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。。。管理人的に語る。。。
| その1:駄作は流し読み! | その4:読書の意義と日本語 |
| その2:ミステリは繊細な文学である | その5:一言残そう♪記憶に残そう♪ |
| その3:評論家とは本を一緒に楽しんでくれる人 |
一冊の本を読み終える度に何か一言書き残すようにして既に何年か経つ。気持を文字にしておくと、たとえそれを読み直すことはなくても、”書く”ことで記憶は更に強く刻まれる。良くも悪くも折角読んだ本を、すぐに忘れてしまうのはもったいない。できるだけ詳細に、より長い間、頭の中に保存しておきたいのだ。広い書斎も、大きな本棚も持っていない生活水準の低いわたしは、少ない脳みそにムチ討ってでも、この方法を取らざるを得ないわけである。この限りなく狭い部屋で、いつまでも本の山を見上げているのは死活問題なのだ。埃を被って掃除が面倒だし、地震も怖い(倒れてくる!)。
これは趣味というより、もう生活の一部となっている。ある意味、日記を書くのと同じようなものだ。とはいえ、絶対に書かなくてはいけない、という決り事にはしていない。だから、変なプレッシャーもなく続けられる。気が向かなければ、何日も何ヶ月も本さえ開かない。(その間にどんどん埃が・・・^_^;)”書く”ことを念頭に置くと、読むときも真剣になる。別に、今までがいい加減に読んでいたわけでもないが、”あっ、この気持わかる”とか、”ここ面白い!”という、感動ポイントへの反応が今までよりも敏感になったような気がする。
たとえフィクションでも、本を読んで考えさせられることは多い。些細な一文に思いを馳せることもしばしばである。楽しく読ませながらも、心に”ナニカ”を感じさせる作品(作家)には、”あぁ、読んでよかったなぁ”と、しみじみ思うのだ(誰でも彼でも「センセー」と呼ぶな!と、常々思っているわたしだが、こんな作家なら「センセー」と呼んであげてもいいかな・・・などと、こっそり思う)。それらを忘れたくなくて、いつか忘れてしまうだろう日が来るのが悲しくて、いや、忘れないまでもその気持がやがて薄まっていくのが悔しくて、思いついたことをできる限り文字にしておこうと考える。そのせいか、近頃の一言はやたら長い(一言じゃないじゃん!)。本の内容についてよりも「おのれはエッセイでも書くつもりかい!」というくらいに、ウダウダと自分のことを書き連ねている。ふと我に返って”今、感想書いていたんだっけな”と、慌てて削除する部分も多い。どうやら、歳をとると思い出話がしたくなるようだ(笑)。ちなみに、わたしがHPに載せる話題は、時効が成立するであろう事柄に限定している。しかも、フィクションを加えて二割増!(所詮、思い出なんて、たいしたことでなくても、自分のいいように思い込んでいるだけなのサ)・・・そんな”一言”を恥かしげもなくHPに載せている今日この頃。今になってみれば、”書評”なんて大袈裟でエラソーなタイトルを打たなくて本当によかったと思う。そもそも”書評”などというものは、本に詳しいだけではなく、いろいろな本のそれぞれの楽しみ方を知っている人が書くものだと思っている。だから、”感想文♪”と可愛く言ってみたり、やや気取って”コメント”などというくらいで十分(すぎるくらい)だと思ったのだ。しかし今やそれすらもおこがましい気分である。その曖昧さから”一言”などと呼んでいる。で・でもさ、一応、その本を読んだからこそ思いついた(思い出した)ことを書いているわけだから、別にいいよね???(汗)
ミステリは、非現実的な話しで(そこが面白いのだけど)、しかも血なまぐさい事件が多い。そんな本から自分の思い出が蘇るなんて、やっぱりわたしは変なのかしらん?(幸い、殺人の経験はない)
人間ってのは物語の中に、どこか自分とオーバーラップする部分を見出しているのかもしれない。なんだかんだといっても、とにかくサ、感想文だとか日記だとか随筆とかエッセイとかさ、そんな文章の名前なんて気にせず、思ったこと感じたこと考えたことなんかを書きたいときに書けばいいんじゃん♪<0( ̄^ ̄)0> (コイツ、開き直りやがった!) ←てか、締めがコレかよ!
