寄席part1

 

 

 

<演し物>

落語
林家 こぶ平
居残り左平次
笑点
立川 談志
文七元結
田中 義剛
柳家 小三治
林家 三平
新作落語
三遊亭 小遊三
ギャグ
スタンダップ・コメディ
三遊亭 圓生
古今亭 しん朝
三遊亭 円楽
廊(くるわ)噺
子供が主題の噺

 

落語
古典落語の時代背景はほとんどが江戸時代であろう。従ってその頃の慣習や言葉使いなどは当然
知らない。だから今の人には、そんな古くさいもの・・・と敬遠されがちである。
しかし、ほとんど勉強もしないでTVのバラエティ番組にしか出演しないような落語家を別と
すれば、話の枕とか話の中でさりげなく解説してくれているし、それができるのである。
今の時代に落語が受けないのは、我々にも責任がある。つまり映像の時代のため、本より漫画、
ラジオよりテレビなのである。聞き手の想像力もなくなってしまったのだろう。
落語は落語家自身が監督であり、脚本家であり、主人公であり、脇役なのだ。
だから同じ話でも演者によって、全然違った話になる。面白い。



林家 こぶ平
ご存じ、林家三平の息子である。
何でこんな落語家が真打ちなんだろうか?ホントに疑問である。
親の七光が通用するのか、落語界は・・・。彼は真打ちとしての落語ネタを幾つ持ってるのだ
ろうか?
こんな安易な真打ち昇格が、今の芸能としての落語を貶めている。
会長はそれに気づいているのだろうか?
これは、今の桂文楽の襲名にも言えることだ。
単に文楽の名前を継がせたいだけで、芸のないものがなってしまうのが、今の落語界なのである



居残り左平次
Tomの一番好きな人情話の一つで、奇才・川島雄三監督の映画「幕末太陽伝」の下敷きになった作品。
品川の女郎屋で3日3晩遊び続けた男が、自分の才覚でもって遊び賃を只にするどころか、店の主
からお金や服をみごとぶんどってしまう。
映画でフランキー堺が演じたように主人公は粋でなくてはならない、でないと話がぶち壊れる。
話のすじだけなら二つ目でも出来る。それを娯楽大作にするのが真打ち。



立川 談志
ご存じ立川流家元の談志。横紙破りと言った感があるが、談志の枕は最高。それだけで、ひとつ
の芸になっている。
最近になり談志の若かりし頃の一人会の記録が第1、2集と発売された。改めて聴いてみると、
家元の偉大さが良くわかる。
しかし、一つ気にくわないところ。たまにTVで見かける家元のはちまき姿・・・。どういう意味
でやっているのか皆目見当がつかない。何らかの意味があるなら、それがこちらに伝わって
こないし、好きでやっているなら、仮にもマスメディアに晒すには不格好である。

もう少し、丸くなっても良いのではないだろうか?それでは談志の存在意義がないとおっしゃる
御仁もいるかも知れないが、それは談志の噺(枕・フリートーク)だけで充分だと思うが
どうだろうか・・・。



笑点
笑点と言えば大喜利。しかし、最近の大喜利のつまらないこと・・・
原因は、回答者の実力の低下と司会者にある。
両方ともあまりに毒がなくなっている。最近のTVでは、毒はいけないのだろうか?
落語家の中には、噺が上手くても大喜利の苦手な者だっているだろう。桂 歌丸などはその逆の
典型で、噺はつまらないが大喜利は上手い。
だが問題は司会者(三遊亭 円楽)、なんて毒がないのだろうか?回答者が下手なんだからそれを
叩けばいいものを、逆にへたくそな答えをヨイショしてやんの。
昔、立川談志が司会していた頃は面白かった。あくの強い回答者を向こうに回し堂々とやり合って
いた。
以前は、座布団運びを毒蝮三太夫がやってたなあ。そういえば、この芸名も談志が付けたんだった
はず。



文七元結
この噺をを映画に例えると、シーンは全部で夫婦の会話、吉原の女将の部屋、橋の上、べっこう
問屋の部屋、主人公の長屋の5つである。
その全部のシーンがそれぞれ全く異った感情で始まっており、シーンの変わり目もフェードあり、
カットインありとバラエティに富んでいる。
主要な登場人物も多彩で、それぞれのキャラクターを上手に演じ分けないと噺がぶち壊れる。

