目 次
主文
事実及び争点
第1 事実の概要
第2 処分者の主張
1 事実上の主張
2 法律上の主張
第3 請求人らの主張
1 事実上の主張
2 法律上の主張
第4 証拠関係
1 請求人側
2 処分者側
理由
第1 当委員会の認定した事実
1 処分の対象となった事実
2 本件事件までの経緯及び状況
3 本件事件後、本件処分までの経緯及び状況
4 ホームページに寄せられた意見等
第2 当委員会の判断
1 学習指導要領の法的拘束力
2 思想及び良心の自由
3 内申抜き処分
4 地方分権一括法と文部省是正指導との関係
5 処分の妥当性
第3 結論
当委員会は、前記審査請求人らが平成12年8月29日付けで行った不利益処分に関する不服申し立てについて、併合審理の上、次のとおり採決する。
本件審理請求は、いずれもこれを棄却する。
1 広島県教育委員会(以下「処分者」という。)は、平成12年7月14日付けで、当時、広島県府中市立●●小学校長であった○○○○、広島県府中市立●●小学校長であった○○○○、広島県府中市立●●小学校長であった○○○○、広島県府中市立●●小学校長であった○○○○、広島県府中市立●●小学校長であった○○○○、広島県府中市立●●小学校長であった○○○○、広島県府中市立●●中学校長であった○○○○、広島県府中市●●中学校長であった○○○○○及び広島県府中市立●●中学校長であった○○○○(以下「請求人」という。)に対し、地方公務員法(昭和25年法律第261号。以下「地公法」という。)第29条第1項第1号、第2合及び第3号の規定により、戒告処分(以下「本件処分」という。)を行った。
処分事由説明書によると、その処分の理由は次のとおりであった。
請求人らは、府中市教育委員会(以下「市教委」という。)が、平成10年12月17日付け県教委通知等に従い、平成12年度の入学式における国旗掲揚及び国歌斉唱指導を学習指導要領に基づき適正に扱うように指導したにもかかわらず、学習指導要領に違反し、国歌斉唱指導を実施しなかった。このことは、法令及び上司の章句無常の命令に従う義務に違反するものである。さらに、このことは、児童生徒、保護者等の校長及び学校教育に対する信頼、更には県民の公教育に対する信頼を著しく損ねるものである。
2 これに対し、請求人らは、それぞれ平成12年8月29日付けで本件処分の取り消しを求め、当委員会に審査請求を行った。
3 これらの審査請求について、当委員会は、請求人らが同じ日付けで、同様の理由により処分者から戒告処分を受けているので、併合して審査をおこなった。
処分者は、本件審査請求の棄却を求め、大要次のとおり主張した。
(1)処分の対象となった事実
請求人らは、平成12年度入学式において、国歌斉唱指導を行わず、小学校学習指導要領(平成元年文部省告示第24号)又は中学校学習指導要領(平成元年文部省告示第25号)(以下、平成10年文部省告示第175号及び同大176号を含め「小中学校学習指導要領」という。)の「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」という定めに明白に違反した(以下「本件事件」という)。
(2)本件事件までの経緯及び状況
ア 平成10年以前の状況
(ァ) 学校行事における国旗及び国歌の取り扱いについては、小学校学習指導要領(昭和52年文部省告示第155号)及び中学校学習指導要領(昭和52年文部省告示第156号)の「特別活動」の章において「国民の祝日などにおいて儀式などを行う場合には、児童(生徒)に対してこれらの祝日などの意義を理解させるとともに、国旗を掲揚し、国家を斉唱させることが望ましい。」とされていたが、改訂後の小学校学習指導要領(平成元年文部省告示第24号)及び中学校学習指導要領(平成元年文部省告示第25号)では「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」とされた。なお、平成元年の改訂により以前の小学校学習指導要領(昭和52年文部省告示第155号)の「各教科」の章の「音楽」の節においても「国歌君が代」は、各学年を通じ、児童の発達段階に即して指導するものとする。」とされていた。
請求人らは、処分者が学習指導要領の改訂と軌を一ににして、処分者が各学校への日の丸、君が代の強制を強めたため、県内の教育現場で大きな混乱が起こったと主張するが、そのような事実はない。
(ィ) 平成2年12月26日に、広島県教育委員会事務局の岡田孝章教育部長(当時。以下「岡田教育部長」という。)がおおむね請求人らが主張するように、「日の丸・君が代は教育内容として扱わなければならない。教育原理としては、教育内容の創造、学校運営などは、校長を含む教職員の合意形成の中でなされるのが望ましい。処分を背景とした職命によって強制することは教育になじまない。日の丸・君が代の扱いに当たっては、戦前の天皇制イデオロギーや植民地支配の歴史を隠蔽することに援用されないよう留意しなければならない。」というような見解を示したことは認める。
(ゥ) 平成4年2月28日に、菅川健二広島県教育委員会教育長(当時。以下「菅川県教育長」という。)が、日の丸・君が代の取扱いについて、おおむね請求人らが主張するような見解、すなわち「君が代については歌詞が主権在民という憲法になじまないという見解もあり、身分差別につながるおそれもあり、国民の十分なコンセンサスが得られていない状況もある。」とし、これに関する教育については、「校長を含む全教職員が創造するものであり、何人も介入してはならないという基本認識にたつ。」との見解を示した文書(以下「2・28文書」という。)を示したことは認める。また、これに関して平成4年3月7日付けで福山教育事務所長が各市町村教育委員会教育長あてに通知を発したこと及び同所長が1992(平成4)年3月7日付けで広島県教職員組合(以下「広教組」という。)福山地区支部長あてに「『君が代』の実施は、現状では強制できない」など数項目を内容とする確認文書を差し入れたことは、認める。
ただし、2・28文書については、平成11年10月25日の県立学校長会議その他の公の場において、辰野裕一広島県教育委員会教育長(当時。以下「辰野県教育長」という。)が、その無効であることを宣言済みで、現在においては無意味なものになっているところであり、1992(平成4)年3月7日付けで広教組福山地区支部長あての「『君が代』の実施は、現状では強制できない」など数項目を内容とする確認文書については、平成10年2月に広教組福山地区支部が福山教育事務所長にこの文書が有効であることの確認を求めたが、どう所長がこれを拒否して現在に至っているものである。
(ェ) 2・28文書や平成4年3月7日の確認文書を受けて、市協意図広教組福山地区支部府中支区との間で「『君が代』は、当面、棚上げとする。」等という確認書を交わしたとの請求人らの主張及び府中市議会において、1994(平成6)年12月20日付けで「平和と民主主義を求める決議」を行ったとの請求人らの主張については不知。
イ 文部省是正指導処分者は、平成10年4月27日から28日にかけて、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(昭和31年法律第162号。以下「地教行法」という。)第53条第1項の規定に基づく文部省の現地調査を受け、同年5月20日、広島県連合会における学校教育の内容や学校の管理運営について、法令等を逸脱し、又はそのおそれがある不適正な実態がある旨の指摘及びそれらを是正すべき旨の指導(以下「文部省是正指導」という。)を受けた。そして、その内容は、「特に、卒業式・入学式における国歌斉唱の指導の一層の充実に努めること。」等の国旗及び国歌の指導に関する事項が含まれていた。
処分者は、文部省是正指導を重く受け止め、そこで是正を求められたような内容を着実に改善することにより、県民の公教育に対する不安を払拭し、県民の期待に応えるよう最大限の努力をしていかなければならないと考え、自らの判断と責任で、関係法規に照らし、逸脱し、又はそのおそれのあるものについて是正、改善を図ることとした。
以来、これまで様々な敬意によって行われてきた教育現場の幾多の慣行やしがらみについても、現時点において一つ一つ吟味し、改めるべきものは改めることにより、その適正化を図っているところである。
処分者としては、文部省是正指導を踏まえてどのような取組みをしているかについては、当初から県民に明らかにしてきており、体外的に説明できないことは一切ないと自負している。
ウ 文部省是正指導後、本件事件までの経緯及び状況
(ァ) 処分者の市教委に対する指導処分者は、文部省是正指導の内容を実現すべく、府中市を含む各市町村教育委員会に対し、次のような通知を発してその趣旨を周知徹底させるよう指導してきた。
a 平成10年6月9日、処分者は、各市町村教育委員会教育長あて「学校管理運営の適正化について」と題する教育長通知を発出して、文部省是正指導に従った学校運営の改善として、「所管の学校において、国旗及び国歌の取扱いが学習指導要領に基づき適正に行われるよう指導」することを求めるとともに、「小学校の音楽の時間での国家の指導について、学習指導要領に基づき、各学年を通じ、児童の発達段階に即した適切な指導が行われるよう」求めた。
b 平成10年12月17日、処分者は、各市町村教育委員会教育長あて「学校における国旗及び国歌と取扱いについて」と題する教育長通知を発出して、文部省是正指導に従った学校運営の改善として、「所管の学校において、国旗及び国歌の取扱いが学習指導要領に基づき適正に行われるよう指導」することを求めるとともに、「小学校の音楽の時間での国歌の指導について、学習指導要領に基づき、各学年を通じ、児童の発達段階に即した適切な指導が行われるよう」求めた。
c 平成11年2月23日、処分者は、各市町村教育委員会教育長あて「学校における国旗及び国歌の取扱いについて」と題する教育長通知を発出し、「卒業式及び入学式における国旗及び国歌の取扱いを適正に行うよう、管内の公立学校を指導」するよう求めた。
d 平成11年10月1日、処分者は、各市町村教育委員会教育長あて「学校における国旗及び国歌の取扱いについて」と題する教育長通知を発出し、平成11年9月に文部省が作成した「国旗及び国歌に関する関係資料集」を添付し、「今後とも国旗及び国歌に対する正しい理解が一層促進されるように所管の学校を指導」するよう求めた。
(ィ) 市教委の請求人らに対する指導 前記のような処分者からの指導を受け、市教委は、請求人ら管下の校長に対し、国旗・国歌の取扱いに関する処分者の方針をことごとくきちんと伝達し、指導を行ってきた。
なお、市教委が請求人らに対して平成12年度の入学式において一律に国歌を斉唱するようにという職務命令を発していなかったことは、認める。
(ゥ) 処分者の見解の変更(2・28文書から文部省是正指導)に係る状況
a 平成11年9月28日の広島県議会平成11年9月定例会で、辰野県教育長は、「学校における国旗・国歌の取り扱いに関し、・・・・県教育委員会としては、今後とも、その一層の徹底を図ってまいる所存でございます。」と答弁し、学校における国旗・国歌の問題について2・28文書の見解にとらわれない旨を公言し、同年10月25日の平成11年度第2回県立学校長会議で、この答弁をしたことを紹介した上で、「学校における国旗・国歌の問題は、学習指導要領に基づく適正な取扱いをする。2・28文書を始めとして、文部省是正指導以前にあった様々な事柄は、現在においては意味を持たない。」旨明言し、この発言は、同月26日の朝刊各紙で報道された。これらの会議については、マスコミがその一部始終を自由に取材できるよう配慮されているのであって、請求人らが主張するように「内輪の会議であって、その会議の内容は市民には非公開であ(る)」のではない。
b 平成11年2月17日付けで、広島県公立高等学校長協会尾道支部が、処分者あての「要望書」と題する書面によって「県教育委員会としての考え方を示していただく・・・よう要望」したこと、及び処分者あて前記と同趣旨の要望が他地区からも寄せられていたことは、認める。
c 1999(平成11)年2月8日付け及び2000(平成12)年3月1日付けの2度にわたり、府中市小学校長会(以下「府中市校長会」という。)が、処分者あてに「要望書」と題する書面を発出し、おおむね請求人が主張するように「君が代を斉唱することと同和教育との整合性が土の様になるのか文書にて示されるよう」にとの要望をしたことは、認める。
しかし、府中市校長会が1999(平成11)年2月8日付け処分者あて「要望書」によって要望したことについては、平成11年2月23日付けの通知でその回答となる処分者の見解を示している。
また、2000(平成12)年3月1日付け処分者あて「要望書」によって「君が代」の斉唱を指導することと、同和教育の整合性がごのようになるのかを併せて文書にて示されるよう要望」したことについては、処分者としてはこの間に一定の見解を示してきたところであり、それによって了知していただくほかないと判断し、あえて回答していない。
(ェ) 文部省是正指導後の国歌斉唱実施状況等
文部省是正指導以降の処分者の取組みの結果、県内の公立学校における卒業式や入学式での国旗掲揚及び国歌斉唱の実施状況は、著しく改善され、このような積み重ねによって、広島県の公教育に対する県民の信頼も徐々に回復されつつある。
広島県下の公立中学校で、平成10年度の卒業式を行った小中学校887校のうち、国歌斉唱指導を実施しなかったのは157校であったが、平成12年度の入学式で国歌斉唱の指導が行われなかったのは、府中市の16校及び芦品郡新市町(当時。以下「新市町」という。)の4校のみであった。
このうち新市町の校長4名に対しては戒告処分が行われていること及び請求人らが卒業式や入学式で国旗掲揚及び国歌斉唱を実施すべきことについて、かねて市教委の指導を受けていたことを考えると、請求人らの法規違反の程度は決して軽いものではない。
(ォ) 国旗国歌法
日章旗を国旗とし、君が代を国歌斉唱とする、国旗及び国歌に関する法律(平成11年法律第127号。以下「国旗国歌法」という。)が平成11年8月13日に公布・施行され、成文法でその根拠がめいかくにされたことにより、学校教育においても国旗及び国歌に対する正しい理解がさらに進むものと期待されている状況にあった。
エ 本件事件当時の請求人らの認識
