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北九州市教育委員会の行った不起立「懲戒処分」に対する
福岡県弁護士会の「警告書」
2000年(平成12)年6月28日
北九州市教育委員会
教育長 石田紘一郎 殿
福岡県弁護士会
会長 春山九州男
同人権擁護委員会
委員長 大塚芳典
警 告 書
当会は、弁護士法に規定された弁護士の使命である基本的人権の擁護と社会正義の実現を期するために人権擁護委員会を設け、人権侵犯救済申立を受けた案件について調査を行い、事案に応じて適宜の措置をとることとしております。
このたび、北九州市の公立学校教員である〔A〕氏及び〔B〕氏ほかの申立にかかわる案件について、人権擁護委員会で調査・検討を重ねた結果、貴委員会に対して下記の通りの警告をすべきものとの結論に達し、当会の議決機関である常議員会においてこれを承認しました。
本警告をすることとした理由は別紙「警告の理由」記載のとおりです。
記
貴委員会は、北九州市立の養護学校教員である申立人〔B〕氏が、以前にも懲戒処分を受けながら、卒業式・入学式における国歌(君が代)斉唱の際には起立するように校長から事前に命じられていたにもかかわらず、これに違反して着席したこと(平成10年3月6日の卒業式及び同年4月8日の入学式において)を理由として、平成10年7月17日、同氏に対して減給3カ月の懲戒処分をなしました。
また貴委員会は、北九州市立〔C〕中学校の教員である申立人〔A〕氏に対しても、同様の着席行為(平成10年4月10日の入学式)を理由として、平成10年7月17日、同氏に対して戒告の懲戒処分をなしました。
貴委員会は、平成元年以来、同種事例について教職員の懲戒処分を行ってきていますがこれは貴委員会が、事前に組織的に各学校の校長に対して君が代斉唱時に教職員を全員起立させるように指導し、これに対する違反者をすべからく処分の対象とし、不起立行為を重ねる者に対して懲戒処分を課しているものであります。いわば、貴委員会は自ら主導して懲戒処分という制裁をたてに、君が代斉唱時に起立しようとしない教職員に対して、起立を強制しようとしている実態があります。
しかしながら、君が代を是とするか否かは、各個人にとって自己の信条や信仰に深くかかわる問題であり、憲法上、思想良心の自由・信教の自由によって保護を受ける領域であります。従って、卒業式・入学式における君が代斉唱指導が教職員の職務上の義務であるとしても、教職員が自己の信条や信仰を理由として単に起立斉唱しないという行為に対して、懲戒処分という重大な制裁をもって臨むことは、憲法上保障された当該教職員の思想良心の自由ないし内面的信仰の自由を侵害するものであるといわざるをえません。
つきましては、貴委員会におかれましては、前記2氏に対する懲戒処分について再考されるとともに、今後、このような懲戒処分をもって教職員に対して君が代斉唱時の起立を強制するという運用を改められるよう、警告いたします。
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警 告 の 理 由
第1.申立の概要
1.申立人〔A〕について
申立人〔A〕は中学校教員であるが、勤務する中学校における入学式・卒業式における「君が代」斉唱時に自己の信条から起立をしていないものであるところ、
1998年5月19日、北九州市教育委員会(以下「市教委」という)が〔A〕の「君が代」斉唱時の着席に関連して事情聴取を行う際に、市教委の学務部主幹〔D〕が〔A〕に対して
「あなたには君が代を歌わない自由もあるかもしれませんが、職業選択の自由もあるんですよ」と発言したことにつき、
市教委に対して、右発言の撤回と申立人〔A〕に対する謝罪を求める。
2.申立人〔B〕について
申立人〔B〕は養護学校教員であるが、勤務する学校における入学式・卒業式における「君が代」斉唱時に自己の宗教的・思想的信条から起立をしていないものであるところ、
