「卒業証書の元号表記」強制に対して人権侵害 東京弁護士会が校長に勧告 2005.9.27 |
2005(平成17)年9月27日 東京都○○中学校 前校長 ○○○○ 殿 東京弁護士会 会長 柳瀬康治 勧告書 当会は、2004年5月10日,国立市立○○中学校卒業生である○○○○よりなされた人権救済申立について調査した結果,次のとおり勧告いたします。 なお,弁護士会における子どもの人権救済申立制度は,その名称のとおり,子どもの人権の救済を目的とした制度です。 従って、子どもの人権救済申立制度においては、あくまで子どもの人権の早期救済の観点から,人権侵害の有無を調査判断するとともに,侵害された人権の回復と将来に向かっての人権侵害防止のために警告勧告等を発することができるとされておりますことをご理解いただき,真摯に受け止めてくださいますようお願いいたします。 勧告の趣旨 貴殿は、国立市立○○中学校の校長に在職中、申立人が同校の2003年3月20日の卒業式に授与される卒業証書に西暦表記を希望し元号表記のままでは受け取れない意思を有していることを知りながら西暦表示の卒業証書の発行を拒否しました。また貴殿の「監督」下にあった同校教諭ら2名は卒業式の壇上で元号表示の卒業証書は受け取れないとの意思表明を希望した申立人に対し、「担任が処分されるかもしれない」などと執拗な説得を行ってその意思の表明を断念させました。しかし、同校において前年の卒業式まで西暦表記の卒業証書を交付してきていた事実、卒業式の壇上での意思表明に代わる代替手段の提案が可能であるにもかかわらずそのような提案をしていない事実をふまえると、貴殿及び同校教諭ら2名の上記各行為は、申立人の思想良心の自由、表現の自由及び意思表明権の侵害をしていると判断されます。 さらに同校教諭ら2名は、卒業式において申立人の名前が呼ばれても返答、起立しないように指示し、事実上申立人を欠席扱いしましたが、かかる行為は申立人の人格権の侵事をしていると判断されます。 よって、貴殿に対し、今後二度と西暦表示の卒業証書の発行を拒否したり、その「監督」下にある教諭らに対し上記と同様の行為を繰り返させたりすることのないよう、勧告いたします。 勧告の理由 第1 子どもの人権救済申立の内容 本申立は,次のとおり勧告を求めるものであった。 相手方国立市立○○中学校前校長○○○○(以下「相手方」と言う)は,申立人に対し, (1)2003年3月20日に行われた2002年度卒業式において申立人に授与すべきであった卒業証書について,授与年月日を「平成一五年三月二○日」とあるのを「二○○三年三月二○日」と訂正し,また申立人の生年月日を「昭和六二年○月○日」とあるのを「一九八七年○月○日」と訂正し,これをすみやかに授与せよ。 (2)申立人が卒業証書に西暦表記を希望し,元号表記のままでは受け取れないという意志を有していることを知りながら,一方的に西暦表記を拒絶したこと,2003年3月19日に,○○中学校教諭ら2名が申立人に対し,「担任が処分されるかもしれない」などと執拗な説得を行って,申立人が卒業証書を受け取れないという意思を、教員,生徒,保護者らに表明することを断念させたこと,卒業式において申立人の氏名が呼ばれても返答,起立をしないよう指示し、事実上申立人を欠席扱いにしたこと,2004年8月15日付国立市教育委員会宛「○○○○君の卒業証書に関することについての報告」に事実と異なる経緯を記載したことを認め,これを謝罪せよ。 との勧告をなすことを求める。 第2 調査の経緯及び内容 <省略> 第3 当会が認定した事実 聞き取り調査の結果および甲6号証,甲13号証より次の事実が認められる。 1.2003年1月頃、相手方より、当時の3年生の保護者宛に,卒業証書に表記する氏名、生年月日を提出するよう記載された書類が配布された。生年月日の記載を元号で記載するようになっていたため,申立人は印刷されていた「昭和」という記載を消して,「1987年○月○日」と西暦表記で書いて,これを提出した。 相手方はこれを受領して認識したが,特に相手方からは申立人にその真意の確認などは行われなかった。 