教員採用試験体験記
激動2002「私はこうして職を得た」
〜もくじ
<東京都教員採用ダイジェスト>
<私学適性検査と非常勤講師への険しすぎた道のり>
<付録>

 まず簡単に、1次試験までの道のり。
 そもそも、2002年実施の教採は参加するだけ参加してみて、駄目だったら院でも塾でもどこでもいいと思っていたのに、ボクをその気にさせてしまったやつらがいる・・・。実習先の子どもたちである。
 「センセェは先生になったほうがいいって、絶対に!!」などと、純粋な瞳で訴えられたら、そりゃちょっとは考えますな。で、参加することから勝ちに行くことへ方向転換したのが6月21日。1次試験まで3週間くらいの頃であります。
 とはいえ、勝ちたいと思ってなかったのでろくな準備もせず、論文は書き方すらわからなかった。たまたま大学の教育実習指導担当が教員就職指導室の方だったので、実習終了報告に顔を出したら「あとは本番の試験に受かることね」と、なぜかすでに教採への意思があるように話が進んでいた。で、論文指導はこの先生にお願いすることに。ただでやってもらえるなんてなんてうれしい制度なんでしょ。ありがたく利用させていただく。なんでも、卒業後もOKらしい。終身保障である。てぇしたもんだよ教育学部
 というわけで、サイレンススズカの弥生賞並に出遅れていたボクですが(喩えが古い)、とりあえずあらゆる試験対策の基本である「過去問題集を取り組む」ところからはじめてみた。就職指導室の過去問題集を借りてしこしこやってみたが、一般教養は多少わかるが、教職教養は全く手がつけられず。そこで、思い切って教育心理をオミットし、学習指導要領と簡単な教育史を、テキストを買って勉強し、付け焼刃で知識を詰め込んだ。
 東京の問題って、なんか曖昧な選択肢がこれでもか(といっても5択)と並んでおり、注意深く読んで答えないと、早合点が命取りになることを知る。そして、どんな引っ掛けが用意されているか、なんとなくだが空気が読めたのである。それは、簡単に言うならば、「いかにして責任逃れをするか」というものを選択すれば間違いないということである。
 「いかにして責任逃れをするか」の鉄則は、当たり前だが「報告・連絡・相談」であり、誰が言い出したかこれらを「ホウ・レン・ソウ」と覚えるのだそうだ。かいつまんで言うと、何か問題が発生したときは勝手に判断したり、他の仕事をほったらかして扱うのではなく、上司に任せておくのが第一優先ということ。だから、どうしても世話焼き根性の強い人は、最初から最後まで自分一人で面倒を見たがるが、そうではなく、そういうことはみんな管理職に任せるというような選択肢が正解なのである(これが実際の教育現場で本当にいいことなのかは別問題だが、問題設定が「新任教師のAさんは・・・」になっているし、選択肢5個のうち4つは明らかにおかしい部分があるからよしということで)
 学習指導要領総則なんかも、同じ傾向がある。だいたい、非常識だよなという選択肢は明らかに間違えであり、問題文を読まなくても5択から2択に絞れる。ただまあ、常識・非常識の線引きにはある程度の知識は必要で、教職関係法規などは少々マメに覚えておくことが必要である。
 そんな感じで、教職教養はモロ付け焼刃。しかも、まともに知識を叩き込んだのは直前の3日間くらいである。しかも、ヤマを張っている。それでも、上記の鉄則で9割は取れた。一般教養は感想として「現役で勉強した時期から離れるほど不利になる」ということが言えるかもしれない。つまり、若いうちでないと勝負は厳しいということか。あとは、都政マニアになることだ。大江戸線がどうやって走っているか、その技術は、目的は、なんてところは鉄っちゃんでなくとも必須である。
 (技術は、有名だがリニアモーターで動いている。そのため、車両を小型化することができ、つまりトンネル断面が小さくて済む。ということは工費も節約できるというわけである。しかし、工費が浮いたぶん駅の装飾に凝っているから結局一緒のような世論があるが、世論は世論で東京都は東京都。)
 いくつかのHPで自己採点のために答えを言い合うところを参考にして採点したところ、一般と教職で45/50の正解数。音楽の世界で生きてきたのに、「交響曲に合唱がつくはずないじゃん」という巨匠ベートーヴェンの代表作「交響曲第9番」を無視した大変失礼な判断で一問落としたのがいまだに悔しい。
 問題は専門教養および論文。論文は丁寧な指導のおかげでかなり自信がついていた(それでも3本しか書いていない)。専門は、一般に大学入試の過去問をやるとよいというが、ボクは特に準備らしいことはしておらず、専門のためにやった四字熟語が一般教養に出され、ということは総合的に見て何も専門対策らしきことはやってないということが言える。
 専門の問題は、ハッキリ言って、どれが答えでも反論が出るような実に曖昧な選択肢ばかりで構成されている。しかもマークシートだから、正解がひとつしかないわけで、ほんのちょっとの誤りが積み重なって大減点につながる恐れがあり、マークを塗る鉛筆がダービーの常滑本場で滝沢から勝負しようと思ったときと同じくらい震えた。
 これらマークシート問題は、消去法が最も有効な手段である。とにかく、事実やセオリーと反する内容や、自分で責任をとろうという姿勢の見える選択肢はすべて消す。その際、○×だけでなく△もつけておくことが有用だ。なぜなら、全部×だった場合、あせるからだ。判断保留というものは△。
 ボクはこてこての文系なので数学が苦手だ。25のような問題は、しこしこと筆算を繰り返して解いた。90分という時間設定に感謝。
 トリは論文である。一応自信はある。この時点では、あまり専門の手ごたえがよくなかったので、論文に全てを賭けていた。頼みの綱の論文。問題が配布された。透けて見える。Aの問題。なになに・・・ あっ、そういうことは隣のやつに聞いたほうがいいよ、というような問題文が透けている。ナ〜ニ、選択問題だ。Bの問題があるじゃないか、と思ってめくって、しばらくして脂汗が出てきた。うーん、そういうこともやっぱり隣に聞いたほうがいいよ・・・。
 結局A問題を答えたが、問題文に即しているように見えて、自分の言いたいように書かせていただいた。
 論文は最悪、専門もよくわからん、教職・一般教養は付け焼刃のくせにあまりにも出来がよすぎて、多分みんなできているだろう、これじゃ差がつかない。たぶん駄目かな・・・ だいたい現役で付け焼刃で受かろうなんてムシがいいにもほどがありますよ。みんな何回も苦労してやっと受かっている人ばかりなのに。そんな気持ちで迎えた8月12日、都庁。インターネットでの発表は13日からということを忘れ、ずっとPCの前で粘っていたが、その無意味な行動に気がついて3時頃いそいそと出かけ、目にした掲示板に自分の番号と同じ番号が掲示されているのを見つけた。
 わが大学では、2次試験対策講習会という非常にありがたい講座を無償で開催してくれる。学費もろくに払っていないのにちゃっかり利用させてもらった。
 模擬授業はまあまあだったのだが、個人面接で「いいこと言ってるのに声が小さいから駄目なんだよ!」と指導される。そうか? なかなか自分の声の大きさは意識できないもんだしなあ・・・。とにかく、はきはきすることが大事だ・・・と。指導案は少々駄目出しを食らったが、これを素直に受け止めていれば2次試験で不利益を被ることがなかったかもしれないなどということは、このときのボクはまだ知る由もなかった。
 指導案。教育実習の指導案を利用するも、研究授業のものだってまともに作成していないのに、研究授業の第3時そのままではただの机間巡視しかすることがないので、本番までとうとう指導案らしきものを作らなかった第4時の指導案を、忘却のかなたから現在に移植して、でっちあげた。だいたい、実際の第4時の授業は雑談とか授業を終えての感想文を書いてもらう時間を入れて50分の授業だったので、教案に盛り込めるような内容はほとんどない。だから、いかにして50分の授業をでっちあげるか、それが課題だった。
 健康診断書。なんでも国公立の病院だとか、御茶ノ水の三楽病院だとかいう、指定したところが原則だとかもう何とかいろいろ制約があったのだが、うちから一番近い国公立病院である都立墨東病院は「うちはやってないのよ健康診断」と門前払い、三楽では「今日はもう内科は終わりました」と冷たく突き放され、仕方ないから近所のかかりつけの総合病院で済ませた。¥8,250.-は、少々相場から見ても高いか? 近所ではあまり評判のよくない病院らしいのだが、ちゃんと診断書を書いてくれればヤブでもサラシナでもなんでもいい。それどころか、ボクの中では三ツ星病院である。病院のミシュランってちょっとヤだけど・・・。
 面接表。とりあえず名前だけはちゃんと書こう。奉仕活動なんて、無償の活動は中学校の部活の指導だけだ。全体に吹奏楽のことばっかりの印象なので、介護体験でやったことなんかも書いておいて損はないだろうと中学校の校長先生に言われ、母子生活支援施設での体験を適当に書く。だいたい、勉強でも見ててくれると助かるとしか言われていないから、それしかやっていないのに、レクリエーション活動なんかをやったことにした。実はウソばっかりの面接表である。
 さて、書類の準備は整った。校長先生にも会って、上手くいったらまたおいでと言われる。そこをなんとか上手くいくようになりませんかねえ・・・。
 2分間スピーチも時計を見ながら練習。指導案の説明なんて5分間指導案見ながらしゃべればいいだろ。
 ふぅ・・・。なんか、ぜんぜん緊張しない。前日ってみんな何かしら緊張するものだろうに、ボクは江戸川競艇にいた。大江戸賞のほうが気になると言うのもどうかね。なんとなく、もう受からないような気がしていたのかもしれない・・・
 運命の朝。目覚めは普通。ちょっと寝不足気味で、いつもだったら二度寝の基準値を満たしているのだが、今日は寝るわけにはいかない。パリっとしたYシャツを着て、ブレザーを羽織っていざ、出陣。
 東京都は不親切だ。通知書のどこかに入り口の案内地図を載せておいてくれてもよさそうなものの、そういうのは一切なし。ぐるりと270度回ってやっと正門に到着。15分前まで入り口で待機させられる。
 ほんとは集団討論→個人面接がよかったのだが、あいにく個人面接→集団討論の組に。この時点で既に嫌気がさす。集団討論でテンション上げておいて、個人面接になだれ込むのが作戦だったのに、敵もさる者、こっちの手の内はお見通しである?
 で、われわれの組は被服室で待機。しかも3班で一番最後。1時間ほど待たされてからの面接である。大学の講習会で会った人と再会。こっちは覚えていなかったのだが、それもそのはず、あちらがボクの模擬授業を見ていただけだそうだ。「上手かったですよね、模擬授業。えっ、現役なんですか? 信じられない。もう、あの時点でやられたと思いましたもん。」と、持ち上げられる。ちょっといい気分。調子に乗るなよ・・・。