おそまつ(^^ゞ
─了─
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| ■ その4 読書の意義と日本語 (こりゃまた大袈裟なタイトルね^_^;) |
本というものは、読んだ後に”何かを考えることができるか”が、その価値に充と管理人は思っている。”面白かった”にも”つまらなかった”にも理由があると考えるからだ。逆に言うと”何を考えるか”で、その人の性格や価値観(時には人生観も!?)がほんの少し見えてくる。
たとえミステリでも、管理人はその内容から、気になったこと、興味を持ったこと、登場人物の気持、作者の気持etc・・・、いろいろなことを考える。好き嫌いに関係なく、上手い下手に関係なく、それは必ず見つかる。優等生の模範解答ではなく、自分の感覚(感受性?感性?)でいいと思っている。興味を持って知ったことが増えると、新たに考えられることも増えてくる。・・・管理人の本のコメント(感想と呼ばないところがミソ!)は、こんな志で書いている(爆)。
読んで何も感じない本は、管理人にとってなんの価値もない。しかし、そんな本は滅多にない。中には、売れ筋だけを狙い(職業作家としては致し方あるまい)、奇抜なネタを書き連ねただけの本もあるだろうが(と、感じただけでもよかったと思える)、ほとんどの作家は、たとえどんなに下手糞であっても、きっと心を込めて書いているはずだから・・・。そして管理人は、それに気がつけるように、いろいろなことを感じられるように、いつも好奇心旺盛でいたいと思う。
とはいうものの、読者も個性があるだろう。気がつかないものを無理に気付けと言われても、それこそ無理である。気付けるように上手く書け!と、作家の力量を非難されるのがオチだ。確かに、最もな意見である。職業作家の文章が読みにくいのではお話しにならない。だが、最近、なんとなく思う。文章も話し言葉と同じで時代によって変わっていくのかもしれない、と─。
ちょっと飛躍するかもしれないが、考えてみれば、歴史に出てくるような古文なんてものは今の文章とはかなり違う。けれど、きっと流行りの言葉もあっただろうし、当時はあれが”普通”だったのだから、現代小説だって何年も経てば変わって当然なのかもしれない。そもそも、文章に正式な決りなんてない。句読点をどこに付けようと、どんな物の喩をしようと、勝手といえば勝手なのである。あぁ、なんて恐ろしい結論!(笑)
やはり日本語は世界で一番難しい言葉なのかもしれない。と同時に、世界で一番沢山の感情を表現できる、最も美しい言葉だと思う。今でさえ日本語を使いこなせていない管理人は、この先、時代と言葉の変化についていけるのだろうか・・・(汗)。
[余談♪追記?愚痴!そして反省・・・]
50音+アルファの膨大な文字を組み合わせる日本語を一応なりとも使っているはずの管理人が、たった26文字のアルファベットの組み合わせである英語を使えないのは何故だろう・・・。あ、やる気がないからか?(^^ゞ─了─
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管理人は著者の言葉である”あとがき”はもちろん、作家仲間や評論家が書く”解説”にも目を光らせている。貴重な裏話を知ることができたり、大好きな作家や作品が誉められるのを見るのは嬉しいものだ。しかし、大好きな作家や作品がこき下ろされてはたまらない(笑)。
解説は通常、その作家の足跡を紹介したり、作品の持つ意味を説明したりと、その多くは作家や作品を絶賛するものだが、中にはどうみても自分の好みを押し付けるだけで解説の役割を果たしていないものがある。評論を商売としている解説者が好き嫌いだけでモノを言うのでは、素人ファンと同じではないか。いや、素人の方がまだマシだ。嫌いな作品の解説を依頼されても、職業解説を貫けないのなら断ってほしい。ダメ出しだけの解説も別のところでやってくれ。管理人が思うに、文庫に掲載する解説は本を売るためのオマケであって、評論大会や文学賞の選考会場ではない!
コージーや異色ミステリ系の解説に、「この本の良さがわからないなんて、ミステリファンじゃない」などと言う評論家がいる。本格ミステリだけがミステリではないのだと言いたいらしいが、コージー(もしくは異色物)だけがミステリでもあるまい。こんな負惜しみみたいな解説を書かれた本に同情する。
そりゃぁ、初ミステリがコージーで、それがたまたま非常に面白い作品であったなら、コージーこそがミステリだと思うかもしれないが、人間、いくらか読み続ければ、自然と好きか嫌いかを分別していくものだ。どんなに偉い評論家かぁ知らないが、個人の好みに本当のファンも偽のファンもないもんだ。極端なことを言えば、たとえ一冊しか読んでないとしても、その本が”すご〜く(ここ大事ね)”好きであれば、それはもう立派なファンなのだ。
こんな解説を読めば、この人が本格を毛嫌いしていることは一目瞭然だが、こんな人が本格の解説を引き受けた日には、まったくもって目も当てられない。哀れ、神津恭介シリーズ!神津シリーズの解説にもかかわらず、神津の”か”の字も出さず、終始本格への疑念を列ねる始末。あんたが本格を嫌いなのはよくわかったけど、いったいこの作品はどうなのさ!という、肝心のところには全く触れられていない。わたしは、あなたのミステリ論を聞きたいわけではない。作品の解説を聞きたいのだ。そんなに嫌いなら引き受けるなよ!そう、管理人が憤慨したこの人こそが管理人的ワースト1の評論家、小泉喜美子である。ちなみに、この人はミステリも書いているが、管理人がそれを読むことは絶対にない。