2.相手方より何の連絡もなかったため,申立人は,担任の○○○○教諭に対し,「卒業証書を元号表記ではなく西暦に変えてほしい」と伝えたところ,○○教諭は,「校長先生に聞いておきます」と答えた。 その後○○教諭は、申立人に対し,「校長先生に聞いたら、西暦表記は無理です。決まったことなので変更することはできません,と言われました」と述べた。 上記の事実は、当部会による聴取りの結果から認められる。 3.申立人の母親は,申立人の依頼を受けて,同年3月13日に相手方と面談した。母親が,相手方に対し,「子どもは思想・宗教上の理由から元号を使いたくないと言っています」と伝えたところ,相手方は,「使いたいとか,使いたくないとかの問題はなく,証書授与式であるから,校長の私がこうすると決めたのです。それに従ってもらうとういことです。」と答えた。 4.同月18日の卒業式の練習後,申立人は学年主任の○○○○教諭に対し「キリスト教を信仰しているので,当日は壇上に上がり,受け取れませんと言いたい。」と訴えた。申立人が意見の表明を強く希望した意図は,自分が卒業証書を受け取らない理由を他の卒業生や卒業を祝福してくれる周囲の人たちに説明したいということであった。 これに対し○○教諭は,「先生の立場でそれがいいとはいえないが,君の意思は尊重したい」「もう一度考えてみたらどうか」と言った。 5.同月19日,申立人は、学年主任○○教論,○○教諭と面談した。 ○○教諭は「壇上で拒否ということになるとまずい。担任の○○先生は処分されるかもしれない。」と述べ(この点については,学校に対する聞き取り調査の際,学校としては、○○教諭がそのような発言をしたかどうかはわからない,との説明があったが,中学生が「担任が処分される」ことを懸念するような事態は通常はありえないので,学校側からそのような発言があったことが強く推認できる),○○教諭は「みんなで作り上げてきた卒業式の雰囲気がぶちこわしになる。みんなが「勝手なことをして」と思うよ。」「当日は壇上に上がらずに待っていなさい。こっちで処理するからね。欠席という扱いになるけれどね」と述べた。 ○○教諭は「卒業証書をもらうのを拒否するのは自由だけど,わぎわざ壇上に上がってもらったのを返すのと,最初からもらわないのとは同じじゃないの。」と話し,「ただどうしても,というのであれば,卒業式の参加の仕方では3つの選択方法がある。」と申立人に提案した。 3つの方法とは、@式には参加しない,A壇上で証書を返す,B壇上には上がらない(出席していない生徒と同じで欠席者扱いになるかもしれない)であった。 二人の教諭は、申立人にBを選ぶように説得した。申立人は「担任が処分される」といわれたことが強く心に残り,それだけはさけたいという気持ちになり,やむなく,Bを選択した。 その後は,ニ人の教諭より,卒業式当日の行動について,「事実上いないことにする出席なので,名前を呼ばれたら返事をしないように」「皆が移動するのでそれに合わせて移動しなさい」と指示された。 この日の話し合いの時間について、学校側の主張(20〜30分であったとする)と申立人の主張(2時間程度であったとする)とが大きく食い違うが,申立人は当日の話し合い以前にも2回も学校側に要請しており,20〜30分の話し合いで,申立人が自分の希望を取り下げてB壇上には上がらない,という選択肢を選ぶようにとの説得に応じるとは考えがたい。また,申立人は,当日の様子について,昼時に長時間にわたりやりとりをしていたため,昼食時間に食事をとることができなかったとの具体的なエピソードを述べている。 これらの点から,この日の話し合い時間については,2時間程度かかったと認められる。 6・同月20日の卒業式当日、申立人は○○教諭より,あらかじめ式の段取りを伝えられた際,「名前を呼ばれても欠席ということで、すぐ次の生徒を呼ぶので,生徒皆が移動後戻る席に最初から座っているように」と指示され、指示どおりに行動した。その結果、卒業証書授与の際,申立人だけが一人席に座っていることとなり、また申立人の名前が呼ばれても、すぐに次の生徒が壇上に上り,申立人はそのまま証書が授与されるのをただ見るだけということとなった。 