請求人らは、処分者あてに、2000(平成12)年4月20日付けで「入学式における国旗・国歌の実施状況について」及び同年5月25日付けで「『入学式における国旗・国歌の実施状況について』の補足」という文書を提出し、小中学校指導要領に沿って国旗・国歌を適正に実施しないことは、小中学校学習指導要領違反になるとの認識はあったが、請求人らの認識する現状の中で児童に不安を与えることなく実施することは困難と判断したと主張している。
しかし、処分者は、文部省是正指導を受け、卒業式や入学式における国旗掲揚・国歌斉唱が適正に取り扱われるよう指導してきたところであり、その結果、卒業式や入学式での国旗掲揚・国歌斉唱の実施状況は著しく改善された。請求人らは、こうした正常化の過程を、独自の見解に立って概観し、一切を否定しようとするものであって、その主張に理由のないことは明らかである。
(3) 本件事件後、本件処分までの経緯及び状況
ア 処分者の市教委に対する内申の申請
処分者は、市教委に対し、請求人らが小中学校学習指導要領に反し、法規違反を犯し、もって県民の公教育に対する信頼を損ねたこと等については、戒告処分を行うことが適当であるとして、次のとおり、地教行法第38条第1項所定の内申をするよう再三求め、説得するなど、最大限の努力を払った。しかし、市教委は内申をしなかった。
(ァ) 平成12年6月6日、福山教育事務所長が市教委の小川恵敬教育長(当時。以下「小川市教育長」という。)に対し、請求人らの行為を戒告処分にするのが相当であるのでするよう口頭で要請した。
(ィ) 平成12年6月13日、広島県教育委員会事務局の榎田好一教職員課長(当時。以下「榎田教職員課長」という。)ら楽田光仁市教委委員長(以下「纉c市教委委員長」という。)からヒアリングを実施し、学習指導要領に沿っていないということは、法令違反となるので、ぜひとも内申してもらいたい旨口頭で要請した。
(ゥ) 平成12年6月14日、処分者から市教委教育長あてに通知文書を出し、内申を提出するよう要請した。
(ェ) 平成12年6月22日、榎田教職員課長らが小川市教育長からヒアリングを実施し、内申をするよう口頭で要請した。
(ォ) 平成12年6月26日、処分者から市教委教育長あてに通知文書を出し、内申を提出するよう要請した。
(ヵ) 平成12年7月5日、処分者から市教委教育長あてに通知文書を出し、請求人らを戒告することが相当である旨、内申をしないことが服務監督者としてとるべき措置を怠るものであることを示し、内心を提出するよう要請した。
イ 内申をしなかった理由
市教委は、処分者から、平成12年度の入学式において国歌斉唱を行わなかった請求人らについて、県単位における統一的な処理を目的とする処分の方針・基準を示され、また、当該入学式で国歌斉唱を行なわないことが違法であり、地公法第29条の規定に該当するであろうことを認識していた。しかし、平成12年6月22日、処分者が行ったヒアリングの場で、小川市教育長が、「内申するとものすごいことになる。」などと述べているように、市教委は部落解放同盟広島県連合会(以下「解放同盟広島県連」という。)などの猛烈な反対運動」や抗議行動さらにはそれに伴う教育現場の混乱などといった請求人らの服務監督上の問題とは直接関係のない事情に対する配慮又は予想される処分者の懲戒処分に対する一般的な批判から、請求人らについて一切内申を行わないこととしたものである。
(4) ホームページに寄せられた意見等
処分者が開設するホームページ「ホットライン教育ひろしま」には、開かれた教育行政、学校づくりを推進し「県民の信頼に応える公教育の確立」を目指して、県民の皆さんからいただいた教育に関する意見、提言を紹介することにより、教育に関する議論と関心を高めていくことを目的とする「意見のひろば」という欄があり、常に多数の意見、提言が寄せられている。
同欄に掲載された意見のうち、平成12年3月前記受付分では34件中4件が、同月後期受付分では27件中4件が、それぞれ府中市などの公立学校の卒業式や入学式で国歌斉唱が行われていないことを取り上げて、これを批判するものであった。
こうした状況を見ると、各学校への信頼、ひいては広島県連合会の公教育への信頼は、請求人らが平成11年度卒業式に続いて平成12年度入学式でも国歌斉唱を行わなかったことによって大きく損なわれたと言わざるを得ない。
なお、処分者が本件処分を行った平成12年7月には、「意見のひろば」同欄に掲載された意見のうち、同月前記受付分(本件処分が行われた7月14日以降のものに限る。)では7件中3件が、同月後期受付分では45件中4件が、処分者が本件処分を行ったことを取り上げてこれを支持しており、前記のような見方が妥当であったことを裏付けている。
(1) 学習指導要領の法的拘束力
ア 小中学校学習指導要領は、学校教育法(昭和22年法律第26号。以下「学教法」という。)第20条又は第38条及び学校教育法施行規則(昭和22年文部省令第11号。以下「学教法施行規則」という。)第25条又は第54条の2の委任に基づいて文部大臣が小学校又は中学校における教育の内容及び基準を定めたものであって、法規としての性格を有し、法的拘束力を有す。
また、学習指導要領は、これを法的拘束力を有する条項と指導助言的な条項とに分けることができるのではなく、限定なしに法的拘束力を有するものであり、ただ、その適用に当たっては、その項目の趣旨に明白に違反しているか否かをみるべきものであるとされているものである(福岡高等裁判所昭和53年行(コ)第26号行政処分取消請求控訴事件、昭和58年12月24日判決。以下「伝習館事件控訴審判決」という。)。
イ 小中学校学習指導要領は、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌斉唱を斉唱するよう指導するものとする。」と具体的に義務を規定しており、入学式や卒業式において国歌斉唱を斉唱するよう指導しないことを選択する余地はない。
したがって、請求人らが平成12年の入学式において国歌斉唱を斉唱するよう指導しなかったことは、小中学校学習指導要領に明白に違反するものであり、法令違反である。
なお、「ものとする」という表現には、作為又は不作為の義務を表す「しなければならない」「してはならない」の意味に用いる場合と、建前を表す「する」「しない」の意味に用いる場合があるところ、前記条項に関する限り、「しなければならない」の意味に解するのが有権解釈である。この点について、「本件で問題になる学習指導要領の国旗・国歌条項についても、例外を許容する原則を緩い義務として設定し、例外状況の認定を実際の名宛人に委ねる規定と解釈する余地がある」との請求人らの主張は失当である。
(2) 思想及び良心の自由
ア 君が代の歌詞の意味
君が代の歌詞の意味についての政府見解は次のとおりであり、処分者もこのような見解を正当と考える。
「日本国憲法下においては、国歌君が代の「君」は、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指しており、君が代とは、日本国民の総意に基づき、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことであり、君が代の歌詞も、そうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解することが適当であると考え、かつ、君が代についてこのような理解は、今日、広く各世代の理解を得られるものと考えております。」(平成11年6月29日の衆議院本会議における内閣総理大臣答弁。以下「平成11年政府見解」という。)
イ 児童生徒らの思想及び良心の自由
入学式における国歌斉唱の指導は、児童生徒らに対しては、教え導くものであって、無理強いをするものではないから、児童生徒らの良心の自由を侵害することにはならない。
ウ 教職員の思想及び良心の自由
教職員の良心の自由との関係でいえば、学習指導要領その他の法令等に基づく指導の一環として教職員自らに範を示させることは、学校という機関や教職員の職務の性質上、合理的範囲内において外部的行為を制約するものであるから、教職員の良心の自由を違法不当に制約することには当たらない。
エ 本件事件と思想及び良心の自由ととの関係
そもそも、本件の争点は、平成12年度の入学式における国歌斉唱の指導を行わなかった請求人らの行為が地公法第29条第1項各号に該当するかどうかであり、児童生徒らの内心の自由の問題ではない。
オ 児童の権利条約
請求人らは、入学式における国歌を一斉に斉唱させること自体が、1989年の国連総会において採択され、1994年に日本が批准した児童の権利に関する条約(以下「児童の権利条約」という。)に違反すると主張するもののようである。
しかし、文部事務次官通達(平成6年5月20日、文初第149号)にあるように「本条約も発効により、教育関係について特に法令などの改正の必要はない」のであって、この条約が発効したからといって、学校における国旗・国歌の指導の考え方にいささかも変化があったわけではない。この条約があるがために本件処分が違法となることはない。
カ 憲法尊重の義務
請求人らは、入学式において生徒や教師に国歌を一斉斉唱させることは、かれらの思想信条を侵害し、憲法及び児童の権利条約に違反することとなる旨主張する。
しかし、前記の通り、国歌斉唱の指導は児童生徒や教職員の思想良心を侵害するものではないので、国歌斉唱指導をしたからといって憲法尊重擁護の義務に違反することはない。
キ 国旗国歌法
請求人らは、国旗国歌法は、何が国旗で、何が国歌斉唱であるかを定めただけであり、国旗国歌の尊重規定などもなく、これを尊重するか否かは個人の自由意思に任せたものであり、そもそも、学習指導要領においてこれを斉唱するなどして一律に強制することは、日本国憲法(以下「憲法」という。)第19条の保障した内心の自由を侵害する可能性が高いものであると主張している。
しかし、国歌の法制化による今後の学校における国歌の指導については、取り扱いを変えるものではない。
そもそも、本件事件は児童生徒の内心の自由の問題ではないのであり、請求人らの主張は失当である。
(3) 本件処分の手続について
ア 地教行法第38条第1項所定の市町村教育委員会の内申は、本来、都道府県教育委員会が任命権を行使するための手続的要件であるが、市町村教育委員会がこの内申をしない場合であっても、その内申をしないことが、服務監督者としてとるべき措置を怠るものであり、人事管理上著しく適正を欠くときは、都道府県教育委員会は、懲戒その他の任命権の行使をすることができる(最高裁判所昭和57年(行ツ)第78号懲戒処分取消請求事件、昭和61年3月13日判決。以下「内申抜き処分事件際高裁判決」という。)。
イ 市教委が内申を行わなかった理由は、前記1(3)イのとおりであり、これは、市町村教育委員会が「被上告人(都道府県教育委員会)から統一的な処分の方針・基準を示され、また、いずれも教職員のストライキは違法であり本来懲戒処分の対象となるものであることを認識しながら、組合の反発や抗議行動とかそれに伴う教育現場の混乱などといった各教職員の服務監督上の問題とは直接関係のない事情に対する配慮又は予想される被上告人の処分の選択・量定に対する一般的な批判から、本件各ストライキの参加者については一切処分内申をしない」という、内申抜き処分事件際高裁判決が「服務監督者としてとるべき措置を怠り、人事管理上著しく適性を欠く」とした事案と本質的に変わるところがない。
したがって、処分者は市教委の内申なく請求人らに懲戒処分を行い得る。
(4) その他の法律上の主張
ア 地方分権一括法との関係
地教行法は、地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律(平成11年法律第87号。以下「地方分権一括法」という。)によってその一部が改正されているが、第38条は改正されておらず、その解釈運用を変更しなければならない理由は全く存在しない。
地方分権一括法による地教行法の改正は、教育事務に関する都道府県と市町村の役割分担まで全くの対等平等な関係に転換するものではない。
また、文部省是正指導の根拠規定は、請求人らの主張する地教行法第52条ではなく、同法第48条第1項である。
イ 公平な処分及び措置
処分者としては、県内全体のおいて非違の程度に応じた、適正、公平な措置ないし処分が行われるべく、各市町村間で不公平を生じないようにすることが人事管理の適正を期する上で肝要であり、県単位における統一的な処理が必要であることから、平成12年度の入学式において国歌斉唱指導不実施の県下の公立学校の校長である請求人らを含む府中市の小中学校16名及び新市町の小学校4名を戒告処分にした。
請求人らは、国歌斉唱の指導をしなかったのは、地域の特殊性によるものであり、また、市教委は本件処分に係る内申をしておらず、処分についての内申をしていた芦品郡新市町教育委員会(以下「町教委」という。)とは事例が異なり、両者を同列視することはできない旨主張している。しかし、国歌斉唱が学習指導要領に基づいて適正に行われていないという全国的にも異常な事態を改めるために国歌斉唱不実施の校長に対し戒告処分を行ったり、市町村教育委員会が文書訓告を行ってきたのであって、地域の特殊性があるから国歌斉唱の不実施が許されるとするのは本末転倒である。また、市教委の内申の有無が本件事件における請求人らの行為(以下「本件行為」という。)の法規違反の程度にかかわることはないから、この点に関する請求人らの主張は失当である。
ウ 処分の量定
本件行為は地公法第32条に違反する行為であり、職員の義務違反行為に対して懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分を行うときにいかなる処分を選ぶかは、懲戒権者の裁量に任されているものと解する。
請求人らは、本件処分の取消しを求め、大要次のとおり主張した。
(1) 処分の対象となった事実
小中学校学習指導要領に「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」という記載があること及び請求人らが平成12年度の入学式において国歌斉唱指導をしなかったことは、認める。
(2) 本件事件までの経緯及び状況
ア 文部省是正指導以前の状況
(ァ) 広島県で行われてきた公教育(平和教育、同和教育)は、大きな成果をあげ、処分者自身も評価してきたところであった。特に、同和教育は、広島県の教育の指針とされて、大きな成果をあげてきた。
