広島県教委の暴力的学校支配−03人事異動− 広島県人事委員会での最終意見陳述より 2003.4.17 |
4月17日の結審で,本人中沢校長が最終意見陳述を行いました。その前文を送付します。広島県教委の暴力的学校支配の一端が伺えると思います。 府中市校長を支援する市民の会 渕上和俊 二○○○年七月一四日、広島県教育委員会は二○○○年度の入学式において国歌を斉唱しなかったとして、府中市立の小学校・中学校校長一六名に「戒告」の懲戒処分を行いました。私たち一六名は、その日の内に不服申し立てを決意いたしました。そして同年の八月二九日に処分書の教示にしたがって、代理人を通して広島県人事委員会へ、不利益処分に対する不服申立書を提出いたしました。 それと並行して「不当処分取り消し請求を支援する市民の会」が結成され、物心両面での力強いご支援をいただきました。 私たちは、県教育委員会の方針、府中市教育委員会の指導の基、一人ひとりの子どもを大切にする同和教育を、全ての教育活動の基底に据えて実践を積み上げてきました。 ところが、一九九八年の文部省是正指導と辰野教育長の着任によって、今までの方針を一八○度変更して「日の丸・君が代」実施を強引に推し進めてきました。 私たちは、この急激な転換に戸惑い、再三にわたってその説明を求めてきましたが、何らの回答もありませんでした。 府中市教育委員会は、「教育は、本来平和にして、民主的なものであるべきであり、道をひらき、事を進めるに際し、命令や処分をもって進めるべきではない」「論議を尽くして、実践への道を開くのが最良の方法であろう。あくまでも、校長の主体的決断を待つべきである」ことを基本においていました。 私たちはそれを受け、子どもたちに戸惑いや不安を与えることなく実施するには、教育内容の創造に時間が必要であり、また、今日まで県教育委員会の指導してきたこととの整合性の整理がついていないことから実施を見送ったのです。この間の私たちの苦悩は口頭審理において訴えたとおりでございます。 こうした、府中市教育委員会の基本的な教育姿勢、教育哲学に裏打ちされた方針であるにもかかわらず、県教育委員会はその内申を無視して懲戒処分を強行されたことは、私たちだけの問題ではない、全国で働いている先生方にとっても大変なことになるとの思いが、不服申し立てに踏み切った大きな理由の一つです。 もとより、学習指導要領の法的拘束性のあることは承知していますし、学習指導要領を遵守していくべきでありますが、教育内容については処分を以て強制するものではないと確信しています。 また、府中市教育委員会は職務命令は出さない方針でしたので、処分理由にいう「法令等及び上司の職務上の命令に従う義務違反」には該当せず、「校長として職務上の義務違反」は存在しないことについては、公開口頭審理で主張してきたとおりです。 さらに、「君が代」の歌詞をめぐって、これを強制することは、子どもたちの「内申の自由」を侵害するおそれのあることも、審理の中で明らかにしてきました。 これもひとえに、何もわからない私たちに対して5名の代理人の方々の、丁寧にわかりやすく指導をいただいたおかげです。感謝の言葉がございません。代理人さんとの話し合いは今日までに二三回を数えました。 そして、人事委員会の公正な、配慮有る審理指揮により公開口頭審理も順調に進みました。私たちの気持ちも人事委員の皆さんにもわかっていただけたことと思っています。 ところが、残念なことが起こりました。 昨年四月府中市長選挙で当選した伊藤市長は、小川教育長更迭という教育介入ともいえる施策で、県教委から半田教育長を迎えました。半田氏は本案件処分時の教職員課ナンバー2で、本案件処分に深く関わった人物であることは周知のことです。そして、府中市教育委員会事務局へ、県教委から課長、係長を配置し府中市の指導主事を社会教育課へ転出させ、これまでの府中市教委の指導体制を一掃したことも、審理の中で明らかになったとおりです。 