市教委が、申立人北九州がっこうユニオン・ういの組合員である〔B〕の「君が代」斉唱時の着席を理由に、〔B〕に対し1998年7月17日付けでなした減給3か月の懲戒処分をなしたことにつき、
市教委に対し、これを取り消すことを求める。
第2.認定事実
1.申立人〔A〕について
1)〔A〕は中学校教員であるが、勤務する中学校における入学式・卒業式における「君が代」斉唱時、自己の信条から起立せず着席したままでいることを、平成7年度の卒業式以降続けてきた。
自己の信条とは、戦争に利用されてきた「日の丸」や天皇制を賛美する「君が代」を嫌悪し、特にその教育現場における強制に反対する立場である。
市教委はこの〔A〕の不起立を校長の職務命令違反であるとして、平成7年7月に厳重注意をした後、平成8年7月に文書訓告処分、平成9年7月に戒告の懲戒処分を行っている。
2)平成10年7月17日、市教委は〔A〕に対し、戒告の懲戒処分を行った。処分理由は、「先に懲戒処分を受けながら、平成10年4月10日に行われた〔C〕中学校入学式において、式次第に定められた国歌斉唱の際には起立するように校長から事前に命じられていたにもかかわらず、これに違反し着席していたことである。」
3)上記処分に先立って、同年5月19日、市教委が〔A〕に対して学校の校長室で事情聴取を行った。事情聴取を行った市教委の担当者は学務部主幹の〔D〕である。この事情聴取においては、〔A〕が入学式の君が代斉唱の際に起立しなかった理由について、自己の思想良心の自由を主張したのに対して、〔D〕は、教師はその職務として学習指導要領に従って生徒に対して範を示さなければならない旨主張した。
その際のやりとりの中で、〔D〕は〔A〕に対して、
「あなたには思想信条の自由もあると思いますが、職業選択の自由もありますよ」
という趣旨の発言をなした。
2.申立人〔B〕について
1)〔B〕は養護学校の教員であるが、勤務する養護学校における入学式・卒業式における「君が代」斉唱時、自己の信条から起立せず着席したままでいることを、昭和58年ころから続けてきた。
〔B〕はキリスト教徒であり、「君が代」は天皇の神性を内包したものと考えるので、これを歌うことを強制されることは自己の信教の自由を侵害するものであると考えて、着席しているものである。
市教委はこの〔B〕の不起立を校長の職務命令違反であるとして、平成3年7月に厳重注意をした後、平成4年7月に文字訓告処分、平成5年、6年、7年、8年各7月に戒告処分、9年7月に減給1か月と懲戒処分を続けている。
2)平成10年7月17日、市教委は〔B〕に対し、減給(給料の月額の10分の1に相当する額)3か月の懲戒処分を行った。処分理由は、「先に懲戒処分を受けながら、平成10年3月6日に行われた〔F〕養護学校高等部卒業式において、式次第に定められた国歌斉唱の際には起立するように校長から事前に命じられていたにもかかわらず、これに違反し着席し、さらに同年4月8日に行われた〔E〕養護学校入学式において、校長の事前の命令に違反して、先と同種の行為を繰り返したことである。」
3.その他の経線・背景事実
1)市教委による各校への指導と懲戒処分等
昭和60年ころから教育現場における日の丸掲揚・君が代斉唱に関する統制が強まった。北九州市では、君が代斉唱時に起立しなかった教職員に対して昭和62年、63年に厳重注意処分が行われ、平成元年からは地法公務員法に基づく戒告等の懲戒処分がなされるようになった(なお学習指導要領における国旗・国歌の取り扱いについては、平成元年3月の改正において、特別活動における国旗掲揚および国歌斉唱の取り扱いが、従来の「国民の祝日などにおいて儀式を行う場合には・・国旗を掲揚し、国歌を斉唱させることが望ましい」から、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」へと改められている)。