 小一時間ほど待たされ、いよいよ個人面接である。
 面接官は三人。
 @左は早口だが印象のいい、おじさまタイプの面接官
 A真ん中は頭髪の薄いおっさんタイプの面接官
 B右は上品で日常では「ざます」という助動詞を多用していそうな感じのおばさまタイプの面接官
 入り口近くの机に荷物を置き、受験番号・名前を名乗れと言われ、さて何番だったかと少々思い出しつつ、名乗る。
 「指導案について、そのねらいと流れを5分間で」と@に言われ、言われるがままに説明を始める。「ねらい」と言う部分が妙に引っかかり、なんだかよくわからないけど一生懸命教案について説明した。何をどう説明したか覚えていない。とにかく「ねらい」という言葉に全てのバランス感覚を奪われ、翻弄されるがままの自分に情けなくなってしまう。Bの指がベルに向かう頃、説明を終わりの方向に持っていく。いつどこでもコーダ(終わり)を持ってこられるようなフレキシブルな話法。普段のいい加減なレポート作成の文体がこんなところで役に立つとは。
 次は模擬授業である。指定される部分としては導入か展開の一番最初を想定していたが、なんと@は「展開の途中にあるCの部分からお願いします」ときたもんだ。おっと、それは止してほしかったのだよ。実は、講習会のときのダメ出しと言うのが、「展開が二つに分かれている教案は見たことがない。ひとつにしたほうがいいよ。」と言われていたのである。ああ、言うとおりに分けないでひとつにしておけばこんな中途半端なところから始めることなかったんだ。自分の変なこだわりが自分のペースを思いっきり乱した。
 チーンと鳴ったらはじめるわけだが、Bはこのチーンを「鳴らしてもよろしいでしょうか?」と、丁寧に聞いてくる。ここで時間をとってゆっくり考えていれば少しはマシな模擬授業になったかもしれないのに、あんまり長く考えていると印象が悪いかもと判断し、ドつぼに嵌まる。まるで足あわせでキャビってくるくる回る濱野谷みたいだ。
 冷静さを欠き、しかも教案の真ん中の方にして実はその中身は空っぽで話すことなんか無いという場面から、いったいどのように5分間持たせられるか。んなとこやらせたっておもしろくないよと思いつつ、一人芝居。・・・空しい。
 ちなみにボクはこの一人芝居をシャドーボクシングよろしく「シャドー・ティーチング」と名づけたところ、それはセンスのいいネーミングだと教育実習担当教諭からお褒めをいただき、以来いたるところでこの名称を使用している。特許取ろうかな・・・。
 話すことはすべて終わった。まだチーンが鳴らない。まだか、まだか、まだか・・・。これ以上ボクからどんな情報を得たいと思っているんだろう。適当なことを適当に述べ、自分でも何言ってんだかわからない。あ゛〜っ!
 チーン。
 @が、「教育実習と同じようにできましたか?」と聞いてきたので、「実習ではきちんとした教案を書いて授業はせず、生徒の顔色を見て臨機応変に授業を進めたので、はっきりいってやりづらかったですね。」と正直すぎる返事をいう。なんて素直なこたえなんだろう。
 「途中からでしたので大変だったでしょうね」と@に言われ、ついつまらない愛想笑いを浮かべてしまう。そう思うなら大変なところから指定しないでいただきたい。
 動揺を引きずりつつ質疑応答へ突入。
 まず、@だ。「あなたが教員になって、どんな教育サービスが提供できますか」というので、「部活動」と答えた。
 問題は次のAである。「教員を目指したきっかけはいつどんなときでしたか」というので、「大学1年の時に母校の吹奏楽部の面倒を見て、その生徒にすごくありがたいことを言われたからであります(要約)」と答えたら、「えっ、大学に入ってから教職を目指したの?」とやたら驚かれる。えっ、大学に入ってから教職目指しちゃいけねぇのかよ。(江戸っ子ですから)
 「はい、そうです。」ウソではない。
 「じゃあ、なぜ大学で教職をとろうと思ったわけ?」という質問には正直に「本当は国語をやりたくていくつかの大学の文学部を片っ端から受けたのだが、たまたまW大学の教育学部国語国文学科に受かったので入っただけです」と、言ってはいけない(らしい)大学名を口を滑らせて言ってしまった
 (後日談=どうもこのAは、吹奏楽をやりたいのにどうして国語科で受験しているのかが知りたかったらしいということに気がついてしまった。だったらそう言えばいいのに・・・)
 「最近の教育問題の中で気になっていることはどんなことですか?」という質問も、
 「たとえばいじめですとか、教育問題ではなく社会問題かもしれませんが、中高生のインターネットなどによる犯罪への巻き込まれなどが気になります」などと悩みつつ自信なさげに答える。それにジャブを入れるA。応戦するボク。明らかに劣勢だ。
 Aの質問が終わり、ホッと息をついた。Bはどんなことを聞くのだろう。
 「奉仕活動について、この母子生活支援施設での活動について説明して下さい」という。
 「それは介護等体験で行ったもので、時期的にちょうど1月だったので、中学生には受験指導、小学生にはお菓子作りですとか(やってないけど)スポーツ大会ですとか」
 「それは個人でですか、それとも何かのプログラムによるものですか」
 「ええ、ですから介護等体験で(って言ったでしょ)大学から派遣されたものです。」
 「あなたの長所と短所は?」
 「長所は、不言実行。短所は、口を突いて傷つけてしまうような言葉を発することです」
 「それ(短所)によるトラブルがありましたか」
 「あったと思います」
 いやなことばかり聞くザマス。
 「保護者会などで先生の考え方と保護者が対立することが想定されますが、そんな時あなたならどうしますか?」
 「自分の教育に関する方針を説明して、納得してもらいます。」
 「では、その方針は学校の教育方針とどのように・・・(省略)」
 「それはもちろん、共通理解・共通認識を持つことは重要でありますから・・・(以下省略)」
 「運動部で何か指導できる部活はありますか?」
 「運動は苦手でして・・・」
 「例えば水泳部に夏だけでいいからついてくれと言われたら?」
 「水泳なら大丈夫ですが、知人ですとか体育協会などからコーチを派遣してもらって・・・」
 吹奏楽だとか、得意な分野については全く聞かれず、自分の弱い部分を徹底的に攻められ、心身ともにヘロヘロ。こんなの、絶対ダメだって。
 死んだ子の歳を数えてもしょうがないと、気を取り直そうとするものの、最後の組だったのでそのまま集団討論になだれ込む。気を取り直す暇も無く。
 討論は、ボクらの組だけ一人欠席で、5人で討論だった。「5人しかいないんですよねぇ」と、これから団体戦に行く戦友に声をかけられ、「そうですねぇ、きっと中身の濃い討論ができるかもしれませんね」などと的外れなことを言うボク。
 われわれ5人は案内されるがままに席に着き、各々自己紹介を兼ねて自己アピールを2分ずつ行う。他所での情報によると、チーンからチーンまでが2分間きっちり与えられ、早く終わってしまうと無音の時間が生じて気まずいらしかったので、なんとか2分フルにしゃべるように練習したのに、実際は早く終わってしまったら、「あ、よろしいですか。では、次の方どうぞ」だって。
 ボクはEさんだったので、他の4人のアピールを聞いた後でトリを飾る。しかし、ここで過去一番いい自己アピールができたと思う。「自己紹介の2分間は、唯一自分の売込みが認められている時間ですから、短所なんかを言うよりもどんどん自分を売り込んだ方が得策です」という講習会の指示を素直に受け止め、とにかく自分に都合のいいところしか話さなかった。
 討論の課題は、
 国語に関する調査で外来語や外国語が多く日常生活に取り入れられているという実感を持つ人が8割を超えている。
 @このことについて、あなたは「好ましい」と思いますか、それとも「好ましくない」と思いますか。それぞれ、理由を明確にして自分の意見を発表してください。
 Aこのような傾向が生じている背景として考えられることはなんだと思いますか。
 B言葉遣いなどの問題と結びつけて、どのような表現が望まれていると思いますか。
 Bに関しては、議論がそちらまで展開していかなかったのでうろ覚えである。違うよという人は掲示板かメールにて。
 あの問題用紙には名前を書く欄があり、回収されてしまうのだが、あれって審査の対象になるのかな。あんな落書き見てもしょうがないと思うが・・・。
 まず、@についてランダムに全員意見を述べた。だいたい、どちらかに賛成という人の出た後に、「それは状況によるのではないか」という意見が出る。そこでCさんが、「ジェンダーセックスみたいな、もう日本でかなり認知されている言葉は積極的に使って言ってもよいのではないか。」と、口火を切る。それを受けて、「例えば外国から入ってきた学問分野のテクニカルターム(専門用語)は、訳したところで意味は一対一の関係が成り立っているわけだから、訳すとかえって煩雑になるのではないか」と意見したら、なるほどそうかもしれない、ということで、話し合いはトントンと進んだ。
 議論の展開はそれとなくA背景に移っていく。現在の社会構造が、他人との関係を築いたり保ったりすることが希薄になりつつあるというAさんの意見。それを聞いて、「多分それは日本古来からの中心周縁理論の上の内と外の関係に即しているかもしれない。で、今の社会はその構成単位がとても小さくて、しかもその中でだけのことを知っているだけでも、明日のご飯は大丈夫という構造が、他人や他所の人との交流を妨げている原因かもしれない。」と発言。
 どうしても自分の発言ばかりを記憶してしまっているが、議論の最終段階でDさんがあまり発言していないということに気がついた。大丈夫か? 誰かが気を利かして、「Bについてみなさんはどんな意見をお持ちですか」とDさんに振る。Dさんが待ってましたと答える。それに対してボクが勝手なことをちょろっとつけくわえたところで「チーン」。
 雰囲気は飲み屋で話しているのに似て、終始和やかな雰囲気であった。ちょっと思いつきでしゃべってしまったきらいがあるが、議論をぶち壊すようなひどい発言をすることも(たぶん)無く、あとでAさんに「いろいろ鋭いことを言ってくれてのでそれに乗っかっているだけでよかったから助かった。」と言われ、年上にそう言われるのはうれしいと、素直に喜ぶ。
 皆さんに感謝です。ボクとしてもかなりためになりました。
 そのあとの質疑応答は、あまりかっこいいことは言えなかったが、とりあえず50点くらいの発言でまとめる。5人のうち一番に発言してしまったので、他の人の発言を聞きながら考えをまとめてもよかったかもしれない。うん、その方がよかった。
 とにかくも、インからスタート遅れて1マークでキャビったが、カドまくりに3コースはアンコにされ、2コースとカドまくり艇がけんかをしてすっ飛んでいるので、あわよくば2マーク勝負できる位置まで戻ったということで、今年の教採は以上をもって人事を尽くしたことにした。