申立人は卒業証書入れのみ受領した。 7・国立市の卒業証書の西暦記載の前例 国立市立小中学校においては,1992年から2002年3月まで、卒業証書の西暦表記を選択できることとされてきたという経緯があり,それを子どもの側の「権利」とまで評価できるかどうかは措くとしても,そのような運用が引き続き行われるであろうとの子どもや保護者の信頼が存在していた。 第4 前提事項についての当会の判断 1.卒業証書の意味 卒業証書とは、学校が設定している教育過程を修了したことを証明するため学校が発行する公文書をいい、普通は卒業式に授与される(広辞苑参照)。 学校数育法施行親則28条(55条で中学校へ準用)によれば,校長は,小学校の全課程を修了したと認めた者には、卒業証書を授与しなければならない,と規定されている。 2.元号法の意味 (1)一世一元制について ア そもそも年号は中国において、皇帝が時間を支配するものとして制定された。「一帝一元」は明朝に始まり、清朝にも引き継がれた。中国の影響で日本においては、年号は孝徳天皇の大化(645年)に始まるが,一代の間に何度も改元されることもあった。 イ ー世一元の法制化 1889年2月11日に天皇主権の大日本帝国憲法とともに旧皇室典範が制定された。旧皇室典範は,皇室自律主義の原則に基づき,皇室の基本法としての旧皇室典範が大日本帝国憲法とならぶ最高法規とされた。旧皇室典範12条は「践詐の後,元号を建て,一世の間に再び改めざること,明治元年の定制に従ふ」と定め,1909年2月11日に公布された登極令(皇室令1条)は,第2条「天皇践詐の後は直に元号を改む。元号は枢密顧問に諮射したる後,之を勅定す」,第8条「元号は寄書を以てこれを交付す」と定め,天皇の代替わり儀式の中で践詐の直後に改元することを明記した。 このように,一世一元の元号は,天皇主権主義と一体のものとして制定された。 ウ しかし,第2次大戦後の民主化政策の中で元号の法制化は認められず、1947年をもって旧皇室典範と皇室令は廃止となった。 (2)元号法の制定の経過 ア1979年6月に元号法が制定された。同法は 「1元号は,政令で定める。 2元号は皇位の継承があった場合に限り改める。」 と規定する。 イ 同法と天皇制との関係については,様々の議論がある。国民主権主義の日本国憲法の下では,元号法制化は許されないとの強い批判があることは周知の事実である。 ウ 他方で、政府は「現行憲法でもなお,天皇の象徴として国及び国民の統合の象徴であるということを第一条が,国民の総意に基づいて厳粛に宣言しているわけでございますので,今度の元号法案が現行憲法の思想に基づいて,つまり民主的な手続で国会の御決議を経て,そして政令で決める。その決める際に,その改元の契機となるその時点で,皇位の継承の点に求めたというだけでございまして,決して前の天皇制,主権天皇制の制度に逆行させる−里塚であるというような,そのようなつもりは毛頭ございません」と説明している(1979年4月19日衆議院内閣委員会真田政府委員の答弁)。このように政府は「現行憲法でもなお,天皇の象徴として国及び国民の統合の象徴であるということを第一条が,国民の総意に基づいて厳粛に宣言している」と説明している。 政府が同法を少なくとも象徴天皇制と結びつけていることは明らかである。 (3) 国民への使用の強制は許されない ア 元号の使用については,1979年6月に総理府長官談話「元号法の成立に当たって」が出され「公的機関の窓口業務においては,これまでも届出等の書類の年表示には元号を用いるよう国民の方々にご協力をいただいているところであるが,この点については今後も公務の統一的な事務処理を円滑,迅速に行うために,引き続き国民各位のご理解とご協力を要望する時代である。もとより,これはあくまでも協力要請ということであり,西暦で記入されたものも適法なものとして受理されるということはいうまでもない。