスの切れの良いイントロと透明感のあるボーカルのアダルトなポップでした。97年に45歳で亡くなりました。
Nick & Nichola/It's Beautiful

ニックとニコラ/幸せがいっぱい:70
美しく健康的な感じのフォークバラード。イギリスのデッカ・レコードからデビューした一発屋。女性のニコラは、音楽一家に育ち、ダンス、バレエ、バイオリン、ピアノをこなし、コーラス・ガールを経て、ソロ歌手としてキャバレーなどで歌っていました。彼女が、「歌を歌えてギターを弾ける男性を求む」と雑誌投稿して出会ったのが、ミュージカルやバック・コーラスの仕事をしていたニックでした。二人は意気投合してデゥオ結成となりますが、ニックは、孤児院で苦労を背負って育った人のようです。英米ともに、ノン・チャート作品で、"Apple Crumble Mind"のセカンド・シングルを発表しています。


Nillson/Without You

ニルソン/ウイズアウト・ユー:72 .
ジョン・レノンが賞賛したアメリカのシンガー・ソング・ライター。3DNの「ワン」などを作曲していました。しかし、この丁寧で美しく歌う全米1位のビッグ・ヒットは、バッドフィンガーがオリジナルは意外な真実。69年のグラミー賞最優秀歌手賞に続いて、72年にこのヒットで最受賞。


Nina & Frederic/Elizabeth1&2

ニーナとフレデリック/エリザベス一世と二世:68.
昔、寺尾聡のラジオ番組のテーマで流れていた曲。チェンバロと美しいスキャットをフィーチャーしたイージーリスニングな曲でした。デンマーク出身で、長身で金髪美人のニーナと知的な感じのフレデリックの夫婦のフォーク・デュオで、コペンハーゲンでプロ・デビュー。ヨーロッパで人気がありましたが、日本でも61年に「スク・スク」と68年にこの曲がスマッシュ・ヒット。


Norman Greenbaum/Spirit In The Sky

ノーマン・グリーンバウム/ スピリット・イン・ザ・スカイ:70
ユダヤ系のノーマンは、マサチューセッツに生まれ、ボストン大学を中退して、音楽の道を歩みます。65年にDr. West& Medicine Show and Jugbandというグループを結成して、サイケ・フォーク調のThe Eggplant That Are Chicagoを全米52位まで押し上げます。バンド解散後は、カリフォルニアに夫婦で移住して農場を経営。私が死んだら
Spirit In The Skyとなりキリストの供となり、という風変わりな宗教ソングが、全米3位のデビュー・ヒット。ちなみに、彼はクリスチャンではありません。


Ocean/Put Your Hand In Hand

オーシャン/サインはピース:70.
カナダの紅一点の5人組。肩が凝らずに聞ける万人向けの手拍子ポップスで、カナダ、アメリカで100万枚の大ヒットで全米2位。75年までシングルを発表しつづけますが、これ一発に終わりました。カナダは、オリジナル・キャスト、ベルズ、結構な混声グループが続きました。


Oliver/Good Morning Starshine

オリバー/グッド・モーニング・スターシャイン:69
オリバーは、69年に、ブロードウエイ・ミュージカル「アクエリアス」からのテーマ「グッド・モーニング・スターシャイン」が全米3位に、同年に映画 The Prime of Miss Jean Brodieのテーマでロッド・マッケン作品「ジーン」の2曲が全米2位まで上昇して、一躍、ポップ・スターとなりました。ジーン以降、ボブ・クリューがプロデュースしますが、復活はなりませんでした。その後、建設・製薬関係の仕事に就きますが、2000年に54才の若さで、癌で亡くなりました。


Ola & The Janglers/Let's Dance  

オーラとジャングラーズ/レッツ・ダンス:69
スエーデンはストックホルム出身の5人組。スエーデンでは、8週間1位を続けたシンプルでダンサブルなポップ・ナンバーは、クリス・モンテスの出世作のカバー。デンマークなどでもヒットして、全米でも92位にチャート・インしました。リード・ボーカルのオーラ・オーカンソンは、67年の「美しき虹のかけら」の映画にも出演しました。


Orleans/Dance With Me

オーリアンズ/ダンス・ウイズ・ミー:75.
72年にジョン・ホールを中心にニューヨークで結成されたポップ・ロック・グループ。切れ味良い爽やかな美しいハーモニー・ワークスが絶品で、この道では、最高峰のグループの一つに挙げられます。この代表曲は、全米4位まで上昇しますが、翌年のStill The Oneも5位まで上昇して、メンバー・チェンジを繰り返しながら、現在も活躍しています


Ozark Mountain Daredevils/Jackie Blue/

オザーク・マウンテン・デアデヴィルズ/ジャッキー・ブルー:75.
後にAOR路線で登場するラリー・リーが所属していたミズーリ出身の6人組。ファルセット気味のクールでお洒落なヴォーカルと抜群のギター・ワークスが印象的な、うつろで神秘的な感じさえ漂わせる名作。元々は鎮静剤づけになった友人への不満の歌を、ジャッキーという女性をテーマに書き換えた曲で、全米3位を記録


Pacific Gas & Electric/Are You Ready?

パシフィックガス・アンド・エレクトリック/アー・ユー・レディ:72. 
アメリカでは、電気とガスが同じ会社ですが、この風変わりな名前のグループは、ウエスト・コーストのブルース・ロックを得意とした4人組。鮮烈でソウルフルなデビュー曲は、全米で14位まで上昇しますが、他には90位台に2曲チャートインの一発屋でした。リーダーは、リード・シンガーのチャールズ・アレンですが、90年に48歳で他界しています。


Paper Dolls/Someday

ペーパー・ドールズ/サムデイ:68 .
イギリスのノースハンプトン出身のスージー、ポリーン、スーの3人の女の子のポップ・グループ。1968年にパイ・レコードから発売した"Something Here in My Heart"が、UKチャートで11位を記録。"Paper Dolls House"の題名のアルバムが発売されますが、全体をプロデュースしたのが、ヒット・メーカーのトニー・マッコーレイ。"Someday"は、シングルのみのリリースで、キャッチー・ポップなれど、ノン・チャート作品。このあとRCAに移籍し「私のボーイフレンド」のカバーなどのシングルを2枚発売しますが、ヒットは続きませんでした。