府中市においては、身分差別や被差別部落に対する差別意識をなくすための同和教育に特に熱心に取り組んできたという地域的特性や歴史的経緯があった。
(ィ) 1989(平成元)年3月15日、学習指導要領が改訂され、それなでは「することが望ましい。」とされていた国旗の掲揚及び国歌斉唱の指導が「するものとする。」と改められて義務化された。
この学習指導要領改訂と軌を一にして、処分者が各学校への日の丸、君が代の強制を強めたため、県内の教育現場では大きな混乱が起こった。
(ゥ) このため、1990(平成2)年12月26日、岡田教育部長は、教育原理としては、教育内容の創造、学校運営などは、校長を含む教職員の合意形成の中でなされるのが望ましい。処分を背景とした職命によって強制することは教育になじまない。日の丸・君が代の扱いにあたっては、戦前の天皇制イデオロギーや植民地支配の歴史的事実を隠蔽することに援用されないよう留意しなければならない。」
(ェ) さらに、1992(平成4)年2月28日付けで、菅川教育長は、日の丸・君が代の取扱いについて、処分者の見解を示した。(2.28文書)
その内容は、「君が代については歌詞が主権在民という憲法になじまないという見解もあり、身分差別につながるおそれもあり、国民の十分なコンセンサスが得られていない状況もある。」とし、これに関する教育については、「校長を含む全教職員が創造するものであり、何人も介入してはならないという基本認識にたつ。」と明記するものである。
この菅川教育長の見解書は、同年3月5日に示された「文理解釈」と題する処分者の上記文書についての解説とともに、教育事務所を通じて各市町村教育委員会に送付された。これを受け福山地区では、同月7日、福山教育事務所長から広教組福山地区支部長あてに「君が代」の実施は、現状では強制できない」など数項目を内容とする確認文書が出された。
(ォ) 府中市においては、2.28文書や同月7日の確認文書を受けて、市教委と広教組福山地区支部府中支区との間で「『君が代』は、当面、棚上げとする。」などを内容とする同様の確認書が取り交わされた。
さらに、府中市議会においては、処分者が日の丸・君が代の取扱いに関して2.28文書を出した等の事情から、1994(平成6)年12月20日付けで「平和と民主主義を求める決議」を行い、市教委も、この決議の趣旨に添って身分差別や被差別部落に対する差別意識を無くすための同和教育に力を注いできたところである。
イ 文部所是正指導
(ァ) 処分者が、平成10年5月20日ごろ文部省是正指導を受け、文部省是正指導の内容として、処分者が平成10年12月17日付けで各市町村教育委員会教育長あてに発出した『学校における国旗及び国歌の取扱いについて』と題する通知文書に記載されているような事項(卒業式及び入学式などにおける国旗及び国歌の取扱いが学習指導要領に基づいて行われていないとの指摘)が含まれていたと主張していることについては認める。
ただし、その後地方分権一括法による地教行法改正で同法第52条(国による是正改善の措置要求についての規定が削除されたことにより、文部省是正指導は、現在においては法律の根拠をまったく欠いたものとなっている。
(ィ) 文部省是正指導は、それまでの広島県の教育に不満を持つ一部保守派の国会議員及び広島県会議員、自由史観グループ並びに文部省との連携により画策されたものであり、決して県民に信頼される公教育の確立のためのものではない。
文部省是正指導は、汚職議員や歴史を歪めようとする議員及び教員が談合の上、広島県の平和教育及び同和教育をつぶすために巧妙に演出されたものであり、これを重要視することは危険である。
ウ 文部省是正指導後、本件事件までの経緯及び状況
(ァ) 処分者の市教委に対する指導
辰野県教育長が就任した後、処分者は、1998(平成10)年12月17日付けで各市町村教育委員会教育長あてに「学校における国歌国旗の取扱について」という通知文書を発し、小中学校学習指導要領に「入学式や卒業式においては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」とされていることを理由に、卒業式及び入学式における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導が適切に実施されるよう指導するよう求めてきた。
(ィ) 市教委の請求人らに対する指導
市教委は、教育内容について強制はなじまないという見地から、また、身分差別や被差別部落に対する差別意識を無くす同和教育に熱心に取り組んできたという府中市の地域性や歴史的経緯を考慮して、請求人ら管下の校長に対し、平成12年度の入学式において一律に国歌を斉唱するようにという具体的な指導は行っておらず、各学校での議論を踏まえた請求人ら各校長の裁量に委ねていた。
(ゥ) 処分者の見解の変更(2.28文書から文部省是正指導)
a 処分者は、平成10年7月にその教育長に辰野県教育長が就任すると、それまでの方針を一転させ、学習指導要領の記載を根拠に、卒業式及び入学式などにおける国旗掲揚及び国歌斉唱の指導を適切に実施するよう強く求めるようになった。
b 県内各地の校長らは、処分者の急激な方針転換に当惑し、前記平成10年12月17日付けの通知が求める国旗掲揚及び国歌斉唱の実施がこれまでの児童生徒らに対して行ってきた教育と矛盾し、児童生徒らの中に混乱を生じさせることは避けられないと考え、処分者ないし辰野県教育長あてに質問書を作成、提出した。
c 府中市においても、校長会として、1999(平成11)年2月8日付け及び2000(平成12)年3月1日付けの2度にわたり、「君が代の斉唱を実施することと同和教育との整合性がどのようになるのか文書にて示されるよう」辰野教育長あてに要望書を提出したが、処分者ないし辰野県教育長は、これらを無視して何ら回答をしなかった。
d なお、処分者は、2.28文書については、辰野県教育長が県立学校長会議など公の場でその無効であることを宣言済みであると主張するが、県立学校長会議は、いわば内輪の会合であって、その会議の内容は市民には非公開であり、そこで何が議論され、何ゆえにこの2.28確認書が無効とされたのか部外者には不明である。しかも、その後、辰野県教育長自らこの確認を無効にした理由や必要性を詳細に明らかにしたことはない。
e 県民の間には、文部省是正指導以後の処分者の方針に反対又は疑問視の声が多くあり、子供たちからの抵抗もあり、処分者は、十分な説明や関係団体との交渉、話し合いもなく急激な方向転換を強行して現場を混乱させる等、県民の信頼を回復するどころか、不信を増大させている。
処分者は、文部省是正指導を受けて行った取組みによって県民の公教育に対する信頼を回復させていると主張しているが、そのようなことはない。
(ェ) 文部省是正指導後の国歌斉唱実施状況等
文部省是正指導後に県下で国旗掲揚及び国歌斉唱をする公立学校が増えていることは認めるが、これは処分者の処分等を背景とした強制によるものである。
平成12年度の入学式において国歌斉唱指導をしなかったのは、府中市の16校及び新市町の4校で、そのうち新市長の校長4名が町教委の内心に基づいて戒告処分を受けていることは、認める。
ただし、これら2市町が国歌斉唱指導をしないのが異様なのではなく、それ以外の市町村の学校において1つの例外もなく国歌斉唱指導が行われている方が異様なのである。
(ォ) 国旗国歌法
処分者は、平成11年8月13日、国旗国歌法が公布・施行されたことにより、国旗及び国歌に対する正しい認識がさらに進むものと期待されていると主張しているが、同法は、何が国旗で何が国歌であるかを定めただけである。
エ 本件事件当時の請求人らの認識
請求人らが平成12年度の入学式において国歌斉唱指導を行わなかったのは、教職員や児童生徒らがこれに抵抗感を示しており、話し合いを重ねてきた地域の特殊性を考慮しながら、その方法を模索し、子どもたちの内心の自由をどう保障するかで苦悩した結果、君が代の斉唱を見送るという決断をしたものである。
請求人らの行為は、児童生徒らの内心の自由が侵害される事態の発生を防ごうとしたものであり、賞賛されるべきものではあっても、懲戒されるべきものではない。
(3) 本件事件後、本件処分までの経緯及び状況
ア 処分者の市教委に対する内申の申請
処分者は、市教委に対して、請求人らに対する戒告処分を行うよう地教行法に違反する内申の教養をしたが、市教委はこれに屈しなかった。
本件処分は、地教行法第38条第1項所定の市教委の内申をまたずに行われたものである。
イ 内申をしなかった理由
市教委は、教育内容については強制はなじまないという見地から、また、身分差別や被差別部落に対する差別意識を無くすための同和教育に熱心に取り組んできたという府中市の地域性や歴史的経緯を考慮して、国歌斉唱指導の職務命令を発しておらず、職務命令を発していない以上、請求人らが国歌斉唱指導をしなかったことは義務違反ではなく、懲戒処分をする必要もないと考えて地教行法第38条第1項の内申をしなかったものである。
(4) ホームページに寄せられた意見
県教育長のホームページの「意見の広場」は、処分者に都合のよいもののみ掲載し、処分者を批判するようなものは掲載しておらず、寄せられた意見、提言の採否が恣意的である。また、仮に、そこに国歌斉唱の不実施を批判したり、本件処分を支持したりする意見が多く掲載されているとしても、これをもって請求人らの行為が県民の公教育に対する信頼を損ねたことの証拠にはならない。
(1) 学習指導要領の法的拘束力
ア 学習指導要領は、法律でも政令でもなく、単に文部省告示でしかなく、法的拘束力がない。
イ 最高裁は、伝習館事件判決(1990(平成2)年1月18日判決)において学習指導要領の法的拘束力を認めるにいたったが、学習指導要領の法的拘束力を認めることは憲法第23条、教育基本法(昭和22年法律第25号。以下「教基法」という。)第10条第1項に反するものであると考える。
仮に学習指導要領に法的拘束力を認めるとしても、それは、「必要かつ相当と認められる範囲で」、「必要かつ合理的な基準として是認された」「全国的な対抗的基準であり」、「教師による創造的かつ弾力的な教育の余地や、地方ごとの特殊性を反映した個別化の余地が十分残されている。」とされている(最高裁判所昭和43年(あ)第1614号.昭和51年5月21日判決。以下「旭川学テ事件最高裁判決」という。)。したがって、この学習指導要領は一律に強制されるものではなく、同和教育に熱心に取り組んできた等の府中市の特殊性、地域性などを尊重し、その実情に合った対応が許される。
ウ 教育の自由(憲法第23条)や教育の自主性(憲法第10条第1項)を保証する観点から、教育の内容面について国が決定できるのは、教科、学科の種類や名称、必要単位数にとどまると解するべきである。教科教育内容については、国が基準を作成したとしても、法的拘束力のない指導助言的基準に過ぎないと考えなければならない。そして、国歌斉唱指導に関する部分は教科教育内容であるので、法的拘束力のない指導助言的基準にすぎない。
エ 仮に学習指導要領にほうてきが認められるとしても、それは、国の教育に対する「正当な理由に基づく合理的な決定権」び範囲に限定されるのであり、旭川画学テ事件最高裁判決も、教育内容に対する国の決定権を認めた上で、「人間の内面的価値に関する文化的な営み」としての教育に関しては、国はその権能の行使についてできるだけ制約的であるべきだとしている。学習指導要領の国歌斉唱指導に関する部分は、人間の内面的価値に関する文化的営みに直結し、政治的影響が深く入り込む危険が現にあることがらについて、一方的な観念を植えつけるような内容の教育をを施すものであるから、国の「正当な理由に基づく合理的な決定権」の範囲を逸脱しており、これに法的拘束力を認めることはできない。
オ 入学式における国歌斉唱に関する学習指導要領は、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と規定しているに過ぎない。「するものとする」とは、「しなければならない」よりはやや弱く、合理的理由があればそれに従わないことも許されると解釈される余地がある。しかも、「その意義を踏まえ」て指導するものであって、その意義を踏まえた結果、別の方策もあり得ることを前提としている。したがって、児童生徒に対する人権侵害に繋がる危険性がある場合、国歌斉唱を実施しないことの選択も認めているものと解される。
カ 入学式において国歌斉唱を実施するか否かは、請求人らの裁量の範囲内の行為である。したがって、この実施をしなかったことは当時の状況からして合理的かつ妥当な対応であった。
(2) 思想及び良心の自由
ア 君が代の意味
国歌とされている君が代は、かつて処分者自身も認めているとおり、その歌詞が主権在民という憲法になじまず、身分差別につながるおそれもあるのである。
そもそも、君が代は、侵略戦争の道具として、また、天皇をたたえる歌として利用されてきた歴史と、その歌詞自体が天皇を賛美しているという事実からして、本来現行憲法上もっとも排斥する必要があった歌であった。
イ 強制の禁止
内申の自由は、権力からの特定思想の強制、押しつけや統制を受けない自由をも意味する。諸外国では、国歌や国旗を法制化していても、これを学校や公務で強制することは行っていないのに対して、わが国では、君が代の「一斉」斉唱が行われており、着席して斉唱拒否することが事実上不可能な状態であり、事実上強制している結果をもたらしている。これは子供達や教師に君が代を強要させていることとなって、違憲である。
ウ 沈黙の自由
内心の自由の保障は絶対的なものであり、これを外部に吐露することを強制することはできない(沈黙の自由)。君が代が「一斉」斉唱(起立して斉唱)された場合、歌いたくない者は着席せざるを得ないところ、逆に、着席していることにより、他から自己の君が代に対する内心を推知されることとなってしまう。これは明らかに沈黙の自由を侵害し、生徒及び教師の思想良心の自由を損なうこととなり、憲法に違反することとなる。
エ 児童の権利条約
1989(平成元)年の国連総会において採択され、日本も1994(平成6)年にこれを批准した「児童の権利に関する条約」は、児童の意見の表明権(第12条)、表現の自由(第13条)思想良心の自由(第14条)等を定めており、児童にも基本的にこれら市民的な自由を保障されていることを明らかにした。国歌の「一斉」斉唱は、子供たちの思想・良心の自由を侵害し、この条約にも違反することとなる。