私は、この問題については,公的機関の窓口業務に関与する職員の的確な理解と良識ある行動の下に,従来同様今後とも円滑に事務処理が行われることを確信し,期待するものである」と述べている。 イ また,教育に関わっては,大学入試センターの共通一次学力試験志願書が「西暦で記入してはいけない」と書かれていることについて,文部省は「大学入試センターがつくっております共通一次学力試験の志願書,これにつきましては,先ほど出来てまいりましたような統一的な事務処理という観点から,生年月日と,それから高等学校の卒業年度ないしは卒業見込み年度の記入は元号を使用して記入していただくよう,そういう様式になっているわけでございます。その趣旨は,共通一次試験の受験者の数が三十数万人という大変多くの数になりますので,混乱なく円滑に実施をしたい,そういう趣旨からそういった取り扱いにしているわけでございまして,実際問題といたしまして,毎年西暦によって記入をしてこられる志願者もいらっしゃいまして,これは入試センターの方で遺漏なく受理いたします。ただし,その後のコンピューターの事務処理,そういった都合がございますので,入試センターの方ではその年号を元号の年号に換算,記入をいたしまして処理をさせていただいている,そういう実態にあるわけでございます」と説明している。(1986年10月28日参議院内閣委員会佐藤政府委員の答弁) ウ 国民の使用義務については,政府は「使用については何ら触れておらないわけでございます。もし使用を何らかの意味ででも強制するということであれば規定が要りますけども,強制しないという原則がございますから,わざわざ規定を設ける必要がないということから,そういう強制するものではないとういうようなことを,規定を置かなかった次弟でございます」と説明している(1979年4月19日衆議院内閣委員会真田政府委員の答弁)。 エ 以上より,元号法は,国民に元号使用を強制するものではないと考える。 3.卒業証書の様式決定権の所在 (1)生年月日の記載を西暦とするか元号表記とするかを含め,卒業証書の様式決定については,学校長にその権限があると解する。 (2)公立学校における卒業証書の発行権限が学校長にあり,卒業証書が学校長の名で作成,交付されていること,法律上,様式の定めに関する規定が,校長の作成権限を定める学校法施行規則28条(55条)以外に存在しないこと,に鑑みると,その様式をどのようなものにするかという点についての最終決定権限は,校長にあるとするのが相当であるからである。 (3)なお,学校長に卒業証書の様式を決定する裁量権限があるといっても,生徒の人権・権利を侵害する態様での裁量権の行使は認められない。 第5 当会の判断〜思想良心の自由について 一 思想良心の自由について 「相手方が,卒業式において申立人の希望する卒業証書の西暦表記を拒絶し,さらに西暦表記の卒業証書を受け取ることができないのであれば,自分が元号表記の卒業証書を受け取れない理由をのべたい」との意思表明を要望した申立人に対して,相手方の「監督」下にあった教諭らが「担任が処分される」等の話をすることで申立人の意思表明の要望をも断念させたことは,申立人の思想良心の自由を制約し,違憲となるか。 1.思想・良心の自由の意義 (1)思想・良心の自由は,内面的精神活動の自由の中でも,最も根本的なものであり,日本国憲法第19条は「思想及び良心の自由は,これを侵してはならない」と規定している。 (2)この思想及び良心の自由は,世界観、人生観,思想体系,政治的意見などのように人格形成に役立つ内心の活動の自由がこれに該当すると理解されている。 (3)思想良心の自由を「侵してはならない」との文言には、思想の強制ないし思想に基づく不利益の禁止が含まれる。 何人もいかなる世界観・人生観・主義・主張を内心に抱懐しようと,内心にととまっているかぎり,絶対的に自由である。 公権力が特定のものの見方ないし考え方を国民に押しつけ,強制することが許されないことは当然である。また,特定の思想を抱いていること,もしくは抱いていないことを理由として,国家権力が差別的な,もしくは不利益な取り扱いを行うことも,絶対に許されない。 