竹森真紀さん講演録

                                     2000年10月29日大阪にて


(主催者あいさつ)弁護士 空野佳弘

 法制化によって「日の丸・君が代」を強制する圧力が強まるだろうということが予想される中で、昨年私たちの「日の丸・君が代による人権侵害」市民オンブズパーソンと「日の丸・君が代」強制反対関西市民ネットという市民組織が二つ相次いで立ち上がりました。そして両者共同で「日の丸・君が代」強制反対ホットライン・大阪を結成したり、それぞれ独自の活動をこの1年間続けてきたわけです。
 この大阪でも、文部省・教育委員会の攻撃が「功を奏し」まして、今年の卒業式・入学式での「日の丸」掲揚、「君が代」斉唱の形式的な実施率は、100%に近い状況になりました。ところが府内各市町村議会での議事録を見ておりましても、推進側はこれに決して満足をしておりません。「国旗を掲げる位置が壇上ではない」「屋上の見えないところにあった」とかですね、あるいは「教員が座って起立しない」「生徒が歌っていない」ということに対して、各市町村教育委員会に対する質問を続々と行っている状況です。来年の卒業式・入学式に向けて、より一層「強い指導」という名目の押しつけが、これからさらに進行していくのではないかと危惧されます。中でも小学校では、6年間にわたって指導すると記載されている学習指導要領を根拠に、卒業するときに「歌詞も覚えていない」「教えていないのじゃないか」ということで、教科指導の中で「君が代」を教えよという新しい攻撃が危惧されるところです。
 今年2月から3月の段階では、教育委員会は私たちとの交渉において、「職務命令や処分というのは現段階では考えていない」と言っておりました。しかし、4月に教育委員会のメンバーが大幅に替わった後、入学式をめぐる処分が残念ながら強行されました。校長が2人、教員が3人。その中には新入学の高校1年生に「『君が代』を歌いたくない人は式に参加しなくてもいいいですよ」ということを先生がアナウンスし、校長はそれを了承していたということで、校長が厳重注意処分を受けました。これなんかは選択の権利を子どもたちに教えるというごく当たり前のことなんですね。言うなれば、生徒たちに「あなた達は自主的に判断する権利がありますよ」「あなた達の思想・良心の自由は尊重されるんですよ」という一種の指導、私たちの立場で言えば本来なされるべき指導、それが今回大阪府では処分されるという由々しき事態になってきているわけです。来年の卒業式・入学式をめぐってはより一層厳しい状況に進んでいくだろうと考えざるを得ません。
 こういう時期に大阪よりも遙かに以前からより厳しい攻撃を受け、大きな組織の支援もなく個人の信念の下に不服従の闘いを続けて裁判に持ち込み、今年になって福岡弁護士会から憲法違反の疑いがあるという警告書を引き出すまでに闘いを継続してこられた、竹森さんをお招きしました。竹森さんは、北九州学校ユニオンういの書記長でいらっしゃいます。これからの大阪での私たちの闘いを進める上で、貴重なお話をお聞かせ願えるのではないかと思います。竹森さんのお話をお伺いした後、いろいろ皆さんからのご発言もいただいて、実りある討議ができたらと思っています。来年に向けて深い議論ができたらと思っています。


竹森真紀さんの講演
 (学校現場に内心の自由を求め、「君が代」強制を憲法に問う裁判原告)


 わざわざ私のような者を大阪まで呼んでいただきましてありがとうございます。日曜日の午後、お疲れのところをつたない話で申し訳ないのですが、最後までよろしくお願いします。「ココロ裁判に学ぼう」という題名まで付けていただいて、私たちから学べるものがあれば本当に嬉しいんですけども。とにかく私たちがここまでやってきたことを少しでも伝えられたらいいなと思っています。
 十数年前から北九州市教育委員会は、教員に対して「君が代を起立して正しく心を込めて歌え」と言う形で処分をちらつかせながら、学校に「日の丸・君が代」を定着させてきました。昨年の法制化という大きな転機は、私たちの周りでは「パンドラの箱を開けた」という言い方をする人もいます。私たちにとってはある意味で、「日の丸・君が代」反対がタブー視されなくなったという面は大きな転機でもあります。私がこういうところに立って話ができるということ自体が、ある意味ではそうかなとも思います。
 こちらの会も「日の丸・君が代による人権侵害」に反対する市民オンブズパーソンという名前を付けられていますけれども、「日の丸・君が代」によって人権が侵害されるんだっていう概念、発想自体が当時の私たちにはありませんでした。裁判の名称に「内心の自由を求め」とつけましたけども、「日の丸・君が代」によって一人一人の人権が侵害されるんだっていう、そういう意識そのものが当初はなかったと思うんです。とにかく少数の人間が「日の丸・君が代」に反対して行動を起こしている。その理由もきちんと自分たちの言葉で伝えていかなければいけないんだけども、そのへんが十分伝わらない中でやってきました。けれども今こそ本当にこの名前の通り、もちろん戦争の問題や歴史認識の問題とかいろいろありますけれども、個人がその「内心の自由」の侵害に対して反対していくことが重要になっていると思います。国家権力に服従しない、抵抗していくという中での「日の丸・君が代」強制反対の位置付けみたいなもの。「日の丸・君が代」強制が一人一人の人権を侵害していくという意味で、私たちの運動は普遍的な広がりの基礎を持っているのではないかとも思います。先に結論みたいなことを言いましたが、私はこの集会に呼んでいただいた皆さんの会の名称を見たときに、「『日の丸・君が代』に対する見方も変わっているんだな」と思いました。

1.「日の丸・君が代」タブーからの脱皮!

(1)北九州市教委による「君が代」処分と主な経過

 レジュメに沿ってお話をさせていただきたいと思います。そこに歴史を簡単に年代を追って書いています。私たちが1985年以来行ってきたことです。福岡出身の「リクルート事件」で有名なあの高石邦男元文部次官による「日の丸・君が代徹底通知」というものが、1985年に出されます。その時初めて「日の丸・君が代」実施率の全国一斉調査がやられたわけです。京都や沖縄に攻撃が集中されて一気に実施率が上がっていったという経緯がありますよね。北九州市では、この時期すでに実施率はそんなに低くはありませんでした。すでにこの時点でもう90%以上。だから実施率の引き上げは、北九州市には強く求められていなかった訳です。ところが北九州市教育委員会は、今裁判でも大きな争点になっていますけども、1986年に「4点指導」実施調査というのを始めました。当時こういう「4点指導」というのが、具体的な文書としてあったかどうかも私たちは知らなかったわけです。今日の資料(甲第1号証)に添付していますけども、平成2年になってます。たまたま私たちが手に入れたのが、この年だったということです。「平成元年度卒業式における国旗掲揚と国歌斉唱の実施について」というこの通知文は、高石による通知以降、北九州市教育委員会がこりもせず卒業式前になると出す、入学式前になると出すという文章なんです。これだけならまだしも。「口頭説明資料」として四角で囲ってある部分が、北九州市教育委員会独自の「4点指導」と言われるものです。

(1)国旗掲揚の位置は式場のステージ中央とし、児童・生徒等が国旗に正対する(国旗に向かって座 る)ようにする。
(2)式次第の中に『国歌斉唱』を入れ(位置づけ)、その式次第に基づいて進行を行う。
(3)『国歌斉唱』はピアノ伴奏で行い、児童・生徒等及び教師の全員が起立して、正しく心を込めて 歌う。教師のピアノ伴奏で行う。
(4)教師は卒業式に原則として全員参列する。