 天命下る
 補欠
 あなたはこのかくも悲しい響きの言葉にいったい何を感じるだろうか。
 補欠。
 名簿登載者だけじゃ回りきらない場合に限って名簿登載者と同様に話が来るというこの変なシステムの当事者になってしまった。そもそも、名簿に載ることと採用されることは、実は何の保障もつながりもないという前提だったような気がするのだが、気のせいかな?
 何が困るって、採用が来るかどうかもわからないし、来たとしてもそれがいつになるかわからない。何より、その「来るかわからない」という曖昧さのため、私学などへの就職活動も曖昧にならざるを得ないということである。
 どうしてくれる東京都。頼むよ石原さん。特に多く税金払っているわけじゃないけど。
 ボクのこの時点での考えは、以下の通り。
 まず、今年は私学の専任の採用は応募しない。万が一4月1日以降話が来たとして、さくっと職場を変えられるフレキシブルさを維持する為に、校務分掌などのしがらみのない非常勤講師を中心に私学関係の職を探す。
 そして、来年も東京都を再チャレンジする。
 ハッキリ言って、非常勤講師などをしながら教採の勉強を平行してやるのは大変なことだと思う。しかし、学生でもないのに勉強ばかりして許されるわけがない。奨学金の返済も始まるし、何かしらの収入を得ながら勉強する以外に方法はないだろう。本当の苦学生はこれからである。
 しかし、どうしてここまで東京都に拘るのか。それは・・・
 本人にもわからない。
 ただ、今回の結果で救いだったのは、教員としての資質を完全に否定されたような気分にならずに済んだということである。決して完璧な面接や模擬授業ではなかったが、得意な部分ではかなり自分を売り込めたような感触を後で得ることができたし、「自分の教育理念を話して・・・(親と対立した場合のザマスの質問に対する答え)」という回答はかなり勝負したと思うのだ。それらを、とりあえず否定されなかったということは、「またがんばりなさい」というメッセージのように受け止めることができるではないか。
 もし、今回どこにも番号が出ていなかったら、教職以外の仕事を本気で考えるつもりだった。
 はじめての教採だから、やはり自分はこの職業に対して本質的に向いているのかどうかが判らなかったぶん、ひとつの回答として今回の「補欠」という結果は十分評価したい。まだ自分で自分を褒める境地には達していないが、600人以上1次を受けて、補欠とはいえ2次の最後まで受検番号が残ったというのは、なかなかできることではないと周りに言われるにつけ、ボクはますますつけあがるのでありました。