実にに良くできた構成である。まさに噺の手本であろう。



田中 義剛
他に書くところがないので、ここに書く。
私はこのタレントが大嫌いだ。理由はいくつかある。
1:この男は東北人らしい、いわゆる地方出身者だ。たまに地方出身者が東京の流行に乗ろうと
必死になっていることがある。それなりに微笑ましい。だが彼の場合はその流行を完全に取り入れ
ていると大いなる勘違いをしている。アホじゃなかろうか?(似合わないのに流行だけを
追っかけている、どこぞの女子高生と同じレベルだ)
2:自分が同世代のオピニオンリーダーのつもりでいる、大いなる勘違い!
3:自分自身タレントとしても確固たる地位がないくせに、キャラクターが自分より劣っている
(と勝手に彼が解釈している)相手に対し的外れな突っ込みを入れる。
TV局はなぜ彼を使うのか?尤も上記のことを彼が全て計算づくならば私の負けである。



柳家 小三治
バイク乗りであり、オーディオ・マニアであり、落語家である。
この人のまくらは面白い。まくらとは、噺にはいる前のいわゆる前説のようなものなのだが、
これがベラボーに面白い。今時の若手落語家は、このまくらは単なるバカ話しくらいにしか思って
いないのか、つまらない。尤もそんな連中の噺はもっとつまらないのだが・・・
もしかすると、まくらというのはヘタクソ落語家には出来ないくらい難しいものなのかも知れ
ない・・。
小三治のまくらは面白い。もちろん噺も面白い、ただ人情噺はまだちょっと頂けない。



林家 三平
リアルタイムで彼を見てきた・・・もちろんTVの中だけだが。
しかし、子供ながらに彼の芸を面白いと感じたことがない。今の彼の評価を見てみると、
TVでの芸の評価であって高座の芸ではない。ということはTVも高座も同じだったのだろうか?
であれば、私の見た芸が彼の高座での芸なのだ。
何故あんなに受けたのだろうか?単に私が子供なので、彼の芸を理解できなかっただけなのだ
ろうか?
もちろん、彼を林家の屋号を持った落語家としての私の感想である。今はやりのお笑いタレント
(というほど才能があるとは到底思えないが・・・)としてみれば、好みではないがそこそこ
であろう。
今の林家一門で、噺を聴かせるほどの力量のある噺家がいるだろうか?
こん平、木久蔵、こぶ平、ペー、パー子、、、、。林家 彦六が泣いている。



新作落語
私は新作落語が好きではない。
三遊亭 歌奴(今の円歌)の「授業風景」や「新大久保ーっ」とか春風亭なんとか(小朝の師匠)
の「結婚式風景」など一応古典の域に入っているものもあるが、いづれもその人以外には
できない。たとえ稽古をしても、噺の善し悪し以前にその人のキャラクターが噺の一部になって
しまっているからであろう。
若手の中には、新作とは名ばかりで単に漫談に近い物もある、稽古というか噺の練り足りない。
関西には桂 三枝や文珍も新作に意欲的だが、彼らは好き嫌いな別にして良く研究している
と思う。



三遊亭 小遊三
大学時代は確か、卓球部に在籍していたと言っていた・・・まっそんなことどうでも良いが。
噺家の中には、本業の噺の他に宴会芸というか一発芸というか、そんな芸を持っている人が多い。
雷門 助六の操り人形などがそれである。相撲力士のしきりの形態模写などもある。
小遊三の場合は、野球の形態模写でTV人気が出たように記憶している。
真打ちになる前だったと思うが、TVで彼の「千早」を聴いた。ぶっとんだ・・・。なにか
スコーンッと突き抜けるような彼の噺に魅了された。
その後の彼の真打ち披露でも、「千早」をやったと記憶しているが間違いかなあ。いづれにせよ、
その後も彼の噺に期待し注目してきたが、ダメ。全然良くない。
テレビにつぶされたか・・・?私が知らないだけなのか・・・?