 この4点が86年以降の北九州市教育委員会の指導方針ということです。卒業式や入学式で「日の丸・君が代」はすでに実施されてるんです。その上にさらに、この4点を徹底していこうというのが北九州市教育委員会の方針だということです。北九州市でもフロアー形式とか対面形式とか、壇の下で卒業証書を渡すとかそういう様々な卒業式のあり方・方法も一部あったんですけども、今は全部画一的に統一してしまっています。要するに壇上正面に大きな「日の丸」を貼って、子どもたちはみんな「日の丸」の方を向いて座る、その上に教師は起立して正しく心を込めて「君が代」を歌うと念が入っているんです。「口頭説明資料」ということで、文章で残っているのはこれしかないということで、裁判の中ではなぜか「文章はない」と被告側は言っているんですけれどもね。さらに「教師のピアノ伴奏」ということで(東京でも処分がでてますよね)、音楽の先生が必ず弾かなくちゃいけないとか、職務命令出して弾かせるとか、そういうことが北九州ではありました。拒否できない形で圧力がかかります。結局、私たちが選べる道は「座るしかない」みたいな。このような事態が、86年以降続いてきたわけです。この当時、複数の教員が座って抵抗する学校がどれぐらいあったでしょうか。「徹底抗戦する」「全員が座る」という福教組の分会もあったと思います。でもそれが80年代にだんだん減っていくという過程が続きました。座れば校長からチェックされ、教育委員会に報告が上がる、最終的には処分に繋がるということがあらかじめ予想されるからですよね。そういう中で「座る」ことを選択していく教員というのが、今の私たちの裁判の原告なんですね。現在、今年二人増えて19人。提訴の時は17人です。座る教員も年々減って行くし、処分が続けば続くほど減っていくという事態が、86年以降ずっと続いてきたわけです。だからこの4点指導を裁判の中で大きく争点にしていますけども、北九州市教育委員会による強制の最大の特徴と言えますかね。なぜ北九州市がここまでやのるかという分析までは、私たちもできてはいないんですが。けれども文部省のモデルケースとして、北九州市教育委員会というのは教育長が常に文部省からの天下りで、官僚が教育長をやるというスタイルでずっと来ています。現在の教育長からは地元の人間がやっていますけど、教育関係者ではまったくありません。高石邦男との関係も当初はあったかもしれませんが、北九州市で教育長をして文部省に帰るというルートがずっとあったわけです。そういう意味では、北九州市は「徹底通知」以降のモデルケースであったのではないかと、当初そういうふうに考えてもいました。処分を出して反対する教員をゼロにしていこうという目論見はあったんだろうと思います。しかし、今となってはこういうことをやったにもかかわらずこの4点指導や処分に対して、誰も責任をとれないという形になっている部分もあると思います。

(2)「処分をダシに反撃を!」と精一杯のツッパリでした
        −−− 一人一人の思いを表現、公然化する事の大切さ

@組織内では闘えない−−「日の丸・君が代」をはねかえす会の結成へ

 そういう処分をちらつかされながら、実際に最初の「厳重注意」という処分がでたのが87年なんですよね。その年、福岡では井上さんのゲルニカ処分というのがありました。時期的に文部省の意向が大きく反映している時期だったと思います。87年というのは、沖縄でも沖縄国体を機に一気に実施率を上げていく、その中で知花さんが日の丸を焼き捨てる事件が起った年でもあります。そういった中で、私たちにも、教組の支援がない、「処分を出さない闘い」という教組方針の中で、「このままでいいのかな」「座らないだけでこのままつぶされていく何も発言できない、表現できないままでいいのかな」という思いがありました。何人かの人間が集まってはそういう話をしていく中で、知花さんの闘いによっても多少は気持ちの中になんか火がついていくという感じもあったと思うんですけが、「何かやらなくちゃいけない」ということで市民集会をやろうと計画しました。教員だけではできないという気持ちと、学校の外に向けて発信していこうということで。レジュメに「処分をダシに反撃を!精一杯のツッパリでした」と書いていますけども、教組の中でも闘えないし、学校の中だけでも闘えないっていうことで、地域の市民運動とか、地域の中でも「日の丸・君が代」に反対していこうという人たちと繋がっていくことを目指しました。知花さんを呼んで87年3月に北九州で市民集会をやりました。集会には200人以上が集まりました。今ではあまり考えられないんですが200人以上の人たちが集まって、それをきっかけに、恥ずかしいんですけど「日の丸・君が代をはねかえす会」という会を教員中心に作りました。そして市民運動的に活動していくということを始めたんです。教組の交渉というものに参加できないので、処分に対して申し入れとか抗議とかを教組として言えない私たちは、何か直接的にそういう声を届けたいということで「日の丸・君が代をはねかえす会」というのをつくって、市民運動の人たちと一緒に少しずつでもいいから動きを作っていこうということで始めたんです。

A一人一人の身体と言葉でココロを表すこと

 「一人一人の身体と言葉で心を表すこと」と書いてありますけども、黙って座っているだけでなぜ処分なのか。自分の意識や思いをどこかで表現するためにも、「何で処分なんですか」っていうことを直接申し入れる形で行動に移してきました。最初の頃は、とにかく交渉に行きますって電話して何度も何度も行きました。向こうは一切会わないという姿勢で、話し合いっていう感じではなかったですけど。処分については「一切お答えしません」というような対応が続きました。しかし私たちは、とにかく処分の理由をきちんと説明して欲しいということで、何度も何度も教育委員会に行きました。処分を出した校長のところにも、直接申し入れに行きました。そういうことをかなり積み重ねてきました。

B初めての懲戒処分とどう取り組むのか

 「厳重注意」処分が出始めてから、処分はエスカレートしていきました。当初は、卒業式と入学式両方座って、はじめて「厳重注意」とかだったんですよ。だから、どちらか1回だけ座っただけだと処分はなかったので、みんな1回だけ座ろうとかそういう選択もあったんです。なぜか卒業式と入学式のセットで「厳重注意」みたいなよくわからない基準があって。「厳重注意」を一回受けると次は必ず「文書訓告」になって、「文書訓告」を受けると次は必ず「戒告」になる。そういうふうに処分のランクがアップしていきますが、「戒告」処分も当初は卒業式だけだったらもう1回「文書訓告」みたいな余裕があったんですよね。だからみんな1回だけにしとこうとか、まだ選択の余地があったんですけども。93年からは1回座っただけでも懲戒処分だと明言されて、卒業式1回だけでも入学式1回だけでも「戒告」というふうにどんどんエスカレートしていったんです。処分が重なっていくなかで、市教委は「厳重注意」や「文書訓告」には実質的な不利益はない、履歴にも残らない、処分ではないなどという言い方をしていますが、結局はそれをうけて、その先に「懲戒処分」が待っている訳なんです。だけどその当時、私たちにはそれを問題にして法律的に争うすべがありませんでした。とにかく直接的に文句を言いに行くということしかできなかったんです。いわゆる懲戒処分、実質的な不利益を伴う行政処分が出されたのが、初めて出されたのは89年の7月でした。そのとき、今の原告の一人が「戒告」を受けました。「これはもう法律的に争うしかない」「人事委員会に不服申し立てをしよう」ということで、私たちは動き始めました。処分を受ける前に「事情聴取」っていうのがあるんですよ。最初は教育委員会から呼び出しがありました。教育委員会が「とにかく来い」と、今の原告の一人である稲田さんをまず呼びつけました。みんなでどう対応しようかと相談しました。「委員会に呼ばれる」、それだけで当初はドキドキものですよね。「一人で呼ばれてどう対応すればいいの?」みたいなそういう不安から始まりました。「行かなくてもいいけど、いかないとまたどうせ呼び出されるから」「行ってどうするか、何をしゃべるか、聞かれたことに素直に答えるのかどうか」。当時は、市民運動の人たちとも相談して結局完全黙秘で一切答えないことにしました。「ほとんど一切忘れました」ということで、「答えない」=黙秘で帰ってきて、本人は意外にすっきりしていました。下手に弁解がましく言ったって、向こうは聞く耳をを持たないわけだから。向こうは説教でもしたいわけでしょう。「次は立てよ!」みたいなことをいいたいだけだから。基本的には何も答えないというこちらの対応に、向こうの方が逆に慌てていたみたいです。それで「事情聴取」は、その1回きりで終わったんですよね。それ以降市教委は呼び出さなくなりまして、直接学校に市教委の職員が来て、おどおどしながら「確認したいんですけど・・」みたいな感じに今はなっているんです。結局、「事情聴取」の中で私たちが「もうしません」と言うわけがないので「処分」となるわけです。
 処分が出された後、まずは人事委員会に不服申し立てを行いました。これが私たちのいわゆる「本人訴訟」=自分たちでやる法廷闘争の最初だったんです。法律なんて全然知らないし、「人事委員会への不服申し立てってなあに?」というようなメンバーの集まりで、弁護士さんに相談しようという術すらそのときにはありませんでした。とにかく自分たちでやるしかないという感じです。当時は、人事委員会事務局の人たちに相談してもなめられている感じで、事前の打ち合わせに何回も呼び出されるばっかりでなかなか審理が始まらない。公開の口頭審理というのが行われるはずが、事前の打ち合わせばっかり。それで「私は何度もそんな打ち合わせばっかり行けません」と事務局に言ったら、その事務局職員が私に「竹森さんは金づるがあるからいいでしょ」と言ったんです。意味が全然分かりませんでいした。カチンとはきたんですけど。「とにかく交通費もお金がかかるから早く審理を開いてくれ」と要求して電話を切りました。だけど後でまたムカッときて、「何でこの人は私に金づるがあるとか言うのかな」と思って。これはおかしい。要するに今にして思えば、彼らは「日の丸・君が代」反対とかやる人たちのバックになんか組織があって、お金をもらってやっている運動だからと思ってるんですよね。「はあ、そういう風に思うんだな」と考えながら、冷静に考えたら頭にきたんで謝罪要求書とか書いて、「金づる発言を釈明せよ」とか書いて、人事委員会にすぐ持って行ったんです。そのときは課長が平身低頭で発言を認めて謝罪文をすぐ家に持ってきたんです。人事委員会の局長名で。これはいまだに私は自慢してます。最近私は謝罪なんかされたことはないけど、そのときは局長名で謝罪文もあったし。いまだに名刺と共に大事に取ってあります。(笑)・・いやそんなことが言いたいんじゃなくて。その職員は、「日の丸」反対運動とかでそういう申し立てをやったりする人を、お金をもらってやってる運動だとか思ってるんだなって。バックの組織なんて何にもないし、本当にどうしていいのかわからない状態でやっているのに。そういう風に思われていることに、心外だという面とああそうなのかと自分なりに感心したというか勉強になった面がありました。世間からはそういう風に見られているんだと言うことを実感しました。訳の分からない中でも、事務局とやりとりしながら人事委員会の中で審理をやってきましたが、毎年のように処分が続きました。毎年処分が出たら、毎年不服申し立てをする。しかも一度に3人とか4人とか出たら出す。人事委員会も事案が何件も重なってくるわけです。89年事案、90年事案、91年事案…そういう風に重なっていって、実質的な審理にも入っていないのに、年に三回ぐらいしか開かれなくって、進行状況も悪いし。なんか「行政の一端の人たちに審理してもらってもなあ」という感じがずっと続いていきました。そういうことが裁判につながってたので、人事委の経過をお話ししました。