 平成15年度東京都公立学校教員採用候補者選考 

中高共通国語 1次試験受検者:628名 名簿登載:6名 補欠:16名
名簿登載者の皆様、おめでとうございます。私もすぐに追いかけますので、よろしくお願いします。

で、補欠な私は採用されるわけ?
 という疑問を持っている方へ、気休め程度ながら以下のデータを載せておきますので、鬱病予防にご覧ください。
採用試験実施年度 2002 2003 2004
名簿搭載者数 992 1231 1941
補欠者数 1245 1382 1313
名簿搭載者+補欠者数(採用対象者) 2237 2613 3254
採用者数 1864 2227
採用対象者の実質採用倍率 1.20 1.17
採用者数-名簿搭載者数 872 996
補欠者の採用倍率(理論値) 1.43 1.39
 というわけで、ここ数年は名簿搭載者と補欠者を足した「採用対象者」のうち、実際に採用される倍率は1.2倍あたりで堅そうだ。
 もし2004年度もこのあたりの数値でいくならば、推定2711人の採用があり、770人分の席を1313人で争うということになる。するとその倍率は1.7倍ということでここ数年では補欠者の採用は少々厳しめかもしれない。
 とはいえ、悲観することなかれ。この数値は名簿搭載者が100%採用されると仮定した場合で、実際は他府県に流れたり、諸般の事情で辞退者が出るのが普通です。
 なんか、いろいろな資料を見ると数字がまちまちで、どれもこれもはっきりしたことが言えないのが情けないところではある。
 でも、がんばって補欠になったんだもん。採用されたいじゃないか。

採用はまだか〜補欠として〜
 補欠というのは名簿登載者ではない。一応名簿登載者が全部はけてもまだ欠員がある場合に限って面接に呼ばれるという身分であり、たとえ3月中に補欠にまで話が回ったとして、面接に落ちてまた来年受検しようと思っても、名簿登載者ではないから5合目まで送ってもらうことはできず、また千里の道を一歩から歩まなければならない。(※補足:2003年度教員採用試験から、前年度補欠だった人も一次試験が免除になることになりました。当然でしょう。)
 とはいえ、送られてきた書類はおそらく名簿登載者とあまり変わらない。ゆいいつ、「補欠は名簿搭載者ではありません」と※マークで書かれた「補欠の皆さんへ」というプリントが余計に入っているだけであろう。
 書類は「教員採用候補者申告カード」と、その内容を「電算処理(死にかけ語)」するための申告書(2枚複写)が3枚一組の2種類。申告カードは、体裁はなんとなく2次試験の面接表と似ているし、同じことをあらためて書き込む必要があるものもある。特に配置先の希望に関してはまた書くことができる。2次試験では都合よく「どこでも行きます」としても、実際は島はヤダとか養護はちょっと・・・という意思があればここであらためて表明できる。逆に、「島に行かせてください」という熱い意思を書き込むスペースもある。ということは2次試験では何でもアリとしたほうが有利? 裏には学歴を含めた履歴を書くスペースがあり、本来はここではじめて出身大学を明かす仕組みなのであった(学歴にとらわれないように面接では一切学歴は伏せて行うが、ボクはうっかり口に出してしまったのでした。別に自慢しているとかいうことはないんだけどね)。
 島嶼とはどんなところか。
 けっこう島嶼は勘弁してくれという人が多いそうだ。まあ、なんとなく頷けなくもないが、ボクは案外島嶼は積極的に希望したいと思っていた。今でもそう思っているが、とある教職相談所で島嶼の勤務の様子について裏話的な情報をいただいたので、ちょっと紹介。
 その前に断っておきますが、あくまで人から聞いた話ですので、島嶼のすべてがそうだと鵜呑みにされても困ります。
 さて、さまざまな生活事情があってどうしても島嶼勤務はできないという方もいるし、新聞が一週間分まとめてくるようなところは厭だとか、競馬場がないところは厭だとか、プライベートな理由で島嶼を嫌がる人もいなくはない。だから、だいたいの先生は3年たつと内地へ帰る。先生のほうも「3年たったらまたウインズ通いができる。それまでの辛抱だ」と思っていたりするから、島の保護者の意識も「どうせ先生は厭々ながら3年間我慢して島に来ている」という感じで低いので、あまり学校に期待を寄せない。だから、(ここでだからとつながるのも不思議な気がするが)学校が荒れるのだそうである。
 ある島のある中学校で、クリスマスが近いある昼休みに、生徒が持ち込んだクリスマスソングを昼の放送で流したいと提案したところ、教師が一喝して許可しなかった。生徒は、先生なんか信用できないと思うからいうことを聞かないで荒れる。そんな生徒を先生は権力的に押さえつけようとする。なおさら反発する。どんどん荒れていく・・・というスクールウォーズスパイラルが深刻なのだそうである(まあ、こんなの島嶼に限った問題ではないとは思うのですが)。
 とにかく、先生は信用されるのに大変な努力を要する。しょてからあまり信用されていないからだ。まあ、その原因は教師の潜在意識にあるという見方もあるが、とにかくそういうこと。
 島なので、何か批判されるようなことをすると、全島民に批判されるような状況になり、管理職などはノイローゼで3年たたないうちに内地送りになったり、それからけっこう自殺者が多いという。
 ある生徒の母親が、子供の同級生を車で撥ねてしまった。こういうとき学校ではケアに非常に気を使うが、学校以外の生活の場でのノイローゼで、轢いた母親が神経症になって自殺してしまった。さらにケアが大変になる。
 この程度といってはなんだが、内地の学校でも十分起こりうる事件ではあるが、島なだけに話が回るのも早く、批判が周りから降りかかり味方になる人も少ない。特に教員ならどこに住んでいるかわかってしまうだけに、常に誰かに監視されているような感じでプライバシーがあまりないのだそうである。
 切実な問題は病院がないということ。ちょっと大きな怪我をすると、自衛隊のヘリで東京や千葉の大きな病院へ空輸されるのだそうだ。台風などで海が荒れれば飛行機・船は一切止まる。当然医者はいない(いても大掛かりな設備はない)から、持病のある人は覚悟しなければいけない。
 島嶼についてあまりよくない話ばかりを書き並べてしまったが、逆に言い換えれば、3年間の辛抱などと消極的なことを言わず、むしろ何年も島の学校にとどまって熱心に仕事をすれば、いつも子供とじかに向き合えて仕事ができるし、下手に内地の学校よりも充実した教員生活ができるとおもう。島嶼にいくなら「3年で帰ってこようと思うな」と意識していただきたい。ボクが島嶼を希望する理由のひとつは、遠隔地手当てが付くし、お金を使う機会が少ないからお金がたまるだろうと思ったからである。あんまり健全な理由じゃないかもしれないが・・・。それから、映画「白い船」のような教室にあこがれてしまうから。少人数であまり時間や教室の枠を意識しないでのびのび教育できたらいいなあ・・・。都会生まれの都会育ちなので、自然のあるところも好き。まだ旅行でも島嶼は行ったことがないのですが、やはりあこがれてしまいます。
 某サイトの掲示板に「今年は中途退職者が多いと踏んだ」と書き込んだが、その根拠について少々。
 ことしから、学習指導要領などの大幅な改訂で、教育現場は大きく変わりました。ただでさえ多忙で、労働基準法など絵に書いた餅、海外からの視察者をして「クレイジー」と評されるわが国の教員という職業の実態をろくに知らずに「彼らだけ夏休みがあるのはずるい」といって貴重な夏を奪った、現場を知らない役人のみによる改革の影響で、モアクレイジーな職務を当たり前のように強いられる現在の教育現場。今までも改革はあったものの、ここまでの大幅な仕事水増し改革は前例がなく、また教育内容も求められるものが大きく変わって、積年のノウハウを一気に帳消しにされたベテラン教師が、変化の波に耐えられずに辞めていくだろう・・・という、ある現場関係者の発言が、「今年は中途退職者が多い」という予測の典拠であります。
 だから、今年は案外多く補充されるべきだから、国語だけで10人はカタいと踏んでいたのでしたが、ふたを開けてみれば6人しか名簿登載がない。・・・おかしい。絶対に足りなくなるはずである。そうでなければ、足りなくなるように仕向けてやる・・・ふっふっふ。
 というのは冗談だが、以上のようなことが現場から聞かれるので、強ち否定できないと思いませんか? っということで、補欠ではあるがきっと採用がまわってくると信じる度合いはかなり高い。補欠だったあなた! あなたもこの話、信じてみません?
(注:この話を教育行政担当者・面接官などに話してはいけません)
 なお、これは中学校の話であって、高等学校についてはこれから先、学校間のくっついたり別れたりが芸能界並みに盛んになるので、そのために退職者=欠員というわけにはいかなくなるそうです(みみさん情報@さらぽんさんのサイト)。
 でも、中学校だけに関してはかなりその(早期退職の)兆しが見られるようで、いろいろ噂を聞きます。噂ですけどね、あくまで。
 なぜか皆さん高校での勤務を希望していらっしゃる方が多いが、補欠は中学校から声がかかることが多いらしいです。

