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その後の1年

●  症状の消えぬ不安
●  海路の日和
●  ネットワークとの出会い
●  インフォームドコンセント
●  追記:そして今
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症状の消えぬ不安

 自己満足的闘病記(冊子版)をまとめてから1年たちましたが、その後の経過は記録を残していません。本編「おわりに」をお読みになった方は、記録が途切れた理由をお察し下さるかもしれません。激動の日々が一段落し、仕事に追われたこともありますが、何と言っても「顔面痙攣の症状は限りなく術前に近い」が効きました。冊子版を書き始めた頃は痙攣消失が楽しみで、症状の変化を自己流のスコアにすることまで考えましたが、術前同様の症状に「安定」するにつれ、記録の意欲が失せてしまいました。今回の闘病記再編を機に、本編「おわりに」に書いた術後症状を手始めとして、怪しげな記憶を振り返ってみましょう。


左耳に感じた時計の秒針:首筋で脈に触れてみると、明らかに拍動と同期していました。手術で動かした血管が聴神経に触れているのだろうか、ずっとつき合うのは鬱陶しいなと思ったものの、幸い、痙攣軽快の期待に満ちているうち(術後3週まで)に消失してくれました。


左耳鳴りの増悪:水に潜ったときのような圧感でした。術前も瞼と頬の引きつりが強く出たときに伴っていたような憶えはありますが、術後3週ころは独立に発現したので、余計に不快・不安でした。術前は「万が一、左聴力を失ってでも、痙攣と決別したい」と覚悟したはずなのに、この程度で不快なのですから、勝手なものです。


左頬から顎の痺れ感:手術合併症の麻痺のうちだったのでしょうか。術後の顔面麻痺に苦労された患者さんのお話をネット上で拝見しましたが、私の場合、僅かな痺れを感じただけで、瞼が閉じにくい(目が乾く)とか、表情が乏しくなるようなこともなく、それほど不安も感じませんでした。


左手足の痺れ感:ごく僅かな痺れでしたが、四肢の神経の通り道は顔面神経とは全く違うので、逆に「脳幹に入れたスポンジが随液腔を背中まで滑り落ちたのではないか」と、突拍子もない不安に駆られました。外来で「手術とは関係ないでしょう」と伺いましたが、症状が消えるまで不安が残りました。全くの「気のせい」だったか、頭の傷のせいで肩などに変な力が入っていたのか・・・


 これらの症状が現れては消えていくうちに、「顔面痙攣の症状は限りなく術前に近い」となり、手術が無効だったのではないかという不安が深まっていきました。職場では何度も「良くなったじゃないの」という声を掛けられましたが、仮にそう見えたにせよ、自覚症状に変化のなかった私にとって善意の言葉は重荷でした。


 9月16日、退院後3回目の外来で痙攣が続いている旨を告げると、関先生も困ったような顔をされていました。再手術に至ったケースについて尋ねると、「以前は原因血管の見落としもあったが、今は顕微鏡の精度が上がったので、まず見落としは考えられない」とのご回答でした。退けた血管がその位置で留まっているかどうかまではMRIでもわからないそうで、1年かかってレスポンスした患者さんのご経験があるとも伺いました。もう少し様子を見るしかないようです。せめて不安を和らげたかった私は、マイナートランキライザーの処方をお願いしました。私の場合、退院後の投薬はこのときだけです。

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海路の日和

 待つしかないことはハッキリしましたが、ほんの数日のマイナートランキライザーで私の不安は少し和らいだように思います。不安が落ちつくと、「なぜ痙攣が消えないのだろう」も好奇心の色彩を帯びてきます。私の素人考察は「発症から6年も放置したから、血管は退いても随鞘の傷みが残っているに違いない、従って待てばレスポンスするだろう」と、都合の良いところにたどり着き、もしそうなら今こそビタミンB12製剤が修復を早めてくれないかとも思いましたが、もちろん憶測です。


 10月になり「そう言えば、9月下旬から強い症状の頻度が減ってきた」と気づきました。痙攣は毎日ありましたし、「ウー」の口では百発百中で左目が閉じましたが、不快・不便が軽くなったのは確かのようでした。この状態はしばらく続き、11月18日の外来(2ヶ月ぶり、術後4回目)のときも同様でしたから、関先生に「軽くなってきました」を報告できたのは術後5ヶ月半ということになります。