Paper Lace/The Night Chicago Died

ペーパー・レイス/ザ・ナイト・シカゴ・ダイド:74
ヴァニティ・フェアのHitchin' Ride(夜明けのヒッチハイク)やジョージ・フェイムのThe Ballad of Bonnie and Clydeなどの作者で知られるMitch murrayと Peter Callenderの作品。大銃撃戦でアル・カポネ一味を一掃した歴史的な一夜が歌詞の内容。ペーパーレイスは、イギリスのグループで、同じソングライター・チームの「悲しみのヒーロー」でイギリス・チャートのNo.1となりましたが、アメリカ・チャートでは、ボー・ドナルドソン&ヘイウッズのカバーがNO.1となる不幸に会いました。しかし、見事にこの曲で英米両国でNo.1に輝きリベンジを果たしました。


Paris Sisters/I Love How You Love Me

パリス・シスターズ/忘れたいのに:61

ソフトなセクシー・ボイスが魅力なアルベス、プリシラ、シュレルのパリス美人3姉妹は、サンフランシスコで幼少の頃から、オペラシンガーの母の熱心な教育を受け育ちました。アンドリュー・シスターズの公演に押し掛け参加したところを、MCAレコードの関係者の目に留まり、レコード制作のチャンスをつかんだのが10歳の頃でした。大きく飛躍するのが61年で、新進気鋭のプロデューサーのフィル・スペクターが全面バックアップします。ドリーミーなハーモニーのTeddy Bearsの路線で、Be My Boyが全米56位、バリー・マン作のI Love How You Love Meが5位の大ヒットとなりました。しかし、スペクター制作のアルバムがお蔵入りするなど不運が続き、その後はMGMやマーキュリーに移籍して意欲作を発表しますが、チャートに返り咲くことはありませんでした。
Parade/Sunshine Girl

パレード/サンシャイン・ガール:67.
A&Mは、ポップ・センスの洗練されたグループが多く出ていますが、このグループが制作したアルバムParadeは、最高級のポップ・センスが詰まっているのにも関わらず、無念にも、お蔵入りとなっています。カリフォルニアの太陽が燦々とした都会的でシンプルなサウンドが楽しめます。この唯一のデビュー・ヒットは、全米20位まで上昇しています.


Paul Sebastian/A Chicago

ポール・セバスチャン/シカゴのミセス・ジェーン:72
72年にフランス、ベルギー、イタリア、カナダでヒットして、日本でも少しヒットしたこの曲を覚えている方は、いますか。ポールは、イランのテヘランで生まれ、スイスのローザンヌで音楽を学んだ後に、パリでデビューし「パリのフェリシアーノ」の評価を得ます。ジェルミール・レコードから発表した、哀愁を帯びた「A Chicago Dear Mrs Jane」のリフレインで始まる印象的なフレンチ・ポップス、中古屋さんでみつけたら、迷わず手にいれましょう。フリオ・イグレシアスもカバーしていますよ。


People/I Love You

ピープル/好きさ好きさ好きさ:68.
ゾンビーズのオリジナルのこの曲は、日本では、グループサウンズのカーナビーツがカバー・ヒットさせましたが、アメリカでヒットさせたのは、このグループのソフト・サイケなバージョンでした。サンホセ出身のピープル盤は、全米14位まで上昇しましたが、これっきりの一発屋となってしまいました。



Peppino Gagliardi/Che Vuole Questa Musica,Stasera

ペピーノ・ガリアルディ/ガラスの部屋:70
70年映画「ガラスの部屋」で主演したのは甘いフェイスのレイモンド・ラブロック。とても女性に人気がありました。哀調を帯びたペピーノ・ガリアルディの主題歌は、オリコン16位。


Peppermint Rainbow/Will You Be Staying after Sunday

ペパーミント・レインボウ/そよ風の日曜日:68.
男性3人、女性2人のミドル・オブ・ザ・ロードのボーカル・グループ。「ナナ・ヘイヘイ・キス・ヒム・グッバイ」のポール・レカが制作。明るい展開のポップなメロディーと楽しく爽やかで分厚いコーラスがマッチした名作ポップで、全米32位。隠れた人気のあるグループ。


P.F.Sloan/From A Distance

P・F・スローン/孤独の世界:66
日本のみの大ヒットでオリコン16位。ロサンゼルス育ちのPhillip "Flip" Sloanは、ダンヒルのプロデューサーとして有名ですが、バリー・マクガイアの「明日なき世界」など、多くの作曲も手がけました。グラス・ルーツの生みの親。シンプルで寂し気で心にくいこむ曲調は、日本人向き。


Pinky & The Fellas/Manchester & Liverpool

ピンキーとフェラス/マンチェスターとリバプール:68.
スコットランド出身で、女性ボーカルのピンキー(カロライン・ガードナー)と兄のジョン・ガードナーを中核とした6人のグループ。日本では、アンドレポップ作のこの大ヒットを飛ばしながら、母国イギリスでは、無名でした。印象的なメロディーと分厚いコーラスが新鮮なポップスの名盤です。70年に来日した際、「Waterloo Road」のアルバムを発売し。表題曲は「オー・シャンゼリゼ」の英語の替え歌ですが、「スタート・ザ・ミュージック」がトップ10ヒットとなりました。


P.K.Limited/Getting Straight

P・K・リミテッド/ゲッティング・ストレート:70
 
キャンディスバーゲン主演の70年の同名映画のテーマ。日本人向けの美しくセンチメンタルな名曲で、サウンドトラック・アルバムには、Feelings,The Shades of Grayなど4曲が収録されていますが、フォーク・タッチで聴き心地も爽やかです。Marty Kaniger (ギター,ハーモニカ,バンジョー)Dan Peyton (ベース,ピアノ,オルガン) Ronald Steinの3人組で、ハリウッドのスタジオでブレッドのデビッド・ゲイツのプロデュースでレコードを制作します。サジット・カーンのLPに入っている「こころの歌」(A Song Inside)も彼らの作品でした。モンキーズが在籍したColgemsから5枚のシングルが発表されています。Marty Kanigerは、80年代には、Big Daddyのグループを率いて、Sergent Peppers等のオールディーズのリメイクを得意に、幅広い人気を得ます。


Player/Baby Come Back

プレイヤー/ベイビー・カム・バック/78
オリジナル・キャストに始まり、グラスルーツなど後期のダンヒル・サウンドの立役者だったデニス・ランバート&ブライアン・ポッターのコンビが、見い出し製作したデビュー曲が全米1位を記録。AOR な曲やアレンジのセンスも良いのですが、キャリア豊かで細やかな演奏やコーラスの上手さも光ります。


Poppy Family/Which Way You Goin' Billy?