市区町村教委の採用面接とはいかなるものか。
 補欠にとって、都の候補者選考試験など忘却のかなたに葬り去られてしまうほどの勢いでプレッシャーとなって襲いかかるのは市区町村教委の面接である。
 もうすぐそこに「採用」が待っているのに、最後の最後に補欠同士でつぶしあいをやらされる(…まだやらされるだけなら幸せで、話すら来ないという場合もあるが)。幸いにして私は3度もつぶしあわされたわけだが、そのときの詳細を以下に記す。
 補欠の面接は、とりあえず名簿搭載者が全てはけてから決まる。で、国語科の場合、高校から先に埋まっていくようで、補欠まで話が来る頃には高校は売り切れ、中学のみとなっていることが考えられる。よって、どうしても高校でなくては採用される気がない場合は、がんばって名簿搭載を勝ち取らなければならない。
 今年の国語科の補欠が動き出したのはおそらく20日を過ぎた頃だろうと思う。居ても立ってもいられずに都教育庁人事部に問い合わせたのが24日。その時は、
「名簿搭載者は全て決まった」
「今現在残っているのは中学のみ」
「欠員はまだ動いているのでそろそろお話が行くと思います」
の3本柱で説明を受け、素直に待っていたらその日の夕方に早速電話が鳴った。
 連絡は携帯電話に来るので、電波の届かないところを移動するのは避けたほうがよろしいでしょう。
1回目
2003年3月26日の場合
 オファーは23区では比較的面積の大きい某区。持ち物は筆記用具と履歴書(写真不要)であった。 履歴書を持参させるのは、手続きの時に提出した「自己申告カード」を、用が済んだら人事部に返却するからだろうと思われる。
 面接は3時から教育委員会会議室で。呼び出されたのは3人。これに恐らく1〜2の枠があるものと思われる。
 面接の形式はワタシのもっとも苦手とする「グループ面接」であった。この時点でちょっと雲行きが怪しくなった気がする。
 試験会場は、部屋の奥に試験官が3人と、手前に椅子のみが3つ無造作に並べられており、そこへ候補者が座る、3対3の形式。部屋に入る前に教育委員会の担当者が「難しいことは聞きませんから緊張しないでふだんどおりにお答えください」と言っていたが、果たしてそうだったのだろうか。
 試験官は男性2人と女性1人。便宜上向かって左からA・B・Cとする。
 面接は候補者3人があらかじめ指定された順番どおりに席についたところで開始。雰囲気は2次試験のそれと変わらない調子だった。つまりはそれなりに圧迫面接の範疇に片足を突っ込んでいる感じである。そう感じたのはワタシだけだったかもしれないが。
 まずA試験官。
 最初の質問は名前と住所、面接会場までの交通機関と所要時間を答えるもの。軽くジャブから始まった。
 以下、覚えているだけの質問を書き並べる。(番号は便宜上で、順序を表しているわけではない)
@教員を志望するに当たってあなたの1番のセールスポイントは? 1分ほどで答える。
A公立学校の教育を考える場合の目下の問題点として気になる点。
B部活動を持つときの得意分野(文化部・運動部など)
 あとなんか少しあった気がするが覚えていない。
 これに対する私の答えだが、今考えるとどうしようもない答えを自信なさげにこたえていた気がする。とにかく、グループ面接という形式のもつ雰囲気と、自分の前に机がないので全身が丸見えなのが気になって集中できなかったようだ。
 @については、中学の吹奏楽部を教えた時のエピソードを交えて、冷静と情熱を兼ね備えた人格であることをアピールした。
 Aは、真っ先に思いついたのが「週5日制によるまやかしのゆとり」などだが、何をとち狂ったか「地域に根ざした教育の重要性」を答えた。だって、公立学校の特性ってそういう部分もあるじゃないですか、それなりに。
 これに対して、A' 「某区(品川だろう)のように学区撤廃の動きがありますが、それは地域性に逆行するんじゃないですか?」という質問が浴びせられ、しまったと思う。ところがここでワタシは、「地域性はなにも生徒が地元に通っていないといけないことはないだろう。学校と、それが所在する地域との連絡は、例えば地元の行事に参加したりしていけばいい」とか何とか答えた。この質問がワタシの全くの予想外の部分だったため、かなりの動揺を隠し切れなくなったと思う。
 Bはもう、「吹奏楽なら技術指導も運営もそれなりのものはすぐにでもできると自負している」としか答えられない。ところが、「運動部はどうですか」ときたもんだ。そこで、用意していた「技術指導書などを参考にして指導力を高めるとともに、生徒と常に行動を共にするなかで、礼儀などの生活指導は行っていきたいと思う」と答える。
 以上が覚えている限りのA試験官の質問である。全体的に教科外の学校教育全体に関する質問が中心だった。部活は運動部をもてないような先生は最初から要らないということらしいので、文化部で青春を謳歌してきて、今さらスポーツ技術なんて中途半端のものしか知りませんという人は要注意である。その際も、グダグダ能書きをたらさずに「やれと言われれば出来る範囲の努力をして持たせていただきます」の一言がでれば良いだろうと思う。それにしても、得意分野が文化部というひとははっきりいって大いに不利だと感じた。
 次の質問はC試験官から。
@国語科の教師として、授業をどのように工夫するか。(要約しすぎ)
Aさまざまな国語に関する学力があるが、それをわずか週3〜4回の授業時間数の中でどのように満遍なくつけさせていくか。
 教科に関する質問である。
 C試験官の質問については、全体として実習に行ったグループによる問題発見解決学習を中心に進めていくことを柱に、専門性を生かして日本語の言葉の感覚や、場面に応じて適切な言葉や文体を使えるようにすること。とくにEメールやインターネットなどの新しい媒体を使った表現には、従来の電話のかけ方や手紙の書き方と同じようにそれぞれ独自性があるので、それらの違いを認識させ、実際に自分たちでウェブサイトを作成してみるなどで、どのような点に注意しなければならないかというメディアリテラシーの分野まで広く扱っていきたいと、けっこうハキハキと(A試験官の時よりも)答えた。
 国語教育のメディアリテラシー分野はワタシも興味のある分野であるし、常日頃考えている要素であるから得意になって答えたが、はたしてどう判断されたか。
 特にAについては、週3回だとインターバルが空きすぎるので、なるべく1回の授業ひとつのポイントが完結するように導入・展開・まとめをしっかりとつくっていきたいと答えた。
 最後にB試験官。最初の2人の試験官が質問をしてそれに答えている時は終始つまらなそうな顔をしていたので、感じ悪いな・・・と思っていたが、実際にされた質問はごく普通、むしろなかなか面白い突っ込み方をする。
@大学での専攻分野はなんですか。
A赴任後最初の異動で島嶼に行く可能性があるが、それを了承しているか。
B最後に、自分の人間性の中で教師として一番子どもに伝えたい部分はなんですか。簡潔にお答えください。
 @については、日本語学であることと、卒論の課題を述べたところで、「それはどういう研究でしょう、ちょっとわかりやすく教えてください」と。そういうだろうと思って「思ひ出づ」を例に出してわかりやすく身振り手振りで説明した。2次試験の模擬授業みたいな感覚であった。
 Aは、まあ、いいでしょ。
 B。「簡潔に」というので、「感性です!」とひとこときっぱり答えてみた。
 一通り終了したのが16時の15分前。結果は16時ちょうどには決まるので、課に電話してください、お伝えしますとのこと。
 10分ほど近所で時間をつぶし、時間になったので電話をしたら、
「残念ながら採用には至りませんでした。なお、自己申告カードは都のほうに返却しますので、他の自治体からの連絡をお待ちください」
と、丁寧に答えていただいた。
 反省すべき点はいくつかあるが、質問によって答えのトーンが変わってしまうほど緊張していたらしいので、「素」でなかったところが敗因のひとつとして挙げられるだろう。今思うと相当の緊張状態だったような気がする。
 あとは、案外考えの及ばない部分までネタを用意しておく必要があった。平たく言えば準備不足である。
 というわけで、この下に続編が書き足されることになるのだろうか。書き足されるなら一体何本書き足されるだろうか。もう1本で済めばいいけど。
2回目
2003年3月28日の場合
 今回は前回の自治体の隣に位置する自治体で、急だが4月1日付けで採用したいので、早いほうがいいから今日の5時に役所まで来てくれと連絡。もちろん二つ返事で了承し、そのまま教員就職指導室に電話を入れる。
 この間、指導室でもさまざまに配慮してくださったようで、あらためて指導室から電話があり、「大丈夫だからがんばれ」と。そこまでいわれてさらにハイテンションになり、今度こそは気合を入れていざ、面接会場へ。
 面接までに履歴書代わりの面接調書なるものを書いた。住所などの基本情報のほか、志望動機、自分の長所と短所を書かされた。
 で、面接の用意が整ったので、隣の面接室へ。そこには面接官3人と、ワタシが座る椅子がぽつんとひとつ置かれており、「急な呼び出しで申し訳ありません」とかなんとかさんざんいわれたので、採用してくれたら全て水に流しましょうとかアタマの中でつぶやいたりしてテンションを保ち続けた。
 席について試験官の一人が口を開いた瞬間、ワタシは耳を疑った。
 「本日の面接は、心障学級の教員としての採用面接であることは事前に連絡は行っておりますか?」
 

