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墓所から出てきた時、街は黄昏に染まっていた。
黄金色に染まった街角で、二人はしばし呆然と立ち尽くす羽目に陥った。
昼食の存在もすっかり忘れ、あの空間に閉じ篭っていたのだと思い知った瞬間、青年と少年は笑いを堪える事が出来なかった。そんなに長居をしたつもりはなかったのだけれど。
やはり、どうもあの空間は時間感覚を狂わせる何かがあるらしい。もし、次に訪れる機会があったとしたら…十分に考慮するべきだとそれぞれの心の中で決意する。
ひとしきり笑ってから、昼食を抜いた事実を思い出した途端に主張し始めた腹の虫を押さえながら静かな街中をカルベシア城に向かって歩き出す。
黄昏を示す空の色は、ヴァーミルと、あの少女の瞳の色を映したかのようだった。
彼等の瞳の場合、もう少し、金の色合いが濃く、神憑かり的なものも感じさせる。
…それも、近親婚ゆえの色彩だと思うと、口に出すのも憚れたが。
日暮れ時の風は微かに冷気を伴い、秋の深まりを示し、ヴァーミルの腫れた目許を存分に冷やしてくれる。きっと、明日もこの腫れは引かないままだとヴァーミルは少し情けなくも思うが、これは…ある意味での勲章だとも感じていた。
「部屋に戻ったら氷水で冷やした手拭いを当てて…一晩寝ればすぐに引くさ」
ニヤニヤと意地悪そうな笑みを宿し、ゲイルは振り返った。今の今まで少年の泣きっ面を見ないように努めていた姿勢は何処へ消えたのか。思った以上の腫れ具合に、ゲイルは片眉を上げた。
呆れというよりは、賞賛に近い態度だった。
そうやって声に出して泣ける事が羨ましいなどと、少年は気付きもしないだろう。
あの少女の事を想い、自分は涙を流してやる事も出来なかったのが、ゲイルには悔やまれてならなかったのだ。
もし、部屋に一人戻った後ならば、涙が込み上げてくるだろうか。それすらも怪しい。
半ば妬まれているのだと知らない少年は非難がましい視線をゲイルに向けている。
丁度良い位置にあるな、と身長の低さを気にしている少年の頭に手を置き、その淡い金の髪を思いきりかき混ぜてやる。手の下から「くそ〜〜〜っっ」という心底悔し気な声が聞こえてくるが、意に介さず、思う存分ぐしゃぐしゃにしてやった。
ようやく暴挙から解放されたヴァーミルは、むすっとした表情のまま、手櫛でぼさぼさの髪を直す。
ヴァーミルの髪は細く、夕暮れ時の朱に染まった光を受け、金紗のように輝く。
…薄闇の中、ぼんやりと浮かび上がった少女の白髪は、陽の下で過ごしていたならば、そんな風に輝きながら風になびいただろうか。
その様を見る事が出来なかったのは、残念と言うしかなかった。
「……墓標に刻まれた名、何であの老人に確かめたんだ?」
ふと、ずっと疑問に思っていた事を口にする。
未だに髪を撫で付けていた手がぴたりと止まり、それから、再び動き出す。今度は妙に動きが忙しかった。ただ単純に髪を撫で付けているわけではなく、違う意味合いを込めて手が動いていた。どうやら照れ隠しのようだ。
「あの…あそこに刻まれていた名が……本当にあの子の名前なのかなぁと思って…」
どうにも要領を得ない。
墓石に刻まれているのは、そこに眠る人の名であるのは当然だろうに。
もっと違う事情があるのだと悟り、これは是非とも聞き出さねばと決意を固め、ゲイルは楽し気に指の関節をボキボキと鳴らし、ヴァーミルに近付いていった。
「わっ、いや、だから、あの子の名前にびっくりしたんだよっ、これ、本当!」
身の危険を察知し、ヴァーミルは後ずさりながら必死に声を張り上げた。家の壁に背中をぶつけるまで後退し、景気の良い音が響いた途端、ゲイルは詰め寄るのをやめた。