ギャグ
やたらと良く聞く言葉である。芸人の用語ではあるが、どんな意味があるか知って使っている
のか?
広辞苑ではギャグ;(gag)映画や演劇などで、本筋の間に挟んで客を笑わせる場当たりな文句
やしぐさ。となっている。最近では素人や司会アナウンサーまでもが多用している。
若い芸人が、コントや漫才の中で使うギャグは落語で言う「くすぐり」であってギャグではない!
ギャグは映画や演劇の中なのである。
ましてや漫才ブームでの「ホーホケキョ」や今のダチョウ倶楽部のは「つかみ」「キャッチ
フレーズ」であって決してギャグとは言わないと思う。
自分の職業の専門用語くらいは正確に使ってほしい。
尤も、それだけ真剣に勉強しているような若手芸人は、最近では見あたらないが・・・。



スタンダップ・コメディ
その名の通り、舞台でマイク一本で行う芸である。アメリカでは、かのレニー・ブルースが
そうである。
日本では、デビュー当時の明石家さんまがそうであろう。最近の素人ものまねの一発芸もこの
範疇にはいるかも知れない(無理かなあ)。
わりと好きな芸である。その芸人の実力がモロ出るからである。
話芸は勿論だが、現代事情に通じていなければステージが持たない。なおかつある程度の毒
も必要である。今の日本で、観賞に堪えうる芸が出来るのはビートたけしと立川談志くらいか・・・。



三遊亭 圓生
一番好きな噺家の一人である。
レパートリーが広く人情噺・与太郎噺・くるわ噺・怪談噺・芝居噺・当然小咄もと何でもござれ。
そして、噺を安心して聴ける。別にとちるからと言う意味ではない!(当たり前か)。こちらが
思った通りに泣かせて・笑わせてくれるからである。だからあんまり好きではない、志ん生の
方がいい。と言う人もいるであろう。
私にとっては、圓生を聴いて(残念だがリアルタイムではない)落語を真剣に聞き始めたと言って
も過言ではない。私にとっての落語の師匠である。
しかし、他の師匠の所へも行く。古今亭志ん生や8代目桂文楽などなど、、、。でもやっぱり圓生
に戻ってしまうのである。



古今亭 しん朝
圓生の流れを汲む、いわゆる教科書的な落語を聴かせてくれる。
彼は若い頃TVにラジオに引っ張りだこの超人気スターだった。ところがある日、一念発起して
それらを断ち切り真剣に(今まで以上に真剣に)落語と向かい合って、今の力を得たらしい。
今の古典を勉強している若手に見習えとは言わないが、その精神は見習ってほしい物だ。
私は、まずしん朝の噺を聞き、それから他の噺家は同じ噺をどの様に料理しているのかを確
かめるために聴く、そのような聴き方をすることが多い。



三遊亭 円楽
寺の息子として生まれた円楽は「笑点」の大喜利回答者として「星の王子様」のキャッチフレーズ
で、一世を風靡した。
その後、円楽党を設立し、寄席にでれなくなった一門のために席亭にまでなった。
アルコールを飲まず、只落語に精進している円楽はその噺にも反映している。
私は、それが鼻について嫌いである。



廊(くるわ)噺
廊噺:今で言う吉原を中心にした、いわゆる女郎屋を主題にした噺。
「品川心中」「お直し」「汲みたて」「明け烏」「五人廻し」「居残り左平次」「錦の袈裟」  「紺屋高尾」
などちょっと考えただけでも、これだけ。探せば当然もっとある(探さなくても、もっとある
・・・と言う声は無視!)
私の好きな部類の噺である。
廊噺は今にも通じることだが、男と女の愛憎が良く表れている噺が多く、そのため人間の本性が
むき出しになっている。
しかし廊噺に出てくる男は、なんで子供になってしまうのだろう?。そして女(女郎)はなんで
母親になってしまうのだろう?
結局これが人間の本性なんだろう・・・。



子供が主題の噺
子供が主人公になっている噺は「真田小僧」「雛鍔」「子別れ」「初天神」「佐々木政談」
「薮入り」などなど、これ又たくさんある。
噺に出てくる子供は、みんな賢い(かしこい)!。英語で言えばクレバーである。与太郎のような
子供はあんまり出てこない。
子供は元来、無邪気と言えば聞こえは良いが、わがままで独りよがりで個人主義で、人間社会の
中では未完成品である。まっ、当然と言えば当然だが・・・。
そんな子供を、落語は実に肯定的に暖かく見つめている。尤も子供を否定的に見ているような噺
は、誰も聴きたがらないだろうし、それでは現代にまで噺が継がれなかっただろうと思う。