このような不起立行為をした教職員に対する市教委からの処分は、当初は懲戒処分の前段階として、厳重注意処分、文書訓告処分が行われるが、それでも更に不起立行為を重ねる者に対して、懲戒処分が行われ、懲戒処分の内容も、戒告、減給1ケ月、減給3ケ月、と徐々に強化される。懲戒処分の直接の根拠となる「起立して斉唱せよ」という職務命令は、各校長により発せられるものであるが、以下のとおり、市教委が、教職員の不起立を問題視して、そのような職務命令をなすように校長に指導し、これに従わない教職員に対する処分を実施してきたものと認められる。
すなわち昭和60年8月の文部省から各教育委員会教育長宛の通知において「学校行事について、入学式及び卒業式において、国旗の掲揚や国歌の斉唱を行わない学校があるので、その適切な取り扱いについて徹底すること」との指導があったことをふまえ、市教委は、その内容と学習指導要領の趣旨を斟酌した結果、北九州市立学校に対して、卒業式及び入学式における国旗及び国歌の取り扱いについてこれを適切におこなうよう文書若しくは口頭による指導をおこなうことを決定した。これらの指導のうち、口頭によるものの内容は次のとおりであり、これは、例年、卒業式及び入学式前の校長会においておこなわれる。
@国旗掲揚の位置はステージの中央とし、児童生徒が国旗に正対するようにする。
A式次第の中に国歌斉唱を位置づけ、その式次第に基づいて進行をおこなう。
B国歌斉唱はピアノ伴奏でおこない、児童、生徒及び教師の全員が起立して正しく心をこめて斉唱する。
C原則として、教師全員が式に参列する。
この指導の結果、すペての市立学校において、校長により教職員に対して君が代斉唱時に起立して斉唱するようにとの職務命令が出されるようになり、起立しない教職員についてはすべて校長から市教委に対して報告されるようになった。市教委は、報告された対象者全員に対して、前述のように厳重注意処分、文書訓告、あるいは懲戒処分の措置をとっている。
2)市教委による懲戒処分前の事情聴取
市教委が懲戒処分をなすにあたっては、対象者に対して事前に事情聴取を行ってきている。
この事情聴取については法令上の根拠があるものではないが、市教委が懲戒処分の前提として事実確認のために行っている。
本来は、対象者に教育委員会へ出頭させて聴取を行うべきところであるが、この君が代の件に関しては、対象者が出頭しない過去の例があるため、市教委の担当者が各学校に出向して事情聴取を行っている。
この事情聴取の基本的な目的は事実の確認であるが、処分理由について対象者から異議があれば、納得させるための説諭を行う場合がある。申立人〔A〕に対する事情聴取においては、〔A〕から異議が主張されたため、〔D〕は説得に努めたが、既に裁判係争中のことでもあり、説得というより意見対立のもと議論が交わされたという実態であった。
なお、この平成10年7月の懲戒処分の対象者は〔A〕の他3名いたが、これら3名に対する事情聴取においては、不起立の事実の確認が行われただけで、処分理由についての議論はなかった。
3)国旗及び国歌に関する法律の成立
なお、本件の懲戒処分が行われた後の平成11年8月13日、「国旗及び国歌に関する法学」が成立、施行された。
政府は、平成11年6月11日、この「国旗及び国歌に関する法律」案を国会に提出するにあたって、「国歌の斉唱などを義務づけるようなことは考えてりない。現行の運用に変更が生じるようなことにはならない。」旨の統一見解をまとめ、その後の国会の審議のなかでも再三「強制する趣旨ではない」と繰り返し答弁した。
第3.判断
1.申立人〔A〕について
1)前記事情聴取の際に、〔D〕が〔A〕に対して「あなたには思想信条の自由もあると思いますが、職業選択の自由もありますよ」という趣旨の発言をなしたことについては当事者間に争いがない。
2)〔A〕は、君が代斉唱時の不起立を理由とする懲戒処分が、自己の思想・良心の自由を侵害するものであるとの前提に立ったうえで、上記〔D〕の発言について、「自己の教員としての職業選択の自由を侵害する」「事情聴取という公務の場でなされたものである以上、相手方市教委としての発言と判断せざるを得ない」と主張する。
