教育基本法「改正」後の近未来を示唆する尾道・民間人校長「自死」事件 文科省と県・市教委による徹底した学校・教職員「管理」 教育基本法「改正」法案の国会上程許さぬ共同の闘いを! 事務局 井前弘幸 2003.6.6 |
【はじめに】 (1)中教審答申のお墨付きを得た文科省と自民党は、「教育基本法改正案」の国会上程を目指す動きを強めています。今年1月26日に「日本の教育改革有識者懇談会(民間教育臨調)」(運営委員長:高橋史朗「つくる会」副会長)を発足させた右翼勢力もまた、自民党議員らと連携しながら、「改正」に向けた政府・地方議会への働きかけをさらに強化しようとしています。 自民党は、「有事関連法案」の衆院通過が確実になるやいなや、「教育基本法に関する協議会(与党内)」(5月12日初会合)を発足させ、公明党への「説得」活動に入りました。公明党の反発によって、今のところ今国会への法案上程の目処は立っていませんが、神道政治連盟や日本会議の議員懇談会役員メンバーを中心とする自民党「教育基本法検討特命委員会」は、同党「文教制度調査会」との合同会議(5/15)を開き、あくまでも今国会への法案上程をめざすことを確認しています。麻生自民党政調会長(特命委員長/日本会議議員懇談会長)は、冬柴公明党幹事長との非公式協議を水面下で繰り返しているようです。 自民党は、何が何でも公明党を「説得」し、与党内「調整」さえ整えばすぐにでも「教育基本法改正案」を国会に上程するつもりです。 −−−「(公明党が)国家主義に結びつくことを懸念するなら、『国を愛する心』の『国』を『くに』や『郷土』に替えてもいい。」(5/29森前首相・冬柴公明党幹事長会談)−−− 人を馬鹿にするにも程があります。いずれにせよ、「日本は神の国」(森前首相)だとか、「創氏改名は朝鮮人が望んだ」(麻生政調会長)などという国家観や歴史認識を公然と語り、恥じ入ることのない権力者たちによって、日本の教育は、今きわめて危険な状況に直面させられようとしています。 (2)自民党が狙う教育基本法「改正」の第一の狙いは、教育内容を含む教育の全体を国家が一元的に支配できるようにすることです。しかし、文科省を頂点とする教育行政は、「国旗・国歌法」成立直後の「教育改革国民会議最終報告」(小渕首相私的諮問機関2000.12.22)、その実現のために今後の取り組みの全体像を提示したという文科省「21世紀教育新生プラン(レインボープラン)」(2001.1.25)に基づいて、すでに「改正」を先取りする違法な教育への国家介入政策を次々と学校に強制しています。 教育行政による違法行為は、まさに「日の丸・君が代」強制をテコにしたいわゆる「教育『正常化』攻撃」から始まったのです。99年の広島・世羅高校校長「自死」事件から「国旗・国歌法」制定に至る教職員攻撃の過程とその後の職務命令・処分による「日の丸・君が代」強制過程を通じて、教育行政による学校支配は津波のように教職員と子どもたちを飲み込んでいます。 (3)この中で、今年3月、またしても一人の校長が「自死」に追い込まれました。広島県尾道市立高須小学校の民間人校長「自死」事件です。事件とその前後の教育委員会の対応は、学校現場が行政権力による不当な圧力の下でどれほど深刻な状況に追い込まれているのか、その一端を明らかにしています。教育行政が、教育目標、内容、教材、そして教員一人一人の良心まで統制し支配する。校長には、行政権力が決めたこと、認めたことのみを現場に強制する「リーダーシップ」を要求する。広島県・尾道市教委はすべての責任を教職員に押しつけ、教職員に対する行政的統制の一層の強化を打ち出して幕引きを狙っています。 教育基本法「改正」は、現に進んでいるこのような違法行為と「改正」先取りの実態を追認し、教育行政の介入権限をさらに拡大し、現場の教職員や保護者がこれに抵抗する法的根拠まで奪い尽くします。学校現場から人権と民主主義の実体を根絶やしにしようとするものです。 私たちは、校長「自死」事件の教育委員会による幕引きを許しません。教育基本法「改正」に反対する共同の闘いを広げるためにも、広島で先行する違法な「改正」先取りの実態を明らかにし、全国に強制されていく「改正」後の予見可能な、教育の未来に警鐘を打ち鳴らさなければなりません。 