オ 憲法尊重擁護の義務
入学式における君が代の斉唱は、前記のように憲法や児童の権利条約に違反することになるから、請求人らは、憲法尊重擁護義務(憲法第99条)を負う国民、公務員として、これを阻止すべき義務を負っている。
カ 国旗国歌法
国旗国歌法は、何が国旗で、何が国歌であるかを定めただけであり、国旗国歌の尊重規定もなく、これを尊重するか否かは個人の自由意志に任せたものであり、そもそも、学習指導要領においてこれを斉唱するなどとして一律に強制することは、憲法第19条の保障した内心の自由を侵害する可能性が高いものである。
(3) 内申抜き処分
ア 本件処分は、その手続的要件である地教行法第38条第1項所定の市町村教育委員会の内申なくして行われたものであり、違憲である。
イ 処分者が援用する内申抜き処分事件最高裁判決は、市町村教育委員会が内申を行わないことが「服務監督者としてとるべき措置を怠り、人事管理上著しく適正を欠く」ものであるので、市町村教育委員会の内申抜きでの処分が例外的に容認されたものであるが、本件で市教委が内申を行わなかったことは、「服務監督者としてとるべき措置を怠り、人事管理上著しく適正を欠く」ものとはいえない。
すなわち、内申抜き処分事件最高裁判決の事案は、地公法第37条に明白に違反する教職員のストライキについて、市町村教育委員会が「違法であり本来懲戒処分の対象となるものであることを認識しながら、組合の反発や抗議行動とかそれに伴う教育現場の混乱などといった各教職員の服務監督上の問題とは直接関係のない事情に対する配慮又は予想される被上告人(都道府県教育委員会)の処分の選択・量定に対する一般的な批判から」内申をしなかったものであるのに大して、本件は、その法的拘束力に疑問があり、少なくとも弾力的な運用は可能と解される学習指導要領の文言には適合しないというだけのことについて、市教委が、これを実情に応じた相当の措置と認めて内申をしなかったものであるから、両者は事実を異にし、同日に論じることはできない。
また、内申抜き処分事件最高裁判決の事案は、県下一斉に行われた教職員のストライキの事案であり、「県単位における統一的な処理が必要」であったが、本件においては、状況が異なる新市町の校長と請求人ら府中市の校長とを同様に処分する必要はない。
ウ さらに、地教行法は、地方分権一括法による改正(第27条の削除、第43条の改正等)が行われ、市町村教育委員会の自主性がより尊重されるようになっている。これは、国の地方教育行政への関与を抑制し、都道府県と市町村の関係が対等平等であるという原理を教育行政にも認めようとする趣旨である。この趣旨からすれば、市町村教育委員会の意向を無視する内申抜き処分は、内申抜き処分事件最高裁判決の事案の当時よりいっそう行われるべきでなくなったというべきである。
(4) その他の法律上の主張
ア 地方分権一括法との関係
1999(平成11)年7月の地方分権一括法による地教行法の改正により、国の地方教育行政への関与が抑制され、都道府県と市町村が対等平等となった。
地教行法第27条の都道府県教育委員会や教育長の市町村教育委員会に対する指揮監督権の規定は削除され、同法第43条の都道府県教育委員会の市町村教育委員会に対する一般指示規定も改正され、同法第48条も「・・・援助を行うものとする」から「・・・援助を行うことができる」と改正され、文部大臣又は都道府県教育委員会の指導、助言及び援助についての権限は制限された。
また、処分者が本件の拠り所としている文部省是正指導の根拠である同法第52条(文部大臣又は都道府県教育委員会の市町村教育委員会に対する措置要求)も削除されており、文部省是正指導は法的拘束力に根拠を失っている。したがって、文部省や都道府県教育委員会が市町村教育委員会に対してできることは、せいぜい「指導、援助及び助言」程度のことであり、処分者が行った文部省是正指導を根拠とする市教委に対する懲戒処分の強行は、地教行法に違反するものである。
イ 公平な処分及び措置
処分者は、本件処分の正当性について、平成12年度入学式における広島県下の国歌斉唱不実施の公立小中学校のうち府中市の小中学校を除く新市町の小学校長4名に対して戒告処分を行っていることとの均衡を保つ必要性があると主張している。
しかし、請求人らが国歌斉唱の指導をしなかったのは、同和教育との整合性がとれないという地域の特殊性によるものであり、また、町教委は、処分者からの強い督促に屈服し内申を行ったが、市教委は処分者からの督促に応じず内申をしなかったのであり、両者の事例は大きく異なり、同列視することはできない。それらを考慮しないで、均衡などという不合理な理由を持ち出して処分すること自体が問題である。
ウ 処分の量定
本件処分により、請求人らは、懲戒の前歴がつき、この結果、昇給も延伸するという結果が生じている。請求人らは、これまで教員として、また、校長として熱意を持って教育に専心してきたのに、このような懲戒処分されたとの前歴がつされることは、到底承服しがたい。
(1) 書証
甲第1号証ないし甲第94号証、甲第95条の1ないし甲第95号証の4、甲第96号証の1ないし甲第96号証の8、甲第97号証ないし甲第166号証
(2) 人証
証人 小川恵敬、証人 渕上和俊、証人 小森龍邦、証人 西原博史、本人 中沢照洋、本人 鍋島撃止
(3) 乙号証の成立に関する認否
乙第1号証ないし乙第19号証、乙第20号証の1及び乙第20号証の2、乙第21号証、乙第22号証の1ないし乙第22号証の17、乙第23号証ないし乙第28号証、乙第29号証の1ないし乙第29号証の17、乙第30号証ないし乙第34号証、乙第36号証ないし乙第42号証、乙第43号証の1ないし乙第43号証の4、乙第44号証ないし乙第47号証、第48号証の1ないし乙第48号証の5、乙第49号証の1ないし乙第49号証の5、乙第50号証の1ないし乙第50号証の16、乙第51号証の1ないし乙第51号証の4、乙第52号証の1ないし乙第52号証の5、乙第53号証、乙第54号証、乙第56号証ないし乙第70号証、乙第71号証の1ないし乙第71号証の4、乙第72号証ないし乙第77号証については、いずれもその成立を認める。
乙第35号証、乙第55号証は不知。
(1) 書証
乙第1号証ないし乙第19号証、乙第20号証の1及び乙第20号証の2、乙第21号証、乙第22号証の1ないし乙第22号証の17、乙第23号証ないし乙第28号証、乙第29号章の1ないし乙第29号証の17、乙第30号証ないし乙第42号証、乙第43号証の1ないし乙第43号証の4、乙第44号証ないし乙第47号証、乙第48号証の1ないし乙第48号証の5、乙第49号証の1ないし乙第49号証の5、乙第50号証の1ないし乙第50号証の16、乙第51号証の1ないし乙第51号証の4、乙第52号証の1ないし乙第52号証の5、乙第53号証ないし乙第70号証、乙第71号証の1ないし乙第71号証の4、乙第72号証ないし乙第77号証
(2) 人証
証人 榎田好一、証人 平賀正幸、証人 松崎勝
(3) 甲号証の成立に関する認否
甲第3号証ないし甲第7号証、甲第9号証ないし甲第94号証、甲第95号証の1ないし甲第95号証の4、甲第96号証の3及び甲第96号証の4、甲第97号証ないし甲大56号証、甲第158号証ないし甲第166号証については、いずれもその成立を認める。
甲第1号証、甲第2号証、甲第8号証、甲第96号証の1、甲第96号証の2及び甲第96号証の5ないし甲第96号証の8は、不知。
甲第157号証については、認否を行っていない。
当委員会は、当事者間に争いのない事実、両当事者の主張、証拠の全趣旨を総合して、次のとおり認定し、判断する。
請求人らは、小中学校学習指導要領に「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」という定めがあるにもかかわらず、平成12年度の入学式において国歌斉唱指導を行わなかった。
(1) 文部省是正指導以前の状況
ア 1992(平成4)年2月28日付けで、菅川県教育長は、処分者の日の丸・君が代に対する見解として、「君が代については、歌詞が主権在民という憲法になじまないという見解もあり、身分差別につながるおそれもあり、国民の十分なコンセンサスが得られていない状況もある。」等とする2.28文書を教育事務所を通じて県下の市町村教育委員会に発した。
これを受け、府中市では、1992(平成4)年3月30日付けで、市教委と広教組福山地区支部支部府中支区との間で「『君が代』は、当面、棚上げとする。」等との内容の確認書が交わされ。また、1993(平成5)年3月3日付けでも「『君が代』は、当面、棚上げとする。」などを内容とする確認書が交わされた。
イ 府中市議会は、1994(平成6)年12月20日付けで、「平和と民主主義を求める決議」を行い、その後、市長部局及び市教委の共同の見解として、府中市における日の丸及び君が代の取扱いに係る基本的な方針について、次のような内容の文書(甲第96号証の7。以下「日の丸掲揚に関する基本的な考え方」という。)が示された。
(ァ) 「広島県教育委員会は『日の丸・君が代』に対する見解書の中で『日の丸は天皇制の補強や侵略、植民地支配に援用されたこと、これからもその誤りを繰り返す恐れを、日の丸の持つ問題として21世紀の国際社会に生きる児童生徒たちに教育内容としてもりこまなければならない。その教育内容の補完があって、日の丸の掲揚ができるものと考える』と述べています。市教育委員会としては、同様の認識に基づいて1992(平成4)年3月30日広教組府中支区と確認したところですが、確認書第2「日の丸・君が代は校長をはじめ、全教職員の論議を深め、教育内容を創造していく。」営みは、いまだ十分されていない状況であります。このような取組みの未成熟な段階で子どもを『行事』に巻き込み、教育現場に混乱を生じさせたことを厳しく反省しなければなりません。」
(ィ) 「7月20日に衆議院本会議において村山総理は、戦争認識について『戦後五十周年を目前に控え、わが国の侵略行為や植民地支配では多くの人びとに堪え難い苦しみと悲しみをもたらした。深い反省に立って世界平和の創造に力を入れたい。』と答弁し、日の丸・君が代について『長年の慣行により日の丸が国旗、君が代が国歌との認識が国民の間でも定着しており、私自身もそのことを尊重していきたい。しかし、国旗の掲揚、国歌の斉唱については強制すべきものではないと思う。』と答弁しています。これは、日の丸・君が代を国旗、国歌として容認する一方で、その掲揚、斉唱の強制には反対する姿勢を示したものと思います。」
(ゥ) 「日の丸・君が代問題はすぐれて社会意識としての差別観念の問題です。身分の頂点に立つ天皇とその対極にある被差別者の関係においてとりわけ『皇位の世襲』は生まれによる差別を容認する矛盾です。日の丸は、通常君が代と一体となって、元号、靖国神社、建国記念の日、生存者叙勲などどともに国民の間に天皇はなくてはならないものといった社会意識を醸し出し、天皇の権威を高める役割を果たしています。また、国体や植樹祭その他国内旅行などにおける天皇・皇族の丁重な処遇などの公的行為は、マスコミの過度の報道も手伝って知らず知らずのうちに天皇の権威を高め、貴賎思想を増幅していると理解しなければなりません。村山総理は、日の丸と君が代を同一水準において『セット』として扱っていますが、日の丸はそれ自体にはなんの思想性も表現されていませんし、現実にはオリンピック等各種国際スポーツ大会、船舶の標識など日本という国を表示するマークとして、国際的にも国内的にもほぼ違和感なく受け入れられています。しかし、君が代の歌詞自体については
@ 憲法の基本原理として規定されている主権在民になじまない
A 身分制を固定化し、差別を助長する思想が宿されている
B 国民の十分なコンセンサスが得られていない
このようなことから、府中市としては日の丸と君が代が極力連動しないよう区別して取り扱っていきたいと思います。なお、「日の丸をどうしても掲示しなければならない」合理意的かつ積極的理由は今日時点では見当たりません。しかし、現実にスポーツ大会等にはほぼ違和感なく受け入れられている状況の中では、「自覚的掲揚派」はもとより「無自覚的掲揚派」にストレートに迎合するのではなく、基本認識をふまえ必要最小限の現実的対応をせざるを得ません。日の丸については「歴史への反省」をふまえて一定のけじめをつけ、君が代については同和問題の視点からいっても慎重な対応が必要です。」
ウ 「日の丸掲揚に関する基本的な考え方」が示された後も、市教委は、広教組福山地区支部府中支区と、1997(平成9)年3月3日付けで、「『君が代』は、当面、棚上げとする。」などを内容とする確認書を取り交わした。
(2) 文部省是正指導
平成10年5月20日、処分者は、文部省是背を受けた。そして、その内容には、国旗及び国歌の指導に関する次の事項が含まれていた。
ア 卒業式、入学式における国旗掲揚、国歌斉唱の指導をはじめ、各学校における国旗・国歌の取扱いが、学習指導要領に基づいて適切に行われるよう指導すること。
イ 特に、卒業式、入学式における国歌斉唱の指導の一層の充実に努めること。
ウ 小学校の音楽の時間での国歌「君が代」の指導について問題があったので、関係法令等に基づき適正に行われるよう、関係市町村教育委員会を指導すること。
(3) 文部省是正指導後、本件事件までの経緯及び状況
ア 処分者の見解の変遷
(ァ) 入学式及び卒業式における国旗・国歌の取扱いについては、2.28文書で示されたような見解と民武将是正指導の内容とでは相違していた。そこで、処分者は、2.28文書でしめしていたような見解を採らず、文部省是正指導の内容を実現することとした。
辰野県教育長は、平成11年9月28日の広島県議会平成11年9月定例会において、「学校における国旗・国歌の取り扱いに関し、・・・県教育委員会としては、今後共、そのいっそうの徹底を図ってまいる所存でございます。」と答弁し、同年10月25日の平成11年度第2回県立学校長会議においては、「学校における国旗・国歌の問題は、学習指導要領に基づき適正な取扱いをする。2.28文書を始めとして、文部省是正指導以前にあった様々な事柄は、現在においては意味を持たない。」と発言した。後者の発言は、同月26日に朝刊各紙で報道された。また、辰野県教育長は、同日の臨時広島県連合会市町村教育長会議の場でも同様の発言をし、翌日朝日新聞によりそのことが報道された。