思想が何らかの外部的行為を伴う場合については,外部的行為の規制が思想及び良心の自由に対する事実上の影響を最小限にどどめるような配慮を欠くときは憲法19条違反となる。 2.元号法と思想・良心の自由 「一世一元」の元号表記は,上記のとおり,歴史的には天皇主権主義と密接不可分であった。 元号法の元号が,例え政府の説明のように、憲法の象徴天皇制に由来するものであるとしても,元号表記そのものは,「明治」以来の「一世一元」の「天皇制」に基づくものと外観上は区別することができない。「明治」以来の「天皇制」に関する国民の捉え方は様々な捉え方があり得るところであり,これとの関連において元号表記についても,国民個々の思想・良心に即してさまざまな捉え方が考えられ,これは思想・良心の自由に属する事項として憲法上保護されるべきものである。 3.学校教育の中での思想・良心の自由 教育は受け手の思想・良心に必然的に影響を及ぼす。従って,学校が生徒の思想・良心に何らの影響力も行使してはならないと考えるならば,公教育自体がなりたたない。しかし,公立学校で伝達される価値観は,絶対的なものとして選択の余地なく生徒に強制されてはならず,生徒が自ら選択をなすための素材を提供する意義を持ち得るに過ぎない。 4.本件における思想良心の自由の侵害の可能性 (1)申立人は,国立市立○○小学校を卒業しているが,同校では、卒業式をめぐって重大な事件(卒業式において,校長の突然の日の丸掲携という事件を契機に多くの教師が処分を受け,子どもたちまでもが一部マスコミや右翼団体の攻撃を受けた)を経験している。また,小学生の時から,様々な意見を聞き,戦争と平和の問題,天皇制などについて考えて育ってきた。申立人は,戦争責任の問題や法の下の平等の視点から天皇制に深い疑問を抱いている。 さらに,申立人はキリスト教にも深い関心をもっており,洗礼こそ受けてはいないが,高校進学にあたっても,キリスト教主義の学校を選択した。 こうして,申立人は,一方で天皇制に関する見解から,他方でキリスト教への信仰から,元号について強い拒否の見解を持っていた。この見解は,思想及び良心の自由が保障する「世界観,人生観,思想体系,政治的意見などのように人格形成に役立つ内心の活動」に該当する。 (2)前記の事実認定のように,申立人は,3月19日に教諭らから壇上にあがらない方法を選ぶように説得されやむなくこれに応じた。その後,申立人は教諭らの指示どおりに行動した。 すなわち,申立人は,その信条に反する行為(元号記載の卒業証書を受領すること)か,人格を否定される行為(壇上に上がらず卒業式に参加していないかのように扱われること)の選択を迫られ,その選択からのがれる方法が卒業証書を受け取れない理由を表明することであったのだが,それも受け入れられず,結果的に,思想良心による不利益な取扱いを受けたのである。 (3)他方で,申立人の思想良心の自由を制約する理由は存在しない。 ア 元号法は,前記のとおり,国民に使用を強制するものではない。 イ 国立市立中学校において,本件卒業式の前年まで,西暦表記の卒業証書を交付し てきた事実が存在する。 ウ 予め希望する者に西暦表記の卒業証書を作成し交付することは特段の困難を要す ることではなく,容易なことであって,国立○○中学校に特に不都合を生じさせ るものではない。 (4)加えて,前記のような執拗な説得により選択を迫ることは外部的行為を伴う思想良心の自由の行使を躊躇させる効果を持つものであり,申立人の思想及び良心の自由に対して事実上重大な影響を及ぼしていると指摘できる。 (5)従って,相手方の行為及びその「監督」下にあった教諭らの行為は,申立人の思想信条の自由を侵害するものであり,憲法第19条に違反する。 第6 当会の判断〜表現の自由について 一 問題点 本件での相手方の「監督」下にあった教諭らの行為がいわゆる事前抑制に該当し,表現の自由を侵害するのではないかとの点について検討する。 ニ 表現の自由とその制約の合憲性の判断基準 (1)表現の自由とは,内面的な精神活動を外部に公表する精神活動(外面的精神活動)の自由を広く意味するものであり,思想・情報等の発表(伝達)の自由をいう。