【1】民間人校長「自死」事件と広島県教委・尾道市教委の学校への権力的介入 事実隠蔽と捏造によって責任を教職員に転嫁する広島県・市教委「調査結果」 (1)広島県尾道市の小学校に着任した「民間人校長」が「自殺」した事件(2003年3月9日)について、5月9日、広島県教委と尾道市教委がそれぞれに「調査結果」を発表しました。県教委も市教委も、校長への支援が不十分だったとするだけで、その責任のほとんどを教職員に押しつけようとしています。 「校長が校務運営に慣れずに,特に教頭不在の中で困った様子であるにもかかわらず,校長の提案や指導に対して質問を繰り返したり,異議を申し立てるなどの行為が見られ,教職員が学校目標の実現に向け,校長を中心として一丸となって取り組む体制となっておらず,校務運営に協力する姿勢に乏しかったことから,その過程において校長は校務運営に相当苦悩していたことがうかがえる。」(県教委「調査結果」) 校長の「自死」直後、マスコミは次のような見出しでこの事実を報じていました。−−−「赴任直後、休職申し出 尾道市教委 問題視せず対応遅れ」(産経新聞3/12)、「否定できぬ研修不足 教委苦悩見過ごす」「尾道市で病気で休む校長・教頭・教職員が6% 全県では1%」(中国新聞3/14)。−−−少なくとも事実の一端は、明らかにされています。しかし、県教委・市教委は、この直後の報道にあわてて、一方的な情報をマスコミに流し始めます。3月14日の教育委員会議で「『職員会議で提案したことが教職員から突き返される』『組合組織率がほぼ100%の学校でありなかなか難しい』と高須小学校校長が語っていた。(下崎教職員課長)」との報告を皮切りに、「組合と対立し、教職員の協力が得られなかった」ことを「自死」の原因に仕立て上げるための世論操作を開始します。 県教委「中間報告」(4/11)の記者発表−−−「県教委は、『校長の知らない間に運動会プログラムから国旗掲揚、国歌斉唱など開会式の式次第が削られていた』との経緯を公表した。(中国新聞4/12)」 常磐豊県教育長による県立校長会議(4/15)発言−−−「常磐豊教育長は、慶徳和宏・元尾道市立高須小学校校長が校内で自殺した問題に触れ『管理職と教職員の対立が見受けられた。これを教訓に是正指導の徹底を』と呼びかけた。(読売新聞4/16)」 (2)全国紙でも、慶徳校長「自死」直後、次のような事実が伝えられていました。客観的な事実の経緯からすれば、原因は「教職員との対立」などではなく、上意下達で下ろされてくる教育行政からの指示に追われ、命令通りの学校経営のために身を粉にして深夜まで「働く」うちに「笑顔に囲まれた学校」を思い描けなくなった校長の苦悩、その苦悩を無視し放置してきた教委側の無責任で非人間的な対応が浮かび上がってきます。 「教頭が5月、脳内出血で倒れる。数日後、・・『医師から情緒不安定との診断を受けた。休ませて欲しい。』・・、市教委幹部は・・休暇の希望を受け入れなかった。・・8月にうつ病と診断され、薬を飲みながら出勤を続けた。教頭もほとんど休みが取れなかった。11月には県教委に転任希望を出すが、対応はなし。・・二人目の教頭も心筋梗塞で倒れた。・・(校長は、)『こんなに仕事に追われるとは思わなかった。失敗した。』とこぼし、自分の子ども時代のような笑顔に囲まれた学校を思い描いていたようだ。・・」(朝日新聞2003/3/14) 広島県教組は、校長の勤務状況等客観的な事実を明らかにするために、校長・教頭・教職員の勤務実態の把握を可能にする学校警備システム記録、2002年度教委への報告書など年間提出書類、民間人校長研修会資料・会議録等の公表を県教委・尾道市教委に公開請求し、弁護士や精神科医師などを含む第三者委員会による調査の実施を要求しています。しかし、県教委・尾道市教委は、すべての要求を拒否し、情報公開条例に基づく文書開示すら行わず、客観的な資料のすべてを隠蔽したまま(不開示の理由も明らかにしていない)、4月11日の「中間報告」と何ら変わらない「調査結果」を発表したのです。 教育委員会側の対応に、心の底からの怒りを感じます。その経緯から見ても、県教委・市教委「調査結果」は、事実の隠蔽と捏造によって、教職員にその責任を押しつけようとするものに他なりません。 (3)新聞でも一部公表されている「調査結果」と事実が明らかに食い違ういくつかの点や隠蔽されている次のような事実が、すでに県教組調査委員会の中間報告や高須小学校教職員によって明らかにされています。 ●親の介護のこともあり、自宅(広島市近郊の府中町)に近い学校への勤務を希望したにもかかわらず、尾道市への勤務を命ぜられた。高須校長は、赴任当初、自家用車・新幹線・在来線を乗り継いで勤務した。自宅に帰れない日も多かった。 ●県教委でのたった2日間の研修後、すぐに着任。いきなりの4月3日、121名在籍していた新6年生の一人の転出。転出を思いとどまるよう校長が保護者の説得に入るがうまくゆかず、4学級編成が3学級編成に。学級減により、2名の臨時採用職員を解雇。時間割の組替。校長は、このことに責任を感じていた。「たった一人のことで、こうなるのはおかしいですね。」(慶徳校長)このころPTA関係の夜の会合なども多く、相当疲労困憊していた。 ●尾道市教委は、「教育改革推進」のために次々と新しい施策を通達。一般の教職員も、年間指導計画(シラバス)の作成などで連日連夜の超過勤務。新しく下ろされてくる文書内容や書類の記入方法などは教委から校長のみに伝達されるため、校長は意味のわからない指示と文書の処理に追われる。頼みの綱が藤井教頭であった。連日夕方から夜にかけて、教頭に質問した。仕事にかかるのは、校長も教頭もその後である。その教頭が、5月に脳内出血で倒れる。 ●その直後、市教委に休職を申し出た校長に対して、「あなたの後ろには経済界がついているんですよ。頑張ってください。」と受け入れなかった。11月の転任希望にも耳を貸さなかった。 ●今年2月に坂井教頭が心筋梗塞で倒れた後、「教頭が倒れたのは自分のせいだ」(慶徳校長)と責任を感じていた。坂井教頭も12時くらいまで仕事する事が多く、パーキングエリアで2時間くらいの仮眠だけで、翌日出勤するという生活が続くことも多かった。 ●5月に藤井教頭が倒れた際には、市教委から午前・午後交替で職員が派遣されたが、2月に坂井教頭が倒れた後は、誰も来ない日があったり、来ても2時間程度だった。 ●慶徳校長が「自死」した直後の3月9日夜、PTAの緊急総会で市教委の対応策を発表する。脳出血で療養・休職中の藤井教頭を3月10日付けで復帰させるというもの。藤井教頭からは、今年6月までの休職願いが提出されていたにもかかわらずである。市教委のこの人権無視・人の命を何とも思わないご都合主義的な「教頭への復職命令」に、教職員全員が反対し、撤回に追い込んだのは当然の事である。 ●県教委が、教職員との対立の根拠にしている運動会プログラムの件。広島教組の調査では、プログラムは職員会議で承認され、すでに印刷・配布されていた。この間に、校長と教職員の間に対立は見受けられない。その後、「国旗掲揚、国歌斉唱」が印刷されていないことに、校長が気づいた。しかし、市教委から派遣されていた係長(すでに一人目の教頭は休職)が、「このままでいきましょう」と発言。その後、この件は職員会議でも触れられていない。 県教委・市教委は、責任が教職員側にあることを印象付けるために、教職員が総出で、事件にショックを受けた子どもたちへの心のケアや保護者への対応にあたっていた3月、教職員12名(全教職員の3分の1以上)を強制的に異動させることを発表しました。 高須小学校教員は、次のように語っています。 「こういう体質の尾道市教育委員会が、教育改革と称して次々に新しい施策を投入してくる状況の中では、高須小学校だからというのではなくどこの学校でも同様の事件が引き起こされても不思議ではありません。文部科学省の意向をそのまま市町村教育委員会に命じる広島県教育委員会とその県教委に対して先取り率先して新しいことを取り入れようとする尾道市教育委員会。彼らの指導・命令は、2002年9月にも一人の小学校教諭を勤務中の突然死に追いやっているのです。病気休養に入る学校職員は現在も増え続けています。」 (4)文部科学省の意向を受けて、学校への競争原理の急速な導入とそのための行政による強度の締め付けと監視体制を横行させている広島では、すでにいくつもの人権侵害事例が報告されています。尾道市での民間人校長「自死」事件は、人権を無視した県教委・市教委による校長への許し難い圧力の結果に他なりません。 