(ィ) 府中市校長会は、1999(平成11)年2月8日付け及び2000(平成12)年3月1日付けの2度にわたり、処分者あてに「要望書」と題する書面を発し、「君が代の斉唱を実施することと同和教育との整合性がどの様になるのか文書にて示されるよう」にとの要望をした。
処分者は、前者について、平成11年2月23日付けの通知で、その回答となる見解を示していると認識しており、また、後者については、これまでの指導の敬意から回答不要と認識していたことから、いずれもかいとうしなかったものと認められる。
イ 処分者の市教委に対する指導
文部省是正指導後、処分者は、次の(ァ)ないし(ゥ)のような通知を発して、国旗及び国歌の取扱いについて市教委を指導した。
(ァ) 平成10年12月17日、処分者は、「学校における国旗及び国歌の取扱いについて」と題する通知を発し、「所管の学校において、国旗及び国歌の取扱いが学習指導要領に基づき適正に行われるよう指導」すること及び「小学校の音楽の時間での国歌の指導について、学習指導要領に基づき、各学年を通じ、児童生徒の発達段階に即した適切な指導が行われるよう」求めた。
(ィ) 平成11年2月23日、処分者は、「学校における国旗及び国歌の取扱いについて」と題する通知を発し、君が代について、「日本国憲法は、その前文で主権が国民に存することを宣言し、国民主権を基本原理とした上で、天皇は日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位は国民の総意に基づくものと規定している。このような天皇の地位は、国民主権、基本的人権の尊重、法の下の平等という憲法の理念と矛盾するものではない。『君が代』の指導にあたっては、その歌詞の意味は日本国憲法の枠組みの中で解釈されるべきものである。こうした考え方に立ち、日本国憲法の下での『君が代』は、国民統合の象徴である天皇を持つ我が国が繁栄するようにとの願いを込めた歌であると解釈すべきものである。」として、処分者の見解を示した上で、「これを踏まえて卒業式及び入学式における国旗及び国歌の取扱いを適正に行うよう、管内の公立学校を指導」するよう求めた。
(ゥ) 平成11年10月1日、処分者は、「学校における国旗及び国歌に関する指導について」と題する通知(乙第13号証)を発し、「今後とも国旗及び国歌に対する正しい理解が一層促進されるよう、所管の学校を指導」するよう求めた。なお、この通知は、同年8月13日に国旗国歌法が公布、施行されたことを受けて、同年9月17日付けで文部省初等中等教育局長及び文部省高等教育局長が連名で各都道府県教育委員会教育長などに発した同旨の通知を引用するもので、参考資料として、国旗国歌法制定に係る国会審議の際の政府答弁などを収録した「国旗及び国歌に関する関係資料集」(文部省初等中等教育局編)などがこれに添付されていた。
ウ 市教委の請求人らに対する指導
(ァ) 市教委は、平成10年5月20日に処分者が文部省是正指導を受けて以降、処分者から入学式・卒業式において国歌斉唱指導をするようにとの文書指導を受け、その都度、請求人ら管下の小中学校長を集めた会議の場等でその写しを配布し、必要な場合には説明を加えるなどして処分者の見解ないし方針を伝達した。
しかし、市教委は請求人らに対し、平成12年度入学式において国歌斉唱指導を行うようにとの具体的な職務命令は発していなかった。
(ィ) 小川市教育長(平成11年2月就任)は、請求人らに対し、請求人らを集めた定期及び臨時の会議の場で、いずれも口頭で、卒業式や入学式における国旗掲揚及び国歌斉唱指導の実施について、基本的には学習指導要領に従って適正にこれを行うべきものである旨を繰り返し示していたが、最終的には各学校において校長が実施するかどうかの判断を行うよう指導していた。ただし、小川市教育長は、校長らに対し、国歌斉唱指導を行わなくてもよいとまでは言っていなかった。
(ゥ) 市教委は、このような指導をするようになった後において、府中市内の公立所y中学校の卒業式や入学式で国旗掲揚や国歌斉唱の指導をしなかった校長に対して、文書訓告や厳重注意等の服務上の措置をとることがなかった。この点について、平成12年6月22日、処分者が小川市教育長から事情聴取を行ったところによると、小川市教育長は、各学校が入学式や卒業式において国歌斉唱指導をしなくても、市教委としては文書訓告の措置をとらない旨の発言をしていたものと認められる。
エ 文部省是正指導後の国歌斉唱実施状況等
文部省是正指導を受け、処分者が是正を求められた指導の内容を実現すべく市町村教育委員会を指導していった結果、次のとおり年々国歌斉唱をしなかった県下の公立小中学校は、請求人らが勤務していた小中学校を含む府中市の小中学校16校のほかは新市町の小学校4校のみであった。
(ァ) 平成10年度卒業式
平成10年度に卒業式を行った広島県下の公立小中学校887校のうち、国歌斉唱指導を実施しなかったのは157校であった。そして、これらのうち府中市の公立小中学校の16校及び新市町の公立小中学校の6校を除く、該当校の校長に対して、文書訓告又は厳重注意等の措置がとられている。
なお、府中市の公立小中学校(16校)及び新市町の公立小中学校(6校)のすべてで国旗掲揚、国歌斉唱指導とも実施されなかった。これに対して、市教委は、いずれの学校の校長についても、文書訓告や厳重注意等の服務上の措置をとらなかった。
(ィ) 平成11年度入学式
平成11年度に入学式を行った広島県下の公立小中学校877校のうち、国歌斉唱指導を実施しなかったのは101校であった。そして、これらのうち府中市の公立小中学校の15校(府中市立諸田小学校は、入学式を実施しなかった。)及び新市町の公立小中学校の6校を除く、該当校の校長に対して、市教委及び町教委は、いずれの学校の校長についても、文書訓告や厳重注意等の服務上の措置をとらなかった。
(ゥ) 平成11年度卒業式
平成11年度に卒業式を行った広島県下の公立小中学校883校のうち、国歌斉唱指導を実施しなかったのは23校で、この内訳は、府中市の中学校4校、同市の小学校12校、新市町の中学校2校、同町の小学校4校、三次市の小学校1校であった。処分者は、新市町の中学校及び小学校の校長に対し戒告処分を決定したので人事異動通知書等を交付するように町教委に、府中市の中学校及び小学校の校長及び三次市の小学校の校長に対し、文書訓告の措置を講じるように市教委及び三次市教育委員会に、それぞれ福山教育事務所長、三次教育事務所長を通じて通知文書を出した。
しかし、この通知に対し市教委は、2000(平成12)年4月3日付けの教育長名の訓告文書で、文書訓告をしない旨を福山教育事務所長に伝えた。
(エ) 平成12年度入学式
平成12年度に入学式を行った広島県下の公立小中学校877校のうち、国歌斉唱指導を実施しなかったのは20校で、この内訳は、府中市の中学校4校、同市の小学校12校、新市町の小学校4校であった。処分者は、町教委の内申を受け、新市町の小学校の校長に対し戒告処分を行った。
オ 本件事件当時の請求人らの認識
(ァ) 処分者の方向転換
請求人らは、府中市の「日の丸掲揚に関する基本的な考え方」は、2.28文書によって示されていた当時の処分者の見解を敷衍したものであると考え、その後、処分者がそれと全く趣旨を異にする平成11年2月23日付け県教育長通知の見解を示したり、国旗国歌法制定の際の各界審議での政府見解を引用したりして入学式や卒業式での国歌斉唱の指導を求めていることは処分者の急激な方向転換であると認識していた。
(ィ) 請求人らが国歌斉唱指導を実施しなかった理由
請求人らが処分者あてに提出した文書(乙第22号証の2、3、7、8、12、13、14、16、17及び乙第29号証の2、3、7、8、12、13、14、16、17)によると、おおむね請求人らは、学習指導要領が法的拘束力を有し、校長は学校経営の責任者として学習指導要領に従って入学式で国歌斉唱指導をするべきであると認識していたが、現時点ではそれぞれの学校での児童生徒らに対する日常的な指導がいまだ処分者の急激な方向転換についていくに足りておらず、そのような状況下の入学式で国歌斉唱指導を行っても、いたずらに混乱を生じるだけであると考えて、国歌斉唱指導をしなかったと認められる。
いずれにしても、請求人らは、外部の者による干渉や、教職員、児童、生徒、保護者らの具体的な抵抗があったためにやむをえず国歌斉唱指導を見送ったとまではいえず、最終的には自らの意思で国歌斉唱指導しなかったものと認められる。
本件事件後、処分者は、請求人らの行為が戒告処分に相当すると考え、市教委に対して次のとおり報告を求め又は内申をするよう要請したが、市教委は内申をしない旨回答していた。
(1) 平成12年4月18日ごろ、処分者は、福山教育事務所長を通じて、市教委に次の事項についての報告を求めた。
ア 平成12年度入学式に向けての取組み状況
イ 平成12年度入学式において国歌斉唱指導を適切に実施しなかった、あるいはできなかった理由
ウ 平成12年度卒業式に向けての取組み
エ 平成11年度卒業式における国歌斉唱指導不実施について文書訓告の措置をとらなかった理由
(2) 平成12年4月20日、市教委は、前記の照会に対して、各学校ごとの状況(前記エにかかることを除く。)について請求人ら各校長に作成させた報告書を添え、次のとおり回答した。
ア 平成12年度入学式に向けての取組み状況について
市教委は、卒業式終了後、校長会を開き、各校の状況を把握するとともに、入学式に向け協議、指導した。その中で、国歌の歌詞と憲法精神との整合性について教育内容化に苦慮している旨の報告がなされた。また、市教委は、学習指導要領遵守に向けた論議と、国歌の教育内容化への更なる努力とを指導した。
イ 平成12年度入学式において国歌斉唱指導を適切に指導しなかった、あるいはできなかった理由について
市教委としては、校長を通じ、また各校からの聴取の中で、国旗については程度の差はあるものの、教育内容化が各校ともすすめられ、実施できるが、国歌斉唱については、歌詞と憲法精神との整合性についての教育内容化がkんなんであるとの声があり、実施についてきびしい状況であるとの把握をしていた。
ウ 平成12年度入学式に向けての取組みについて
市教委としては、校長会、教頭会の場で、国旗、国歌の教育内容化及び卒業式での国旗、国歌の実施に向けた論議を重ね、あわせて職責ということについて指導していく。
エ 平成11年度卒業式における国歌斉唱指導非実施について文書訓告の措置をとらなかった理由について
職務命令を出していないので、行政措置を行わなかった。
(3) 平成12年4月25日、処分者(理事、教育部長、教職員課長、指導第一課長、教育指導監、人事管理監等)は、小川市教育長に面接の上、前記のアないしウの各項目及び本件事件に関する処分の方針について事情聴取を行った。
ア その際、小川市教育長は、平成12年度入学式において国歌斉唱指導を適切に実施しなかった、あるいはできなかった理由として、「一番は環境、特に運動団体(解放同盟広島県連)が猛烈な反対運動を行っている状況によることが大きい。しかし、国旗についても、反対があるなかで掲揚したので、進歩が見られたと思う。」、「市教委にも、校長にも(国歌斉唱指導を)実施できなかったことについて責任はあると認識している。また、今回、校長の判断に委ねたことは問題であった。」、「市教委の行政責任が大きい。指導が十分でなかったといえるでしょう。」、「市教委としては校長に対して学習指導要領に則り、実施するよう指導したところであり、校長としても努力をしてくれていると思う。」、「職務命令を出さなかったのは、府中市では情勢が難しいからである。職命を出した場合、悩む校長もいるだろうし、石川校長先生(平成11年2月28日に自殺した広島県立世羅高等学校長)のようになってはと心配する。」、「職命は、校長の後押しになるよりも、混乱が激しくなるのではないかと思った。本当に校長の後押しになるのなら、職命を出していた。今後は職命を出すべきときが来るかもしれない。」などと述べた。
イ 本件事件の処分について、小川市教育長は、「職命を出していないので、処分はしない。教育委員会議でこのようにすることに決まった。」、「校長には学習指導要領に則って実施するようお願いをし、努力をしてくれている。市教委も校長も十分な努力をしたと思っている。」「処分をしないで、次の展望につなげていきたいので、県もその意をくんでほしい。」と述べた。
さらに、処分者から、服務監督者として何もしないということかと問われると、「内申をあげてくれといわれても行わない方向である。」旨答えた。
また、処分者側が、職務命令を出していないから処分をしないということは、学習指導要領を遵守しなくても処分をしないということであり、処分をするだけの重みが学習指導要領にないということになるが、どうかとたずねると、小川市教育長は、「学習指導要領の重みがないとは思っていない。処分してまで結果を問わないと言うことだ。教育委員会議で決めたことを述べたまでだ。」と答え、処分者側が、処分をしないために職務命令を出さなかったということではないかと問うと、「そうではない。職命を出さなかったのは、混乱が生じるだろうと判断したからである。」と答えた。
(4) 平成12年4月26日、処分者は、福山教育事務所長を通じて、市教委に対し、請求人ら各学校の校長から直接事情を聴取したい旨求めたが、市教委は、市教委としては本件事件について請求人らを処分しない旨決定しているので、その決定を尊重していただきたいとして、直ちにこの要求を拒否した。
(5) 同年5月13日付け朝日新聞に、「広島・府中市教委 県教委の処分指示拒む 国歌の未実施『各校長の判断支持』」というタイトルの記事が掲載された。同記事中には、同月12日の定例会見時の辰野県教育長の談話として「国歌斉唱ができない特別な理由があるのか聞きたいが、調査に応じてもらえず、理解に苦しむ。だが、県教委として統一的な対応や処分が必要であり、早期にけじめをつけたい。懲戒権の行使も検討する。」と、小川市教育長の話として「県教育長の定例会見を直接聞いたわけではないので、詳しいことはわからないが、教育とは平和的なもので、処分うんぬんを言うような殺伐としたものではないはずだ。うちとしては、尾道ままでの、校長主体の教育を支持するという方針を堅持することに変わりはない。」と報道された。
(6) 同月17日、処分者は、前記(2)の各報告書について分明でない部分があるとして、市教委に補足説明を求めた。
