北勢町であそぼう

北勢町紹介

北勢町であそぼう

北勢町の地名

八幡祭

まんぼ

校歌

阿下喜小学校校歌 北勢中学校校歌

引用・参考文献

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北勢町紹介

北勢町は、三重県の最北端に位置する町です。
東には養老山地、西には鈴鹿山脈があり、
岐阜県・滋賀県と接する緑豊かな町です。

町の花
アジサイ
たくさんの小花が集まって、見事な「手まり型」になつアジサイ。「すべての住民が結集し、平和で豊かな町づくりを」とい願いが込められています。
町の木
ヤマザクラ
4月初め、赤褐色の新葉とともに花を咲かせ、野山を彩る、なじみの深い木です。
町の鳥
ヤマドリ
キジよりやや大きめのわが国固有の鳥で、「縁起が良い活力ある鳥」といわれます。

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北勢町であそぼう

  • 養老の裏滝
    奈良時代の行基の開山といわれる東林寺の境内にある「白滝」。養老山脈から、東に落ちる滝が養老の滝なら、西に落ちる滝は養老の裏滝!? 涼しげな白滝の音を聞きながら森林浴してみてはいかが? 東林寺本堂わきの一角にある「宝篋(ほうきょう)印塔」は、南北朝時代の仏塔で、三重県の文化財に指定されています。
  • 寝がや
    イチイ科の常緑高木であるカヤは、通常直立した大木となるものですが、当南中津原の「ネガヤ」は、樹齢800年の巨幹を四方に低く張り巡らし、古くから「寝がやの木」と呼ばれ、たいへん珍しい木です。
    場所:北勢町大字南中津原
  • 員弁川散歩道
    員弁から橋から天王橋まで、員弁川右岸堤防を利用した全長2.2kmの散歩道です。コースはカラー舗装され、サイクリングにも利用できます。桜、アジサイの花が咲く頃には、花の道ができます。

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北勢町の地名

 

 

あげき(阿下喜)

 阿下喜は上木ともいわれるが「阿下喜根元記」によれば、『この辺は檜の大樹が生い茂っていたので、それを御用木に上げたからとも、上木が出たからともいわれる。また鶯(うぐいす)を局より内裏へ差し上げたところ喜ばれ、年貢を三分の一に減らされたので、阿(あまね)く下に喜んだから阿下喜といったともいう。』とある。
 しかし日本に漢字が入ってきた頃より向かし、縄文弥生時代にすでに阿下喜に人が住んでいたのであるから、その頃の人々がくぼ(低い所)に対しての高い所をいう「あげ」と小高い所を築くことから、小高い所という意のある「き」からから「あげき」と呼んでいたのではなかろうか。

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いぐら(飯倉)

 飯倉(いぐら)は飯倉(いいくら)があったからだといえる。昔は米を蒸して食べたていた。飯(いい)はその蒸してたべること、またはその米をいう。飯(いい)をしまっておく倉が飯倉(いいくら)である。飯倉は昔、神宮へ米を差し上げるところに作られた。そのイイクラが短くなって、イグラになったと考えられる。また、斉倉(いみくら)がイグラになったともいわれる。

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せぎ(瀬木)

 瀬木は、五鈴遺郷に、「水涯ニシテ堰ノ義ヲ名トセリ」とある。

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八幡祭

 毎年7月の第四土曜、日曜に行われる阿下喜の祭である。土曜日は、子ども御輿、日曜日は暴れ御輿といわれる大人御輿である。

 白装束に身を固めた集団が、御輿を中心に御幣、榊、高張提灯、旗を前後にして、鉦・太鼓を打ちならしながら、大西神社から町の中を練り歩く。各要所に設けられた各町奉納の「やかた」をくぐるごに、祭は佳境へと向かい、祭の終わりを惜しむように御輿は行きつ戻りつを繰り返し、神社へと戻っていく。

八幡祭の歴史

 幕末、西村の稲垣太仲が、八幡社は荒れはて神事がたえていることを嘆き、庄屋・組頭等を動かし祭礼を復興した。御旅所は御くじにより西村薬局堂と決め、木を十字に組み、御幣をたてて、嘉永2(1849)年6月15日は、村中総出の中をかつぎ歩いた。 

 人々は祭の復活を喜んだが、さらに立派な御輿をと、嘉永4年多度神社の御輿を借り、それに金紙・銀紙でいろいろな模様や紋所をきりぬいて飾り、祭の日には八幡溜で洗い浄めて、阿下喜初めての御輿の渡御をおこなった。初年は宮守がかつぎ、翌年からはくじ引きで、赤神、東町、北条、西村、町の順と決めた。

 八幡社から急坂を西南に下り見性寺参道にで、城山道を通り西進して町に入りさらに西進薬師に入る道は、その頃家も少なく夜は暗かった。それで多度神社から借り貰いになった御輿は、明治の中頃までかつがれた。