ポピー・ファミリー/ビリーの別れ道:70
「シーズンズ・イン・ザ・サン」の全米1位大ヒットを持つテリー・ジャックスは、奥さんでもあるスーザンのボーカルをフィーチャーした4人組「ポピー・ファミリー」を68年にカナダで結成しました。彼らの3枚目のシングルのほのぼのした味わいのこの曲が、全米2位の200万枚の大ヒットとなりました。3枚のアルバムを発表しますが、73年に離婚と同時にグループも解散します。テリー同様、スーザンもソロ・ボーカリストとして、70年代後半から3枚のアルバムを発表しました。


Polly Browne/Up In A Puff of Smoke
ポリ−・ブラウン/こころはウキウキ:75

 ポップの職人、トニー・マッコーレイとジョン・マクレオドが英PYEでフライング・マシーンに続いて、成功させたピケティウイッチ。「恋はフィーリング」のデビュー作に続いて「涙の面影」「ベイビー・アイ・ウオント・レット・ユー・ダウン」と爽やかなヒットを続けてアルバムもリリース。このグループの紅一点のボーカル、ポリー・ブラウン。ディオンヌ・ワーウイック風とも言われましたが、心ウキウキ、フワフワさせる軽快なボーカルは、ルックスともどもチャーミングでした。彼女はグループ解散後、ブル−・アイド・ソウルに傾斜して、スイート・ドリームス名で「ハニー・ハニー」(全米68位)を一発ヒットさせて、ダイアナ・ロスそっくり風の「こころウキウキ」のソロ・デビュー盤が、75年に全米16位まで上昇しましたが、イギリスでは不発でした。


Pop Tops/Mammy Blue

ポップ・トップス/マミー・ブルー:71.
この人達は、世界的には「マミー・ブルー」の大ヒットで有名ですが、地元スペインでは、ベテランの人気グループでした。60年代には、クラシカルポップの「涙のカノン」「哀愁のアダージョ」なんかをワールド・ヒットさせていました。


Procol Harum/A Whiter Shade of Pale

プロコル・ハルム/青い影:67.
バッハの曲がベースのクラシカル・ポップで、全英1位全米5位と世界中で記録的な大ヒット・デビューでした。教会オルガンをフィーチャーし、ゲイリー・ブルッカーの透通った声が冴えわたるポップスを代表する名作。グループ名は、確かシャム猫の名前だったような。「ソルティ・ドッグ」などの名作アルバムも発表していますが、「青い影」の印象が強すぎることで、少し損していますね。


?& Mysterians/96 Tears

クエスチョン・マーク・アンド・ミステリアンズ/96粒の涙 :66
.
 
70年代に始まったパンクの元祖的な曲で、曲はいたって単純なのですが、オルガンをフィーチャーしたジャジーな雰囲気が受けて、全米1位の栄光に輝きます。「?」はメキシコ生まれのルーディ・マルチネスの4人組で、メンバーが制作したこの曲は、マネージャーのリビング・ルームで録音され、地元のミシガン州のレコード店、ラジオから徐々に火がつき、カメオ・レコードが全米リリースしました。彼らは、この後4枚のシングルを発表し3曲がチャート・インします。


Rare Earth/Hey Big Brother

レア・アース/ヘイ・ビッグ・ブラザー:72 
ソウルの名門レコード会社モータウンが、白人グループ用に設立したRare Earth レーベルから送り出した同名のグループ。黒人顔負けの黒っぽいフィーリングで、デビュー曲のGet Readyは、全米4位の大ヒットとなり、この曲は5曲目のヒットで19位まで上昇します。78年まで計9曲をチャートインさせた息の長いグループでした。


Rainy Day Woman/True Lover

レイニイ・デイ・ウーマン/恋はため息:72
スウェーデンのアン、バッバ、ボニタ、モナの当時18〜21才の女の子4人組が、66年にポップ・グループを結成。67〜68年のヨーロッパ・ツアーやテレビ出演で人気を得たところを、オランダのショウ・プロモーターの目に留まり、70年にオランダからデビュー・シングルを発表。軽快なブラスとベースを強調したバッキングにハスキーがかったコーラスで、カワゆいライブを意識したご機嫌なポップ・ナンバーとなっています。日本でのシングル化は72年。


Rainbows/BALLA BALLA

レインボウズ/バラバラ:67.
マベビベビ・バラバラ、日本中で口ずさんでましたよね。日本じゃ一発屋ですけど、ドイツでは人気グループだったようですよ。ドイツからは、「マナ・マナ」とか「ルーキー・ルーキー」とか、単純フレーズ・ソングが出ますね。


R.Dean Taylor/Indiana Wants Me

R.ディーン・テイラー/インディアナ・ウオンツ・ミー:70
カナダ、トロント出身のテイラーは、白人ながら、モータウン・レコードで曲づくりに励みます。シュープリームスの「ラヴ・チャイルド」「スラムの小島」やテンプテーションズの「アイル・ターン・トゥ・ストーン」などの共作に名を連ねています。モータウンが、白人専用レーベルとして設立したレア・アース・レーベルから、テイラーの自作曲が、全米5位の大ヒットとなります。哀愁を帯びたリフレインが印象的なポップ・ナンバーでしたが、一発屋で終わりました。


Richard Harris/MaCarthur Park

リチャード・ハリス/マッカーサー・パーク:68.
アイルランド生まれの
ベテラン映画俳優のハリスが、ジミー・ウエッブと組んで、ダンヒルでコンセプト・アルバムを制作。ドラマティック仕立てな全米2位の表題曲は、アソシエイションが彼等のスタイルに合わないことを理由に拒否した経緯がありました。


Road Home/Keep It In The Family

ロードホーム/キープ・イット・イン・ザ・ファミリー:69
ランバート&ポッターがダンヒルに移籍してアルバムを手がけたのが、Road HomeのPeaceful Children 。そのせいか、BELL時代に手がけたオリジナル・キャストの天使の兵隊 One Tin Soldierがアルバムに収録されています。彼らのプロデュースらしく、ポップ・フォーク・ソウルがブレンドされたクオリティの高い快作となっています。日本でもダンヒル・シリーズで発売されましたが、日米と不発に終わったのは残念でした。


