誘拐物といえば、ストレートに誘拐犯人を追いつめるシリアスな誘拐が王道なのかもしれないが、これは既に出尽くしているのではないだろうか。それに、ただ単に犯人と警察とのやり取りを追うだけなら、なにも”ミステリ小説”と銘打つ必要はないわけだし、一冊読めばもう十分ということになる。
そこで、取引方法を工夫したり、動機に焦点を合わせたり、誘拐自体に手を加えたり(狂言誘拐や誘拐から別の事件に発展させていくなど)をいろいろ組み合わせ、常に時代に沿った一ひねり、二ひねりを加えた新たな誘拐の登場となる。(もちろん、ひねりにひねったシリアスな誘拐もある)
取引方法以外は文章の問題なので、作家であればある程度まではやってのけることだろう。しかし、新しい取引方法となると、これは本格ミステリで言う”機械的なトリック”を作り出すのと同じことで、誰にでもそう簡単にできるものではない。─個人的には、いくら「新しいミステリ」「斬新なトリック」と言われても、あまりにも最新のハイテク機器を駆使したミステリには、わたし自身が付いていけないので(笑)、多少使い古されたくらいの方が好きなのだが─
誘拐物では、さすがに”誘拐シリーズ”はできないだろうから、キャラクターの人気には頼れない(名探偵が誘拐事件に関ることはあるが)。また、誘拐物が叙述で決着するとも考えられない(それ狂言?)。となると、魅力的な登場人物とその背景を描き出すのはもちろんのこと、この誘拐は失敗するのか成功するのかと、読者をドキドキさせるようなリアリティのある誘拐事件の本体を作り込まないといけない。”ひねり”はあくまでもしっかりとした本体があってこそのプラスアルファであって、”ひねり”の部分だけでは「誘拐物」にならないからだ。
それもこれも、使い古されれば、また新しい設定、新しい”ひねり”を生み出さなくてはいけない。誘拐物に限らず、ミステリ全体に言えることだが、この繰り返しはキビシイ〜!
誘拐を題材にしたミステリは意外と多い(「たとえばこんなミステリ」で挙げているものはホンの一部)。たくさん書かれれば、時には駄作も出てしまうことだろうが、それでも書き継がれているうちは、誘拐物はどんどん進化してくはずである。
そんな誘拐物とは、ミステリ作家にとって、文章の面でも、トリックの面でも気の抜けない、とても難しいミステリなのではないかと思う。だからこそ、読者にとってはとても楽しいミステリなのだ。