ほんの数刻前まで王子であったはずの少年は強かに打ち付けた背中を擦っている。
「何でびっくりする必要があるんだ?」
「………その…」
言い淀むと、再び、青年の指がボキボキと鳴らされる。
横暴だ…と思ったかどうかは定かではないが、げんなりとした顔でヴァーミルはとうとう大人しくなった。
これからの毎日、この人に振り回される事になるのかと幸先不安に感じた事だろう。
しかし、青年に言わせればこんなものは些細なものであり序の口だった。そう、ゲイルの意地悪など、弟分を可愛がるゆえの行為であるから、大した事ではない。…第十三部隊の、荒くれ共の手荒く、けれど親愛の情を込めた『洗礼』はよほどの度胸が無ければ乗り越えられないかもしれない。
いや、それも新たな弟分に向けた愛情ゆえの行為なのだが…。
まあ、ヴァーミルなら乗り越えられるだろう、とゲイルは買っているのだが。鍛え甲斐があると皆は喜ぶに違いない。
目許の腫れが引いた後に待っているであろう『洗礼』の数々を予想だにしない少年は、ぼそぼそと真相を語り出す。
「片割れがいると知った時、僕は自分でその子に名前を付けたんだ」
「うん」
「あの子は、名前も付けられないまま川に流されたと聞いたから…」
「うん」
聞いているよ、というよりは「それで? 続きは?」という意味合いでゲイルは相槌を打った。
「それで……それで…………」
これはまた指の関節を鳴らさなきゃならないのだろうかと青年が思い始めた時だった。
「……同じだったんだ、墓標に刻まれた名前と!」
開き直ったのか、目をキラキラとさせながら、ヴァーミルは勢いよく顔を上げた。
哀しさもあるが、それよりも先に嬉しさが勝った、感極まった、といったところか。
「え?」
あまりの少年の変化に今度はゲイルの方がついて行けなかった。
思わぬ目の輝きに、反応に困る。
「僕が考えた名前と…彼等が考えてあの子につけてあげた名前が、同じだったんだ…! 僕が考えた名前が、あの墓標には刻まれているんだ…」
嬉しくて嬉しくて堪らない、とヴァーミルは目を輝かせながら満面の笑みを浮かべる。
心の中だけで呼び掛けていた名は、受け止める相手がいないはずの名は、現実にもその子の名前だった。
ただの偶然の一致。
けれど、ヴァーミルにとって、安易に『偶然』の一言で終えさせられるものではなかった。かと言って、奇跡だとか、そんな御大層な言葉を使いたいとも思わない。でも、そこに『何か』があると思わずにはいられない出来事だったのだ。
それに、投げかけた名前は、宙を漂うだけではなかったのだ。
空しさばかりが漂う王宮の一室で囁かれた名は、風に乗り、目に見えぬままでも、気付かないままでも、あの陽の届かぬ墓所へと…その奥でひっそりと生きる少女へと届いていたかもしれないのだ。
いや、きっと本人達が気付かぬところで、それは伝わっていたのだろう。
それを感じ取っていたからこそ、少女は死して初めて出会った外の人間…ゲイルにあの金細工を託したのかもしれなかった。
少年と少女が十回目の誕生日を迎えた日、あの墓守の老人や乳母など、事情を知る者達がこっそりと作り上げ、それぞれに手渡したささやかな…けれど大きな意味を込めた贈り物――老人の話によれば、細工職人が、王妃宛(ヴァーミルと少女の母か?)に注文を受けた代物から少しばかりくすねて作り上げたものらしい。なかなかどうして、こういう時ばかりは肝っ玉の据わった人々なのだ。
本来ならば少年と少女の手にあるべきものは、今現在、片方は本来の持ち主の手に、片方は昨夜まで何の縁もなかった青年の手にある。
そこに込められた意味を知った時に、その意味の大きさに、ゲイルはその金細工を手にしているのを躊躇いもした。自分がほぼ気紛れであげた鷲の紋章とはあまりにも込められた想いの大きさが違うと。けれど、そう思ったのはほんの僅かの間で。