検討するに、〔A〕は「職業選択の自由」の侵害と主張しているが、場面としては職業選択の自由という権利の侵害が問題となる場面ではなく、結局〔A〕の意図するところは、懲戒処分そのものに加えて、事情聴取における上記〔D〕の発言が、自己の思想・良心の自由を侵害するものである、というところにあると理解すべきである。
3)「思想・良心の自由もあるが、職業選択の自由もある」という趣旨の上記発言の意図について、〔D〕は、当事件委員会の聴取に対して、〔A〕に対して退職を勧奨したつもりはないと主張するが、この発言を客観的にみれば、それは、相手に対して教員以外の職業の選択を示唆するものであって、暗に転職を促したものと受け取られても仕方のない発言である。
4)しかしながら先に事実認定したように、このような事情聴取自体は、懲戒処分の理由となる事実の確認のためなされているものであり、市教委が対象者に対し態度変更を迫るための説得の場として用いられているわけではなく、そのような実態も認められない。
従って、この事情聴取において、処分理由について議論になった際に〔D〕が上記のような発言をなしたとしても、それが市教委による退職勧奨であると認めることはできない。
5)よって、仮に懲戒処分自体が〔A〕の思想・良心の自由に対する権利侵害であるとしても、本件の〔D〕の上記発言をもって、市教委の〔A〕に対する権利侵害が認められるということはできず、単に〔D〕個人の発言が不穏当であったというにとどまる。
6)以上より、〔D〕の上記発言自体に関しては、市教委に対して発言の撤回と謝罪を求める〔A〕の申立ては理由がない。しかしながら、〔A〕の申立ての内容には、自己に対する懲戒処分が思想・良心の自由を侵奪し、違憲・違法なものであるとの趣旨を含んでいると考えられるので、この点については、以下の〔B〕の申立てに関する判断において併せて考察することとする。
2.申立人〔B〕について
1)〔B〕が、平成10年の卒業式・入学式における君が代斉唱時に、事前に校長から起立して歌うように職務命令を受けていながら、起立せず着席したままであったこと、これを理由として前記のように減給3ヶ月の懲戒処分を市教委から受けたこと、について当事者間に争いはない。
2)法的争点
〔B〕は、本件の懲戒処分による君が代斉唱時の起立斉唱の強制が、自己の思想・良心の自由ならぴに信教の自由を侵害するものである、と主張する。
そこで以下、
「教職員に対して、卒業式・入学式における君が代斉唱時に起立することを義務づけ、これに反して起立しない者に対して懲戒処分を課すことは、対象者の憲法上保障された思想・良心の自由、ないし信教の自由を侵害するものといえるか」
について検討を行う。
なお、思想・良心の自由の侵害という点は申立人〔A〕・〔B〕に共通する論点であり、〔B〕については、キリスト教信者であるため、あわせて信教の自由の侵害が問題となる。しかしこの場面における信教の自由は、積極的な宗教活動の自由の問題ではなく、個人の内心的信仰の自由の問題〈自己の信仰に反する行為を強制されない)であり、内心の自由の侵審を問題とする点で思想・良心の自由と判断構造を同一にする。よって以下では、この二つの自由に関して同列に検討を行っていくものとする。
T(前提問題)君が代斉唱問題は思想・良心の自由ないし信仰の自由にかかわる問題といえるか
「思想・良心の自由」の保障対象については、次のとおり説が分かれている。
a.信条説(狭義説)
政治的信念、思想的確信、世界観など個人の人格形成の核心をなすものに限定される
b.内心説(広義説)
広く「ものの見方ないし考え方」も含まれる
b説によればもちろん、a説によったとしても、君が代斉唱問題は憲法19条の保障対象に関わる問題といえる。
なぜなら、君が代斉唱の是非についての態度決定は、君が代の歌詞内容の政治性、君が代の歴史的経緯等の評価にかかわって、明らかに政治性・思想性を帯びた問題であり、狭義説によっても人格形成の核心にかかわるものとして19条の保障対象と解されるからである。