 

 
 ・・・は?

 

 

 話によると、今回のオファーは心障学級で、肢体不自由などではなく知的障害の子どもが対象の学級なので、職務の中には下の世話なども含まれるものらしい。
 動揺した。
 確かに心障学級や盲聾養護の採用も可とはしたが、まさか下の世話までするものだとは、申し訳ないが全く知らなかった。自分が生徒の下の世話をしている姿をいまだかつて全く想像したことはなく、ここへきて急にその様に言われても・・・。
 だが、ワタシも一応「可」としたからには、断るわけにも行かず、「新採4年目の異動で、島嶼や盲聾養護や心障学級に異動することは(建前として)全員行うものですし、あなたも4年目に異動を出すとき一般の学級を担当するようにもできますから」とかなんとかいわれて、一応面接を受けることにした。断ると補欠を取り消されるらしいという情報が頭をよぎったからでもある。
 心身障害者の教育なんてどうでもいいとはワタシは思っていない。むしろ、世間によく知ってもらう必要すらあると思う。が、都のこのやりかたはちょっといかがなものかと思うのである。
 もちろん、申告カードに「可」としたワタシにも責任がある。よく考えずに可としたのはやはり浅はかで失礼だったと思う。技術も経験もないとわかっているならばなおさらである。
 採用面接自体は無駄になる可能性があるが、面接でのやり取りは多少有意義になるかもしれないと、そのまま面接を受けることに。
 今回はそれぞれの面接官の前に肩書きと名前が書かれていたのだが、どれが誰だか覚えることも出来なかった。しかも、最初の2人の面接官の質問はほとんど覚えていない。いたって普通の質問に、それなりのジャブが入るようなかたちで、それなりに自信を持って答えたが、やはり質問の内容には心障学級を持つことを前提とした質問が多く、それらにまともに自信を持って答えることは不可能である。経験としてマーチングのすばらしさ(教育的意義だったかな?)を語った上で、「それを心障学級の教育にどう生かせますか?」と聞かれても、心障学級で楽器を持たせていいものかどうかもわからないから、なんともいえないよねえ。
 ただ、最後に「心障学級を持つとなったら、どんな点に注意しますか?」という質問には、「どんな些細なことでも生徒の可能性を見つけてあげたいと思います。」と答え、即興ながらよく言えたものだと自分で自分に感心した。
 しかし、最後に控えていた指導課長のなんたらという面接官だけは違った。ははあ、これが圧迫面接というものかと。発言に対しては、「うんうんうんうんうんうんうんうんうん・・・」と相槌ばかり打って、ちゃんと話を聞いているのかさえ疑わしい。
 鮮明には覚えていないが、「学校教育は何をするところだ? 定義は?」と聞かれ、そんなの「社会性を身につけさせるところ・・・かと・・・。」と答えたら、「国には指導要領などの教育目標がある。学校には学校の教育目標がある。教科には教科の教育目標がある。学校とは、それらの目標の達成を図る場所だ」と教えてもらった。それは確かにそういう場所だとも言えるが、それでは何の答えにもなってないような気がするのはワタシだけではないと信じたい。
 ほかに、「教科について、いろいろ先生がいればそれぞれ教育観や文学観なども違ってくるが、それらは学校で教育を進めていく上でどう折り合いをつければいいか?」と聞かれ、
「教科でよく話し合って共通理解を作っていけばいいと思います」
「その共通理解はその場の先生によって自由に決められるのか?」
「いや、それは指導要領にのっとったものでないといけませんね」
 要するに、あなたの思い描いている「理想の教育」は、本区ではさせませんよ、あくまでも指導要領に則ったものをやってもらいますよという、教員としては、だからどうしたと思ってしまうようなことを、さも知ったような顔をして言われたので、がんばる先生になりたいワタシとしては非常に融通の聞かない現実を突きつけられて、腹が立って仕方がなかった。アタマでは、仕方ないと思っている部分があって、それをこのような場であらためて言われると、人は腹が立つと思うのだが、短気ですかね、ワタシ。
 とまあ、非常なストレスを感じながら、約30分の面接を終えて、とぼとぼと帰る。
 採用されれば心障学級だ。ハッキリ言って今は心障学級はやりたくないと思う。できないからだ。でも、公務員とは紙切れひとつでどこへでもどんなことでもこなさなければならない。腑に落ちなくても、そういう世界(教育公務員)へ行こうと決めたのだから、腹をくくらなければならない部分もあるだろう。
 障害者の教育には教育の原点があると言われているから、勉強になるかもという期待感はなかったわけではない。ワタシには研修が足りないと常日頃思っているから、そういうところでもまれるのも悪くないとは思うが、現場で、しかもかくもデリケートな現場で「勉強させてください」というのは、生徒や保護者にとって見れば大迷惑なわけで・・・
 よって、不採用の連絡をもらっても、さしてがっかりもしなかった。たぶん、採用されても手放しで喜べなかったかもしれない。
 うーむ、やっぱりあと一本の体験記では済まなかったようですな。このあとに「何も足さない、何も引かない」という、山崎醸造所のような態度をとらねばならない可能性もなくはない。もう、1日付の採用は諦めてます。時期的に難しいし。それに今回けっこう傷ついたし。
3回目
2003年4月11日の場合
 3度目の正直。まあ、2度あることは3度あるという言葉もあるが。
 本来ならば、ここに面接の詳細を書き留めるのが、当サイトの目玉であり、また、管理人としての義務であると思うが、申し訳ないけれども、安堵のために面接の内容をあまり覚えていないのが実際であり、果たしてお役に立てるのかどうか心配な部分もある。けれども、今回の面接は一見圧迫のような気がしたが、面接の流れの中でヒントを出してくださったような印象があり、終わってから面接を担当した教委の方とも和やかに挨拶を交わしたりできたので、終わってみればそれなりに良い雰囲気の中での面接であったと思う。なお、形態は1対3である。目の前には5人並んでおり、そのうちひとりが採用担当の職員であることはわかったが、もうひとりがわからなかった。
 ただ、中学ということで、やはり面接は鋭いものがあった。「人間は何のために生きているとおもいますか?」とか。何ででしょうね。ワタシなりに人生論を絡めてお茶を濁したが、それは人間を生き終わってからわかるものじゃなかろうか・・・というのが本音のところだが。それは、答えを濁してるんだね、やっぱり。
 終わって、面接の結果を知らされる直前に、面接官の一人であった指導課長に簡単に講評めいたものをいただいたのだが、不登校に関する質問をしたことに触れ、「何でも自分ひとりで解決しようとするのではなく、不登校ならばスクールカウンセラーや教育相談所などの施設も活用できるのだから、もっと自分ひとりで抱え込もうとしないほうがいいよ。」と述べられ、なるほど、それはワタシ自身も生き様として問題がある部分かもしれないと常々思っていたことでもあった。もっと人を頼っても良いと。「今あるものをどう活用するか」というのは、ワタシが東京都の教育を語る時に思っていたこと。それがそのまま私自身の問題につながっているとは。ホントに、完璧なんてないんですね。しかも、面接官はちゃんと見ている。恐れ入りました。
 最後に、「あなたが教員として、生徒にこれだけはなにがなんでもしてあげたいことをひとつ」という質問には、やたら考えた挙句、掲示板でわいんさんから提示があった「児童が生徒に何を求めていると思いますか?」の、ワタシなりの答えを述べさせていただきました。
 一通り面接後に書類などの説明が終わった後、さきの指導課長に「何回面接をお受けになったんですか?」など、ちょっとした会話を交わし、「もし今回もダメだったら、さっき指導課のカウンターに来年度の教員採用試験の願書がありましたので、それをおみやげにしてまた来年と思っておりました。」と言ったら「そうでしたか。それでは良かったですね。おめでとうございます」との言葉を頂戴した。ホントに、みんないい人そうで、よかった。
 ということで、教員採用試験体験記、自治体面接に関してはこれにて終了。

