子どもの権利条約と「日の丸・君が代」の強制(2)

       「思想・良心・宗教の自由」を守るための制度を作ることが重要
 


第14条 (思想・良心・宗教の自由)

1.締約国は、子どもの思想、良心および宗教の自由への権利を尊重する。
2.締約国は、親および適当な場合には法定保護者が、子どもが自己の権利を行使するにあたって、子どもの能力の発達と一致する方法で子どもに指示を与える権利および義務を尊重する。
3.宗教または信念を表明する自由については、法律で定める制限であって、公共の安全、公の秩序、公衆の健康もしくは道徳、または他の者の基本的な権利および自由を保護するために必要な制限のみを課することができる。

 第14条は、日本国憲法第19条(思想・良心の自由)第20条(信教の自由)とも全く合致するものです。これは、子どもの思想・良心・宗教の自由の保障が、日本の憲法からも、そして国際的人権保障の点からも、何ら制約を受けることなく保障されていることを示しています。
 しかし、この重要な条文をどれだけ唱えても子どもたちの権利は守られません。実際の具体的場面の中でどのように運用されるかが大切です。「日の丸・君が代」が強制される卒・入学式の場面で考えてみましょう。

 私たちは、子どもたちに対して完全な「参加の自発性」の保障が必要だと考えています。
@積極的にその行為をしない自由の保障 
  ・「日の丸・君が代」の実施される儀式には参加しない自由。
  ・「君が代」斉唱時に、起立しない、歌わない、退席する自由。
  ・「日の丸」に敬礼しない自由。

A不利益を防止する義務
 @の行為を行ったときに、不利益が予想される場合、@の行為が保障されたとは言えない。不利益が起こる可能性を完全に防止しなければならない。
  <考えられる不利益>
    ・クラスメイトによるいじめや嫌がらせ。
    ・校長・教師からの詰問や事情調査。
    ・儀式に参加した保護者や来賓、右翼からの嫌がらせ。
    ・企業による「就職差別」。
    ・「目立つ」ことによる精神的苦痛など

B「思想・良心・信教の自由」についての説明責任
 「君が代」のように思想・信条の問題として様々な意見のある場合、学校は公式に説明する義務がある。「退席する、歌わない、起立しない」などの行為をとる人にも、きちんと根拠があり、それらの考えを尊重しなかればならないことを周知する必要がある。

C保護者と子どもたちへの事前の説明義務
 ・儀式での「君が代」斉唱の実施は、事前に子どもと保護者に説明すること。
 ・家庭で相談する十分な時間が保障されていること。
 ・子どもたちにの「退席する、歌わない、起立しない」の自由が保障されていることが、きちんと子どもた  ちに伝えられていること。
 
2000年3月に出された憲法学者による「『国旗・国歌』強制は許されません」のアピールにはこう書かれています。
 「卒業式・入学式での「国旗」の掲揚とそれへの敬礼および「国歌」の斉唱は、一つのプログラムとして式次第に組みこまれ、これらに抵抗感を覚える人々が容易に抗えないしくみになっています。「同調」を拒む行為は、周囲から浮き上がり、「異端」のレッテルをはられさえします。そのことがもたらす精神的苦痛に、私たちはもっと敏感であるべきです。まして、精神的に発達途上にある子どもたちにとって、これらの行為が上から一方的に押しつけられることは、精神的に大きな重圧となります。良心に従って「日の丸・君が代」を拒否した子どもが、クラスメートからいじめられ、疎外されるような状況が、はたして「国旗・国歌への適切な理解」を生みだすでしょうか。「日の丸・君が代」に違和感を持つ人間を排除する発想は、日本で生活する外国人すべてを排撃する動きにさえつながりかねない要素を抱えています。

 仮に「国歌」斉唱などを学校の儀式に取り込むにしても、歌うこと、そのために起立することを拒む権利は、憲法19条によって保障されています。自分の信条に反するような、祈り・敬礼の行いは、強制されてはならないのです。したがって、児童・生徒や、そこにいる親は、立って歌うかどうかなどを、自分自身の判断で決めなければなりません。そして子どもがその判断を下すためには、子に対する第一次的な教育権をもっている親の意見を聞く機会も必要でしょう。また、学校側からは、国家との関係のもち方は自分で答えを見つけ出すべき問題であり、それを考える枠内で「日の丸・君が代」に関してはいろいろな考え方が合理的に成り立ちうること、そして、どのような立場を採ろうとも、お互いにお互いの立場を尊重しなければならないことに向けた働きかけが必要となってきます。

 教師も、そこでは思想・良心をもった一人の個人です。誰かが決めた「正しい国の愛し方」を子どもに有無を言わせず押しつけることは、学校の、そして教師の任務ではありえません。これは、最高裁判所が「子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤った知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法26条、13条の規定からも許されない」と判決したとおりです。文部省・教育委員会が、学習指導要領などを根拠として、特定内容の「愛国心」を子どもに一面的な形で押しつけるよう個々の教師に強要し、さらには職務命令と懲戒処分を「武器」として教職員に圧力をかけている現状があるなら、そこには、憲法上あきらかに許されないものが含まれています。教師の任務は、自分でものを考えることができる子どもを育成することにあるはずなのです。そのためには、寛容が保障された中で、教師も自らの思想・良心に忠実でありうる環境が必要になる場合があるでしょう。」
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