※京都君が代訴訟・京都地判平成4年11月4日においても以下のとおり判示されている。
「君が代を苦い戦争の記憶と重ね合わせて、これに強い嫌悪の情を持つ者がいることも否定することはできない」
また信仰の自由に関しても、君が代それ自体が宗教性を帯びているかどうかはひとまずおいても、上記のような君が代の問題性からすれば、君が代斉唱を強制されることが個人の宗教的信条と衝突するということが是認でき、信仰の自由の侵害の問題を生じうるといえる。
U(合憲性判断基準)君が代斉唱の教職員に対する強制が当該教職員の思想・良心の自由ないし信仰の自由を侵害するものといえるかどうかを、いかなる判断基準により判断するか
@沈黙の自由
思想・良心の自由の保障内容として、自己の思想・良心を外部に表明することを強制されない権利(いわゆる「沈黙の自由」)が学説上、一応確立されている。
申立人らは、本件「君が代」処分が、この「沈黙の自由」を侵害するものであって明白に違憲であると主張する。
しかしながら、「沈黙の自由」保障の趣旨は、公権力が個人に外形的行為を強要することによってその内心を強制的に告白させもしくは推知することが思想・良心の自由に対する重大な侵害となるため、かかる公権カの行為を違憲とするものである。
しかるに本件の君が代斉唱時の起立の強制については、対象者の「君が代反対」という内心を強制的に告白させること、ないしかかる内心を推知することを目的として実施されているものと断定することはできないと考えられる。
よって、本件の起立強制が直ちに「沈黙の自由」を侵害するものと断ずることは適切ではないと解される。
むしろ、信教の自由にも共通として問題とされる、次の、内心の自由を理由とする一般的法義務の回避の問題として、考察・合憲性判断をなすペきものであると解される。
A一般的法義務の回避
個人は、自己の思想・良心の自由ないし信仰の自由を墟拠として、一般的な法義務を回避しうるか、という問題である。学説は、回避を認める余地はないとする見解(平等取扱い説)と、例外的こ回避を認める余地があるとする見解(義務免除説)に分かれるが、後説が近時多数説となっている。
「およそ一般的に、自己の思想・良心に反することを理由に法に従わないことができると解したならば、すペての法が19条違反を理由に無効とされうることとなり、これでは法治社会は成り立たないから、思想・良心に反することを理由とする法への不服従を一般的に広く認めるわけにはいかない、というペきである。しかし、他方、法への服従が自己の人間性の核心を否定することになる、というような場合に、なお法への服従を要求することは、その人の人間性そのものを法の名において奪い去るのと変わりがない。したがって、このような場合には、自己の思想・良心に反することを理由に法に従わないことが認められなければならないといえよう。」(浦部法穂)
最高裁判例も、「エホパの証人剣道拒否事件」判決(平成8年3月8日)において、生徒が信教の自由を確拠として、一般的法義務を回避しうることがあるとの趣旨を示している。
そこで以下この義務免除説に従って検討する。
問題は、いかなる要件が満たされたときに義務の回避が許されるか、である。
この点学説によれば、一般的法義務によって縛られる利益と、当該信教の自由(思想・良心の自由)保障によって得られる利益との間の利益衡量によって、一般的法義務による規制が当該信仰ないし思想・良心にとって重大な侵害になるかどうかにより判断すペきものとされる(長尾一紘ほか)。
より具体的には、
・当該法義務の性格。その法義務が実質的な公共的利益を実現するために必要不可欠なものといえるかどうか。
・当該信教の自由(思想・良心の自由)の真摯性。とくに非宗教的な思想・良心については、宗教的信念と同程度の強さを持っものといえるか。
・当該法義務による規制が当該信仰ないし思想・良心にどの程度の負担・妨げを生じさせるか。また、当該法義務を履行しないことによって、その者にどの程度の不利益が許されるか。