東京都・公立の非常勤講師への道
私学はこれより下です。
 新コーナーではないが、いわゆる専任への道とはちょっと別に書き足していきたいと考え、別コーナー然としたかたちで書くことにする。題して、「非常勤講師への道」。なんのひねりもないシンプルな名前とは裏腹に、激しい道のりになるであろうことは容易に想像がつく。さあ、暇な方は一緒にハラハラしてください。忙しい方はハラハラしなくてけっこうですから、楽しく読んでくださるとうれしいです。
 さて、都の講師になるためには講師名簿に登載される必要があるが、講師になってから名簿に登載されるパターンも多い(むしろこっちの方がメジャー?)。で、まず講師になってという段階で、講師を探している学校にボクを紹介してくれるとかの便宜を図ってもらえるようにそれとなく顔の広い方にお願いしたところ、なんと「わかった、じゃあ何とかしてみる」と返事をいただけたのだ。
 もちろん、これで講師が決まりというわけではないし、それだったらこのコーナーもここで終わりである。当然、引き続き講師の就職活動を続けなければならない。その顛末を書くのがこのコーナーなのだ。
 というわけで、コーナーを作ったわけだが(認めてるし)、まだ非常勤講師の採用面接その他は進んでいない。本格的に面白くなるのは年明けすぐ頃からだろうと思います。
 と思ったら、滞りなく専任教員として中学校に採用されたため、公立学校の非常勤講師を目指す体験記は書けません。ネタがないもん。
 ただ、いろいろお世話になった恩師から、「文京区で区採用の非常勤講師があるんだけど」という連絡をもらったことがあることは明記しておかねばならないでしょう。
 他にも、区採用の非常勤講師は江戸川区などがやってたりするという情報を小耳に挟んだりしたが、待遇は完全に歩合制で、夏季休業中等の給与は、授業をやらないわけだから当然なし。都採用や私学だと、週当たりのコマ数に応じて月給に似た形で支給されるので、夏休みにも給料が出ます(もっとも、一概には言えませんが)。

教員採用試験体験記・別冊
私学適性検査体験記(2002)

 というわけで、教員就職のひとつの選択肢として私立学校の教員というのも当然あるわけで、2002年9月1日は東京都の私学教員適性検査だったのである。ボクも参加してみた。初参加である。
 召集時間は朝8時半である。これは現役にはつらいが、この程度で弱音を吐いてはどんな仕事だってできやしない。しかし、教員って朝早いよね・・・。
 試験会場は和洋九段女子中学・高等学校。女子校ってだいたい小奇麗だよね、どこも。そのくせ、修学旅行みたいな行事のときは女子の部屋は男子の部屋よりも汚いというのはいかがなものか(全部確かめたわけではないがどうもそういうことになっているらしい)。会場に入ると和洋の女の子数人が早朝から駆り出されてつまらなそうに「おはようございます」などと挨拶してくれる。こういうところ、公立と大違いで私学はお客様扱いしてくれるのでたいへんよろしい。
 試験教室は中学生の教室だったが、教室内にビデオやパソコン端末があって、なんかうらやましい。
 試験監督様のお出ましである。どうして私立の先生はみんな生き生きしているのだろう。いや、公立の先生が疲れ過ぎているのだ。このあいだの2次試験では、だいたい先生は皺の数だけ苦労があるような、後姿に哀愁が漂い、ついでにアタマの天辺もえりもの春のように寂しさをかもしだし、よれよれ歩いていたものだ。私立の先生は肌に張りつやがあるもんね。よっぽど待遇いいんだな。
 試験開始。まずは専門(国語)から・・・。
 難易度は、それほどでもなかったと今思うが、その割にはあまりいい出来ではないような気がする。特に徒然草はさんざんであった。漢文もじっくり読んでなんとなくわかったかな。しかし、荘子だけであんなに問題出すか? 現代文はさほどでもなく。しかし、毎年出される近世文学史が全く見られず。昨夜あれだけ苦労して覚えたのに、苦労が報われず。
 結局さいごまで全身疑問符状態がとけぬまま終了を迎える。時間が80分もあったからいいようなものの。
 つづいて教職教養。なんでも、学校によってはこの教職教養がよっぽどでなければあまり参考にされないという情報あり、作文も参考程度の扱いという情報もあり。まあ、毎年聞いたことも無い人の名前を書かされるようだからと、とりあえず教育心理関係の人名を片っ端から覚えたが・・・
 第一問で、初任者研修で偉い人がしゃべったことを字に起こして問題にしていたところで嫌気がさす。なんなんだこりゃ。有名どころの私学の創始者の名前を書かされたが、早稲田と慶応以外の私立の創始者なんて知らんよ。これってその私学出身者にモロ有利じゃないか? きたねえよ、などと思いつつ、回答していく。
 一方で、一般常識はそれほど難しくなかったが、高校の教科書に出てくるらしい、白頭ワシがどうたらの英文、しょてから「この英文は有名な著書の一部です。そのタイトルを英文で答えよ」ときたもんだ。知らないよ。
 知らないけど「有名な著書」とまで言われては知らない方が罪みたいな気分になり、はなはだ気分を害して、作文も「環境」をキーワードにと言っているのに、学習環境についてたらたら書き連ね、もう何がなんだかわからないままお茶を濁した。
 本来なら持ち帰れるはずの問題用紙、防災の日である今日に、なぜ小田急は事故を起こすか。そのために遅れてくる人が多いようなので問題用紙は回収と言うことでよろしくされてしまった。あとでみたら、特急列車と自家用車がぶつかって大破炎上だそうで。朝っぱらから御苦労様です。あの問題用紙、あとで行ったらもらえるのかな。本来もらえるものなんでしょ?(←後日談:東京私学協会のHPに公開されていました)
 というわけで、なんだかよくわからないけどとりあえず試験関係は終了。あとはそれぞれの試験の結果次第で、面接が入ったり、非常勤を探しに校長先生や教育委員会に就活したりとなるわけだが、いまだに手付かずのまま保存されている膨大な卒論資料の分析が待っていて、息つく暇も無い。上記のアイコンのように、通知を笑顔で受け取れるか。受け取るまでは笑顔でも、受け取ったあと笑顔でいられるかが、大いに心配なところであろう。 
 私学からの通知が17日に着いて、見てみるや、専門はBなるも教職はCで、かなりへこむ。考えてみればあれだけ変な問題でも満点があって、取れない問題ではないからA取った人もいるんだろう。一応相対評価だというから。しかし、せめてBBであって欲しかった。こんなんで話来るんかいな。私学の先生でもなるのは大変である。別に見縊っていた訳ではないですが。
 残念ながら受け取ったあとは笑顔でいることはできなかったが、これでゆっくり免許が取れるし、24競艇場まわれるかもなどと前向きに考えようと決めた。
 専門がBでよかったよ。まあ、Aじゃなきゃプライドが許さないなんて歳でもないが(と、冷静を装う)。
 ふと思った。
 面接の連絡があったとして、それは自宅の電話にかかってくるのだろうか。
 現在我が家の電話は、以下の理由によりボクとの連絡ができなくなっております。
 @ ADSLにしてから普通の電話が通じなくなってきた。
 A 失礼極まりない勧誘の電話ばかりがかかってくるので、在宅中でも一切電話は取らない(母は取る)。
 とくにAは、最近特に失礼度が増してきており、電話に出るや「○○ですけどたかひろさんいますか」とくる。どちらの○○さんだかわからない。ふつう、「△△高校の同級生でした○○ですけど・・・」などがあってしかるべきであるのに、それがない。そういう電話は一切取り次がないようにしてもらっている。あるいは、「直接本人の携帯に電話してください」と言ってもらっている。
 私学適性の願書に携帯電話の番号を書くスペースがあったかな・・・と、不安になったわけであります。
 でも、なんとなく携帯番号を書いた気がするので、寝て待つことにする。仕事来い来い・・・。