Robin Jack/Girl I've Got News For You

ロビン・ジャック/涙をぶっとばせ:72
イギリスのベル・レコードからリリースされたシングル。リード・ギターのロビン・ジャックがリーダーというだけで、正体不明のグループでしたが、英国ポップス界の重鎮ジョナサン・キングの自作自演だったことが判明しました。力強いイントロに始まり、しわがれた感じのボーカルで、寂しげで印象に残るメロディーを繰り返す記憶の底に根強く残る曲です。英米日ともにノン・チャート作品。 日本のジャケットには「イギリス・ポップス界が放つ驚異の大ヒット」とありました。


Ron Dante/Brings You Up

ロン・ダンテ/青空を抱き上げよう:70.
ロン・ダンテは、シュガー・シュガーのアーチーズ、トレイシーのカフ・リンクスなどのリード・ボーカルをとったスタジオ・ミュージッシャンでした。その甘いヴォーカルで、ソロ・アルバムを3枚も出しています。その初のソロ・アルバムからのシングルが、この曲。ビートがきいたメロディアスなナンバーで、日本でも小ヒットしました。この後、ロンは、バリー・マニロウなどのプロデュースで成功を収めます。


Robin Ward/Wonderful Summer

ロビン・ワード/ワンダフル・サマー:63
60年代のキューティー・メロウな女性ボーカルとして密かに人気のあるロビン・ワード。彼女は、ジャッキー・ワードが本来の芸名のセッション・ボーカリスト。パートリッジ・ファミリーのボーカルは、ラブ・ジェネレーションのバーラー兄弟とそしてジャッキー・ワード等が実体でした。ペリー・ボトキンが作曲、プロデュースしたメランコリック・メロウな全米14位まで上昇した名曲、ワンダフル・サマーは、ティーン向けの曲なために、彼女の娘のロビンの名前でシングルをリリース。アルバム・ジャケットに彼女の美しいフェイスも使わず、ツアーも行
わなかった経緯があります。


Royal Guardmen/The Return of Red Baron

ロイヤル・ガーズメン/暁の空中戦:67
フロリダで65年に結成された6人組。ピーナッツ・カートンのキャラクターだったスヌーピーと第一次世界大戦のドイツの撃墜王レッド・バロンとの空中戦をテーマにした2枚目のシングルが全米2位の大ヒット。スヌーピー・シリーズ以外は、ヒットせず、70年に消滅しますが、彼らの作品は、日本独自のヒット「サーチン・フォー・ザ・グッドタイムズ」など良質なポップ・ロックの作品が多く、ベストCDはお奨めです。


Rubettes/Sugar Baby Love

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ルーベッツ/シュガー・ベイビー・ラブ:74.
ロンドンで結成された6人のポップ・ロック・グループ。50・60年代のオールディーズを70年にリバイバルさせたような曲。「ワッシュワリワリワ」のかけ声と分厚いファルセット・コーラスが重なりセリフまで入って、どんどん盛り上がる定番のつぼを押さえた名曲。イギリスと日本での大ヒットで、全米では37位どまりでした。


Salt Water Taffy/Finders Keepers

ソルト・ウオーター・タフィ/ファインダース・キーパース:68 .
アンダース・アンド・ポンシアのドリーミー・ポップス系で、日本で人気の高いソフトロック・グループ。64年に"Yo Me Pregunto"(全米121位)の小ヒットを持つロッド・マクブライエン等のThe Val-Raysのメンバーに、女性二人を加えた混声グループ。このデビューは全米では105位止まりでしたが、ブッダからリリースされたアルバムは、表情豊かではじけるようなセンスの良いポップスがぎっしり詰まっています。この後、ロッドはスタジオの仕事が多くなり、グループは、4枚のシングルを発表後、71年に解散。


Sam The Sham & The Phalaos/Lil' Red Riding Hood

サム・ザ・シャム・アンド・ザ・ファラオス/赤ずきんちゃん:66
60年代初期にダラスで結成されたポップ・ロック・グループ。リード・ボーカルとキーボードのドミンゴ・サムディオ(サム・ザ・シャム)とサックス担当のブッチ・ギブソンが中核。中東風の名前や衣装でコメディアン的な人気もあった彼らですが、65年にデビュー・リリースされた「ウーリー・ブーリー」が全米2位の成功を収めます。5曲目のシンプルなポップ・ナンバーのこの曲が、久々に全米2位まで上昇する大ヒットとなり、日本でも人気を集めました。


Sgt.Barry Sadler/The Ballad Of the Green Berets

バリー・サドラー軍曹/悲しき戦場:66
バリー・サドラーは、ケネディー大統領が創設した特殊部隊グリーン・ベレーの一員として、ベトナム戦争に従軍します。この曲は、落とし穴で足に傷を負い帰還したバリーが、同僚兵士への賛辞を曲にしたものです。最初、軍関係者のためだけにリリースされたものの、曲の人気を知ったRCAが、オーケストラを入れて全米リリースした結果、全米1位を5週間続けて、異色作品ながら国際的な大ヒットとなりました。


Sammi Smith/Help Me Make It Through The Night

サミー・スミス/ひとりぼっちの夜:71
サミー・スミスは、カントリー・チャートでは、37のチャート・インを持つベテランで、ナッシュビルで活躍を続けました。彼女のポップ・チャート入りは、全米8位のこの曲と、続く77位のI've Got To Have Youのみで、どちらもクリス・クリストファーソンの作品でした。ジョー・サイモンやグラディス・ナイトなどがカバーした落ち着いた味わいの佳作で、「朝まで一緒に居て」と、サミーがしっとりと歌い上げています。


Sagittarius/My World Fell Down

サジタリアス/マイ・ワールド・フェル・ダウン:67.
ソフト・ロックの最高峰、カート・ベッチャー率いるミレニウムと兄弟分のグループ。ミレニウムと同じくコロンビア・レコードのゲイリー・アッシャーとカートが、共同でプロデュースしています。アルバムPresent Tenseは、ミレニウムのビギンの分厚いサウンドから一変して、シンプルで美しく愛らしい曲が並んでいます。唯一のヒット曲は全米70位で、イギリスのアイヴィー・リーグの曲のカヴァー。