といった諸事情を考慮して、決せられるべきである。以下本件においても、かかる判断基準により合意性判断を行う。
V 本件における「公共の利益」「法的義務の性格」の検討
@法的義務の性格
懲戒処分の直接の根拠となるのは、各校長による職務命令であり、これは式典の直前の職員会議等で発せられるものである。前記のように、この職務命令は市教委の指導に従って一律に発せられているものであって、市教委による違反者に対する処分の前提条件を提供しているものであるといえる。
そして前記のとおり市教委は、学習指導要領中の規定を根拠として、君が代斉唱について各学校に指導を行っており、本件懲戒処分の実質的理由も、この想定に反することに求めている。
従って本件における法的義務は形式的には校長の職務命令という形で現れるが、その実質的根拠は学習指導要領中の規定に求められるということができる。
A公共の利益の実質
「学習指導要領指導書 特別活動編」(文部省編)には次のように記述されている。
「日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てるとともに、児童(中学校においては生徒)が将来、国際社会において尊敬され、信頼される日本人として成長していくためには、国旗および国歌に対して正しい認識をもたせ、それらを尊重する態度を育てることは重要なことである。
学校において行われる行事には、様々なものがあるが、この中で、入学式や卒業式は、学校生活に有意義な変化や折り目を付け、厳粛かつ清新な雰囲気の中で、新しい生活の展開への動機付けを行い、学校・社会・国家など集団への所属感を深める上で、・・よい機会となるものである。このような意義を踏まえ、入学式や卒業式においては、『国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。』こととしている。」
以上からみると、学習指導要領の当該規定により追求されている公共の利益とは、教育目標としての「国旗・国歌を尊重する態度、ひいては日本人としての自覚・愛国心・国家への帰属意識の醸成」であるということができる。
W 本件における信仰の自由・思想良心の自由の侵害性の検討(利益衡量)
本件において、以上のような公共の利益の要請に対して、対象者が自らの信仰や信条を理由にその法的義務を免れうるか。また言い換えると、いかなる程度・態様において、法的義務と制裁を課しうるのか。
1 前提問題として、君が代斉唱の法的義務を児童・生徒に対して課し、不履行に対する制裁を行うことは許されない、と解される。
なぜなら、学習指導要親に示された規範は教職員に対して向けられたものであって、児童・生徒に対して向けられたものではない。公共の利益が抽象的な教育目標である以上、児童・生徒に対しては「指導」が許されるだけであって、法的義務を殊すこと自体が許されず、児童・生徒の内心の自由が完全に優位に立つというべきだからである。
2 これに対し、教職員は、教育公務員として児童・生徒を指導すペき立場に立つため、(その法的拘束性については議論のあるところであるが)学習指導要領により、君が代斉唱についても「児童・生徒に対し指導すペき」規範が課され、校長の職務命令によって「君が代斉唱の際に起立して歌う義務」という現実の法的義務を課されることになる。
ではこの法的義務を、教職員は内心の信仰の自由・思想良心の自由を理由として免れうるであろうか。以下検討する。
(1)公共の利益の実現に必要不可欠といえるか
児童・生徒を指導すペき立場にある教職員が、君が代斉唱の際に一部のみ起立しないことは、児童・生徒に君が代斉唱についての疑念を生じさせ、君が代斉唱の実施により達成すべきとされる教育目標に向けた効果を減殺することになることは否定できない。