ゲイルにこそ受け取ってもらおうと必死になっていた少女の瞳が思い出された。
そして、ゲイルがしっかりとそれを受け取った瞬間に浮かんだ少女の屈託のない微笑みを。
思い出してしまったら、どんな理由を付けても…返そうなどとは思えなくなってしまった。
堂々とマントの留め具として使うわけにはいかなかったが、少女が身につけていた時のように、細い金の鎖でも通して首から下げるのも良いか、と思う。無骨な自分に、あの豪奢な金細工はあまり似合わないであろうが…この際、それはどうでも良い。
そうやって、これからも色々な土地を巡るであろう、様々な季節を過ごすであろう自分が身に付けているのも、また意味ある事だと考える事にした。
今もこうして吹く当たり前のような風を感じぬままに死んでしまった少女。
自分の瞳に秘めたる色が空を一面に染め、世界をも染める事など、きっと知りもしなかったであろう少女。
感傷的な言い様だが、これから、知って欲しいと思う。
そうやって知るのも、また一つの方法である気がする。
生きている内に出会いが叶わなかったのは、本当に口惜しい限りではあったが。死して尚、出会えたという事実は…消えない。
夕陽が目に染みた、と聞いてもいない事に弁解しながら、ヴァーミルは目許を拭った。
黄金色ではなく、真っ赤な炎のかたまりと化した太陽が少しずつ地平線に姿を隠していく。
鮮やかなグラデーションが空を彩る。
蒼い影が地面に長く長く伸びていた。
美しい、夕焼けだった。
「……今日は、泣いてばかりだ…」
何処へ行っても泣いている。
今日出会ったばかりの人の前で通算三回も(どうやら今のは彼の中では『泣いた』内に入らないようだ)泣いてしまった。
不平を漏らすように少年が呟くが、満更でも無さそうだった。
「…そんな日もあるさ……」
青年は、静かに呟いた。
その口元に描き出されていたのは、頼もし気な笑みだったりするが、それを少年が目撃していたかどうかは疑わしい。
けれど、茶化すでもない声音だけで、少年は十分だった。
大きな伸びを一つし、大小異なる影は、取り敢えずの家路へと急いだ。
金で象った片翼が、最後の夕陽の欠片を浴び、柔らかな光を放った。
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カルベシア城の城郭の一角に、亡霊が現れるという噂が広がったのは数日後の事だった。
現国王の手によって殺されたかつての寵姫が無念の内に現れたものだとか、大スキャンダルの後に自ら命を絶った某婦人が自分を捨てた不義の相手に対して恨みつらみを込めて現れたものだとか…とにかく泉から水が溢れるがごとく次から次へと根も葉も無い噂が飛び出てきては消えていった。
ただ、不思議な事に。
この亡霊は、幽霊や物の怪の類の定説を覆すかのような出現の仕方をした。
闇夜ではなく、月や星の美しい夜に限って現れるのだ。
鮮やかに星が輝く夜に限って現れる真っ白な少女は、銀に輝く髪を風に翻しながら、城郭の縁に危な気無く腰掛け――幽霊なのだから当たり前なのだが――、気持ち良さそうに目を細め、ただ空を見上げているだけなのだという。
その瞳は、血色に輝いていたというが、真にそれを目撃した人間は一人としていなかった。
その年の冬、エレンツ国軍によってカルベラント王家が滅亡し、いつしか繁栄と栄光の下にあった旧都カルベシアや荘厳極まりないカルベシア城までもが寂れた空気を伴うようになった幾霜の後も、その亡霊は星々の美しく輝く夜に現れたという。
その胸元には月の光を受けて銀に輝く首飾りが踊っていたというが…真偽を確かめた者は誰もいない。
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