Saint Preux Avec La Voix Danielle Licari /Concerto Pour Une Voix

サン・プルー楽団とダニエル・リカーリ/ふたりの天使:70

アレンジャーのサン・プルーが指揮する楽団をバックに、ダニエル・リカーリが歌う美しいスキャットが、ヨーロッパと日本(オリコン16位)で、大ヒット。ダニエル・リカーリは、64年にミュージカル映画「シェルブールの雨傘」でカトリーヌ・ドヌーヴの声の吹き替えで、名前を知られ、この大ヒットの後は、ポール・モーリアの「エーゲ海の真珠」などにスキャットで参加したり、レーモン・ルフェーブルと組んで、来日したりしています。

Scott Mckenzie/San Francisco(Be Sure To Wear Flowers In Your Hair)

スコット・マッケンジー/花のサンフランシスコ:67
ママス&パパスのジョン・フィリップスの作曲で、フラワー・ミュージックの元祖みたいな曲で、全米4位まで上昇。スコットの ハイ・トーンの美声は、包容力もあり、曲と声が良くマッチしていました。スコットは、ジョン・フィリップスと、Jouneymen名のグループで一緒に歌っていました。「夢のカリフォルニア」といい、西海岸を表現したヒット曲は、たくさんありますね。


Sha Na Na/Remenber Then

シャ・ナ・ナ/リメンバー・ゼン:70.
1950年代のドゥ・ワップ風ロックン・ロールのカヴァーばかりを集めたアルバムをセンセーショナルに発表したシャ・ナ・ナ。コロンビア大学の総勢12人で結成され、金ラメ・リーゼント・踊りと見せるステージに話題が集まりました。この曲は、1959年にThe Earlsが、オリジナルをヒット。


Shamrocks/La la la

シャムロックス/ラ・ラ・ラ:67
67年の夏に、日本中のラジオで「ラララララ〜」と黒っぽいフィーリングの歌声が流れました。スエーデンのビートルズとまで言われた4人組は、62年に「ストックホルムのビートルズ」を選ぶコンテストにアマチュア出演して優勝します。彼らの人気は、フィンランド、ノルウエーイ、ドイツ、デンマークにも拡がり、一躍、トップ・グループの仲間入りを果たしました。オリジナルは、64年に全米62位まで上昇したブレンデルズ。
Shelley Febares/Jonny Angel

シェリー・フェブレー/ジョニー・エンジェル:62

サンタモニカ生まれのシェリーは、女優ナネッタ・フェブレーの姪で、エルビス・プレスリーと映画で競演して歌う女優として有名になりました。途中ルー・アドラーと結婚したり、70年代にもテレビにレギュラー出演して活躍を続けました。この代表曲は、TVホームドラマ「うちのママは世界一」の主役アイドルが歌う挿入歌として、人気急上昇となり、全米一位を獲得。エコーたっぷりのシェリーの歌声と、愛らしくドリーミーな曲調には、ついうっとりとしてしまいます。


Silver/Wham Bam

シルバー/恋のバンシャガラン:76.
カリフォルニア・テイストの綺麗なコーラス・ハーモニーが印象的なカントリー・ロックのグループ。CSN&Yのファンだったジョン・パトドルフは、71年からアコースティック・デゥオを結成して、数枚のアルバムやシングルを発売しますが、失敗に終わります。76年にパトドルフは、ポップテイストを加えたシルバーを結成して、デビュー曲が全米16位の唯一のチャート・インとなりました。日本人好みのウエットでスイートな、洗練されたデビューアルバムを残して解散したのが残念でした。


Shuffles/Cha La La I Need You

シャッフルズ/シャ・ラ・ラ(は二人の合言葉):70.
オランダで1位を記録したジェントルでシンプルなポップ。日本でもオリコン70位台のスマッシュヒットを記録。ボーカルのアルバート・ウエストは、その後、アルバートハモンドとデゥオを組んでいます。アルバートのベストCDに、この曲がそのまま収録されています。


Skeeter Davis/The End Of The World

スキーター・デイビス/この世の果てまで:63 .
ポップスとカントリー両チャートで全米2位を記録。一人二重唱で聞きこませる失恋の歌。「この世は終わりなのに、何故、小鳥はさえつづけるの」といったような歌詞とぴったりな可憐なメロディーは、万人に愛されるエバー・グリーンな名曲。カーペンターズ、ブレンダ・リー、ハーマンズ・ハーミッツとカバーも多いです。


Skylark/Wildflower

スカイラーク/ワイルドフラワー:73 .
セント・エルモス・ファイアーやカルガリー五輪の音楽を担当した著名な音楽家デビッド・フォスターが、カナダのバンクーバーで結成した4人組のグループ。哀愁を帯びて風格が漂い、上田正樹やボロの大阪ブルース物やクラシックス4に通じる粋な感覚の曲で、全米9位まで上昇しました。同名のアルバムとシングルの一発で、解散しています。


Singing Nun/Dominique

スール・スーリール/ドミニク:63 .
高校教師からブリュッセルの修道院の尼僧となったリュック・ガブリエルが自作自演した異色のヒット。修道尼仲間に100セットのレコード・プレスを、フィリップス・レコードに持ち込んだのがきっかけでした。シンプルで、明るく清らかなメロディーに大きな魅力を感じたフィリップスは、ヨーロッパ、アメリカでアルバムを発売し、シングル・カットされた「ドミニク」とシングル・アルバムともに全米1位に輝き、世界中の大ヒットとなりました。大ヒットの後、ジャニン・デッカーズの名前で還俗しますが、85年に服毒自殺を遂げています。


Smith/Baby It's You

スミス/ベイビー・イッツ・ユー:69 .
女性ボーカリストのゲイル・マッコーミックを中核としたL.A.出身5人のダンヒル・レコードのポップ・ロック・グループ。ハード・ロックとブルー・アイド・ソウルの雰囲気を漂わせた個性を売り物にして、シュレルズのカバー・ヒット「ベイビー・イッツ・ユー」を全米7位まで上昇させました。ゲイルは、ソロ・ボーカリストとして独立して、It's A Cryin' Shameを全米44位まで上昇させました。


Spiral Starecase/More Today Than Yesterday

スパイラル・ステアケース/モア・トゥデイ・ザン・イエスタデイ:69
粋なハイ・トーン・テナーと冴え渡るブラスのアレンジが魅力の5人組。サクラメントで64年に結成し、地元の酒場やダンスホールで下積みを重ねた後に、コロンビア・レコードのオーディションに合格。ゲイリー・アッシャーからソニー・ナイトにプロデューサーが変わり、ボーカルのパット・アプトン自作の2番目のこのシングルが、全米12位のヒットとなりました。しかし、彼らのライブの実力は見劣りし人気も長続きせず、70年に解散してしまいます。