Cありとあらゆる弾圧をくぐって?

 人事委員会申し立てと市教委に対する申し入れを「はねかえす会」の名前で何年か続けました。そういうことをやっていると、やっぱり弾圧もありました。不当な配転を受けたりとか、地域でいろんな噂を立てられたりとか。あの先生は「日の丸・君が代」反対ばっかりやってるというような誹謗中傷的な噂も当然ありました。本人にとってはたいへんだったんでしょうけど、「どうにかなるよ」とか言い合って乗り越えてきました。でも教育委員会への申し入れの時にシビアな事態がありました。私たちは右翼からの嫌がらせはほとんど受けたことはないんですけども、申し入れの際には警察がちらちらしていました。ちょっとでも庁舎内で刑事事件にできそうなことが起こればということで、いつも警察が待機していました。すなわち「日の丸・君が代」反対運動への弾圧であると私たちは思っていましたけども。93年の処分攻撃もピークに達しつつあった頃、教育委員会も何としてでもそういう運動をつぶしたいという気持ちが強かった時期だと思うんですが、毎年いつも処分決定する7月20日に申し入れ行動を行いました。北九州市教育委員会は一つのフロアーが全部教育委員会でドアがいっぱいあるんですけど、私たちが行ったときは全部ドアが閉められて、申し入れに行く教職員課のドア一つだけ開けて、しかもドアの後ろにこんな机を三つぐらい置いて、その後ろに職員がずらーっと並んで、バリケードというかピケを張るみたいな感じで、他から入れないようにしているんです。これでは全然話にならないんじゃないかということで、一人が他の部屋の方に行ったら、他の部屋の入り口にも職員が4人ずつぐらい立って、待っているという状態で、これはちょっと異常だなという雰囲気を感じました。その一人が4人ぐらい並んでいる職員とやりとりをしているときに、ちょっとしたもみ合いみたいなことになって、そしたら、市教委の職員が「お前は今職員を殴った」みたいなことを言い出しました。殴ってもないのに。すぐ警察がどっとあがってきて、早速現場検証をするといった事件がありました。その人も原告なんですけどそれも、警察から事情聴取の呼び出しがありました。まあ事情聴取には応じましたけど、それも黙秘という形で通しました。最終的に不起訴になったんですが。実際に検察側も立件できないし、職員も被害届は出さなかったんで、何事もなく終わったんですけど。それほどまで教育委員会は私たちの運動をつぶしたかったわけです。ところが、この事件を検察が不起訴にしたにもかかわらず、教育委員会はその人に対して減給6ヶ月という処分を出しました。暴行でっち上げということで、その人事委員会での審理は今もまだ続いています。7年以上なりますが、今もかなり事実関係について慎重に審理されています。暴行はなかったということが審理の中で明らかにされて行きつつあります。本人も警察に呼ばれたことから立ち直って、それをまたバネにして、今やっています。

D社会的アピール−−地道な努力もしました

 とにかくこの93年が弾圧的には一番厳しいなという時でした。だからできるだけ知恵を使わないといかんなと思い始めたのもこの頃です。とにかく申し入れ申し入れということばっかりしていてもらちがあかないなという感じがあって。職員の対応は本当にひどいですよ。だからそういう職員のひどい対応について監査請求するとか、少し知恵を使って法律を最大限利用しようと。行政っていうのはそういうのは嫌みたいで、多少対応が変わっていった面はありましたね。そういうかなりシビアな教育委員会との関係があったっていうのが実態です。一方で地道な活動もして、毎月20日は「処分の日」ということで市庁舎の前でビラまきをやるとか、集会をやるとか街頭で情宣するとか、ニュースを発行するとか、できるだけ新聞記事にしていきたいということで各新聞社宛に情報を流したりとかそういう地道なこともしました。それでもなかなか、「日の丸・君が代」の闘いは少数派というのか。闘いは広がっていかないということがわかりながらも活動を積み重ねてきたわけです。

(3)少数派としての社会的アピールと社会的認知を求めて

 「少数派としての社会的アピールと社会的認知を求めて」ということで、職員の対応について監査請求をするとか、要するに教育委員会に私たちの「会」を認知させたいという気持ちがあったわけです。それでもやっぱり市民運動的にやっていることも、今ひとつ教員としてはなじめない部分があります。実際、毎日「日の丸・君が代」のことばっかり考えているわけでもなくて、卒業式・入学式前になって考えるということが普通なわけで、どっちかっていうと、日常的な教育実践や勤務条件のことで日頃は頭一杯です。そういう中で、組合、独立組合って私たちはいっているんですけども、そういう自立した組合を結成していくということでだんだん煮詰まっていきました。これは教育委員会との交渉をきちんと成立させるという意味でも一番大きかったと思います。数は少ないですけども職員団体というものを結成して、教育委員会とも対等に交渉していくということですね。そういう組合を結成することによって対等に交渉するという地位は獲得したんじゃないかと思います。その結成以降ですかね、人事委員会の審理がたくさん重なってということから裁判に向かって準備を始める時期に入っていったのは。実際審理が遅延していったり、争う内容は同じなのに被処分者が入れ替わって重複した審理が毎年毎年重なっていくとか。そんな審理経済の面とか、人事委員会では事実関係だけの審理で憲法判断は問題にならないとか。しかも行政の枠の中の委員会で、判断をもらうことがはたして…とか、いろんな疑問がありまして。人事委員会で全部の審理を併合して欲しいという要求もやったりしたんですよね。要するに89年の事案90年の事案91年の事案と全部一緒にやってくれという風にいったんですけど、人事委員会はそれを承諾しませんでした。年度毎に判断していくというやり方だったので、裁判を起こすときにはみんな一緒に提訴しようということになりました。17名のそれぞれ戒告とか減給とか処分の数や重さは違いますが、17名の原告団を結成しました。それぐらいいれば何となくインパクトもあるかな、そのことが一つの社会的なアピールになるんじゃないかなという思いもあって、原告団をつくって裁判に訴えました。