 軽快の兆しが見えてからも一筋縄ではいきませんでした。年末と2月頃にそれぞれ2週間ほどだったでしょうか、以前のような強い症状が度々発現した時期がありました。「良くなったり悪くなったりしながら」という関先生の術前説明の通りの経過には違いなかったのですが、そのときは「最近また辛いなあ」「やっぱりダメだったのかなあ」とぼやいていました。残念ながら、3月9日の外来(約4ヶ月ぶり、術後5回目)のときも、まだ症状は残っていました。


 3月半ばくらいからでしょうか、目の廻りの痙攣に「気づく」ようになりました。妙な言い方ですが、鬱陶しい痙攣から開放されている快適さには気づかず、「そう言えば今日は初めてか」「昨日はなかったかな」を伴って「痙攣が起きたこと」に気づく、そんな感覚でした。やがて気づきの間隔は長くなり、4月末頃(術後10ヶ月あまり)を最後に現在まで約4ヶ月は痙攣を感じていません。


 「次は夏ごろに」と言われていた外来へは6月29日に出向き、症状が消えている旨を報告しました。先生も気掛かりだったことでしょう、「わざわざお出でいただいて、ありがとうございました」と仰った関先生の笑顔は忘れられません。「次回は1年後・・・便りのないのは良い便りにしましょうか」と先生は仰いましたが、間もなく別の理由で先生にお便りすることになりました。

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ネットワークとの出会い

 痙攣のない日々が当たり前になっていた7月の末のこと、職場の同僚がインターネット上の■■病患者さんの情報交換を読んでいるのを見かけました。「どうやって見つけたの?」と問うと、「疾患名でYahooとか検索すると結構ありますよ」とのこと。私も手術を考えていた頃にインターネットで情報を探したものの、お恥ずかしいことに検索機能の使い方を知らず、アクセスしたことのある医療関係サイトからのリンクなどを頼った一本釣りで、顔面痙攣に辿り着けませんでした。今回、さっそく試してみて、顔面痙攣のネットワークを見つけました。


 闘病記や患者さんの掲示板を拝見して、同じ悩みに共感したり、十人十色の経過に驚いたり。そして、私の闘病記もどなたかの役に立つかもしれないと思い立ちました。なんとかネット版「雑録 顔面痙攣」を形にすることができたのは、ネットワークのSatowaさんのアドバイスをはじめ、ネット上に寄せられていた多くの患者さんの貴重な体験談のおかげです。私の手術を執刀して下さった虎の門病院の関要次郎先生も、「実名でネット公開していいですか」の私のハガキに快諾のお返事を下さいました。改めてお礼を申し上げたいと思います。

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インフォームドコンセント
  − あとがきにかえて −

 言葉遊びの屁理屈かもしれませんが、「informed consent」を単に「説明と同意」と訳すのは誤りだと私は思っています。「 and 」でなく「-ed 」なのは、「情報提供されたことに基づく同意」というニュアンスではないでしょうか。医療側は単に通知することを求められるのでなく、患者側も理解して初めて「 informed 」が成立すると思うのです。とは言え、我々患者が理解できるレベルは限られていますし、ご多忙な医師が説明に割ける時間は無限ではありません。


 本編に書いたように、私がお世話になった先生方は申し訳ないほどに inform して下さいましたが、私は consent に至るまでに手間のかかる患者でした。その私が consent の裏付けとして収集した情報を、「私は医師・薬剤師でありません」と繰り返しつつ、一患者としては出すぎた記述にまで踏み込んでご紹介してきました。顔面痙攣の大部分は放っておいても命に別状ないとされているだけに、かえって患者自身が究極の選択を迫られるからです。

「痙攣と一生つき合っていくか」

「開頭手術のリスクを受入れるか」


 informしてくださった先生方に感謝し、このサイトをご覧になった患者さん(ご家族)がご本人にとってより良い治療をお選びになること、そして私の痙攣が再発しないことを祈りつつ、ページを結びたいと思います。拙文をお読みいただき、ありがとうございました。

2000年8月19日

Thaz6

ご注意

「雑録 顔面痙攣」では、患者の視点で収集した情報をご紹介しています。記述には慎重を期したつもりですが、私は医師・薬剤師ではありません。「参考情報のひとつ」としてご利用いただき、ご自身の責任で専門家にご相談くださるよう、お願いいたします。私の長期経過はこちらです。

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