Spotnicks/Karelia

スプートニクス/霧のカレリア:65 .
スウエーデンのエレキ・バンド。宇宙服のコスチュームで、60年代後半に数回も来日しました。哀愁たっぷりのサウンドが特徴。この曲も途中に「トロイカ」の旋律が顔を出します。中島安敏氏が、「モスクワの灯」等、彼等に多くの曲を提供しました。


Starland Vocal Band/Afternoon Delight

スターランド・ボーカル・バンド/アフタヌーン・ディライト:76 .
ワシントンD.C.出身のアメリカのアバ版よろしく二組の夫婦からなる混声ポップ・カルテット。メンバーは、ビルとタフィーのダノフ夫妻、ジョン・キャロルとマルゴット・チャップマン(後に結婚)の4人で、ビルはジョン・デンバーとカントリー・ロードを共作した深い仲。美しいハーモニーのおしゃれな曲のこの曲は、デンバーが設立したウインドソング・レコードからの唯一の全米1位となりました。


Steam/Na Na Hey Hey Kiss Him Good Bye.

スティーム/ナナヘイヘイキスヒムグッバイ:69.
もともとはB面用に製作された曲が全米1に輝きます。急造グループで仕立て直したら、大当たりとなったバブルガム・ソング。「シュガーシュガー」みたいなキャッチーな単純リフレインの曲は、このパターンが良くありますね。制作は、レモン・パイパーズを当てたポール・レカ。


Steve Harry & The Cockny Rebel/Sebastian

スティーブ・ハリーとコックニー・レベル/哀しみのセバスチャン:73
グラム・ロックとプログレッシブ・ロックの中間的な個性派グループ。退廃的で甘美なメロディーにコーラスが重なる曲で、難解さがない分、ポップス・ファンにも支持されましたが、2枚のアルバムで終わったのが、悔やまれます。


Stories/Brother Louie

ストーリーズ/ブラザー・ルイ:73
レフト・バンクのメンバーだったミシェル・ブラウンが結成した4人組。この全米1位の大ヒットは、彼がグループを去って制作されたアルバムの1曲で、全英9位まで上昇したイギリスのホット・チョコレートのヒット曲をカバー。歌の内容は、黒人の女の子と白人の男の子のカップルと人種偏見のある両親のお話でした。ストーリーズは一発屋に終わりましたが、70年代後半、ホット・チョコレートの方は、全米チャートに数曲、登場します。


Stormy Petrel/Hello Hello Hello

ストーミー・ペトレル/ハロー・ハロー:72.
真の一発屋で謎のグループでしたが、イギリスの名うての作曲家、フラワーポットメンやファースト・クラスを率いたジョン・カーター自作自演と判明しました。マイナーでメロディアスなバラードは、日本のみのスマッシュ・ヒットとなりました。この3月に発売されたジョン・カーターの作品集CDに収録されています。


Strawberry Alarm Clock/Incense & Peppermints

ストロベリー・アラーム・クロック/インセンス・アンド・ペパーミント:67.
イギリスのソングライター、J・カーター作の初のビッグ・ヒットで全米1位。曲やグループ名からも連想されるように、サイケ・ポップの代表曲。メンバーは、この風変わりな曲をB面と勝手に思いこんだ結果、カーターが、メンバーとは別のスタジオに居あわせたシンガーにこの曲を歌わせたまま、レコードになってしまいました。


Strawbs/Part Of Union.

ストローブス/パート・オブ・ユニオン:73
イギリス、日本でヒットしましたが、アメリカではノン・チャート。これの一発屋ではありません。イギリスでは、ブリティッシュ・フォーク・ロックの草分けで、結成30周年を経て、多くのアルバムを出しています。デイブ・カズンズが率いるメンバーには、アーサー王などの大作を発表しYESにも在籍したリック・ウエイクマンやフェアポート・コンベンションの女性ボーカルのサンディー・デニーなども在籍していました。75年には、来日コンサート、NHKヤング・ミュージック・ショーにも出演しました。CD、DVDも多く出ています。
Starbuck/Moonlight Feels Right

スターバック/恋のムーンライト:76.
"Mrs.Bluebird"のヒットを持つ"エタニティズ・チルドレン"のリーダー、ブルース・ブラックマンがアトランタで結成した7人組のグループ。中間のマリンバ・ソロが印象的なシルキー・タッチの洒落たポップロック・ナンバー。全米3位のヒットを記録しますが、後の4枚のシングルはチャート下位でした。ブルースは、Koronaというグループで、80年にLet Be Meのカバー・ヒットで43位の復活をとげます。


Stone Poneys/Different Drum

ストーン・ポニーズ/悲しきロック・ビート:68
リンダ・ロンシュタットがソロ・シンガーとなる前に在籍したグループ。ママスアンドパパスなどのフォーク・ロック・ブームとともにデビューした男性二人とのPPMスタイルのトリオでした。ロサンジェルスのトルバドゥールに出演して人気を集めた彼らは、キャピトル・レコードと契約して、3枚目のモンキーズのマイク・ネスミスが作曲したポップ・ナンバーが、全米13位の大ヒットとなりました。
Sugarloaf/Green Eyed Lady

シュガー・ローフ/グリーン・アイド・レイデイ:70.
デンバー出身の5人組のロック・グループで、キーボード・ボーカリストのジェリー・コルベッタがリーダー格。ブルース・ジャズ、ロックの要素が程良くブレンドされた完成度の高い長篇の力作で、全米3位。同名のLPもクオリティの高い名作。74年に全米9位の"Don't Call Us, We'll Call You" で復活。


Suzie Quatro & Chris Norman/Stumblin' In

スージー・クアトロとクリス・ノーマン/メロウな二人:79
スージーは、皮ジャンの美人ロッカーとしてイギリス、日本では圧倒的な人気を誇りましたが、
アメリカでは、Can The Canが56位どまりとさほどの人気ではありませんでした。彼女は、デトロイト生まれで、70年に渡英して、ミッキー・モストの庇護のもとに人気スターとなります。一時、鳴りを潜めた彼女が全米であてたのは、79年にスモーキーのメンバーのクリス・ノーマンとデュエットしたこの曲で、イメージ・チェンジしたミディアム・テンポのラブリーなポップ・ナンバーで、全米4位まで上昇しました。