2.北九州「君が代」訴訟(=ココロ裁判)1996年11月22日福岡地裁提訴
          学校現場に内心の自由を求め、「君が代」強制を憲法に問う裁判

(1)何を訴えどう争ってきたか

 17名の原告といっても、それぞれの思いの違う面はあります。一番目には損害賠償請求で、学校長による「起立して心を込めて歌え」という職務命令は原告の思想・良心・信教の自由を侵害するものである、その損害賠償を請求するということがメインなんです。これは全員に当てはまるものです。二番目の懲戒処分取り消しというのは、それぞれが受けた戒告処分や減給処分の取り消し請求というのがセットになっていて、裁判所としては「懲戒処分取り消し請求」という風に取っているので、一応行政訴訟です。細かいことを言えば、人事委員会への不服申し立てにしたら、本人は年休取らずに職免で行けるんですよね。だからその延長で裁判も年休取らずに職免で行けるだろうと思って、行政訴訟を追求したら、職免ではないと言われて結局年休で行くことになったんですけど。(これについても別の裁判で争っています。)本来の主旨は、裁判名称のように「学校に内心の自由を求め君が代強制を憲法に問う」という思想・良心の自由侵害に対する損害賠償請求がメインです。原告の中には、懲戒処分を受けていない原告が2名います。その2名は、校長から命令を受けたことによる人権侵害で争っています。だから、提訴するときに「処分を受けてなくても一緒にできるよ」「一緒に裁判やれたらいいね」ということでやっています。原告一人一人が何で「日の丸・君が代」に反対なのかという思いみたいなものは、後ろにパンフを置いてますけど、原告一人一人の思いが意見陳述集の中に書かれています。一人一人の思いについては、それを参照して下さい。
 提訴が96年の11月22日で、すでに今年11月でまる4年です。まもなく5年目に入ろうしていますが、まだ弁論続行中です。なぜこんなに弁論が続いているかというと、一つは作戦でもあるんですけど、こちらがきちんと訴状を出してもそれにきちんとした認定をして返してこない、こちらが準備書面を出してもそれにきちんと反論を返してこない、求釈明をやってもそれにきちんと答えてこない、要するに4点指導の合理的根拠をきちんと示せということをずっと言い続けているわけです。被告は、最初だけ通り一遍の答弁書と準備書面は出したんですけど、それ以上の反論ないし釈明をしてこない。自分たちが処分庁でありながら挙証責任を果たさない。立証計画さえ出さない中で、こちらはそのことをきちんと相手に主張させ立証させて行くために、弁論をずっと続けているわけです。これが弁論がずっと続いている理由の一つです。

(2)本人訴訟でどこまで闘えているのか

@裁判所の権威との闘い−−自分たちのペースで−−

 17人の原告が法廷で一人ずつ意見陳述を10分から15分ずつ自分の言葉で読み上げるというのを毎回確保しています。全員がやったんで7〜8回目までは毎回意見陳述でしたから、弁論が長く続いている理由の一つは、ここにもあります。裁判所の権威に対して自分たちのペースで裁判をやっていこうと。裁判所に進行してもらうんでもない、被告に引きずられるんでもない、自分たちのペースで裁判を闘っていこうっていうことで。初公判の前日、「法廷っていうのはやっぱり起立・礼から始まるんじゃないか」とまずそれが議論になりました。私たちは「起立」の問題を争っているのに、いきなり裁判所に入って「起立」って言われて立ったりした日にゃ情けないじゃないかって、最初はみんなそういうことを真剣に討議するんですよね。準備書面の中身とかあんまり考えないけど。そういうことになるとみんな必死になって、どうするかとか、前の日に「立つか」「立たないか」、「いや立たないのはいいけど、そこでもう一回立てと言われたときにはどうするのか」とか、なんかいろいろ前の日に悩んで。いろいろ考えて対策は準備はしたんですけど、当日ふたを開けてみたら裁判所の方がもう、(裁判官が)出てくるとき最初からほとんど下向いて入ってきて全然私たちの方を見ずに裁判官の方が先にすーと座ってしまって。私たちが原告席に座って構えて見てたら、裁判長も何気なくすーと座ってしまって、「起立・礼」問題は何事もなくというか、何にもなく終わってしまったという。(笑い)ある意味で裁判所の方が「そういう人たち」っていうのをわかってるっていうか。ま、提訴の日に裁判所の前で横断幕掲げたりとかしている集団だからですね、そういうことを向こうもわかった上でかもしれませんけど。その後福岡地裁の刑事部が、その後「起立・礼」をやらないという決定みたいなものをしたんです。なぜか刑事部なんです。民事では決定はないですけど。民事の方が訴訟指揮はまあ柔らかいんですけど、裁判によってはというか、裁判長によっては「起立」やってますよね。他の法廷では。でももう私たちの法廷では、号令はかかりません。もう今2人目の裁判長なんですけど2人目も、号令かける人が女性の初めての人みたいだったんですけど、「起立」って言っちゃったんですよ。張り切って。そしたらなんか裁判長が、「いいです・・・」「いいです・・」って。そしたらなんかその女の人がばつが悪そうにしていたから、なんかかわいそうだなと思ったんですけど。最近、被告もなんか横着かまして立たないんですよ。「立てよな」とか思ってるんですけど。なんかそんな感じで、新しく傍聴に来てくれる人なんかは、「(訴訟指揮が)なんか柔らかい感じでいいね」とか言ってくれてます。

A被告の逃げを許さない−−毎回準備書面を提出し続けて−−

 弁論も北九州から福岡の裁判所まで行くんで、午後3時半ていう不規則な時間帯をいつも取ってもらっています。弁論に1時間取って意見陳述が終わったら準備書面の中身全部読んで、その後被告とのやりとりみたいなのをやるというのを、毎回続けています。被告の逃げを許さないということで。私たちも少しは知恵を付けてるから、昔のように教育委員会にわーわー押し掛けて逃げを許さないというんじゃなくて、裁判所で毎回準備書面を出して被告側に迫っています。15回を終わって準備書面も15ぐらいまで出し続けています。その間に、被告に釈明なり主張・立証を求めるためのジャブとして、文部省への「調査嘱託」の申し立てっていうのをやって、採用を勝ち取りました。でも、文部省からの答えはまだなしのつぶて段階なんですけどもね。そこに資料として「調査嘱託事項」というのをプリントしています。私たちの申し立てはもう少し細かく書いたものなんですけど、裁判所が採用して案を作ってこれぐらいの程度なら裁判所は文部省に聞きましょうという事項なんです。要するに、文部省が本当にこんな「4点指導」みたいな指導をして、全国の各地方自治体にも求めてるんですかっていうところをちょっと突っ込みたいなと。これは北九州市独自のものなのか、文部省はほんとにこうゆう指導は問題ないと思ってやっていることなのかをですね。半分まあ嫌がらせなんですけど。文部省から答えを引き出すためにやっています。裁判所から調査が行けば、文部省もそう無茶はできないんじゃないかなと思ってるんです。ただし今のところ、何回か電話してくれているみたいなんですけど、書記官の人が文部省に電話しても「席外していない」とか、「担当が変わったのでわからない」とかそういうことばっかり言ってるんですよとか言って、書記官の人が困ってたんですけど。(笑い)「回答はしない」とは言ってないので、まあそのまま受けているんですけどね。そういった中で、私たちとしては文部省の役人を証人として引っ張り出したいという思いがあります。この調査に答えないなら、裁判所に出てきて、文部省の指導であるのか、ないのかをはっきりさせたいという気持ちはあります。
 レジュメに獲得目標は、「文部省・北九州教育委員会・学校長を証言台に」って書いてますけど。最初に言いましたけど、北九州の教育長がいつも文部省の天下りであった事実として、被告側が最初に出した書証の中に86年頃北九州市教育委員会が出したこういう通知文があるんですが、当時の教育長が小野元之とかいう人だったらしいんですよね。当時は私たちもよく知らないんですけど。その人が未だに文部省の官房長に居座ってるとうことがわかったんです。この前の法制化審議の中で文部省の人の名前が出てくる資料とか見てたら、その人が未だに文部省の官房長をやってるんですよね。要するにこの「4点指導」を作った時の経緯とか、そういうのを知っているのは当時の人しかいないわけです。今の教育委員会の人間に聞いたって誰一人そんなこと知らない。この文書さえ知らない人しかいないんで。今もまだ文部省にいる元教育長を呼ぶとかそういうことも含めてこちらは申請しています。少なくとも教育長なり学務部の部長とかいった職員が必ず証言台に立ってもらわないといけないとは思っているんです。でも、なかなかですね。