しかしながら、前述のように、ここにおける公共の利益とはあくまで愛国心等の醸成という教育目標であって、児童・生徒ら自身に対しては強制が不可能なものである(従って教育効果が減殺されるとしても、それが児童・生徒らの利益を害しているということはできない)。
また学校の儀式における国歌斉唱は、前記教育目標の達成のための効果が認められるとしても、それがそのために不可欠な手段というわけでなく、これを法的義務をもって一律に強制することが相当といえるかどうか疑問がある。他の諸外国の例をみても、アメリカ以外では学校儀式の際に国旗掲揚・国歌斉唱が義務づけられて実施されている例は少ない。我が国においても、卒業式・入学式において君が代を国家として斉唱することを強制的に行うことの是非については議論が分かれて対立があるところであり、校長の職務命令という手段によって教職員に対して一律に起立斉唱を義務づけることが、果たして前記のような教育目標の達成のために相当な手段であるといえるのか疑問が残るところである。
(2)義務強制により対象者が被る不利益の程度
自己の信条や信仰から君が代に強く反対している者にとって、卒業式・入学式において君が代斉唱時に起立して斉唱するということを強制されることは、その内心の自由の重大な侵害となるものといえる。
なぜなら、卒業式・入学式という儀式の場で君が代を起立して斉唱するということは、他の儀式参加者と一体になって君が代に対する賛意を表明するということに他ならないものであるから、自己の信条や信仰から君が代に強く反対しているにもかかわらず、これに反してかかる行為をなさざるをえないとすれば、自己の信条や信仰を著しく傷つけることとなるからである。
他方、君が代斉唱時の不起立を職務命令違反として課される懲戒処分は、当該教職員にとっては相当大きな不利益であるといえる。ことに、不起立を繰り返すことにより戒告・減給と処分の程度が加重されていくことからすれば、当該教職員は、結局、自己の信仰・信条を曲げて起立するか、さもなけれぱ懲戒処分という経済的打撃を伴う制裁を甘受するかの二者選択を迫られることになる(入学式・卒業式の会場に入場しないといった方法による回避も考えられるが、これは儀式に参加する権利を奪われることになる)。
X 結論
以上からすると、本件では、法的義務の不履行により害されるであろう公共の利益が抽象的で不明確であって、職務命令という法的義務を課すことによってその公共の利益の実現を図ろうとすることの相当性にも疑問があるのに対して、その義務強制により対象者が受ける不利益の程度が著しく大きいものと認められる。
よって、卒業式・入学式の君が代斉唱時に教職員に対して職務命令をもって起立斉唱を義務づけることが仮に許されるとしても、自己の信仰・信条から君が代に真摯に反対する者は、この信仰の自由・思想良心の自由を理由として起立斉唱の義務を免れることができるというペきである。従って、この不起立行為に対して懲戒処分という制裁をもって起立を強制することは、当該教職員の信仰の自由・思想良心の自由を侵害するものとして違憲である疑いが濃厚である。
3.市教委による指導・処分の運用全体の問題性
本件の人権救済申立ては、それ自体としては、個別の懲戒処分及びそれに付随する事前調査における担当者の言動についての是正を求めるものであるが、その本来的意図は、君が代斉唱時の不起立事例についての一連の教職員に対する布教委の処分について、その人権侵害性を問題とするものである。
そして、先に事実認定したとおり、市教委は組織的に貴校の校長に対して君が代斉唱時に教職員を全員起立させるように指導し、処分の前提となるペき職務命令を発令させ、違反者をすペからく処分の対象としているものであり、いわば市教委が主導して懲戒処分の制裁をたてに教職員に対して君が代斉唱時の起立を強制しているという実態がある。
そうすると、単に個別の懲戒処分についてその人権侵害性が問題であるというだけでなく、このような市教委の指導・処分の運用全体が、人権侵害性を帯びているというペきであるから、これを改めるよう警告をなすものである。
以上
(注)個人名・学校名は記号化しました。