表現の自由が重要な人権であるとしても,他の人権との衝突がありうる以上,一定の制約が認められうる。 本件では,申立人をも「(訂正されなければ)卒業証書を受け取れない」と表明することを希望していたが,相手方の「監督」下にあった教諭らは,予めこのような申立人の要望を把握しておきながら,執拗な説得により結果的にその意見表明を断念させた。 以下,このような相手方の「監督」下にあった教諭らの行為が,表現行為に対する事前抑制に該当するのではないかを検討すべきことになる。 表現行為に対する事前抑制とは,「表現行為がなされるに先立ち公権力が何らかの方法でこれを抑制すること,及びこれと実質的に同視できるような影響を表現行為に及ぼす規制方法」をいうとされ,これは原則として許されない。この事前抑制の(原則)禁止は,@「思想の自由市場」の確保のためにも,A壊れやすく傷つきやすい表現の自由に,事後処罰にみられない致命的な(直接かつ回復しがたい)「萎縮的効果」が及ぶことを防止するためにも必須の前提である。 本件において,相手方の「監督」下にあった教諭らは,申立人の西暦で表記していない卒業証書を受け取ることはできない皆の意見を表明したいとの希望を把握しておきながら,申立人に対する執拗な説得によって断念させるに至っているのであるから,相手方の「監督」下にあった教諭らのかかる行為は「表現行為に対する事前抑制」に該当する。 (2)それでは,表現行為に対する事前抑制が表現の自由を侵害する違憲なものかどうかを判断する際に,どのような基準に依拠するべきであろうか。最高裁判決(最大判昭和69年12月12日民集38巻12号1808貢。いわゆる税関検査事件)は,事前抑制こは@「事前規制そのもの」(事前に発表そのものを一切禁止する規制)とA「事前規制たる側面を有するもの」(発表の自由を制限するけれども,発表の機会を全面的に奪うわけではない規制)とがあり,Aの場合は「公共の福祉による合理的で必要やむをえない限度の制約」を受けるとする。 この基準にてらすと,本件は,Aの場合であると考えられる。 そこで本件における規制目的を検討すると,単に学校行事(特別教育活動)の円滑な遂行だけでなく,申立人以外の式典への参加者(特に卒業生)が平穏に行事に参加する利益(他の生徒の人権)を実現するという目的もあるので,規制目的自体は合理性を有しているといえるであろう。 次に,規制手段として必要やむをえない限度の制約か否かを検討する。 そもそも本件は,国立○○中学校が申立人の希望してきた卒業証書への西暦表記をかたくなに拒んだことに端を発しており,その後の経緯において,相手方の「監督」下にあった教諭らが,壇上で卒業証書の受取を拒否すると担任の先生が処分されるかもしれないと述べたり,壇上に上がらないことを選ぶように執拗に説得したりしたというものである。これに対し,申立人が意見を表明する意図・目的を実現できる機会は実質的にかなり限定されているといわざるをえない。このような事情を考慮すると,相手方の立場からは「卒業式の」「壇上」で「(訂正されなければ)卒業証書を受け取れない」と述べることを規制する必要性が非常に高いとしても,たとえば教室での説明の機会を設ける,書面配布による説明の機会を設けるなど他の代替手段を提案するなどして申立人が納得するような方法を模索することは可能であったと考えられる。したがって,本件のような規制手段が必要やむをえない限度の制約であったとは認めがたい。 以上より,本件相手方の「監督」下にあった教諭らの行為は,申立人の表現の自由を侵害し違憲である。 第7 当会の判断〜意見表明権こついて 1 問題点 本件での相手方の行為は,子どもの意見表明権の侵害にあたらないだろうか。 2 意見表明権について (1)子どもの権利条約第12条1項は,「自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼす全ての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合に措いて,児童の意見は,その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。」