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「君が代」斉唱を拒否する教員に対する
処分の違法性
−−福岡県弁護士会2000年6月28日警告書の紹介−−
早稲田大学教授
西原 博史
【背景となる事実】
北九州市教育委員会は、一九八五年の「徹底通知」を契機に、「『国歌斉唱』は、ピアノ伴奏で行い、児童生徒及び教師の全員が起立して、正しく心を込めて歌う」旨の事項を含んだ指導を行ってきた。一九八九年以降、枚長は「国歌斉唱時には『君が代』を起立して歌う」よう教職員に職務命令を発している。そして、立って歌わない教師に対して、厳重注意、文書訓告、戒告、そして一九九九年以降は減給一月までの処分が加えられている(法律時報72巻毎号の拙稿より抜粋)。そうして処分を受けた教師ら一七人(提訴時)は、処分の取消と損害賠償を市に求めた本人訴訟を提起している。
ここで問題となった懲戒処分に対して、訴訟手続きとして併行して、原告のうち二名が、福岡県弁護士会人権擦護委員会に人権救済の申立を行った。
【警告書】
「君が代を是とするか否かは、各個人にとって自己の信条や信仰に深くかかわる問題であり、憲法上、思
想良心の自由・信教の自由によって保護を受ける。従って、……教職員が自己の信条や信仰を理由として単に起立斉唱しないという行為に対して、懲戒処分という重大な制裁をもって臨むことは、憲法上保障された当該教職員の思想良心の自由ないし内面的信仰の自由を侵害するものである」。
警告理由
@「君が代斉唱問題は憲法19条の保障対象に関わる。」
A「君が代斉唱時の起立の強制については、対象者め『君が代反対』という内心を強制的に告白させること、ないしかかる内心を推知することを目的として実施されているものと断定することはできない」ために、「本件の起立強制が直ちに『沈黙の自由』を侵害するものと断ずることは適切ではない」。
B個人は、自己の思想・良心ないし信仰の自由を根拠として、一般的な法義務を回避しうる。いかなる要件が満たされたときに義務の回避が許されるかに関し、一般的法義務によって縛られる利益と、当該信教の自由(思想・良心の自由)保障によって得られる利益との間の利益衡量によって、一般的法義務による規制が当該信仰ないし思想・良心にとって重大な侵害になるかどうかにより判断すペきである。
より具体的には、
・当該法義務の性格。その法義務が実質的な公共的利益を実現するために必要不可欠なものといえ るかどうか。
・当該信教の自由(思想・良心の自由)の真摯性。とくに非宗教的な思想・良心については、宗教的信 念と同程度の強さを持っものといえるか。
・当該法義務による規制が当該信仰ないし思想・良心にどの程度の負担・妨げを生じさせるか。また、 当該法義務を履行しないことによって、その者にどの程度の不利益が許されるか。
といった諸事情を考慮して、決せられるべきである。
C本件における法的義務は、形式的には校長の職務命令という形で現れるが、その実質的根拠は学習指導要領中の規定に求められる。
学習指導要領の当該規定により追求されている公共の利益とは、教育目標としての『国旗・国歌を尊重する態度、ひいては日本人としての自覚・愛国心・国家への帰属意識の醸成』である。
D本件において、以上のような公共の利益の要請に対して、対象者が自らの信仰や信条を理由にその法的義務を免れうるか。また言い換えると、いかなる程度・態様において、法的義務と制裁を課しうるの か。
D一1前提問題として、君が代斉唱の法的義務を児童・生徒に対して課し、不履行に対する制裁を行うことは許されない。
D一2教職員は、教育公務員として児童・生徒を指導すペき立場に立つため、校長の職務命令によって「君が代斉唱の際に起立して歌う義務」という現実の法的義務を課されることになる。
D−3しかし、ここにおける公共の利益とはあくまで愛国心等の醸成という教育目標であって、児童・生徒ら自身に対しては強制が不可能なものである(従って教育効果が減殺されるとしても、それが児童・生徒らの利益を害しているということはできない)。また学校の儀式における国歌斉唱は、前記教育目標の達成のための効果が認められるとしても、それがそのために不可欠な手段というわけでなく、これを法的義務をもって一律に強制することが相当といえるかどうか疑問がある。
Dー4他方、自己の信条や信仰から君が代に強く反対している者にとって、卒業式・入学式において君が代斉唱時に起立して斉唱するということを強制されることは、その内心の自由の重大な侵害となるもの。
D−5以上からすると、本件では、法的義務の不履行により害されるであろう企共の利益が抽象的で不明確であって、職務命令という法的義務を課すことによってその企共の利益の実現を図ろうとすることの相当性にも疑問があるのに対して、その義務強制により対象者が受ける不利益の程度が著しく大きいものと認められる。