B弁護士会警告書を受けて(2000.6.28)

 法制化ということで、すごく私たちの運動もいろいろな形で広がりをみせています。今年一番嬉しかったことは、福岡県の弁護士会から「警告書」が出たことです。もう今まで「勝つ」とか、なんかそういうことなかったんで夢見たいっていうか。本当にそうだったんですよね。ちょっと経緯をお話しすると、処分がエスカレートしていって、原告の石尾さんっていうクリスチャンで個人的には自分は信教の自由の問題で争いたいっていうふうに思っている人なんですけれども、彼は(他の人はもう立ったり、座ったり、式から出たりという形で適当に処分外したり、毎年処分受けてたらみんなもう減給何ヶ月とかなってますけど、そういう中で)92年以降とにかく毎回座り続けてたんです。そしたら98年に減給3ヶ月にまでなったんです。減給1ヶ月になった時にも、みんなびっくりしたんですよ。まあ座っただけだから戒告が重なるぐらいで、まあそれ以上はないんじゃないかな、昇級延伸が重なるくらいだろう。とまあちょっと楽観してたのが、減給1ヶ月になったときに「まだ、ランクがアップするんだ!」と思ったときに、やっぱり処分ていうのは効くんですよね。次もまたアップするんじゃないかって。実際、石尾さんは減給1ヶ月から減給3ヶ月にアップしたんです。簡単に。もう1回くらい減給1ヶ月でもいんじゃなないかなと思ったんですけど。でも即減給3ヶ月にランクアップしたから、これはもう次の年減給6ヶ月、じゃあ次は停職1ヶ月?。果ては懲戒免職?という。まあ、そうやって人間の弱い部分への想像力をかき立てるというか、権力はやっぱすごいなあと思ったんですけど。減給3ヶ月になったときに、石尾さんだけではあったんですけど処分が連続してたんですね。他の人は飛び飛びとかしてたんですけどね。そのときに何かできないものか。ココロ裁判やってたってそのことが全然歯止めになってない中で、なんかできないかなって。ずっと悩んでて、そのときに弁護士会に救済申し立てでもやろかって、「社会的にアピールくらいしたい!」って思って。べた記事でも新聞記事にっていう程度で弁護士会に救済申し立てしたんです。後ろに「子どもの人権パンフ」というのを置いてますが、子どものことでは救済申し立てしたことはあったんです。そのときは全然ダメだったんですけどね。「不起立」を調査しているだけでは、人権侵害にならないとか言われて終わってしまったんですけど。そういう経緯でしたから、どうせダメだろうと思いながら救済申し立てやったわけです。それともう一人、ある女性教員が戒告処分を受けた際の事情聴取で「あなたには思想・信条の自由はありますけど、職業選択の自由もあります」とか言われて、「それは私に教師を辞めろということですか」と言い返したら、「そう取られてもかまいません」とか言った教育委員会の職員がいて、これも「ひどい!」ということで、それも一緒に救済申し立てをしました。根本的に「処分撤回せよ」なんていう警告書が出るはずないから、事情聴取の際の発言問題だけでも何かちょっと教育委員会に弁護士さんから言って欲しいみたいな感じで申し立てしたんですよね。もちろん石尾さんの減給3ヶ月というのはあまりに重いんじゃないのというのはありましたけど。この2点で98年に申し立てしてたんですよ。担当の弁護士さんはまじめな人ではあったんですけど、一生懸命資料とか持っていって「お願いします!お願いします!」とかやって、何回か調査やったんですけど、「あんまり反応良くないな」という感じでした。とにかくこの「教師やめろ」発言だけでも、何とかしようとしてたんですけど。それから1年くらい時間が経って、去年の法制化間際になって突然「また来て下さい」と言われて行ったら、「これは弁護士会として根本的に検討することになりました」とか言われて。「何を根本的にするのかな」とか思ってたら、今年の春になって、執行部に入っている弁護士さんから「執行部案通ったよ、警告みたい」とか言われて。「うっそー!」というか、本当にもう信じられなくて。そんな「警告書」が出るなんて思ってもいなくて。しかも「教師を辞めろ」発言とかそういうのはむしろ「些末」で、「処分そのものが問題だ」みたいな「警告書」をあげるということで、「へーっ!」と思ったのがそこにあるその「警告書」です。ただし、それはその警告書の最初の部分だけなんで、それだけでも十分なんですけど、「理由書」にはかなり細かく担当した弁護士さんがすごく勉強して細かく分析した理由書をつけて出しています。もちろん私たちは全面的に評価してますけど、きちんと読み込めば「学習指導要領上、指導するのはやむを得ないが・・」とかそういうところはあります。でもこれが判決なら、私たちはもう大勝利です。少数者の人権を守るという意味では、「これが判決なら本当にいいなあ」と思えるような「警告書」が福岡県の弁護士会名で出たんで、本当にこれは皆さんに「日の丸・君が代」と向き合っている人たちにというか、いままで「処分の北九州」って感じだったんでこの「警告書」が出たことで少しは皆さんにお返しできるものがあるかなあと思っています。この「警告書」をもっと広めて、何かに使えるといいんですけど。なかなか自分たちの力量では、十分に広めたたりすることができないですが。でもメーリングリストに出してくれるとか、冊子を自分たちで作って100円で売ってくれる人たちが時々いてですね、「嬉しいな」とか思っています。弁護士会の「警告書」が出たことで、前回の弁論でこの内容を前面に立てて準備書面で展開したとき、裁判所も少しは聞く耳を持ったかなっていう感じを持ちました。被告側の弁護士がぽつっと漏らしたそうです。「やっぱ忙しくても弁護士会活動しとかないかんあ」と。(笑い)金儲けばっかりしとらんと、たまには弁護士会活動もたまにはしとかんといかんなあということでしょう。この警告書によって、社会的にも裁判所受け的にも、今いいんじゃないかなあという気にもだんだんなってきているところがあります。
 それからレジュメのCで、今年7月26日付けで2人の原告が誕生しましたと書いています。女性一人、男性一人で二人とも若い先生です。時々傍聴とか来てくれてた人です。男性は、「座りたいのに座れなかった」ということで処分は受けていないですが原告になりたいと言うことで、原告に加わりました。女性は、教組のメンバーなんですけど、初めて座って厳重注意を受けたんですよね。だいぶ悩んで2人一緒に提訴しました。細かいことを言えば厳重注意と処分なしだから処分取り消しじゃなくて、完全に損害賠償請求だけです。本来なら北九州市には小倉支部と言うのがあって、管轄から言えば小倉支部でやらなくちゃいけないんです。今ココロ裁判は、福岡の本庁の方でやっているので、併合して欲しいということで福岡の方にぽんと訴状を出しました。裁判所の方はほとんどそれで納得してたんですけど、後から被告が移送の申し立てとか言って、小倉でやりたいとか言ってきました。でもすでにこの間初公判をやって、裁判所はもう併合というか、並行審理を本庁で行うということで、たぶん次回はその2人も加えて一緒にできるんじゃないかと思っています。女性の永井さんていう人は、時々手紙とか電話とかくれるんですけど、私たちを見てて「特別な人間なのではなく、少なくともココロ裁判の原告17人の方々とは主義主張は似ているという安心感を持ちました。似ているというのは大筋では同じでも皆さん一人一人違うところがあるからですが、ほんとに嬉しかったです。ただ私は気が弱いし揺れ動くところがありますので、皆さんのように裁判で闘う強さがありません」と。ま、みんなそうやって自分は「気が弱いしっ」とか言うんですけど。「みんなみたいにできないし」とか言ってる割には、けっこう自己主張する人の集まりだなあと思っています。一人でも増えるっていうことは嬉しいことで、しかもそういう「気の弱い人たち」が集まってやってるっていうのが、私はいいんじゃないかなと思っています。