 明治の頃は八幡祭は宮守が主体であった。当番垣内の宮守が前年度の宮守から芥子菜の種子一斗をもらい、川岸の砂地にまき、実った実を刈って干し種子をとって、一斗を翌年の宮守に渡し、残りを売って、その金で御輿の費用一切をまかなったといわれる。

 幕末よりかついだ御輿は明治も末になると破損はなはだしく、ついに新しく御輿を買うことになり、明治32年京都で購入した。御輿205円、御輿の横棒43銭、御輿購入旅費3回で33円21銭、荷造り用渋紙3円、さらし3反1円15銭だった。京都からかついできたとも大八車でひいてきたとも言われるが、御輿が到着した日には氏子は喜び村外まで出迎えたそうである。

 新しい豪華絢爛目を御輿を誰が最初にかつぐか激論となり、結局その年は村内総員・赤神・当番垣内と3日にわたりかつぐ事となった。またこれまでの御輿は小さくかつぎ棒は縦2本であったが、新しい御輿は大きくかつぎ棒4本となったので旧道は狭く通れないので、道順を変更せざるをえず八幡社から急坂を下り、野畑道を下って、濃州街道に出、それを西進して町に入り、町を北上島田宅の前で左折、西村の薬師堂にいたるように変更された。

 八幡祭の道順はその後明治40年八幡社が大西神社に合祀されたので、大西神社から西町を東進、町に入り、新角屋前を左折、御旅所へという現在の道順になった。

 5垣内が順にかついでいた御輿は、本町の人が少なくなり昭和47年から赤神と本町合同でかつぐようになった。

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まんぼ

 天明の飢饉に続く百姓一揆の続発の中で幕藩体制のゆるみがみえ、地下道規制がゆるみ、秘法とされていた治田銀山の坑道掘りの技術がもれ、また一方土木技術の著しい発展がある中で、水不足に悩む農民は湧水に目をつけ、より多く地下水を集めようと、崖下のちょろちょろ流れる出水から奥へ奥へと掘っていった。

 まんぼは、富農が資金を出しては掘らせ、自分の田に水を引いた。あまれば「水代」をとって他へもまわしていたところもある。また自作農が自らの田の水のために掘った小さいまんぼもある。まんぼには、多良平まんぼ、八重次まんぼ、太仲まんぼ等掘った人の名がつけられている。

 多良平まんぼは、幅50センチ、高さ80センチほどの石垣で囲まれた出口がある。石垣は30メートルほど奥まで続き、腰をまげれば奥まで入っていける。水は夏は冷たく、冬は暖かく、天然の冷蔵庫である。

 まんぼ掘りは、粘土層の上を出口から奥へ掘り進んだ。つるはしを使ったが、柄を短くして狭いまんぼの中でも使えるようにしてあった。掘った土はじょうれんでさらえ、竹で編んだ直径30センチのかごにひもをつけた「そり」に入れ、腰にくくりつけて、四つんばいになって引きずり出した。まんぼはカンテラをかざして水の出る方、出る方を見定めて掘り進むので自然に水平になった。奥深く進むにつれ20メートルおきに縦穴を作った。縦穴は体がどうにか通れるぐらいの大きさで、直径70センチぐらいで、井戸のように石組された。土の軟らかい崩れ易い所には石をつんだ。上へ行くほどひかえの長い石を崩れないようにした。縦穴は浅いところで2〜3メートル深いところは9メートルもあった。

 まんぼさらえは、田植え前の4月頃に行われた。落ちた土を竹かごに入れ、さらえ口(縦穴)から引き上げたが、水が出てくるところは崩れやすく、まんぼさらえは命がけだった。しかしさらえないと水漏れして、止まってしまうので、1年に1回は必ずしなければならなかった。雨の多い年など、あちらこちら崩れていて何日もかかった年もあった。縦穴の周囲には、まんぼをさらえた土や石が今も小山のようになっている。

 

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いよよ励まんこの庭に


玉もみがきて光そう


伸びゆく我らこのからだ

・誠のこころ胸に満ち

 


誓いて学ぶこの庭に


あとつがなんといそしみて


学びを終えし人びとの



・桐の林にすがすがと

 


集いて学ぶこの庭に


ほまれを高く荷ないつつ


日びに栄ゆる我が里の

・天の恵みに地を占めて

 


阿下喜小学校校歌


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使命重し

わが北勢中学校

希望に満ちて

いそしまん

明日に備え

今日の日を

ここ鳥坂の学と吾れ
・北伊勢の地を

見下ろして
 
光充てり

わが北勢中学校

玉と磨かん

我が力

たゆまずここに

集い来て

白亜の窓に

風澄めり
・さっそう明くる

朝の空
 
誇高し

わが北勢中学校

そのあけくれに

節度あり


蛍雪三年

この庭の

湧出る水に

淀みなし


原ヶ岳

雲晴れて

  米山

正夫

作曲
川瀬

一郎

作詞


北勢中学校校歌

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引用・参考文献

目で見る学区の歴史、阿下喜小学校PTA

 

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