これと前後して、昨年六・七月に市外へ転出した四名の校長が、この不服申し立てを取り下げるという事態が起こりました。彼らは「迷惑をかけて申し訳ないが、私一人の決断ですから。」ということですが、その後の半田教育長の「不服申し立てをダーティだ」という発言などから、何らかの県教委の働きかけがあったことを窺わせます。 その後、一○月から今年1月にかけて、さらに三名の校長が取り下げを行いました。 私たちに動揺はないとはいいませんが、彼らを責めることはいたしませんでした。ただ私たちは『黙して語らず』で今日まできています。 県教委は、処分の立証責任を果たしたとはいえない状況で、私たちに有利に審理は進んできたと思っています。そのためには、取り下げを画策する以外に方法がないのかもしれません。 そんな時、年度末人事異動で、申し立てを取り下げていない九名全員を動かしました。 鍋島校長(東小・一年)→辞職 重元校長(一中・一年)→向東中(尾道) 佐々木校長(三中・六年)→府中東小 中沢校長(四中・1年)→上野小(神石郡) へき地指定校 武田校長(西小・4年)→岩谷小 瀬尾校長(岩谷小・二年)→仁賀小(双三郡) 竹下校長(国府小・二年)→能登原小(沼隈) 背尾校長(諸田小・一年)→広瀬小(福山市) へき地指定校 皐月校長(明郷小・三年八月)→御野小(神辺) 鍋島校長は後1年を残して辞職を余儀なくされました。 背尾校長も1年で、遠隔地のへき地校への異動であり、重元校長も1年で尾道の島嶼部への異動です。勤続1年で異動させることが、どんな教育効果をもたらすというのでしょうか。 また、瀬尾・竹下・皐月校長にしても、郡市をまたがって遠隔地への広域人事異動です。瀬尾校長は単身赴任を余儀なくされています。 市内転勤は西小から岩谷小の武田校長のみであり、佐々木校長は三中から東小への校種変更です。もちろん本人への事前の意向打診は有りません。その武田校長は、広島県小学校研究会の今年度音楽県大会引き受け、その実行委員長として日時も決まり、西小学校一丸となって取り組んでいる矢先のことです。 私事ですが、昨年の異動で、府中四中で残り三年を地元で、地域に根ざし、小学校、地域・保護者との連携を深め、地域に開かれた学校を目指して、私の教員生活を燃焼させ、有終の美を飾りたいと思って取り組んでいました。ところが、神石郡の上野小学校への転勤辞令です。山村のへき地指定の複式学校です。中学校の経験しかないものに一体何を求めてのことでしょうか。 まさに、取り下げていない者に対する「見せしめ」であり、報復人事としか言いようがない異常な年度末人事でした。 しかし、私たちの結束はかえって強くなりました。「先生、こんな人事があるんの?」「腹が立つのう。へえでも負けたらいけんで」という子ども、保護者・住民の声に励まされて、それぞれの任地でしなやかに取り組んでいます。 先般の弁護団会議で「今日の社会情勢の中で、確かに一六名中七名の方は取り下げたが、まだ九名もの方が残っているではないか。僕はこのがんばりは確かなもので、敬意を表したい。」と励ましていただきました。外山、山田両弁護士、小坂家・渕上代理人に感謝致します。 これでおわりたいと思っていたのですが、本日、県教育委員会から提出された「準備書面第四」を見みて、その内容に非常な腹立たしさを覚えました。特に、今回の不服申し立ては、先ほども述べましたように、私たちの主体で行ったものです。それを「必ずしも本人らの本意でなかった」といわれるのは、心外であり許せないことで す。 おわりになりましたが、毎回の審理に傍聴に駆けつけて励まして頂いた、支援者の皆様ありがとうございました。 おかげで、二○○○年七月一四日の原点に返って、今、最終意見を言わせていただいている次第です。 当初申し上げましたように内申抜き処分が当たり前になれば、日本の教育界はますます閉塞状況に追い込まれます。教育界に希望とロマンを取り戻したいと願っています。 人事委員会の賢明な判断を切にお願いいたしまして、不服申立人を代表しての最終意見陳述といたします。 |