(3)原告らの主張と争点

 具体的な裁判の中身は、準備書面とか関心ある方にはいつでも送ります。この会でも早稲田大学憲法学の西原さんとか呼ばれて学習会とかされてるんで、西原さんのことで言えば、私たちはいきなり処分っていうのが先に来て、とにかく自分の思想・信条を守ることが先決っていうか、個人の基本的人権を守るしかないんじゃないかっていうことを前面に出してきました。もちろん主張では様々な角度から出してるんですが。「君が代」が憲法違反、「君が代」は国民主権に反するとか平和主義に反するとか、「君が代」の強制が思想・良心の自由違反で、戦後教育法違反ていうのはかなり細かく主張しています。これは京都の「君が代」訴訟の一審でかなり細かく主張していることのほとんどぱくりですけど。「学習指導要領の法的拘束性」とか全部一応主張した上で、最終的には個人の思想・良心の自由の侵害っていうので、最終的にはこの「警告書」のような判決を求めたいと思っています。そういう風にやってくる中で、西原さん(西原さんは京都の訴訟の「鑑定書」を書いた方なんで)は、良心の自由についてかなり詳しいです。京都での「鑑定書」とはまた違った形で子どもの良心形成過程における思想・良心の自由侵害の重大な影響を強く主張していらっしゃっいます。やっぱり教員である限り、学校で卒業式などの場がある限り、単に自分の思想・良心だけの問題じゃないっていうのは、それは当たり前って言えば当たり前なんですよね。何回も言いますけど、意見陳述集を読んでもらえばわかるんですが、私たち原告団も子どもや教育問題を抜きにしてやっている訳じゃありません。卒業式や入学式で目の前に子どもたちがいる前で、「座る」とかいうことやってるわけだから、当然そのこと抜きにしては何も主張できません。西原さんは、かなり細かく丁寧に私たちが書いていることを整理して下さったりしています。「抗命義務」という言葉を使われたんですけどね。西原さんが私たちの裁判のことをいろいろなところで紹介してくださっているんですが、今たぶん一番新しいのは「法律時報」の「不服従を讃える道」だと思います。その2ページ3段目のところです。「ココロ裁判原告団は、単純に教師の基本的人権を主張しているわけでもない。生徒の目前における教師の行為である以上、不起立は生徒たちに何らかの影響を及ぼすことを免れない。そして、自発的に立って歌おうとしている生徒に躊躇を覚えさせるような形で教師の不起立が作用すれば、そこには斉唱強制と逆の強制が働く危険がある。その意味で、教師個人の思想・良心の自由は、生徒に対する権力的地位を前提とした場合に、不起立の絶対的権利を導き出す根拠として全面的に認められるものではない。」(このへんはシビアなんですけどね。)「その点を踏まえてココロ裁判原告団は、まさに生徒に歌う義務がないことを伝える最後の手段としての不起立が処分されることの不当性・違法性を主張するのである。」最初のあいさつで大阪の状況を話されましたけど、まだ大阪では「歌わない自由もあるんだよ」とか、「絶対歌わなくちゃいけない訳じゃないんだよ」等と言って子どもたちに選択の自由を保障する場が一定ありますよね。そういう状況が少しずつ生まれるんじゃないかなっていう期待は、私の中にもあったんですけど。北九州では10数年前から、教師自身にそういう自由がないわけでしょう。教師が最初から「起立して歌え!」って迫られている訳だから。そういう教師が子どもたちに「歌わなくていいんだよ」って言えるような状況じゃなかった。そんなこと言った日にゃあ、どんな処分がくるかしれないっていうような雰囲気があったわけですよね。教師が子どもに言えば、それはそれで「あ、そうか」って思って座ったりとかするわけですよね。そういったことも準備書面の中で細かく証言してるんですけど。授業の中で「日の丸・君が代」にはこんな歴史があって、「だから本来は先生は反対ですから」っていうようなことがそんなに素直に言えない。「歌っても歌わなくてもいいですよ」みたいなことを言えるような状況じゃない。職員会議で校長の一言で4点指導がお願いされる状況の中で、「最低自分だけは座ろう」みたいな。そのときに「処分もやむを得ない」っていう。そういう権利はあるんだっていう「抗命義務」。それは権利であり義務でもあるみたいなところをきちんと法律的に主張しようっていうのが、西原さんの理論でした。最初はそういう主張はしてこなかったんですけども、逆にそういうことを西原さんから言われて意外に原告たちにそのことの方が自然に見えた部分もあったわけですよね。やっぱり常に子どもが前にいて、「座るのか座らないのか」っていうことを常に自分が判断してきているっていうことの中で、「抗命義務」っていう言葉の中にみんなちょっと力を得たみたいなところがありました。そういう「不服従の権利」を主張していますけども、そういった権利を処分の対象にしてはならない、そういう権利があるんだっていうことが言えるっていうことで少し勇気づけられたわけです。

3.ココロ裁判がめざし、もたらすもの 不服従を讃える道−−揺れる心−−
         裁判所の判断を仰ぐのではなく、判断を迫る闘いへ

(1)個人よりも国家を守ろうとする人たちとのせめぎ合い

 「起立して心を込めて歌え!」って北九州市内の全部の小中学校の校長が一律に言ってるかというと、そうじゃないんですよね。そんな画一的なもんじゃないんですよね。ばらつきはあるし。実際に座るっていうことで意思表示するような職員がいるところの校長だけが、なんか申し訳なさそうに「立って下さい」とかいう程度のことなんですよ、本当は。そんなに居丈高に「起立して心を込めて歌え!」なんて言ってる校長は一人もいないわけです。そんなこと言おうものなら、そんな「君が代を起立して心を込めて正しく歌え」なんて、やっぱりさすがに恥ずかしくて言えないですよね。言わなくても徹底されている面はありますが。だからこういう「4点指導」なんていうのが残っているのは、教育委員会としてもあまり嬉しくないみたいです。このことを突っ込まれると、根拠がなくて困るわけです。学習指導要領を根拠にこの「4点指導」を行うというのはあまりにも無理があるわけで、これを大きな声で言える校長なんてそんなにいる訳じゃありません。当時は教育委員会も文部省から言われただけなのかもしれません。教育委員会も文部省の指導を当たり前のように受け継いで、毎年校長会で指導するという構図が定着しているだけです。「座ったら処分」というのが定着してしまっている部分があって、それが命令に対する服従という構造なんですけれども。後ろから槍を突きつけられて言われているわけでもなんでもない。単に「命令に従う」という思考の停止した人たちなわけですよね。だから、嫌と言えない。自分の学校ではそういう命令は出しませんというような判断のできない校長たちばかりだから、「私はただ言われた通りに強い指導をしているだけです」というのが実態です。信念を持って「起立して心を込めて歌え!」なんて言う校長はいませんよね。言ってくれた方が、こちらはまだ話はしやすいんですけどね。そういうことはなくて、ただ「言われた通りしている」というだけです。そういう校長たちとどう向き合っていくかということですよね。これも一つの大きな課題なんですけどね。だから三番目の「ココロ裁判がめざし、もたらすもの 不服従を讃える道−揺れる心−」とタイトルをつけてますけど、揺れて欲しいわけですよね。校長たちはいくら言っても揺れないわけなんですよね。「もうこれ以外選択の余地なし」ということですから。やっぱり、そういう命令をすることでどうなるかということを、自分の頭で考えて欲しいなと思うんですけど。まあ教員も含めてそうですけど。

(2)一人一人のココロへ拡がり、浸透するように

 だから私たちは、弱い心を互いに揺さぶり合いながらやっていくことが大事かなあと思っています。ただ硬直して「こうしなくちゃいけない」とか、そういう風には全然思ってないです。立てないときには立てない、座れないときには座れない。できないことをお互いに支え合っているという感じなんですよね。こういうことをやりながら、なんで「日の丸・君が代」反対なのかということが少しずつ見えてきたことはあるかなあと思います。個人より国家を守ろうとする人たちとのせめぎ合いっていう風に書いてますけど、国家が個人よりも先に来ればその先に来るものはなんなのかっていう想像力みたいなものが欠如してますよね。私たち自身が、考えなくちゃいけないと思って書いています。最後にこういうことが言いたかったんです。そんなに拳を振り上げて「日の丸・君が代」反対と言ってきたつもりはありません。できないからできない。心は曲げられない。そのへんを何とか維持してきたということです。「揺れる心で発信していきたい」と書いています。