Sylvia/Pillow Talk

シルビア/ピロー・トーク:73
熱いセクシーな囁きがたっぷりまぶされたベッドルーム・ディスコ。シルビア・ロビンソンは、57年にミッキー&シルビアのデュオで、Love Is Strangeの全米15位のヒットを飛ばします。この15年後に、この全米3位の一発ヒットを放ちますが、もともとは、彼女がアル・グリーン用に書いた曲を、自分で歌ったものでした。彼女は、70年代後半から、夫のジョーと、シュガー・ヒル・レコードを設立して、ラップ・ミュージックを発展させます。


Terry Jacks/Seasons In The Sun

テリー・ジャックス/そよ風のバラード/74.
カナダ人のテリーは、ポピー・ファミリーのメンバーとして、「ビリーの別れ道」をヒット。この曲は、ジャック・ブレルとロッド・マッケンの作で、全米1位のデビュー・ヒットを記録。遺書らしき歌詞のもの悲しい心境が、押さえぎみに表現されたこの曲は、キングストン・トリオも、64年にレコーディング。


Tee Set/Ma Bella Me

ティー・セット/マ・ベラミ:70.
1970年は、ショッキング・ブルーの全米1位「ヴィーナス」を皮切りに、オランダのダッチ・サウンドが、USチャートを賑わしました。ジェリー・ロスが、自前のコロッサス・レコードを設立して、これらのグループの紹介にあたり、全米5位の「マ・ベラミ」やジョージ・ベーカー・セレクションの「リトル・グリーン・バッグ」などをUSチャート上位に押し上げます。


Tina Chalres/Dance Little Lady Dance

ティナ・チャールズ/恋のレディ・ダンス:77
ティナは、イギリスが生んだディスコ・クイーンで、スエーデンなどでも圧倒的な人気を誇りましたが、全米ポップ・チャートに登場しないのが摩訶不思議です。60年代後半にエルトン・ジョンのバック・ボーカリストに参加して、5000VOLTSの「I'm On Fire」のセッションと、BIDDUが作曲した「I Love To Love」のソロの大ヒットで一躍、有名となりました。キュートでパンチのあるシャウトの効いたボーカルが魅力の、イギリスではルル以来の傑出したR&B POP SINGERでした。


Tinkerbell's Fairydust/Twenty Ten

フェアリーダスト/誓いのフーガ:68.
日本では5位の大ヒットとなった「誓いのフーガ」。ロンドンを中心に活動した6人グループ。スパンキー&アウア・ギャングのカバーの"Lazy Day "やガレージ・パンク風の"Sheila's Back In The Town"の3枚のシングルをデッカ・レコードから発売しますが、完成度の高い3枚とも本国ではヒットしませんでした。このため、唯一のアルバム"Magic Garden"は、お蔵入りとなりましたが、1998年に、CDとLPで復刻。バラエティに富んだポップスの名盤です。


Tin Tin/Toast And Marmalade For Me

ティン・ティン/トーストとマーマレード.
ビージーズのモーリス・ギブがプロデュースしたオーストラリア出身の二人組、ティン・ティン。ビージーズばりのジェントルで若々しいデビュー曲は、イギリスよりもアメリカで全米20位のヒット。解散後、メンバーのスティーブ・キプナーは、「フィジカル」「忘れ得ぬ君に」の大ヒットのソング・ライターとして活躍。


Tony Burrows/Melanie Makes Me Smile

トニー・バロウズ/いとしのメラニー:70.
トニー・バロウズは、エジソン・ライトハウス、ブラザーフッド・オブ・マン、ホワイトプレインズ、ピプキンズのリード・ボーカルを同時期に担当したセッション・ボーカリスト。この曲は、唯一のソロ・ヒットで、全米87位。トニーマッコレイ作のジェントルで美しいバラードですが、バロウズがイギリスBBC出演の際のトラブルで出演拒否にあったせいか、残念ながら英米日とも小ヒットに終わりました。バロウズは、74年にファースト・クラスのリード・ボーカルとして、「ビーチ・ベイビー」の世界的ヒットで復活をとげます。


Tony Joe White/Polk Salad Annie

トニー・ジョー・ホワイト/ポーク・サラダ・アニー:68
トニーは、ルイジアナ州の片田舎で育ち、10代の後半からカントリー・ロックのバンドを結成して地方を巡業して回ります。ナッシュビルのレコード会社から数曲シングルを発表し、陽の目を浴びたのが、70年の「エルビス・オン・ステージ」でのカバーが好評だった「ポーク・サラダ・アニー」で、オリジナルの方は、全米8位まで上昇しました。ブルック・ベントンの「雨のジョージア」も彼の作品で、ブルースとカントリーがブレンドされた味のあるスワンプ・ソウルを得意としました。


Tony Ronald/Help.

トニー・ロナルド/ヘルプ!:72
「恋のヘルプ」は、71年の夏から秋にかけて、スペインで永く一位を続けて、それが日本にも飛び火してチャート上位に上りました。トニーは、オランダ生まれで、船旅の途中で暴風雨に会い、漂流したスペインの片田舎で、ギター片手に歌うようになり、クローナーズというロック・グループを結成して有名となり、ソロ・シンガーとして独立して、「Do You Remember」や「I love You Baby」などの曲で、スペイントップ歌手の座を築きました。力強く元気なスパニッシュ・ポップスの典型みたいな曲でした。


Toomorrow/I could never live without your love

トゥモロー/愛が輝く:70
22歳のオリビアニュートンジョンがオーストラリアから渡英してプロデビューした紅一点の4人組、Toomorrowのシングル。Toomorrowのタイトルで映画が作成されました。ドン・カーシュナーがイギリスのモンキーズ版として、プロモートしましたが、映画もシングルもヒットしませんでした。この映画、グリースの後に日本公開されていたんです。このあとは、2000年にロスの映画祭で公開されたのみだそうで、オリビア自身は、不発に終わったこのグループ参加には、良い思い出は持ってないそうな。マニアには、2枚のシングル、1枚のアルバムもビデオもかなりのプレミアついています。


Toys/Lover's Concerto

トーイズ/ラバーズ・コンチェルト:65
トーイズは、ニューヨークで結成されたバラード・ソウルの黒人女性3人組。ハイスクールで一緒だった3人は、卒業後、本格的に歌い始めたところをプロデューサーのボブ・クリューに認められます。65年にDynavoice Labelからバッハのメヌエットをスイート・ソウル風にアレンジした流麗な名曲「ラバーズ・コンチェルト」を発表し、全米2位、全英5位のミリオンセラーとなりました。翌年、チャイコフスキーのくるみわり人形を模した「Attack」が全米18位のヒットを出して以降は、メンバーはセッション・ワークに専念するようになります。