私学からのお話はどんな塩梅なのでしょう?
・・・という方のために、どこから話が来たか(もちろん匿名ですが)メモ程度に書いておきます(ほとぼりが冷めたら実名で書いてもいいかな)。
02/11/01 (金) 都M区内 中高一貫女子校A(たぶん専任)
履歴書・健康診断書・卒業(見込)証明書・成績証明書・教員免許取得見込証明書
書類審査(11/20必着)→面接
02/11/19 (火) 都K区内 中高一貫共学校B(専任講師・非常勤講師)
(面談は特に持ち物なし)
面談(11/25)→模擬授業→面接。
02/11/28 (木) 都下A市 中高一貫共学校C(専任講師・非常勤講師)
履歴書・成績証明書
書類審査→面接
02/11/30 (土) 都M区 大学付属共学校D(非常勤講師)
履歴書
面接。
ざっと見るなり、年内の話はほとんど専任講師か、それと非常勤講師の同時募集みたい。履歴書や成績証明書を送らなくてはいけないA学園やC学園のほか、B学園は履歴書は私学から回ってきたのを使うのでといって、身一つでいらっしゃいというところもあり、千差万別。
私学の面接はどんな塩梅なのでしょう?
という方のために、どんな塩梅で採用までの道のりが続いているのか、参考程度に書いておきます。
02/11/26 (火) B学園
 面接の前に性格を測るテストをさせられる。微妙な問題が300問ほどつまったテストと、同じ雰囲気のテストが計2つ。面接を待っている間にやってくれといわれたが、一番で面接会場についてしまった私は、ちゃっちゃと終わってしまった。
 面接は校長先生が自ら。本当は教頭がやるのだそうだが、今病気だそうで。
 プレハブで囲まれた面接室で、やたらフカフカのソファに座って、世間話でもするような雰囲気で面接。とは言っても、なにか突っ込んだ話というのはなくて、教員採用に関して双方の考えを伝え合うといった感じで、東京都の面接とはぜんぜん違う。ボクもかなりリラックスしていた。どうも、この段階で絞るというよりは、専任か非常勤かを明確にするだけのようである。
 話した内容は、
  ・公立学校の採用試験の結果は?
  ・家族構成
  ・出身高校「あら、近所だねえ」(そんなに近所でもないと思うけど)
 学校からは、「公立に補欠だった人とかは、3月に突然抜けてしまってあたふたするのが年中行事みたいな感じでねえ」とか、「新卒で専任になっても、数年したらよそへ行ってしまうとなると、投資に見合った効果が得られないから・・・」とか、結局採る側の都合をいろいろ(愚痴っぽい内容ではあったが)インフォされたかたちであった。どうも、こちらが都で補欠だったと聞いた段階で、向こうはボクを非常勤希望だと決め付けてしまったような感じがした(実際そうでもあるが)。なので、「一応5年くらい経ってからあらためて自分がどこで何をしたいのか考えて、そこでB校に残るか他所へ行くか、決めたいと思っているので、経験を積むという上でもできれば専任で・・・」とアピールさせてもらった。が、どうしても校長は専任では採りたくないような顔をしていたのをボクは見逃さなかった。
 この面接の結果は来週のアタマあたりに連絡が来るそうで。もし話が進んだら、今度は教科の先生の前で模擬授業(15分程度)をするらしい。で、それを通ったら理事長先生のお出ましだそうである。
 話が進まないからといってそこで終わりではなく、その場合は非常勤の方に回るので、年が明けてからまた・・・ということになりそうである。
 結果→「今回はご縁がなかったということで」
02/12/03 (火) D高校
 中高一貫だと思っていたが、単独高だった。恥かく前に気がついてよかった・・・。
 B学園では待遇面の話しかしなかったが、こちらはちゃんとした面接。校長室に通されるまで少々待ったが、その間になんと交通費が支給され、お茶まで出された。校舎はきれいだし。
 専任は本部で一括採用し、それを各付属校に配分するんだそうで、非常勤講師から直接専任になるには、本部の採用試験を通らなければならないそうだ。
 内容。
 はじめに塾講師などの経験を問われた。そういうのは個別指導の塾しかやっていないので、「いわゆる集団指導は教育実習のみですね?」と。で、教育実習の様子を聞かれた。「授業ではグループ学習を採りいれました。生徒のほうで問題をつくらせ、それをこちらでいくつかピックアップしてグループで考えて答えを発表しあって・・・(以下省略)」と答えると、それは今まさに本校が進めている授業改革とおなじ授業だといって感心される。その生徒参加型の授業について意見を求められ、「こちらから一方的に進める授業もいらないとは言えないが、その分教師は従来以上に周到な用意を求められるだろう」とかなんとかお答えした。
 吹奏楽をやっているから、もし吹奏楽の面倒を見てくれといわれたらできますか? だって。あら、非常勤でも部活見させてもらえるの? と、こっちが質問したくなるくらい願ってもないこと。しかもこの高校の吹奏楽は、ちょっとやそっとの上手さではない。すごいですよこれは。本気で採用されたくなった。
 生活指導。
 これははっきり言って一番自信がないことで、その理由は経験がないから。多感な子供に一対一で対応するノウハウは経験がないと培われないもので、そういう点で不安だと、正直に長々と答えたがどうもそういうことを聞きたがっていたのではないらしく、「校則で決まっていることを違反している服装をしていたり、授業中にガム食ってたり、女の子のスカート丈の長さなど、そういう注意はできますか?」 と、追加で質問され、あ、しまったと思いつつ「それをしなければ教員の組織が破綻してしまいますから、できなくてもしなければならないでしょう」とフォローしたら、やたら頷いていらっしゃった。アタリかな?
 副校長はボクの出身中学に目を留め、「校長先生とも深く交流しているし、毎年高校の説明会で出かけて、お話させてもらっているうえ、毎年その縁で何人かの生徒さんが本校に(推薦とかで)入っている。しかもあなたはその有名な吹奏楽出身で、今の栄光の発端を作ったというから、どんな方かなとダブらせて見させていただいた」と、目を細めてそうおっしゃってくださった。OBとして母校をほめられるのはうれしい。「バンドやっててよかった!!!」(このシールってまだあるのかな?)とあらためて思った。
 とはいえ、補欠なので、「もし都で専任に決まればそちらにいってしまう可能性はあるでしょ? それは困ってしまうんですよね・・・」と、ホントに困ったような顔をされた。どうお考えで? と聞かれたので、「5年位してからあらためて考えようと、今の段階では思っております。やはりこのことはお伝えしなければいけないことだと思いましたので(履歴書に書いた)・・・」と、正直に答えた。都のことはそれを念頭において採用するかしないかを考えればいいか・・・と言われてその場はこれまで。
 待遇に関して。
 もうすでに採用された場合のコマ数と給料まで決まっている。あとは誰が入るかということだけ。給料の計算は、1ヶ月1コマの単価×コマ数で、月給ということ。実際に何時間授業したかではなく、コマ数は給料の計算式でのみ使う数字。夏休みなどで授業がないときも支払われる。交通費も実費支給。賞与・退職金はなし。ま、そうでしょうな。ただ、長期休業中の希望者に対する補習を担当するようになった場合はその分支給されるそうである。なお、ボクの場合はコマ数12で、1日4コマを週3日間ということになるそうである。
 以上、双方とも早口ながら好感触な面接は終了。面接が終わってから、ココに本気で採用されたくなった。
 結果→「残念ながら不採用となりました」
 もし補欠の話がきたらそちらにいってしまうことがありますか? ときかれ、「その可能性はあります」と言い切ったのが敗因のすべてである。