by D. (あーやの悪友)
私の父は某社のMRを30年間勤めていた。それがプロパーと呼ばれていた、いまより遙かにドロドロとしていた時代から、父の仕事を私は誇りを持って見ていたし、父も辛い日々はあれど実に充実した仕事をこなしていた。そのことには間違いがない。しかしそれと同時に、そういった誇りを持てるまでには相当な困難があり、また父にはそれだけの素質があったのだと感じさせられることも多い。特にいま私が医師として働くようになってみると、(ずいぶん上の先生たちが父について言っていたように、また同じ会社のMRたちが父についてそう言うように)父が如何に優れたMRであったかを実感するのだ......幸い、父が私の担当であったことはないが。
我が10年来の友人あーやがこの業界に入ってしまってからもう数年がたつが、このHPを見ているとMRという仕事の実際、そして要求されているものが理解しきれず悩んでいる皆さんの書き込みをよく見かける。そして時には若手のMRがどうして良いか分からない時の相談相手を頼まれたりもする......まだ3年目のぺーぺーにもかかわらず、だ。
そこでここでは、私の見てきた父の姿を通じて、MRという仕事についていま医療サイドに立ってみて感じることをいくつか書いてみようと思う。この稿が自分の進路に悩む皆さんにとって少しでも助けになれば幸いである。いまのMRにとって幸せでもあり、またやりにくいことでもあるのは、かつてに比べて交際費の使い方がはるかに贈賄側・収賄側(笑)双方で制限されるようになってしまったことである。特に公立病院の一部では説明会のお弁当ですらもはや過去のものになりつつある。もちろん学会旅費なんて遠い過去の話、いま確実に残っているのは文献検索とその提供くらいだろうか。これとてインターネットの普及で検索そのものは医師が行う例も多い(余談だが私の小学生時代の家での計算用紙は全て文献検索用紙の裏であった)。もちろんこれらは私立病院ではこの限りではないし、古い感覚でタカる医師もまだまだ多いが、製薬会社側は既にそのような交際費を絞るようになって久しい。某市民病院前院長の汚職事件は大きな話題となったが、MRたちは一様に「一体あんなカネ、どんな会計処理で出したんだろう?」と(渦中の会社のMRたちですら)首を傾げたほどである。
父の会社は外資系のためそういった接待漬け・値引き合戦から手を引くのが早かった。値引きといえば、いまの若いMRの皆さんがこの言葉をご存じかどうかわからないのだが、"10+4"(10本買えば4本おまけ)やら"10+6"は普通の話、"10+8"や"10+10"を受けるかどうかはMRたちの成績とプライドの兼ね合いだったという。父はプライドを持って"10+8"は決して受けなかったそうだ。それでも営業成績は常に上位にあったのだから素晴らしいものだ。
しかしそういった売り方ができなくなってくると、MRにはよりアタマを使う必要がでてくる。薬学部や理学部など、理系出身のMRが増えてきたのもこの頃である。とはいえ、医者というのはそんなにアタマのいい連中ではないので、薬の長所ばかり強調して宣伝しまくっても決して薬は使ってくれない。この辺、競合品のない薬を持っているメーカーはとても強いし、そうでないメーカーはどんどん苦しくなり吸収合併して薬を統合してゆく。最近は吸収合併の第二変革期とでも言うべき厳しい時代に入っているが、これをすすめているのは薬の開発費用・開発規模の問題(日本での新薬の承認に海外の治験を用いることができるようになり、また国内の治験がどんどん難しくなっていることと、開発費用がどんどんふくらんでいること)のほかに、こういった日本国内での薬の売り方の変化が大きいように感じられる。そういった時代になり、医者はどんなMRを認めて薬を買うのか?ここで営業の原点に立ち返ったMRたちは生き残ってゆくことができる。MRには試験もある。薬学の知識も必要。しかし何よりも大切なのは営業というものと、そういった人付き合いが好きかどうか、そういった能力が問われるのである。営業だけのMRの時代はカネがなくなったときに終わった。知識だけのMRは長続きしない。医療業界というのは実に裏表のある業界であるが、その実、そこで働いている医者や看護婦という人種は本当に良くも悪くも世間知らずで、また愛すべき人間くささがある。これを好きになれるかどうかがMRとしてやっていけるかどうかの全てである。医療制度は変わるし、患者さんの病気は治るときには治るし治らんときには治らない(もちろん俺たちは常に全力を尽くしているぜ)。そういったところに理想を燃やしても、残念ながらMRといった仕事自体は無力である。