これに対して、市教委は、同月25日付け文書で、請求人ら各校長に作成させた報告書を添え、おおむね次のとおり回答した。
ア 市教委として処分しない旨の決定をしたことについて
平成12年3月31日18時より、教育委員会議をもち、処分をどうするか論議し、処分しないという結論となった。
イ 市教委として校長のヒアリングに対応できないとしたことについて
平成12年4月26日19時30分、教育長及び関係課長とで協議したが、県教委の「処分を前提としたヒアリングであるとは言えないが、状況を把握したなかで十分でないということになれば処分ということもある」という回答もあり、そうした中で、市教委として同年3月31日の処分しない旨の方針も継続しており、対応できないとの結論となった。
ウ 市教委の校長に対する国旗・国歌の指導について
毎月の定例校長会や臨時校長会で、「学習指導要領を遵守すること」、「好調としての力量を発揮すること」、「教育内容化を進めること」などの指導を行った。また、折に触れ、資料として、県教育委員会からの通知や学習資料を使用した。
(7) 同年6月6日、福山教育事務所長は、福山教育事務所で、小川市教育長に対し、「教育委員会議に附議するにあたって、県教育委員会事務局としては、平成12年度の入学式において、国歌斉唱を適正に取り扱わなかった校長16名に対して、戒告処分をすることが相当であると考えているので、6月8日までに処分内申を教育事務所を通じて県教育委員会へ提出していただきたい。」旨伝達した。
これに対し、小川市教育長は、「このことについては、この前申し上げたとおり、内申はしない。」、「府中市の教育委員会は、方向を決めているので、今更教育委員会を開いても考えは変わらない。県は、内申がなくても処分すると決めているのであれば、やればいいと思っている。」、「この指示を受けたことについては、必要ないと思うが、教育委員長と相談はする。」、「朝日新聞の記事の関係からか、全国からがんばれとの激励が来ている。」、「県教委の指示は、一応お聞きした。」などと発言した。
(8) 同月8日、市教委は、処分者あて「平成12年度入学式に係る処分内申について(回答)」と題する書面を発し、処分者による前記の内申の要求に対して、「このことについて、6月7日の教育委員会議において、処分の内申はしない旨の結論をみました。今日まで、府中市教育委員会としては、平成11年度卒業式、平成12年度入学式における国歌の取扱いについては、職務命令を出していないということもあり、来年度に向けての実施努力を校長に、さらに指導することとし、処分しない確認をしてきたところです。よって、内申はいたしません。」と回答した。
(9) 同月13日、処分者(教職員課長、人事管理監等)は、福山教育事務所において、纉c市教委委員長から事情を聞き、内申をするよう説得した。この際、纉c市教委委員長は、これまで処分をするよう示されたことに応じなかった理由として、「府中市としては、大きなネックになっているのは同和教育との整合性である。・・・府中に対する批判はあるが、同時にその反対もある。革新団体に学校や教員は敏感になっている。県はすでに卒業(整理)しているといっているが、市ではすっきりしていない。」と述べた。
また、内申をしない理由について、「学習指導要領を守らなければならないことは分かっているが、強制されることはなじまない。強制・処罰は適切ではないという意見が全体的に強かった。強制はなじまないというのが大きな理由である。・・・国歌斉唱をすることで、混乱して式が乱れることも心配である。近い将来できるようになるのではないかと思っている。」と述べた。
(10) 同月14日、処分者は、同月20日付けで、「このことについて、通知を受け、6月19日に教育委員会議をもちました。再度、内申について協議を行いましたが、以前から申しておりますように、「職務命令」を出していないので、義務は生じないととらえております。したがって、人事異動内申は行いません。」と回答した。
(11) 同月22日、処分者(教職員課長、人事管理監等)は、福山教育長行く事務所で小川市教育長に対して事情聴取を行った。この際のやりとりにおいて、小川市教育長は、市教委が内申を行わない実質的理由として、おおむね次のように述べた。
ア 市教委としては、内申を上げることは出来ない。今まで、文書訓告を出すこともしないと言ってきた。それを県から言ってきたから内申を上げるということは、校長の信頼を裏切ることになる。そういう行為をしたら、市民から方針を変更したのかということになったら、ことは前へ進まない。感性的に、職務命令を出していないので整合性が取れなくなる。議会へも答弁できない。職務命令を出していないので、(学習)指導要領を遵守する義務も明確には生じないだろう。
イ (職務命令を出していないから学習指導要領に従う義務が生じ)ないというのではなく、より強くは生じないだろうという意味だ。・・・市教委が訴訟を受けるということを想定してそう思っている。職務命令に常にこだわる。県もそうかもしれないが、うちもそういう立場(裁判)になる可能性が高い。
ウ 府中にとっては、せっかくここ(国旗掲揚のみ実施)まで進めてきたのに、・・・もし内申を上げたときには(運動団体等の反発もあって)混乱が生じ不信感が出る。市教委に対しては今は一定の信頼感がある。
エ 校長に権限を持たせることも保障しなくてはいけない。職命を出さなかったのもそこに理由がある。校長に責任を持ってやれと、国歌斉唱・国旗掲揚について人がやれといってやるものではない。
オ (処分内申をした)真一は大変な状況になっている。職員がそっぽを向いてしまっている。処分をしたということについては、教育長に対して一定の不信感を持っている。
(12) 同月26日、処分者は、市教委に対し、「貴教育委員会は、府中市立小・中学校の校長16名に対して、平成10年12月17日付け県教委通知等に従い、入学式・卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱指導を学習指導要領に基づき適正に取り扱うようたび重ねて指導され、各校長は、学習指導要領が法的拘束力を持つことや、学習指導要領に従って教育課程を編成する職務上の義務があることを認識していました。しかしながら、当該16名の校長は、平成12年度の入学式において国歌斉唱指導を実施しませんでした。このことは、法令等及び上司の職務上の命令に従う義務を規定した地方公務員法第32条に違反するとともに、児童生徒、保護者等の校長及び学校教育に対する信頼、更には県民の公教育に対する信頼を著しく損ねるものであります。」等として、平成12年6月30日までに請求人らに係る処分内申をするよう、文書で重ね求めた。
これに対して、市教委は、同月29日付けで、「このことについて、再度通知を受け、6月28日教育委員会議を開催し、協議を行いました。昨年度の卒業式は、国旗については実施をし、国歌については不実施でありました。その際にも「職務命令」を出さず、処分もいたしませんでした。同様のことが、今年度入学式でも行われましたが、「職務命令」は出しておりません。府中市教育委員会としては、指導してきたことは事実であっても、「職務命令」を出していない以上、命令違反とはとらえにくいと考えています。したがって、県教育委員会が言われるような戒告処分相当とは思っておりませんので、人事異動内申は行いません。」と回答した。
(13) 同年7月5日、処分syは、市教委に対し、校長は職務命令の有無にかかわらず学習指導要領に従って教育課程を編成すべき義務を有する旨、県費負担教職員の人事行政について市町村間で不公平を生じないよう県単位で統一的に処理すべきものである旨及び市教委が職員の非違に関して内申をしないことは服務監督者としてとるべき措置を怠るものであって人事管理上著しく不適切である旨を示して、同月11日までに請求人らに係る処分内申をするよう、文書で重ねて求めた。
これに対して、市教委は、同月10日付けで、「このことについて、再度通知を受け、7月7日教育委員会議を開催し、協議を行いました。昨年度の卒業式は、国旗については実施をし、国歌については不実施でありました。その際にも『職務命令』は出さず、処分もいたしませんでした。同様のことが、今年度入学式でも行われましたが、『職務命令』は出しておりません。府中市教育委員会として校長に対して指導したこと、校長として法的拘束力・責務について認識していたことは、当然のことと考えております。国歌斉唱を実施しなかったのは、式の重要な教育的意義を最優先し、混乱をさけるためのやむを得ない校長としての主体的判断でした。府中市教育委員会としては、教育の本来的な意義から、校長の主体的決断は尊重するところであり、『職務命令』は出しませんでした。平成12年6月13日、22日の面接に於いても、教育委員長、教育長から、内申しない理由はくわしく申し述べたとおりです。『職務命令を出していない』という特段の理由があることは、各市町村間での不公平にも、服務監督者としての怠慢にもあたらないと考えているところです。各校長の苦悩と意欲、市町村教育委員会の主体性を考慮された取扱いをお願いし、今回も人事異動内申は行いません。」と回答した。
(14) 平成12年7月14日、広島県教育委員会議において、市教委からの内申がない状態で請求人らに対して戒告処分を行うことが議決され、処分者は、請求人らに対し、本件処分を行った。
県教育長のホームページ「ホットライン教育ひろしま」の「意見のひろば」という欄には、平成12年の3月から4月にかけて、公立学校の卒業式が入学式で国歌斉唱が行なわれていないことを批判する意見が寄せられており、また、処分者が本件処分を行った平成12年月には、処分者が本件処分を行ったことを支持する意見が寄せられていた。
請求人らは、いくつかの理由を挙げて、学習指導要領には法的拘束力が認められず、また一律に強制することは許されないと主張しているので、以下、検討する。
(1) 告示形式の法的拘束力
請求人らは、小中学校学習指導要領は文部省告示でしかなく、法律でも政令でもないから、法的拘束力がないと主張している。しかし、小学校学習指導要領は、学教法第20条から委任された学教法施行規則第25条の委任に基づいて文部大臣が小学校における教育の内容及び基準を定めたものであり、中学校学習指導要領は、学教法第38条から委任された学教法施行規則第54条の2の委任に基づいて文部大臣が中学校における教育の内容及び基準を定めたものであって、いずれの学習指導要領も法律の根拠を有しており、その形式が告示であることをもって、小中学校学習指導要領に法的拘束力がないということはできない。
(2) 大綱的基準
請求人らは、学習指導要領に法的拘束力を認めることは憲法第23条及び教基法第10条第1項に反すると主張している。また、仮に学習指導要領に法的拘束力を認めるとしても、それは、「必要かつ相当と認められる範囲で」、「必要かつ合理的な基準として是認された」「全国的な大綱的基準であり」、「教師による創造的かつ弾力的な教育の余地や、地方ごとの特殊性を反映した個別化の余地が十分残されている。」とされており(旭川学テ事件最高裁判決)、したがって、この学習指導要領は一律に強制されるものではなく、同和教育に熱心に取り組んできた等の府中市の特殊性、地域性などを尊重し、その実情に合った対応が許されると主張しているので、小中学校学習指導要領の国歌斉唱指導に係る条項が法的拘束力を有するか否かを踏まえ、この点について検討する。
ア 憲法第23条及び教基法第10条と小中学校学習指導要領の関係
請求人らが引用している旭川学テ最高裁判決は、わが国の法制上子どもの教育の内容を決定する権能が誰に帰属するかについて、2つの対立する見解があるとしている。一つは、「法律は、当然に、公教育における教育の内容及び方法についても包括的にこれを定めることができ、また、教育行政機関も、法律の授権に基づく限り、広くこれらの事項について決定権限を有する」と主張する見解であり、もう一つは、「子どもの教育の内容及び方法については、国は原則として介入権能を持たず、教育は、その実施にあたる教師が、その教育専門家としての立場から、国民全体に対して教育的、文化的責任を負うような形で、その内容及び方法を決定、遂行すべきもの」であり、憲法第23条における学問の自由は、「学問研究の自由ばかりでなく、教授の自由も含み、教授の自由は、教育の本質上、高等教育のみならず、普通教育におけるそれにも及ぶ」と主張する見解であるが、同判決は、「いずれも極端かつ一方的」であるとして、そのいずれも全面的に援用することはできないとしている。そして、同判決は、国は一般に社会的な問題について国民全体の意思を組織的に決定し、実現すべきであって、国政の一部としての教育基本法についても広く適切な政策を樹立し実施すべきであり、憲法上、子ども自身の利益の擁護のため、あるいは子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、「必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有する」と判示している。
教基法第10条第1項は、「教育は、不当な支配に服することなく・・・行われるべきもの」とし、同条第2項は、「教育行政は、この自覚の下に、教育の目的を規定しているが、国の教育統制権能を認めた同判決の考え方を前提とすれば、教育に対する行政権力の不当、不要な介入は厳に排除されるべきものであるとしても、許容される目的のために、必要かつ合理的な範囲であるならば、たとえ教育内容及び方法に関するものであっても、これを決定することは、必ずしも同条の禁止するところではないと解される。
本件小中学校学習指導要領は、前記教育目的の遂行に必要な諸条件の整備の一環として、文部大臣が、小中学校の教科に関する事項を定める権限に基づいて、普通教育に属する小中学校における教育の内容等について基準を定めたものを告示したものであって、法規としての性質を有するものと認められる。しかし、前記基準の法的拘束力については、教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という限られた目的のため、必要かつ合理的と認められる大綱的基準(教師による創造的かつ弾力的な教育の余地等が十分に残されている基準)の範囲にとどめるべきものと解するのが相当であるから、学習指導要領の定めが、この大綱的基準を逸脱し、また、内容的にも、教師に対し、一方的な一定の理論や理念を生徒に教え込むことを強制するようなものであったり、その適用に当たって、関係法規や学習指導要領の買う項目の趣旨に明白に違反するような取扱いがされた場合には、教基法第10条第1項の不当な支配に該当するとして、号的拘束力が否定される場合もありうるものと解される。