Tradewinds/New York Is A Lonely Town

トレイドウインズ/ニュー・ヨークはロンリー・タウン:66.
ニューヨークのポップ・プロデューサーのピート・アンダースとヴィニ・ポンシアのスタジオ・ワークス。フィル・スペクター門下で、ロネッツなどのヒット曲を制作し、66年にイノセンスのグループ名で制作した「すてきな言葉」は、全米34位。トレイドウインズ名で制作の、ハイ・トーン・コーラスが冴えたドリーミーなこの曲は、全米32位まで上昇しましたが、師匠のフィル・スペクターからは無視されて、新興のRed Birdレーベルに移籍・発売された経緯がありました。


Troggs/Wild Things

トロッグス/恋はワイルド・シング:66
イギリスのハンプシャー出身の4人組。フォンタナ・レコードと契約し、テレビ番組「Thank You Lucky Stars」に主演して注目を浴びた彼らは、チップ・テイラーのこの曲で、いきなり全英2位全米1位のチャート・トッパーとなりました。68年に全米7位の「ラブ・イズ・オール・ラウンド」とともに、オカリナやストリングスなどバッキングに凝りながらも、シンプルで粋なサイケ・ポップ・バラードはニュー・ウエーヴな音楽として受け入れられました。


U.F.O./C'mon Everybody

U.F.O./カモン・エブリボデイ:72
エデイ・コクランをカバーした「カモン・エブリバディ」のシンプルでパワフルなハードロックを日本で大ヒットさせたU.F.O.。母国イギリスでは無名に近く、ドイツ、フランスで少し人気があった他は、圧倒的に日本のファンに支持されました。69年にTottenham Court Road club での出演を機に改名して.72年にモータウンが白人用に設立したRare Earthレーベルと契約します。「 UFO1」「UFO2」 の他に「ライブ・イン・ジャパン」のアルバムをリリースしています。


Vicki Lawrence/The Night The Light Wents Out In Georgia

ヴィッキー・ローレンス/ジョージアの灯は消えて:73.
ヴィッキーは、67年からキャロル・バーネットの妹役で人気を掴み、コメディ女優として定着していました。彼女の夫であった「ハニー」等で有名なボビー・ラッセルが書いたこの作品は、殺人事件を扱ったもので、奥さんのヴィッキーがレコーディングして初作品が全米1位の快挙となりましたが、一発屋に終わりました。


Vanilla Fudge/Keep Me Hanging On

ヴァニラ・ファッジ/キープミー・ハンギング・オン:66
66年にニューヨークで結成されたアート・ロックのカルテット。ダイアナ・ロスとシュープリームスの大ヒットがオリジナル。マーク・ステインのキーボードがフィーチャーされたシリアスで重厚なファッジの代表曲は、全米6位の大ヒットとなり、ビートルズの「涙の乗車券」などのカバーが多く収録された同名のアルバムも、全米6位まで上昇しました。ベース・ギターのティム・ボガートとドラムスのカーマイン・アピスは、解散後、カクタスを経て、ジェフ・ベックとベック・ボガート&アピスを結成して、1枚のアルバムを発表して来日も果たしました。


Wilma Goich/IN UN FIORE

ウイルマ・ゴイク/花のささやき:66.
66年のサン・レモ音楽祭の入賞曲。前年には「花咲く丘に涙して」で初入賞。どちらも、最高にチャーミングな曲で、音域の広い澄んだ声がとても魅力的でした。日本プレスのベスト盤は、最近の録音の物ですが、待望のオリジナル・ベスト盤の2CDが、イタリアBMGから、2001年に発売されました。


Wake/Live Today Little Girl

ウエイク/明日なき幸せ:70
. ウエイクは、ビル・ハード率いるポップ・グループ。パイ・レコードからデビューし、"Angelina"のシングルが不発に終わり、ロンドンのカーナビー・レコードに移籍。「23.59」のタイトルのLPを発表し、美しくも寂しげなフォーク・ロック調の「明日なき幸せ」のシングルが、日本でスマッシュ・ヒット、二枚目の「しあわせを求めて」三枚目の「いとしのリンダ」はヒットしませんでした。。しかし、母国イギリスでは、70年から71年まで通算5枚のシングルを発表し、トップ・オブ・ザ・ポップスのテレビにも出演したものの、少しもヒットしませんでした。その後、ビル・ハードは、ルベッツのキーボード・メンバーとして「シュガー・ベイビー・ラブ」の大ヒットを飛ばすことになります。「ANGELINE」は、ROUND THE GUM TREETHE BRITISH BUBBLEGUM EXPLOSION!というオブニバスCD(CMRCD 906)に収録されています。


White Plains/My Baby Loves Lovin'

ホワイト・プレインズ/恋に恋して:70.
トニーバロウズのボーカルがフィーチャー。「花咲くサンフランシスコ」のフラワー・ポットメンがメンバーチェンジされたスタジオ・グループ。「恋の炎」調の軽快で明るいリズムとコーラスワークがマッチした楽しい曲で、全米13位。同名のアルバムも、ソフトロックの名盤と評価されています。


Youngbloods/Get Together

ヤングブラッズ/ゲット・トゥゲザー:69
68年に全米5位まで上昇したフォーク・ロックの古典的ナンバーとも言える彼らの代表曲。ニューヨーク生まれのジェシ・コリン・ヤングが中核で、クラブで演奏しながら評判を集めて、67年にRCAと契約して67年に「グリズリー・ベア」の全米52位の初ヒットとともに、数枚の名作アルバムを発表します。世界の人々の兄弟愛をテーマとしたこの代表曲は、67は全米67位と終わりましたが、69年にキリスト教の全米協議会がラジオ番組のテーマとして使うと全米5位と再び人気を集めました。
Zager & Evans/In The year 2525

ゼーガーとエバンズ/西暦2525年:69.
一発屋の王様といえば、このデゥオ。自費制作の曲が、最後は全米NO1で500万枚の大ヒット。歌詞、曲ともに、人類の不安な未来を戦慄させるような異様ながらも哀愁を漂わせる曲でした。初期の作品集がCD化されています。この後、「ミスター・ターンキー」「自由への叫び」などのシングルを発表しますが、デビュー曲がインパクト有りすぎて、不発に終わりました。


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