よって、卒業式・入学式の君が代斉唱時に教職員に対して職務命令をもって起立斉唱を義務づけることが仮に許されるとしても、自己の信仰・信条から君が代に真摯に反対する者は、この信仰の自由・思想良心の自由を理由として起立斉唱の義務を免れることができるというペきである。従って、この不起立行為に対して懲戒処分という制裁をもって起立を強制することは、当鉄教職員の信仰の自由・思想良心の自由を侵害するものとして違憲である疑いが濃厚である。
【本警告の意義・特色】
1.1999年国旗・国歌法の制定以降、各地において、学校における国旗・国歌指導の徹底を図る動きが急激に進んでいる。2000年春の卒業式・入学式における国旗掲揚・国歌斉唱の実施率は、前年に比べて飛確的な伸びを見せ、また、これを実施しないことを理由とする校長に対する懲戒処分も、いくつかの地域で出されている。しかし、教員の不起立を理由として懲戒処分がなされる例は、現在の所、なおも非常に限定されている。この点に関して、1985年「徹底通知」当時の文部省初等中等局長のお膝下で、この通知に最も早く、かつ熱意をもって応えた北九榊市教育委員会の事情は、なおも特殊である。だが現在、北九州のモデルを、各地教育委員会は、国旗・国歌指導の進んだ例として注目している。そのような中で、不起立教師の懲戒処分に踏みきれないでいる各地の教育委員会は、この懲戒処分を不服として提起されている「ココロ裁判」の行方を注視しているのが現状である。
そのような状況の中、福岡弁護士会が、ココロ裁判の原告団による人権救済申立を受け、不起立教員に対する懲戒処分が人権侵害になり、違法である旨をはっきり打ち出した警告書を発した。国旗国歌の強制推進側と強制反対側が最前線で向き合っている北九州の事例に関して、単位弁護士会とはいえ、法曹専門集団が現在の実務の違法性を確認したことには、大きな意義がある。
2.本件警告書は、まず「沈黙の自由」を限定した意味で捉え、この自由が、思想・信条内容の表明強制や推知を目的としない国歌斉唱に適用できないことを踏まえる。従来の学校現場における「君が代・日の丸」反対闘争が、「沈黙の自由」を手がかりに、「日の丸・君が代」が式場に持ち込まれたら生徒に立場表明を迫ることになり、「沈黙の自由」に反するという理論とは、警告書は明確に訣別する。私見では、解釈論上は警告書の定義の方が正当であり、憲法19条の果てしない拡張解釈は戒められるべきである。
3.本件警告書は、問題を、良心を侵害する法義務強制の禁止という次元に位置づける。これまで必ずしも明確に確立してはいなかった点だが、「沈黙の自由」の拡張的解釈を退ければ、必然的に出てくる問題設定である。義務免除説的構成で最も問題となるのは、この良心的行為の自由が保障される範囲であるが、この点につき警告書は、利益衡量の基準を採用し、・当該法義務の性格および必要性、・当該良心的立場の真摯性、・当該法義務による侵害の重大性、という具体的基準を設定する。この立場は、アドホックな衡量を主張するのだとすれば憲法19条の人権を相対化する危険を伴うが、具体的に設定された衡量の基準は正当であり、結論的に有用な基準を内容としていると評価できる。
4.この衡量を進めるにあたり警告書は、当該法的義務が狙う公共的利益としての、国旗・国歌指導の目的を、「国旗・国歌を尊重する態度、ひいては日本人としての自覚・愛国心・国家への帰属意識の醸成」に見る。警告書がこれを憲法上正当な目的と評価しているとすれば、これは、国家による良心内容の操作を認めるもので、正当ではない。ただ、警告書が、この目的が、子どもへの強制を通じて実現されてはならない旨強調することは、事態を正しく認識した結果といえる。
5.そして警告書は、教職員に対して一律に起立斉唱を義務づけることが上記目的のために相当な手段といえるかどうかを考え、この点の解答を留保しながら、いずれにせよ、上記目的が当該教職員にとって重大な不利益となる懲戒処分をもって強制することまでをも正当化するものではないとの結論に到達し、斉唱強制の良心の自由違反を認定する。上記4で述べたとおり、警告書による正当な国家目的の認定は憲法上許容された範囲を越えて及ぶものと考えられるが、侵害の重大性に着目して人権侵害を認定する結論自身は容認できる。
6.本警告書の特徴として、学校現場という特殊な外部的事情を基本的に考慮せず、良心に反する法、義務を課されない権利という人権制限の限界を利益衡量を通じて画定するという論理を一貫して採用する点が挙げられる。その結果、教育権の所在に関する議論に立ち入らずに結論を出すことに成功している。もとより、国旗・国歌指導の狙いとするところは、本件法義務の目的という形で考慮されているが、そこで展開された範囲に考察を限定したことに対しては、文部省側、原告側双方に、不十分な扱いしかされていないという感覚を残すものと思われる。結局は、もう一歩踏み込んで、「愛国心・国家意織の醸成」などという目的を達成するために導入される国旗・国歌指導そのものが、子どもの良心の自由に対して強度の緊張関係を有する点にまで、考察を及ぼす必要があったろう。