イ 国歌斉唱条項の法的拘束力
ここで、小中学校学習指導要領の国歌斉唱を指導するものとするとの条項が法的拘束力を有しているか否かを検討する。
(ァ) 国歌斉唱条項の趣旨等
国歌については、小学校学習指導要領(平成元年文部省告示第24号及び平成10年文部省告示第175号)の第4章「特別活動」第3「指導計画の作成と内容の取扱い」3及び中学校学習指導要領(平成元年文部省告示第25号及び平成10年文部省告示第176号)第4章「特別活動」第3「指導計画の作成と内容の取扱い」6において「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と規定されている(以下「国歌斉唱条項」という。)。
国歌斉唱条項は、教育の内容、方法について規定するものであるところ、平成11年9月、文部省初等中等教育編の「国旗及び国歌に関する関係資料集(乙第13号証)6ページによれば、国歌斉唱条項は、「国際化の進展に伴い、日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てるとともに、児童が将来、国際社会において尊敬され、信頼される日本人として成長していくためには、国旗及び国歌斉唱に対して一層正しい認識を持たせ、それらを尊重する態度を育てる」ため、また「入学式や卒業式は、学校生活に有意義な変化や折り目を付け、厳粛かつ清新な雰囲気の中で、新しい生活の展開への動機付けを行い、学校、社会、国家など集団への所属観を深める上でよい機会となる」ことから定められたもの(中学校学習指導要領についても同旨であり、これを含め、以下「国歌斉唱の趣旨に係る文部省見解」という。)と認められる。
(ィ) 教育の機会均等の確保と一定水準の維持
国歌斉唱条項の前記趣旨は、憲法の精神を受けて教育の目的を規定した教基法第1条に反するものとは言い難く、国歌斉唱の指導は、その性質上、地域差、学校差を超えて全国的に共通なものとして行われることが適当であるから、これを小中学校学習指導要領の一条項として規定することは、教育における機会均等の確保と全国的な一定の教育水準の維持という目的から、是認されるものということができる。
(ゥ) 一方的な理論の教え込み
さらに、国歌斉唱条項は前記のような趣旨に基づいているのであって、教師による国歌を巡る客観的歴史的事実等を児童生徒に教えることを禁止するものではないから、教師に対し国歌について一方的な一定の理論を児童生徒に教え込むことを強制するものと解することはできない。
(エ) 教師による創造的かつ弾力的な教育の余地等
国歌斉唱条項は、一般的普遍的な基準を示すものであり、それ以上にどのような教育をするかについてまで定めたものではない。同条項は、入学式や卒業式において国歌を斉唱するよう指導すべき旨を定めているのみで、国歌斉唱の具体的実施方法等については、各学校の判断に委ねられているから、その内容が決して一義的なものになっているということはできない。したがって、国歌斉唱指導に当たっては、その実施方法を含め、教師が創造的かつ弾力的に教育する余地が残されているものと解される。
以上のことから、国歌斉唱条項は大綱的基準を逸脱するものとまではいえず、教基法第10条第1項が禁止する「不当な支配」に当たるとは認められないので、法的拘束力を有すると解するのが相当である。
ウ 府中市の特殊性、地域性の尊重
請求人らは、小中学校学習指導要領は一律に強制されるべきものではなく、同和教育に熱心に取り組んできた等の府中市の特殊性、地域性などを尊重し、その実情に合った対応が許される旨主張している。
しかし、小中学校における国歌斉唱指導の意義は前記イ(ァ)のとおりであり、その性質上、地域差、学校差を超えて、全国的に共通なものとして指導することが適当であること、普通教育においては、教師が生徒に対して強い影響力、
支配力を有し、子どもの側に学校や教師を選択する余地が乏しく、教育の機会均等をはかる上からも全国的に一定の水準を確保する必要があることから、請求人らが主張するように同和教育に熱心に取り組んできた等の府中市の特殊性、地域性などを尊重するとしても、入学式において、地域の特殊性を理由に国歌斉唱を指導しないことは許されないと解されるので、この点について、請求人らの主張は採ることができない。
(3) 教科教育内容
請求人らは、学習指導要領に法的拘束力が認められるとしても、それは教科、学科の種類や名称、必要単位数にとどまると解すべきであり、教科教育内容については、国が基準を作成したものとして、法的拘束力のない指導助言的基準にすぎないと考えなければならない。そして、国歌斉唱指導に関する部分は教科教育内容であるので、法的拘束力のない指導助言的基準にすぎないと主張している。
しかし、前記(2)アのとおり、学習指導要領が法的拘束力を有するか否かは、各条項が教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という限られた目的のために、必要かつ合理的と認められる大綱的基準を逸脱するものか否かを判断して決すべきであり、この大綱的基準を逸脱しないと認められる条項については、それが教科教育内容に係るものであったとしても法的拘束力を有すると解される。
(4) 合理的な決定権
請求人らは、仮に学習指導要領に法的拘束力が認められるとしても、「人間の内面的価値に関する文化的な営み」としての教育に関しては、国はその権能の行使についてできるだけ制約的であるべきであり、学習指導要領の国歌斉唱指導に関する部分は、人間の内面的価値に関する文化的な営みに直結し、政治的影響が深く入り込む危険が現にあることがらについて、一方的な観念を植えつけるような内容の教育を施すものであるから、国の「正当な理由に基づく合理的な決定権」の範囲を逸脱しており、これに法的拘束力を認めることはできないと主張している。
しかし、国歌斉唱条項の趣旨は前記(2)イ(ァ)のとおりであり、国歌斉唱することには、本来、政治的ないとは含まれておらず、請求人らは、人らが主張するような一方的な観念を植えつけるような内容の教育を施すものであるとは考えられない。
したがって、国歌斉唱条項が国の「正当な理由に基づく合理的な決定権」の範囲を逸脱しているとは解されないので、この点に関する請求人らの主張は、失当というべきである。
(5) 国歌斉唱条項の文言
請求人らは、国歌斉唱条項が「するものとする」と規定しており、それは、「しなければならない」よりはやや弱く、合理的理由があればそれに従わないことも許されると解釈される余地があり、児童生徒に対する人権侵害に繋がる危険性がある場合、国歌斉唱を実施しないことの選択も認められると主張している。
しかし、仮に「するものとする」との規定の意味を、請求人らがいうように合理的理由があればそれに従わないことが許されると解釈するとしても、何が合理的理由に当たるかについては、そのことが国歌斉唱条項の趣旨に反しないかどうかを基準として判断されるべきであって、同条項が入学式において国歌斉唱を実施するか否かの決定を無条件で校長らに委ねたものとは解されない。
国歌斉唱指導はその性質上、地域差、学校差を超えて、全国的に共通なものとして行われることが適当であり、また、入学式における国歌斉唱の実施は、一般的には児童生徒に対する人権侵害には当たらないと会されるので、本件においては、請求人らの主張するような合理的理由は認められないというべきである。
(6) 請求人らの裁量権
請求人らは、入学式において国歌斉唱を実施するか否かは、請求人らの裁量の範囲内の行為である旨主張している。
確かに、学教法第28条第3項は、小学校について、「好調は、公務をつかさどり、所属職員を監督する。」と定めており、また、同条が中学校にも準用されている(同法第40条)ので、小中学校長には教育課程の編成権があることが認められる。
しかし、教育課程の編成に当たって、法令等の定めに従うことは当然の前提であるから、校長の裁量権もこの範囲内において認められるものである。
小中学校学習指導要領は、入学式に国歌斉唱おいて、指導を行うべき旨を明確に定めており、前記のとおり、国歌斉唱の指導はその性質上、全国的に共通なものとして行われることが適当であるから、国歌斉唱の具体的方法等をどのようにするかについては、校長の裁量が認められるとしても、国歌斉唱指導をまったく行わないことは、校長の裁量の範囲を越えており許されないと解される。
(1) 君が代の意味
請求人らは、「君が代」の歌詞が所見在民という憲法になじまず、身分差別につながるおそれもあるものであり、侵略戦争の道具として、また、天皇をたたえる歌として利用されてきた歴史と、その歌詞自体が天皇を賛美しているという事実からして、本来現行憲法上もっとも排斥する必要があった歌であるとの主張をしている。
しかし、国歌「君が代」の歌詞の解釈については、平成11年政府見解のとおり、君が代の「君」は、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指しており、君が代とは、日本国民の総意に基づき、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことであり、君が代の歌詞も、そうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解するのが相当である。
したがって、国旗国歌法が施行された現在、少なくとも普通教育にのバビ於いて、君が代の歌詞の意味を請求人らの主張するようにかいするのは妥当ではない。
(2) 強制の禁止
請求人らは、内心の自由は、権力からの特定思想の強制、押しつけや統制を受けない自由をも意味し、わが国で行われている君が代の「一斉」斉唱は、着席して斉唱拒否することが不可能な状態で、事実上斉唱を強制している結果をもたらしているから、子供達や教師に君が代を強要させていることとなって、違法である旨主張している。
憲法第19条に既定する思想及び良心の自由は、人の内心におけるものの見方ないし考え方のうち、信仰に準ずるべき世界観、人生観等個人の人格形成の核心をなすものを国家権力による侵害から保護する趣旨のものであると考えられるが、そもそも国歌斉唱条項の趣旨は、国際化の進展に伴い、日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てるとともに、児童生徒が将来、国際社会において尊敬され、信頼される日本人として成長していくために、国歌斉唱に対して一層正しい認識をもたせ、それらを尊重する態度を育てることにある。更に、入学式や卒業式は、学校生活に有意義な変化や折り目を付け、厳粛かつ清新な雰囲気の中で、新しい生活の展開への動機付けを行い、学校、社会、国家などの集団への所属感を深める上でよい機会となることから、入学式において国歌斉唱をすることは請求人らがいうような特定の思想を強制したり、思想的な統制を目的としたものとは認められない。
また、国歌斉唱を指導することは、児童生徒に精神的、肉体的な苦痛を伴うような指導を行ったり、事後の不利益取扱いを伴わせて行うのでなければ、一般的には児童生徒の思想及び良心の自由を侵害することにはならないと解される。
本件においては、児童生徒に国歌斉唱を強要するような指導が想定されていたとは認められないし、仮に入学式において国歌斉唱を行わない児童生徒がいたとしても、これに対して不利益な取扱いがなされるおそれがあったとも認められない。請求人らは、起立しての一斉斉唱が事実上の強制となると主張しているが、入学式において国歌斉唱を斉唱するように、また、その際には起立するように指示したり、それらが行われる入学式に参加するように指導を行ったりすることは、教育的な指導の範囲内として許容されるものであると考えられる。
したがって、請求人らが児童生徒に対し入学式において国歌斉唱指導を行ったとしても、児童生徒の思想及び良心の自由を侵害するものとは認められない。
次に、教職員についていえば、思想及び良心の自由は自己の内心にとどまる限りは絶対的に保障されなければならないものであるが、それが外部的行為となって表れる場合には、たとえそれが思想及び良心に基づくものであっても、表現の自由(憲法第21条)等の問題として、一定の合理的範囲内の制約を受けるものである。教職員は、法令等及び上司の職務上の命令に従って教育活動を行う職責を負っているから(地公法第32条)、この職責を遂行するのに必要な限度で、その思想ないし良心に基づく外部的な行為も制限されると解され、入学式において教職員に国歌斉唱を指導させたり、そのような入学式にさんかするように指示したとしても、教職員の思想及び良心を侵害するとはいえない。
したがって、入学式において国歌斉唱を行うことのみをもって、ただちに児童生徒や教職員の思想及び良心の自由を侵害する強制行為があるとはいえないと解する。
(3) 沈黙の自由
請求人らは、君が代が一斉斉唱された場合、歌いたくないものは着席せざるを得ないところ、着席していることによって他から自己の君が代に対する内心の意思を推知されることになり、内心の自由と表裏一体をなす沈黙に自由が侵害されると主張している。
しかし、そもそも沈黙の自由は、「踏絵」のように公権力が国民に対し何らかの行為を強制することによってその者の内心を推知しようとする場合に問題となるものである。入学式において国歌を斉唱する際に教職員も起立し斉唱することとされているのは、児童生徒に対して国歌を尊重する態度を指導する一環として、児童生徒に自ら範を示すことによる教育上の効果を期待しているものであると認められ、教職員の内心を推知することを目的としていると認めることはできない。また、児童生徒においても、入学式に国歌斉唱を指導する目的は国歌斉唱の趣旨に係る文部省見解のとおりであり、内心を推知することを目的としているとは認めることができない。
したがって、教職員及び児童生徒の沈黙の自由が侵害されるとの請求人らの主張は採用できない。
(4) 児童の権利条約
請求人らは、国歌の一斉斉唱は、子供たちの思想及び良心の自由を侵害し、これを保障している児童の権利条約に違反することとなる旨主張している。