広島県教委は、99年の世羅高校校長の「自死」以来、文科省による「是正指導」(「日の丸・君が代」や元号使用の強制、道徳教育の文科省「指導」通りの実施、組合活動への弾圧と教職員管理、学校運営における校長権限の拡大、授業内容を含む学校運営のあらゆる側面への監視と「達成」報告の義務付け)を校長と教職員に強制してきました。2000年以降、「義務教育改革ビジョン中期プログラム」を作成し、学校教育のあらゆる側面に数値目標を設定し、学校に「目標管理型マネジメント」に基づく運営と管理を強制しています。民間人校長は、それを担う旗印でもあったわけです。「一校一研究」、「学校に新しい風推進プロジェクト」など、「○○プロジェクト」に多用される数値目標。広島県教委は、地域ごとの学力テスト結果も公表し、地域間・学校間の競争を煽っていました。数値目標の発端にあったのが、教職員への徹底した職務命令と処分によって強制した「日の丸・君が代斉唱・掲揚率」の100%化であったのは誰もが承知していることです。(不起立のみを理由とした処分と「心を込めて歌う」命令を憲法に問う「ココロ裁判」が闘われている北九州市に次いで、広島県だけが不起立のみを理由に数百人の教職員を処分。) 広島県教委は、「調査結果」の中で、さらに「是正指導」と「組織マネジメント」を徹底することこそ「慶徳校長の御遺志にそうもの」と結んでいます。この徹底した目標管理・数値管理の中で、人間の命は二の次とし、「殉職」やむなしの宣言を行ったのです。 (5)数値目標に基づく熾烈な学校間・校長間の競争は、学校内では子ども間の競争を煽るということに他なりません。 「小学校の国語と算数が県平均を下回った広島県北部の町。教育長は『ショックだった。点数に振り回されてはいけないが、それでも県平均ぐらいまではアップさせにゃいけんと思った。』と話す。」「土日の宿題を増やし、やってこなかった子には学校でやらせることにした。週に一度7時間目の授業を作って補習にあてたり、校長・教師が総出で習熟度別学習に参加したり、・・。ある教師は、『平均点を上げるには、下位の子を引き上げるより、中位集団を鍛える方が早い』と話す。」(朝日新聞2003/5/18) 子どもたちは、競争の中で篩にかけられ「勝ち組」と「負け組」に選別され、「勝ち組」の「負け組」に対するいわれのない優越感や差別の助長が協力や連帯の原理に貫かれた「学び」を破壊していきます。教職員は、そのような「教育」を自らの命を削りながら担わされることになります。 これは、広島県だけの問題ではありません。文部科学省は、一斉学力テストの全国での実施をはじめとして、広島県が率先しているのと同様の教育政策の導入を全都道府県に競わせようとしているのです。 【2】全国化する「是正指導」=教育行政による学校介入の全面化 教育に押しつけられる国家への忠誠 (1)中教審答申は、ナショナリズムを前面に押し出すと同時に、教育内容を含む教育の全体を国家が一元的に支配するよう提言しています。 「教育基本法に示された理念や原則を具体化していくためには、これからの教育に必要な施策を(教育内容を含めて)総合的、体系的に取りまとめる教育振興基本計画を策定し、政府全体で着実に実行することが重要であり、(基本法に位置づけて)そのための法的根拠を明確にする。」(中教審答申2003.3.20) この意味は、いま学校現場で進行している事態に即して問題にしなければなりません。例えば、新しい「教職員評価制度」(給与・人事に反映させ学校現場の協働を破壊し、教職員を分断する)、「指導力不足等教員」(校長・教委が一方的に「認定」し、上からの指示に従わない教職員を学校から排除する)、「研修権の剥奪」(勤務場所を離れて行う研修の計画書・報告書の義務づけと「校長承認」権の濫用による自主研修の排除、官製研修の押しつけ)、「職務命令と処分」(「日の丸・君が代」強制におけるピアノ伴奏と斉唱指導など命令通りの儀式の強制、不起立のみを理由とした処分など)、「週案の提出」(授業案の提出を強要し、授業内容まで校長が細かく管理し強制する)、現代版国定修身教科書=「心のノート」の配布・使用の強制など教員の行動全体を校長の全面的な支配の下に置き、10年前には考えられなかったような全般的な管理統制強化が、一挙に現場の教員に重くのし掛かっています。