と定める。 12条の趣旨は,子ども自身に関わるあらゆる事項について,第3条の「子どもの最善の利益」を確保するために,子ども自身の権利として意見を表明する機会を保障することが不可欠であるという考え方を手続き的原則として定めたものである。大人の側が一方的に「子どもの利益」を考慮するだけでは不十分であり,子ども自らが自己に関わる問題について意見を表明し,大人の側がこれを考慮することによってこそ,子どもにとっての「最善の利益」が確保されるのである。したがって,この権利は,表現の自由や思想・良心の自由といった権利とは異なる子どもの固有の権利として確保されるべきものである。 (2)それでは、本件において申立人に意見表明権が認められるであろうか。子どもに具体的な意見表明権が認められるか否かは,(ア)意見表明を定める法令の有無やその内容,(イ)子どもの年齢や成熟度,(ウ)意見表明の具体的対象事項,(エ)意見表明についての歴史的経緯,内部的規定や慣行などを考慮して,個別に判断する必要がある。 本件における前記各要素を検討する。 (ア)について。子どもの権利条約による権利の保障が,わが国の子どもである申立人に及ぶことは明らかである。また,教育基本法は,第2条において,「…自発的精神を養い,自他の敬愛と協力によって,文化の創造と発展に貢献するよう努めなければならない」としているが,子どもの自発的精神を養うには,単に子どもを教育の客体・指導の対象と位置づけるのみでは不十分であり,子どもを教育の主体と位置づけ,その決定過程に参加させることが重要である。中学校の学習指導要領にも,配慮すべき事項として,「教師と生徒の信頼関係及び生徒相互の好ましい人間関係を育てるとともに生徒理解を深め,生徒が自主的に判断,行動し積極的に自己を生かしていくことができるよう,生徒指導の充実を図ること。」と指摘されている。 (イ)について。申立人は当時中学3年生でまさに卒業時であったから子どもの権利条約が想定する意見表明権の主体としてはふさわしい年齢に属するといいうる。また,申立人は、自らの信仰に基づき卒業証書の西暦記載を1月の段階から一貫して求めていたのであるから,その判断能力も子どもの権利条約が想定する意見表明権の主体としては成熟していたといえる。 (ウ)について。本件での意見表明の対象事項は,卒業式での卒業証書を受け取れない理由(西暦記載を求めたのに応じてもらえなかったこと)である。卒業証書は自らが当該学校の教育過程を修了したことを証明する証書であるから,その作成や記載の方法が学校長の権限に委ねられているとしても,学校長の裁量の範囲には自ずから限界があり,卒業証書を受け取る個々の卒業生の思想・良心等に対する十分な配慮が求められる。それゆえ,卒業証書の記載について,申立人の思想・良心に基づく主張は,意見表明の具体的対象事項として,最大限尊重されるべきであると考えられる。 (エ)について。前述したように,国立市立の小中学校は,本件発生時にいたるまでおよそ10年間にわたって,希望があれば卒業証書の西暦表記に応じてきていたのである。 これらの検討してきた諸要素を総合的に考えた場合,申立人は,当該表現に関し,子どもの権利条約が定める意見表明権を有していたと考えられる。 そして,このような意見表明権が認められる帰結として,相手方は次のような義務を負うこととなる。 @子どもが意見表明を求める場合には,その機会を十分に保障しなければならない義務を負う(機会保障義務)。 A子どもが意見表明を行った場合には,これに対し,誠実に応答する義務を負う。特に,子どもの意見が大人の側の意見と異なり,大人の側が十分検討しても子どもの意見を容れられないような場合には,大人の側はその意見及び理由を十分に説明し,子どもが納得するように説明する義務を負う(誠実応答及び説明義務)。 