(3)今こそ、少数者の人権−−精神的自由−−を確立できれば

 後ろに置いている「戦争責任」という雑誌に「揺れる心、ココロ裁判の意味」という文章を書いていますが、それを是非読んでいただきたいなあと思っています。昨年映画「スペシャリスト」でも有名になった強制収容所に列車を送り込んだアイヒマンの証言のことにも触れています。「あのとき私たちは、国家が犯罪を合法化している時代に生きたんで、その責任は命令を与えた者にあったのです。」(アイヒマン証言)このように単に命令に従うことが仕事だって思っている「普通の人間」が、大きな罪を犯してしまうという危険な中に今いるっていうこと。校長や役人たちは気づかないといけないのではないか。それにまた黙って従っている一人一人が、気づかないといけないんじゃないかなって。そいういうことを少しでも気づいて欲しい。そのために発信しているっていう感じです。本当は、自分自身で精一杯なんですけども。最後に引用で、自衛隊合祀拒否訴訟をやられた中谷康子さんていう方を皆さんもご存じだと思うんですけど、それを田中伸尚さんが「自衛隊よ、夫を返せ!」の中で書いている文章があって、「個人よりも国家を優先させるのが<常識>になっている社会では、人権感覚が研ぎすまされることはない。中谷さんが蒙ったことと同質のことはこの国では常に起こりやすい。」中谷さんは70年代に訴訟を起こして信教の自由を裁判に問うた人です。もう2000年なんですよね。ひょっとしたら今の方が「内心の自由」の侵害は進んでるんじゃないかなと思っています。昔は、私たち自身そういうこと思いもしなかった面もあります。この国ではなかなか精神的自由というものがなかなかないわけなんですけども、そういう発想をすること自体が少ない。今始まったと思われる「私たちの内心の自由を確立していく」という闘いは、状況は悪い悪いと言われ続けながらでも少しは進んでいるかなと思っています。法制化など昨年の事態が危惧される中で、一人一人の個人が精神的自由を確立していくということが、今改めて問いかけられているんじゃないかなと思います。そう思いながら、私たちはこれからも自分たちの闘いを続けていきたいと思っています。今日のような話でどれだけ伝えられたかわからないですけれども、皆さんが一緒にやっていっていただけるということがとても嬉しいので、これからもよろしくお願いします。




質疑

(質問)もっと深刻なお話をされると思っていたのが、明るくて聞いていてすごく勇気づけられました。「国旗・国家法」の成立の前後で何か変わったことがありますか。裁判所や教委や皆さんの気持ちに何か変化がありましたか。また弁護士会の「警告書」は、「国旗・国歌法」成立に対する危機感がこういう形にあらわれてきたのじゃないかなと思うのですが、だとすると逆に「国旗・国歌法」の成立が皆さんの闘いにとって追い風にもなっているのかなと思うのですが、原告の皆さんはどのようにとらえておられますか。

(答え)法制化が追い風になった面はあったと思います。でも目の前の処分をどうするかという問題で奔走してきたような闘いで、運動が収束してしまいそうな中で、「勝ち」をめざしてやるなんてことは元々考えない中で、やり続けることに意味があると思ってやってきたんで。「不起立」への処分に対する判例がない中で、全国的に注目されたという面はあるんですよね。法制化でみんな危機感をもっているというのは、北九州でというより法制化の影響はこれまで実施率のまだ低かった大阪などの人たちにとって「全国の北九州化」というようなことが半分冗談、半分本気で言われて来たんじゃないかと。半分本当になりつつあるなと思います。北九州では、法制化で教育委員会の対応が変わったわけではないと思います。逆に「内心の自由」という言葉が政府の答弁にも出てくるし、子どもには強制はしないとか、結果は別としてもそういうことが議論の対象となったことは、私たちにとっては追い風ではあるし、ある意味ではそれによって広がりが生まれるということはあったとは思います。でもやっぱり実施率が今まで低くて、あるいはなかったという地域ですよね。だから私たちより大阪の人たちにとって、実施されてしまうと結局最後は一人一人がどうするかという問題になってくるので、それがいい意味でも悪い意味でも「北九州化」ではないか。ある意味ではここから出発するっていうふうに思ってもらいたい。法制化については、「まさかこんなに簡単に通るとは思っていなかったのに」という面での危機感はあるんですけど、それ以上にその前の2月に広島で教育長から職務命令が出て広島がすごい攻撃に晒された。やっぱり「職務命令」という言葉にすごく反応しました。私たちの裁判も学校長の職務命令が違法だということで争っているので、そんなに簡単に「日の丸・君が代」のことで、教育内容に関わることで職務命令を出していいのかって、そういう意味での危機感がありました。「日の丸・君が代」に法的根拠があるのかないのかは、あまりたいした問題ではないですよね。学校の中で何でも「職務命令」でやってしまうことに強い危機感を抱きました。学校の中だけの問題で「日の丸・君が代」を語れば、学校長の職務命令が出されればそれに抵抗するすべがないということで、こちらの方が危機感がありましたね。法制化によって、弁護士会の「警告書」の件など学校外の人が危機感を持ってくれたという意味では、たいへん良かったと思っています。


(質問)大阪でもかなり強制が進んでいますが、北九州の10年前の状況ではないかと思います。今のところ強制に対する抵抗や子どもたちに対する教員からのアプローチなどが一定組織的に行われていますが、力ずくの強制が今後さらに強まればあるところで潮目が変わって教職員の結束などが乱れていく時期が来ると思っています。学習指導要領では歌を教えろということになっていますから、これが次に大きな問題になってくると思います。北九州では授業の中での「日の丸・君が代」の扱いがどのようになっているのか、また「立たない」と少数の人ががんばっていることについて他の人たちはどんなふうに感じているのか。

(答え)大阪など法制化以降一気に来たところについて、昨日の独立組合の会議で状況を聞いてきたんですけど、高槻の人が、「(校長が日の丸・君が代の指導計画を)指導計画書の中に書かなきゃいけないと言われて結局みんな書いてしまったんです。書かないのは私だけなんです。」と報告してました。それは北九州よりひどいなと思いました。たしかに最近実施率の問題だけじゃなくて「指導しろ」という主張をし始めてますよね。今のところ北九州市では、指導の中身にまで踏み込んだ「指導」はないんです。それはなぜかっていうと・・・。ある意味では私たちの裁判が歯止めになっている面は一定あると思いますし、これまで以上の強制をやるとまたそれに対する抵抗があるというのがあるのかも。これ以上のやりすぎは向こうとしてもできないというのがあるんじゃないかなとは思っています。今のところ「授業の中で指導しろ」というのは、北九州ではありません。卒業式前なんかに、校長・教頭が焦って、「子どもが全然歌わなかったらまずいから、教えとかんといかん」と個別にやりたいとかいうのはありますが。学校によっては、教員が率先して教えるというところもあるかもしれませんが。教育委員会サイドから中身について「指導しろ」というのは、今のところ聞いていません。
 私たちが座ることに対して周りがどう見てるかというのは、もう長いですからね。変化もあるとは思いますが、2人の新しい人が加わってきたのは私たちの動きを見てのことであるし、ココロ裁判の原告は福岡教組のメンバーと「うい」のメンバーと今ちょうど半々くらいで、福教組の処分を受けた人たちとなぜか一緒にやっているという不思議な関係なんです。今回加わった一人の福教組のメンバーでも、分会の中で「みんなで座ろう」とかそういう結束がないですからね、学校の中では一人です。大阪で結束が壊されていくのではないかと言われていますが、結束なんてなくて、基本的に一人一人の課題になっているんで、一人一人が自分は言いたいなとか座りたいなとか、なんかのきっかけで思う時に、まったく一人だったらできないことが「ここに変な人たちがいる」というのを知って、ひょっとしてこの変な人たちと一緒だったらやれるかなみたいな、そういった意味では一定いい影響みたいなものはあると思います。今回加わった彼女なんかも、やっぱり一人ではなかなかできなかったと思います。教組の中では一応反対っていう雰囲気はあったり、やっぱり「同和」地区とかの学校なんかでは反対があったりしますけど、なかなか行動には表せない状況です。反対の人は当然いるんですよ。賛成なんていう人はむしろいない。これまで何もなかったのに校長が独断で突然言い出したとか、そういうものにやっぱり我慢できない。そんなちょっとしたきっかけの時に、一人だったら「もういい」ってなったかもしれないけど、近くに闘っている人がいるっていうのを見てつながってきたわけです。本人も1年くらい悩んでたんですけど、一緒にやろうと決意をしたわけです。私たちも卑屈にはなっていないし、周りの人も処分の方がやっぱりひどいんじゃないかっていう評価はあると思います。