医師と話のよく合うMR、医師の趣味をよく知っているMRは好かれる。しつこすぎず、それでいて何か聞きたいときに常に近くに来てくれるMRはとても助かる。インターネットのつなぎ方、コンピュータに詳しいMRは重宝されるし、日本橋(東京は秋葉原か)に代わりに行ってくれるMRは最高だ(医者は基本的に昼間に買い物にでることができないし、若い医者は土日も当直でなかなか出歩くヒマもないのである。もちろん代金はきちんと預けてのことである)。コ○ーソフト(違法です)やらウ○画像(違法です)をくれたりする人も......。接待でないゴルフは大歓迎(だが、最近はそれも難しくなりつつある)。どう?営業のやり方が見えてくるでしょう?名前と顔を覚えてもらい、そのうち医者が薬の使い方なんかを聞いてくるようになったらこっちのものである。
但し医者の動態をつかむのは最低限必要なことである。私の父も外科の手術日に夜の2時まで待っていたりしたらしい。たとえば研修医にも変わらず接してくれるMRはとても好感が持てるが、その科で研修医に薬の選択権があるのかどうかは知っていて欲しい。私は実は研修医の分際でクリティカル・パスの制作までやっていて汎用抗生剤まで決められる立場にあったのだが、そのことを知っていた少数のMRは私の「MRSAを出しにくく、アレルギーの少ない、看護婦の使いやすい抗生剤は?」という問いに的確に答えてくれ、その中で自社の薬を適度に宣伝することができた。MRとは「そんな仕事」なのである。しかしそれは屈辱的なことか?NO!こんなに楽しい営業はない、少なくともそう感じられないのならこの仕事は選択するべきではない。
私の父は「そんな仕事」を完璧にする人だった。そうして医師たちと個人的にも親交を深めてゆき、息子の私も多くの立派なDr.とテニスしたり山に登ったりヨットに乗ったりバーベキューしたりしたものだ。そういった医師たちを見て、自分は医師になろうと思った。父は大いに応援してくれた。そして医学部に合格したとき、そのDr.たち数名は僕にお祝いをくれた。医者というのはそういう義理人情の中で生きている独特な人間であり、彼らを相手に働くのはある意味とても楽しいことなのだ!
父はそれだけの営業成績を挙げている凄腕だった(ある県から異動することになったとき、他社のMRたちは大喜びしたという)が、昇進には縁のない男でもあった。上司に手柄を横取りされ、異動した先で前任者の麻雀のツケを払わされ(しかし古風な男である父はそのことを一切会社に報告しなかった)、単身赴任で行った遠方の地では現場を何も知らない自分より年下の上司にこき使われ、と会社人間としては散々の人生だった(←オヤジ自身がどう思っているかは知らないが)。しかし仕事そのものは大好きだったし常にそれなりの成績を挙げていた。何度か開業する医師たちから事務長就任の誘いもあったらしいがそれを断り、現場にいることを第一に望んでいた。
幸いにも、同僚の多くが肩たたきされるこの年令(55歳)になって、父のそんな能力を上層部に残った同期の友人たちがよく知っていた。三顧の礼を持って迎えられ、現在は若いMRの教育担当となって指導と新薬の説明に忙しく走り回っている。私はそんな父を心から誇りに思っている。そんな私は産婦人科医となり、時々は父の会社の薬を優先して使ったりしている。未だにMRさんやら父を知るDrから「あの**さんの息子さんですか!?」と言われることが多い。医者の息子でもなければ、このようなことはめったにないことである。私に父と同じ仕事ができたかと言われれば、それは絶対にできなかった。医師の一部にはMRを低く見る人間がいないわけではない。しかし私がそう言うのは決してそのような意味で言うのではない。あれほど人間を知っていて上手く人とつきあっていかなければならない仕事は、それはある意味では医師というものもそうなのであるが、私には難しかっただろうという意味である。
そこまで理解してこの業界に入る人には、ぜひそれだけの向上心をもって働いて頂きたい。製薬業界での営業は流動的で、それでいて収益のある、とてもやりがいのあるものだ。いつまでも人間とのつき合いと、そしてご自身の勉強に対して積極的であって欲しい。......私の父がそうであるように。
2001.4.29.
某病院の当直中に.....BACK TO HOME