ワーストだけでは不公平なので、ベスト1の評論家も発表しよう。それは、新保博久というおじいちゃまだ。この方、お歳のわりには現代的で、どんなミステリにも心広く対応してくれる(なんと、あのコモケンの作品まで誉めてくれるのだ!)。たぶん、対象作品に合わせて文体を変えているのだろうけれど、いつでも変にかしこまらず適度に砕けた言葉で非常に読みやすい解説なのだ。解説のツボを押さえつつもユーモアの効いたその文章は、まるで一つの作品を読んでいるかのようだ。そこには、”偉そう”とか”堅苦しい”とかいう評論家独特のイメージはない。彼の解説を読むと、「あぁ、同じ本を読んだんだなぁ」(当然なのだが)と妙に嬉しくなる。一緒にミステリを楽しんだように思えるのだ。一番好きな解説のおじいちゃま─、長生きしてネ♪─了─
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管理人は最近になって、嫌いな作品と駄作とは別物だということに気がついた。もちろん、駄作を好きにはなれないが、どこか一つ、何か一つ、いいところがあれば、許せてしまう。その何かに共感できれば応援したくなる。自分ではミソクソ言うくせに、他人に悪く言われるとなんとなく腹が立つのだ。こんな管理人は、やはり”いい人”に違いない!(笑)
それはそうと、駄作とはいったいどんなものか。文章が下手ッピとか、トリックがショボイとか、ドラマ性がナッシングなど(コレ全て揃ったら恐ろしい!)、人其々”駄作のツボ”というものがある。もちろん、駄作にツッコミを入れて楽しむ方法もあるが、それも程度の問題である。笑えない駄作が一番辛い。
管理人が最も考慮するのは、ミステリへの”愛”である。様々なジャンルがある中で、あえてミステリで勝負するからには、ミステリを愛していて欲しいのだ。どのジャンルにも当てはまらないからといって、しかたなくミステリとして売り出すような作品からは、その愛を感じ取ることはできない。
たかがミステリ、されどミステリ。ただ面白可笑しい作品を仕上げるためにも、その裏側には並々ならぬ思いが込められている。それは、トリックに対する思いだったり、背景に描かれる時代考証だったり、人間の心理だったり、社会への不満だったり・・・。そんな重々しい気持ちを表に出さず、楽しく読める小説(このあたりが誤解を招くのだが)として大好きなミステリで表現しようというのが、ミステリへの”愛”なのだ。
ミステリ作家は、娯楽小説と呼ばれるミステリの中にも、ちゃんと伝えたいものがあって、訴えたいことがあって、いろんな思いを込めて書いているのだ。衝撃的なストーリや、斬新なトリックがひらめいたからといって、それだけを文字にしてみたところで、一時的には売れても記憶には残らない。名作と呼ばれることもない。伝わってくるものがないからだ。それはホラーなど、全てのジャンルにおいて同じである。某瀬名○○のデビュー作なんていい例ではないだろうか。
純文学ではない小説に人間の心のひだまで映し出すようなことまでは期待されていないのかもしれないが、ミステリ他純文学以外のジャンルを低く見る傾向のある中、愛のないミステリを発表されてしまうことは、それを認めてしまうことになる。それでは悔しすぎる。ミステリ作家だって、純文学作家と同じくらい繊細に文字を綴っているのに!─了─
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管理人はとにかく読むのが遅い。オバカなので一文を理解するのに時間がかかるのだ(^^ゞ。短めの長編でも3・4時間は平気でかかる。京極なんて読もうものならマルっと一日かかる。一日7時間労働として、時給1000円くらい欲しいところだ(笑)。
そこで、「これ、つまらないなぁ」と小指の爪先ほどでも思ったら、さっさと流し読みすることにした。トリックを考えている暇はないが、筋書き程度はなんとかわかる。ただし、途中から面白くなってしまい、慌てて最初から読み直すことも多々ある。作家のみなさんには、文頭から気合を入れて書いて頂きたい。(ツカミが肝心!)
元来、貧乏性の管理人は、どんなに駄作であっても一度手にしたミステリを途中で投げ出す(捨てる)ことはない。あまりに気が進まないミステリは、読完までに半年かかることもある。どうしてそこまでして読むのかといわれれば、やはりケチなのだろう。あ〜、もったいない(笑)。
それとは別に、大好きな探偵物などは、読み終わってしまうのがもったいなくて「まだ犯人を指摘しないでくれ〜っ」とジダンダ踏みながら、一文字一文字をかみしめ、できるだけゆっくりとページをめくる。(例:高木彬光の神津恭介シリーズ)
とはいえ、実はかなり”いい人”の管理人は、「もしや駄作かも!?」とうすうす感づいていても、「もしかしたら、次のページにものすごいトリックが隠されているかもしれない」(せめてトリックだけでも)などと、儚い期待を胸に読み進めるのが通常である。そもそも、職業作家がこの程度で終わらせるはずがない!いや、そんなことはあってはいけない!!涙ながらに訴えるも、願いは届かず・・・・。こうなったら、禁断の駄作投票に一票入れるしかない♪
─了─
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