そして、「愛国心」「日本人としての自覚」を成績評価する通知票です。 教育行政は、「計画」「命令」「官製研修」「評価」「指導力不足」「処分」という暴力で教職員を支配し、教育権の独立を否定し、さらに抵抗する者はやがて「不適格教員」として排除する体制を、時には右翼的勢力の力も動員しながら、整備していこうとしています。文科省は、「指導要領」(単なる文科省令)やこじつけの「公務員法」「教特法」を唯一の「法的根拠」に、国家の命じる通りの教育を教職員に押しつけ、教職員の「指導」を介して子どもたちに強制しています。 しかし、現行法では、その「法的根拠」は子どもたちや保護者・市民には及びません。むしろ、教職員への権力的強制や子どもたちへの人権侵害に対する保護者・市民からの批判は少しずつ広がり始めています。「つくる会」教科書に対する全国的な不採択運動は、その集約点でもありました。だからこそ、彼らは教育内容を含めた教育権限の排他的な国家権限を、教育基本法の中に位置づけることを必要としているのです。 (2)一方、答申は「個人の主体的な意志により、・・自らが国づくり、社会づくりの主体であるという自覚と行動力、社会正義を行うために必要な勇気、『公共』の精神、社会規範を尊重する意識や態度などを育成していく必要がある」(「21世紀の教育がめざすもの」の項目)として、権利としての教育を否定し、教育を国家及びその政策に従わせる「義務としての」「国民教化のための」ものに変質させることを打ち出しています。小渕首相の私的諮問機関であった「21世紀日本の構想」懇談会(河合隼雄座長)は、その答申(2000年1月)の中で次のように述べています。 「国家にとって教育とは一つの統治行為である。国民を統合し、その利害を調停し、社会の安寧を維持する義務、・・国家は、国民に対して一定限度の共通の知識、あるいは認識能力をもつこと要求する権利をもつ。」(「日本のフロンティアは日本の中にある」講談社) 義務教育ではそのための必要最低限の教育だけを義務化し、それ以外の教育をサービス化(自由競争と自己責任)することを提言しています。教育における「自由競争」は結局の所、ほんの一握りの「勝者」と圧倒的多数の「敗者」を生み出します。この理念は同時にその「敗者」に対する「道徳」による締め付けと、抑圧・弾圧の思想を含みます。ここに登場するのが、「国を愛する心」や「崇高なものに対する畏敬の念」や「自律・誠実・勤勉・公正・感謝・礼儀・感動する心・責任感・倫理観」などという「規範意識」項目の羅列です。これは、国家による人間支配とそれへの無批判的な従属を、教育によって義務付けようととするものに他なりません。 国家の手によって特定の国家イメージを注入し、その国家イメージに相応しい行動様式を「絶対的善」として要求する教育は、権力による「洗脳」に他ならず、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」「普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造をめざす教育を普及徹底」(教育基本法前文)を目的とする教育基本法の精神と真っ向から対立するものです。 (3)また、中教審答申は「新しい時代を切り開く心豊かでたくましい日本人」(答申のキーワード)への成長が期待される「人材」に対する、現行法の下ですでに開始されている特別の早期からの選別(学区の緩和、学校選択制、習熟度別学級編成、中高一貫校、飛び級等)を正当化し、さらに「それ以外の子ども」を「自己責任」論で切り捨てることのできる体制を、制度的にも法的にも整備することを提言しています。答申は、政府や経済界が望む「利益」のために役立ち、「国際競争に勝ち抜く日本」を牽引する力量をもったリーダーたちを育成することを教育の最重点目標に据えているのです。 中教審・教課審に強い影響力を持つ以下の2人の発言は、政財界の教育要求の本質を端的に言い表しています。 「ある種の能力の備わっていない者が、いくらやってもねえ。いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子どもの遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきますよ。」(江崎玲於奈・教育改革国民会議座長) 「できん者はできんままで結構、戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、出来る者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」(三浦朱門・前教育課程審議会会長)『機会不平等』(斉藤貴男著・文芸春秋社) 文科省は、最近「教育の構造改革−−画一と受身から自立と創造へ」と題する一般向けのパンフレットを発行しました。5月末の全国校長会などでも、パンフレットの完成を特に強調し、全国各地・各校で「教育の構造改革」を宣伝し「改革」に取り組むよう発破をかけています。以下のパンフレット巻頭言の抽象的な表現と江崎玲於奈氏・三浦朱門氏の発言を、アメリカを中心とする「グローバリズムと戦争」の「趨勢」に乗り遅れまいとする日本大企業のグローバル化・軍事大国化への指向と関連づけたとき、「なぜ今、教育基本法改正なのか」の問題がより明瞭になってくるのではないでしょうか。 「21世紀に入り、世界も日本も、さまざまな難しい問題に直面しています。深い霧の中を進む船のように、将来を見通すことが難しい時代に入っています。このような中で、我が国が、現に直面している課題、また今後押し寄せるであろう新たな課題を乗り越えて発展し、心豊かで活力ある、国民が希望を持てる社会を築いていくための鍵は、教育をおいてありません。教育に熱い視線が注がれているのは、そのためです。・・・教育に携わるすべての関係者が心を一つにして、一人一人の子どもたちを”新しい時代を切り開く心豊かでたくましい日本人“として育てるとの高い志をもち、最善を尽くすことでありましょう。」(パンフレット「教育の構造改革」の文科相巻頭言2003.5) 【3】教育基本法「改正」を先取りした教育への行政介入によって、学校が変わり、教科書が変わり、教員が変わる、そして子どもたちは・・・。 (1)教育の全面的な国家支配への道は、以下の“基本計画”(「21世紀教育新生プラン」(2001年1月25日 町村文相・当時)に基づいて、教育基本法の外堀を埋める形で、「学校教育法」「地方教育行政の組織及び運営に関する法律(地教行法)」「教育公務員特例法」(教特法)「地方公務員法」「教育職員免許法」などの相次ぐ法改悪となし崩しの解釈変更によって進められてきました。以下は「新生プラン」の項目ですが、文科省は、今、その「最後の仕上げ」としての「教育基本法改正」段階に入ったとしてOPの実現を要求しているのです。 @教育の原点は家庭であることを自覚する(「家庭教育手帳」の配布や地域的社会的教育への国家的介入等)。 A学校は道徳を教えることをためらわない(「心のノート」配布、「心の先生(道徳専門の教員配置)」等)。 B奉仕活動を全員が行うようにする(全員への「奉仕」活動の義務づけ等)。 C問題を起こす子どもへの教育をあいまいにしない(「問題行動」を起こす子どもの出席停止等)。 D有害情報から子どもを守る。 E一律主義を改め個性を伸ばす教育システムを導入(習熟度別学習、スーパーサイエンスハイスクールなどエリート教育の推進等)。 F記憶力偏重を改め大学入試を多様化する。 Gリーダー養成のための大学・大学院の教育・研究機能を強化する(大学の競争的環境の整備、国立大学の再編・統合等)。 H大学にふさわしい学習を促すシステムを導入する(各大学の自己点検・評価制度等)。 I職業観・勤労観ををはぐくむ教育を推進する。 J教師の意欲や努力が報われ評価される体制をつくる(「指導力不足等教員」の排除、「教員評価制度」の導入、官製研修の強制と強化等)。 K地域の信頼に応える学校づくり(学校自己評価システムの導入、学校評議会制度導入、教員免許取り上げ事由の強化、小中学校通学区の弾力化等)。 L学校や教育委員会に組織マネジメントの発想を取り入れる(教職員人事における校長権限の強化等)。 M授業をわかりやすく効率的なものにする。 N新しいタイプの学校(コミュニティー・スクール等)の設置を促進する。 