しかし、児童の権利条約について、平成6年5月20日付けで発せられた文部事務次官通知(文初第149号)によると、学校における国旗・国歌の指導は、「児童生徒等が自国の国旗・国歌の意義を理解し、それを尊重する信条と態度を育てるとともに、すべての国の国旗・国歌に対して等しく敬意を表する態度を育てるためのものであること。その指導は、児童生徒が国民として必要とされる基礎的・基本的な内容を身につけるために行うものであり、もとより児童生徒の思想・良心を制約しようというものではないこと。」とされており、当委員会もこのような解釈が妥当であると考える。とすれば、入学式における国歌指導は、児童生徒の思想及び良心の自由を侵害するとは会されないので、特に同条約に違反するとはいえない。
(5) 憲法尊重擁護の義務
請求人らは、入学式において国歌を斉唱するよう指導することが、児童生徒その他の出席者らの思想・良心の自由を侵し、国民・公務員としての憲法尊重擁護義務違反になると主張している。
しかし、憲法第99条は、公務員に対してその憲法尊重擁護の義務を特に明記したものであって、法律的義務というよりもむしろ倫理的な意思道徳的な要請を規定したものと解すべきである。
したがって、通常の公務の執行に当たっては、巣s区なくとも最高裁判所が意見と判断しない限り、法令についての憲法上の疑義を理由にその執行を拒否することは許されないというべきである。
また、前記のとおり、児童生徒に国歌を斉唱するよおう指導することは、強要や事後の不利益取扱いを伴わせてするのでなければ、児童生徒の思想及び良心の自由を侵害するものとは認められないので、この点に関する請求人らの主張は失当である。
(6) 国旗国歌法
請求人らは、国旗国歌法は、何が国旗で、何が国歌斉唱であるかを定めただけであり、国旗国歌の尊重規定などもなく、これを尊重するか否かは個人の自由意思に任せたものであって、これを一律に強制することは、憲法第19条の保証したないしんのじゆうを侵害する可能性が高いと主張している。
しかし、同法が一般的な尊重規定等を置かなかったことが、学校現場における国歌斉唱指導の意義を法制化以前よりも消極的に解釈する理由になるとは到底認められない。また、児童生徒に対する国歌斉唱指導が思想及び良心の自由を侵害するものでないことは、前記のとおりである。
(1) 懲戒処分には内心を要するとの原則
請求人らは、本件処分は、地教行法第38条第1項所定の市教委の内申なくして行われたものであり違法であると主張しているので、この点について検討する。
この内申の制度については、内申抜き処分事件際高裁判決が判示しているように、その制度の趣旨は、「県費負担教職員について、都道府県教委にその任命権を行使させることにより都道府県単位における人事の適正配置と人事交流の円滑化等を図る一方、これらの教職員は、市町村が設置する学校に勤務し市町村教委の監督の下にその勤務に服する(地教行法第43条第1項)者であることから、都道府県教委がその任命権を行使するにあたっては、服務監督者である市町村教委の意見をこれに反映させることとして、両者の協働関係により県費負担教職員に関する人事の適正、円滑を期する趣旨」であると解される。したがって、地教行法第38条第1項所定の市町村教育委員会の内申は、県費負担教職員について任命権を行使するための手続要件をなすものであって、都道府県教育委員会が県費負担教職員に対し、その非違行為を理由に懲戒処分をするためには、当該教職員に関する市町村教育委員会の処分内申なしに処分を行うことは許されないのが原則であると解される。
(2) 例外的に内申抜き処分が認められる場合
しかし、内申抜き処分事件高裁判決は、「内申制度は、県費負担教職員の服務を監督する権限を有する者が市町村教委であることから、教職員の身近にいてその服務状態を熟知している市町村教委にその含む監督の実質を保持させることとした趣旨であるから、市町村教委が、教職員の非違などに関し右内申をしないことが、服務監督者としてとるべき措置を怠るものであり、人事管理上著しく適正を欠くと認められる場合にまで、右原則どおり市町村教委の内申がない限り任命権を行使しえないとすることには合理性があるとはいえない。」とし、また、「地教行法上、市町村教委は、県費負担教職員の服務上の監督者として、その人事行政につき責任の一部を負担するものであり、服務監督者の講師の一環として法律上認められた内申の権限を適正に行使すべき責務を負うものというべきであって、右の場合のように、市町村教委がその責務に反して内申をしないために、都道府県教委による適正な任命権の行使が不可能となることを、地教行法が容認していると解することはできない」と判示しており、市町村教育委員会の内申がなくても例外的に都道府県教育委員会が任命権を行使できる場合があることは反例上も認められている。
以上のことから、本件処分が内申抜きに行われたという事実のみをもってただちに本件処分が地教行法第38条に違反しているとはいえない。
(3)本件事案の検討
請求人らは、本件事案は、内申抜き処分事件際高裁判決とは、市教委の懲戒処分要否の認識等が異なり、同判決のように内申抜きでなされた処分を適法とすることはできないと主張しているので、この点について検討する。
ア 事案の比較
ここで、本件事案と内申抜き処分事件際高裁判決とを比較してみると、同判決の事案は、「当該市教育委員会が、各教職員の行為が懲戒処分の対象となるものであることを認識しながら、組合の反発や抗議行動とかそれに伴う教育現場の混乱などといった各教職員の服務監督上の問題とは直接関係のない事情に対する配慮又は予想される被上告人の処分の選択・量定に対する一般的な批判から、本件各ストライキの参加者については一切処分内申をしない。」というもので、当該市教育委員会は少なくとも服務監督上の問題としては、懲戒処分を要するとの認識があったものである。
これに対し、本件事案において、市教委は、入学式において国歌斉唱を行わないことが違法であるとの認識があったとしても、最終的には処分することが時期尚早であり職務命令を出していないとの理由から本件行為が懲戒処分の対象にはならないと自ら判断し、内申を要しないと認識していたと認められる。
イ 内申抜き処分の適否
ここで、このように市教委が自ら服務監督者として県費負担教職員を超過処分にすべきでないと判断し、内申をしないと決意している場合にまで、例外的に内申抜き処分を認めることができるか否かが問題となる。
確かに、懲戒処分を行うにあたっては、服務監督者である市教委の意見が第一に考慮されるべきことはいうまでもなく、処分者が再三再四、要請等をしたにもかかわらず、市教委を説得しえなかった本件のような場合に、任命権を根拠として処分者の意思を実現することが適当であるか否かについては意見が分かれるところであると思われる。
しかし、市町村教育委員会の服務監督の権限は適正に行使されなければならないものであるところ、本件行為は前記のとおり法令に違反する行為であることから、至境意図しては、懲戒処分相当として処分者に処分内申を行うか、それを行わずに訓告その他の服務上の措置をとって自ら請求人らを戒めるかの選択をする裁量はあっても、これを全く放置することは許されないと解する。
また、本件処分を考察するに当たっては、処分者が、文部省是正指導を受けて、入学式及び卒業式における国歌斉唱の実施についての全県的な取組みを進めていた本件事件当時の広島県の教育状況を考慮する必要があると思われる。
平成10年度以降の取組みの結果、県下の小中学校での入学式及び卒業式における国歌斉唱の不実施校は徐々に減少し、平成12年度入学式においては、請求人らが勤務していた小中学校を含む府中市の小中学校16校と新市町の小学校4校のみとなっていた。
更に、県立学校や府中市以外の市町村立学校においては、本校処分までの間に国歌斉唱不実施の校長に対して、処分者による懲戒処分や市町村教育委員会による文書訓告等がなされており、入学式における国歌斉唱指導の実施が全県的な緊急の課題であったと認められる。
以上のような特殊な事情のもとで、全県的、統一的な任命権の行使が明白に妨げられることとなるような場合に、内申がないことをもって、任命権の行使ができないとすると、都道府県教育委員会の任命権の実効性がい著しく損なわれることなり、内申制度の趣旨である県費負担教職員に関する人事の適正、円滑を期することもできなくなるおそれがある。このように制度の存在意義すら失いかねないような状態を認めることは、地教行法第38条に定める内申制度の本来の趣旨には合致しないものと解する。
したがって、本件においては、市教委が、懲戒処分の要否について処分者と異なる判断をしていたことを前提としても、請求人らの非違行為に対して何らかの処置もとらず、内申もしないことは「服務監督者としてとるべき措置を怠るものであり、人事管理上著しく適性を欠くと認められる場合」に当たると解されるので、本件処分が、市教委の内申をまたずに行われたことをもって前記内申抜き処分事件最高裁判決の趣旨に反し、違法であり、無効であるとまではいえない。
ウ 地方分権一括法と内申の関係
請求人らは、地教行法が地方分権一括法によって改正(第27条の削除、第43条の改正等)され、市町村教育委員会の自主性がより尊重されるようになっており、都道府県と市町村の関係が対等平等であるという原理を教育行政にも認めようとする趣旨であるから、市町村教育委員会の意向を無視する内申抜き処分は、内申抜き処分事件最高裁判決の事案の当時より一層行われるべきでなくなったとの主張をしているので、この点について検討する。
確かに、地方分権一括法の施行によって、各般の行政を展開する上で国及び地方公共団体が分担すべき役割が明確にされ、地方公共団体の自主性及び自立性が高められ、地方分権が推進されることとなった。そして、地教行法も地方分権一括法によって改正され、教育行政における国、都道府県、市町村の役割分担が見直され、新たな連携協力体制が構築され、地域に根差した主体的かつ積極的な地方教育行政の展開が図られるところである。これによって、市教委の自主性及び自立性が高められたことは確かである。
しかし、地教行法第38条第1項の趣旨は、前記(1)(2)のとおりであり、市町村教育委員会は、県費分担教職員の服務上の監督者として、その人事行政につき責任の一部を負担するものであり、服務監督権の行使の一環として法律上認められた内申の権限を適正に行使すべき責務を負うものというべきものであって、市教委の自主性及び自立性を根拠にその責任が回避されるものではないと解される。
したがって、本件処分の効力については、前記のように、処分者が内申抜きで処分を行った事情を検討し判断すべきであると解する。
請求人らは、地方分権一括法による地教行法の改正によって文部省是正指導は法的根拠を失っており、これを根拠に処分者が行った国歌斉唱等の強要や懲戒処分の強行は地教行法に違反すると主張している。
しかし、文部省是正指導の根拠は地教行法第48条とされており、改正後の同条も、文部大臣は都道府県又は市町村に対し、「必要な指導、助言又は援助」を行うことができる旨定めているから、地教行法改正によって文部省是正指導は法的根拠を失ったとの請求人らの主張は失当である。
なお、地教行法第48条第1項に基づく指導は処分者に対して法的拘束力を有するものではないが、処分者が法的拘束力の有無に拘わらず文部省是正指導を重く受け止め、これに従って市教委を指導することは違法ではない。
(1) 公平な処分及び措置
請求人らは、今まで同和教育に熱心に取り組んできたことから、同和教育との整合性が取れないという地域の特殊性により国歌斉唱の指導をしなかつたのであり、 また、新市町の校長4名については、町教委の内申をまって戒告処分が行われたが、本件処分は内申をまたずに行われたのであって、同列視することはできない。それらを考慮しないで、均衡などという不合理な理由を持ち出して処分すること自体が問題である旨主張している。
しかし、前記のとおり、請求人らが主張している地域の特殊性を考慮するとしても、本件行為が小中学校学習指導要領違反であることは免れない。また、内申抜きにされた本件処分も本件事件の特殊事情を考慮すると違法とまではいえないと解される。
確かに、小中学校学習指導要領に法的拘束力があり、本件行為がそれに違反し違法であるとしても、その行為を懲戒処分とすることが適当であるか否か、また、どの程度の懲戒処分が適当であるかということは別問題である。
そこで、本件行為の態様及び非違の程度について検討してみると、請求人らは、小中学校学習指導要領に違反し、法令等及び上司の命令に従う義務を規定した地公法第32条に違反した等として懲戒処分されたものであるが、本件においては、職務命令が出されていないことから、法令違反が主な処分理由とされている。通常、法令違反を直接の理由として懲戒処分が行われるのは、刑罰法規等に明確に違反した場合であることから、本件処分においては、請求人らの行為に対して、懲戒処分をもってまで臨むことが適当であるかどうかとの問題が生じる。
しかし、請求人は、今回、単に学習指導要領の第一項に違反したから処分されたわけではなく、処分者において、文部省是正指導後、入学式及び卒業式において国歌斉唱を指導するという全県的な取組みが繰り返し徹底されている中で、たとえ国歌斉唱実施に伴う混乱を避けるためという理由があったとしても、最終的にはこれに従わないという決定を自らが下し、国歌斉唱の指導を行わなかったという事情があったから処分されたのである。このことは、まったくこのような取組みが行われていない状況で、学習指導要領違反が行われたのとは明らかに相違し、その非違の程度は重く、懲戒処分が行われたことはやむを得ないものと解する。
(2) 処分の量定
請求人らは、本件処分が過酷であり到底承状しがたい旨主張している。
しかし、本件行為の非違の程度からいって、本件行為をもって請求人らを懲戒処分とすることはやむを得ないものと解され、本件処分が懲戒処分の中で最も軽い処分である戒告であることから、その程度が著しく妥当性を欠くものであるとはいえず、処分者の裁量権を逸脱しているとは認められない。
以上のとおり、請求人らの主張はいずれも理由がなく、他に本件処分を違法、不当とする点も認められないため、不利益処分についての不服申し立てに関する規則(平成14年広島県人事委員会規則第10号)第53条第1項の規定により、主文のとおり裁決する。
平成15年8月20日
広島県人事委員会
委員長 丸山 明
委 員 高橋 正光
委 員 吉村 朗