B表明された意見について,その年齢や成熟度を考席し,相応に尊重する義務を負う(意見尊重義務)。 つまり,申立人の意見表明権に対応する形で,相手方は上記の@機会保障義務,A誠実応答及び説明義務,B意見尊重義務を負っていたと考えられる。 相手方が本件においてこのような義務を果たしたかどうかを検討するに,相手方は,@申立人の意見表明の機会を十分に保障したものとはいえないし,A申立人の要望について,それを適切に受け止め,仮に申立人が望むとおり方法は採れないにしても,それ以外の方法で申立人の思いを実現する手だてがないかどうかをともに考えるなどの行為をしていない点で誠実に応答したとも到底いえず,B申立人の意見を尊重したともいえない。したがって,本件における相手方の行為は,申立人の意見表明権を侵害する行為である(遵法である)。 第8 当会の判断〜人格権について 1.相手方の「監督」下にあった教諭らが,卒業式において申立人に対し,その氏名が呼ばれても返答,起立しないよう指示し,事実上申立人を欠席扱いにしたことは,申立人の人格権を侵害するものであって違法ではないか。 2.人格権の意義と人格権侵害の判断 人格権は,「人の人格に本質的な,生命,身体,健康のほか,名誉,氏名,肖像,プライバシー,自由及び生活に関する諸利益」を内容とする権利として,私法上の権利として認められることについては争いがない。また,単に私法上の権利としてだけでなく,「人格的生存に不可欠な,人格価値そのものにまつわる権利」が憲法13条の「幸福追求権」を根拠に憲法上の人権として保障されるとする学説も存在する(佐藤幸治「憲法(新版)」(青林書院)406貢)。 いずれにせよ,人格的生存に不可欠な,人格価値ないし諸利益について,これを不当に制約されないという意味での人格権が,権利として保障されていることには争いがない。 人格権の侵害といえるかどうかについては,一般的には,人格権を制約制限する行為について,その制約制限の目的の合理性及び目的達成のための制約制限の相当性を考慮した上で決定されるべきものである。 3.本件において,相手方の「監督」下にあった教諭らが申立人に指示した行為は,申立人だけが,卒業生として呼名されはするものの呼名に返答し起立し壇上に上がるという卒業式会場に居る者が当然に行う行動を取らないことの受忍を求めたということにある。 このように名前を呼んでも返事をせず,且つ起立しないことを強いることは,結局,学校行事においてその生徒をその場にいるにもかかわらず存在しないものとして扱うことの受忍を強いることになる。学校生括の場での「いじめ」などでも,そこに存在しているのに,無視したり,居ないものとして扱うことが生徒間において行われる例がしばしば見受けられ,これは,人の人格的生存に不可欠な人格価値を損なうものと言わざるを得ないものである。この意味で人格権侵害として問題となるものであるが,同様の行為を学校が主体となって行うのであれば許されないのは明らかである。 (なお,卒業式は、卒業生にとって,学校生活の極めて重大な節目である。そして,卒業式に参加している卒業生は,名前を呼ばれた際に返事をすることで式典に参加しているという気持ちを持つことができる。との意味で卒業式において卒業生が呼名され返事をすることは中学校課程の修了に際して教育上つまり教育を受ける権利の観点からも,尊重されなければならないことといえる。) 以上のような,生徒にとっての卒業式という学校行事の重要性からすれば,仮に学校側において式典の円滑な遂行のためという目的があったとしても,そうした目的のために卒業式という重大な行事において,卒業する生徒に対してその場に存在しないものとして取り扱うことは到底許容されるものとは言えない。 相手方の「監督」下にあった教諭らが,申立人に対して行った,呼名をしても一人だけ返事をさせず,起立をさせずにそこに存在しないものとして扱うという本件取り扱いは,教育上極めて不適切な取り扱いであり,生徒の人格権を侵害するものであって違法であると言わざるを得ない。 第9 結論 以上より,貴殿に対し,勧告の趣旨記載の勧告をするに至った次第である。 以 上 |