O教育政策の総合的推進のための教育振興基本計画の策定。 P新しい時代にふさわしい教育基本法を。 (2)文科省による国家的な教育改変プログラムの提示と「調査」=監視と強制、「公表」と「予算配分」=競争によって、地方教育行政、校長、教職員を上から下へ締め上げ、結局は子どもたちを新たな競争へと追い込む過程が進行しています。 2000年4月から「人事考課制度」が導入された東京都。学校現場は、「自分で立てた目標にとらわれたり、硬直的になったり、その障害となる人物を攻撃したり、評価される事を気にして防衛的になったり、責任を転嫁するようになったり、静かに遅効性の毒のように教育を殺しつつあるこの恐ろしい制度を絶対に止めさせて欲しい。」(40代男 「人事考課『黒書』」東京都高教編より)との声に象徴されるように、学校現場における教職員の分断支配や協働破壊の実情は、すでに深刻な段階に入ろうとしています。 熊沢誠さん(甲南大学)は、「能力主義と企業社会」(岩波新書)の中で、次のように指摘しています。「競争のある組織ではオピニオンリーダーは常に、競争の勝者である。管理者を代表とする『精鋭』たち、つまり競争の勝者たちが主張するその措置に、能力主義管理の強化に不安を感じるノンエリートたちがあえて反対するなど実際上できはしない。こうして、職場の合意を得たことになるわけである。」これが、「学校や教育委員会に組織マネジメントの発想を取り入れる」ということです。教育基本法の基本理念は、この新しい「教育行政」プログラムの中では、完全に破壊されています。 この最先端を行っているのが「広島の教育行政」であり、「教育基本法改正」の方向に進む教育の近未来がそこに表現されていると考えても、決して考えすぎではありません。 【4】有事関連法の「成立」から、憲法「改正」へつながる道−−− 教育基本法「改正」法案の国会上程許さない共同の闘いを (1)政府は、有事関連法案に関わる審議の中で、有事における私権(基本的人権)制限と戦争への協力義務を「高次の福祉」「公共の福祉」論で正当化しています。 「憲法13条が『公共の福祉に反しない限り』と規定しているほか、憲法第12条その他の規定からも、憲法で保証している基本的人権も、公共の福祉のために必要な場合には、合理的な限度において制約が加えられることがあり得るものと解され」、「武力攻撃事態への対処のために国民の自由と権利に制限が加えられるとしても、国及び国民の安全を保つという高度の公共の福祉のため、合理的な範囲と判断される限りにおいては、その制限は憲法第13条等に反するものではない。」(2002.7.24政府統一見解) 一方、中教審答申は「『公共』に関する国民共通の規範の再構築(『公共』に主体的に参画する意識や態度の涵養の視点)=『社会の一員としての使命・役割の自覚』」を教育基本法見直しの観点として提言しています。有事法体制の確立に向けた「高度の公共の福祉」論、「軍事的公共性」論とは、同じメダルの裏表です。「つくる会」歴史・公民中学教科書は、子どもたちを「『公』への奉仕」という価値観へと導いています。全小・中学校に配布された国定道徳教科書「心のノート」も、その結論は『私』を去り、『公』に尽くせということに行き着きます。 有事法制と教育基本法「改正」が、第9条改悪にとどまらない憲法の全面的な改悪への車の両輪を成していることを、この一点からだけでも見て取ることができます。 (2)教育基本法「改正」は、全般的な政策から教育内容、個々の教職員の教育活動に至る全面的な国家支配(その意味で、「教育勅語」体制の復活と戦前回帰)、学校と教育への本格的な競争原理の導入など現行の教育基本法が厳に禁じている違法行為を「合法化」し、違法行為への抵抗の法的根拠を教職員や子どもたち・保護者、市民から奪い、広島に典型的に現出している「教育」を一層本格化し全国に徹底させる転換点となります。 教育基本法「改正」に反対する共同の闘いを広げるために、教育現場からは先行している「改正」先取りの実態とその批判を、市民全体に明らかにし、「改正」後の学校の予見可能な未来を徹底して批判しなければなりません。教育基本法「改正」を阻止するために、私たち一人一人が大きく団結し、「改正法案」を国会に上程させない最大限の共同の取り組みを開始しましょう。 |