(質問)北九州では、子どもたちの状況はどうですか。「国歌斉唱・一斉起立」とかの号令に対して子どもはどう対応しているか。先生が着席しているのをみて、子どもたちはどう見ているのか。そのあたりをちょっとお教え願えますか。

(答え)私は今教員をやってないですが、資料に北九州教育委員会の「調査表」を付けていたと思います。最初の人権救済申し立ては子どもの権利のことでやったと言いいましたが、「調査表」の中に児童・生徒の項があって子どもの起立・不起立までチェックしているということが後になってわかったんですよね。そこで子どもが座っている数までも学校長が報告している。これは明らかに人権侵害じゃないかっていうことで、人権救済申し立てをしたんですよね。
 子どもが座っているというのは、80年代までけっこうあったんですけど。福岡県というのは部落解放運動の歴史があって、大阪とそういう意味では似ている面がありますが。そういう地域で子どもが育っていく中で、子どもたちが意識的に座っている学校とかそういう子どもたちの数がここに(調査票)あがってきていました。調査結果もだいたい手に入れてきているんですけど。報告を上げている校長がいるんですよね。今はもう複数で座っているという報告はあがっていない。だから全員で座るみたいなのは、もうどこの学校でもないと思います。本当に一人二人みたいな形で、座っている学校がある状況だと思います。実態はあまりきちんとは把握されていない思いますが。ただ、私たちもこういう運動をしたんで、子どもに無理矢理立たせるような指導はしないということの確約だけは教育委員会からとっています。教育委員会もそのことは明言しています。ただ教委の調査も実際には露骨な形ではやっていません。校長も何気なく報告しているような感じです。子どもがどっと座るような状況は今はありません。だから、校長の命令に対して自分たちが座るということしかないと。「歌えない」「歌いたくない」という子どもたちが目の前にいるということは知っています。子どもたちの前で、自分も反対なんだということを話をしたりとか、だから先生はどうするとか、座れとは言えない、そういう関係の中で座る教員をどう見ているかというと、それぞれなんでしょう。去年卒業の生徒を受け持ったある原告の一人も、座れば減給1ヶ月になるということで悩みました。担任でなければ式に出ないという方法も可能なんだけれども、卒業担任が式に出ないというのはそれはそれで処分の対象になりうるので、校長とかなり交渉をやって「国歌斉唱の時だけ外させてくれ」と要求したけれども、校長は座っても・(式場から)出ても報告を上げるという態度を変えなかった。どうせ外しても報告を上げられるのならば子どもたちの前で座ろうと、どうせ立つことはできないのだから座るっていう判断をして減給処分になりました。それを見て子どもたちは、声をかけてくる子もいるわけですよね。全員がどう思っているかとかは把握できるものではないし、それ以上のことはわかりません。ただ大きな課題だと思います。今年、広島など子どもたちが自分で考えて抗議するとか座るとかいろいろな行動をしている中で、どうなのかなって。ただ状況として違うのは、今まで実施されていない学校で突然やられるとゲルニカ事件なんかでもそうなんですけど、突然に無理矢理に自分たちの卒業式に今までないものが突然持ち込まれたりとか、そういうことに対する子どもたちの反発というのが今年広島など各地であったと思います。北九州の場合はもうずっとあるんで、そういう強いインパクトというのはもうないんですよね。だから一人一人の子どもがそういう情報とか親の意見とか子どもたちの意見とかを聞いた上で、個人個人がそういう意識を持っていることはあっても、じゃあそこで行動できるかというと子どもたちにはなかなかでききれないという状況です。そして座った子どもたちの人権を守れるのかというような、そこで教員以上にプレッシャーがかかる子どもたちの状況を考えたときにできる状況にない。本当におかしいんですけど。卒業式に親も来ますけど、親にも行動起こす人はそんなにいませんからね。ぎりぎりまで迫られた教師が座っているって状況。それを見て安心する子どもたちがいてくれたらいいなっていう感じですね。


(質問)最近の教組の状況はどうでしょうか。

(答え)最近あんまり情報がないんで、わかりません。日教組御三家って言われて福岡もたぶんその中に入るんじゃないかと思いますが、伝統的に70年代半ばくらいまではやってきたんでしょうけど。だから、「日の丸・君が代」処分の以前にいろんなことで処分を受けてきてるんでしょう。救援費のために組合費も高いし。ういのメンバーもぎりぎりまでは福教組にいて、活動していました。ココロ裁判の原告の半分も、福教組にいて高い組合費払いながらやっています。その高い組合費を何に使っているのかなあと思うけど、選挙もばかばかしいしねとか組合員もそういっているんですよね。「日の丸・君が代」について(福教組が)今何をやってるかというと、何もやってないんですよね。情報がないからわからないですけど、教組としての動きはないと思います。
 私たちに対する教組からの誹謗中傷も別にないので、(福教組の組合員と)個別には一緒にやってるんですけど、執行部とも一緒にやれることがあればあるのかなあと最近考えたりしてますが。ただ今のところ何もやってないですよね。


(質問)ココロ裁判については、大阪府教委も注目しているようです。裁判の今後の流れについてお聞きしたいのと、4点指導については「正しく心を込めて歌う」というのは誰が見てもはっきりと良心の自由の侵害だと思うのですが、これについて裁判の中で市教委はどのように答えているのかお聞きしたいのですが。また、4点指導の中に「君が代」の演奏を教職員にさせるというのが入っていますが、大阪でもピアノ演奏を教職員がすることについて特に強く抵抗している職場もかなりあるのですが、ピアノ演奏についてのせめぎ合いはあるのでしょうか。

(答え)裁判の今後なんですけど、私たちの主張は一応すべて出し尽くしたということで、裁判所に被告側の立証を促すように言っているんですが、被告がずっと立証をいやがっています。5月9日に再度立証を促しました。最低の処分手続きレベルのことですら、書証とか出してないわけです。処分手続き上、学校長が状況報告書というのを出して、それに基づいて処分しているはずです。報告書に基づいて事情聴取もするわけですけど、何も答えてないんです。市教委は記録も何も取ってないんです。事情聴取も処分手続き自体も杜撰なんで、埼玉で人事委員会で処分が撤回され東京のアイムで処分が撤回されたんですが(私は日の丸・君が代で処分が撤回されるなんてあるはずがないと思ってたんですが)この間処分が撤回されてるんですよね。それは手続き違反で市町村教委からの処分内申がなかったりとか、手続き違反だけで撤回したのではなくその他の攻めも含めてトータルなものだとは思いますが。だから私たちも憲法違反の主張だけではなくて処分手続きの問題も追及しているんですよね。学校長が出した職務命令を出したとかいう状況報告書すら書証として提出していない。そのことと4点指導の合理的根拠とかを立証しろということを、被告側は14回の時点で通告的に裁判所からも言われています。そしたら被告が言ったことが「最終準備書面を出します」とこうです。まだ立証も終わってないんですよ。ぼけたことばっかり言うんですよ。裁判所も頭抱えてたんですよ。それで最終準備書面の作成に時間がかかるということで、5月段階で「10月末までに最終準備書面を出す」と言ったんですよ。それで裁判所はいやいや「10月末まで待ちましょう」ということで、10月末まで待って次回を準備書面のでた1ヶ月後に、原告側も書面を見て主張を準備しなければならないからというこで、11月28日というのが先に決まったんですよね。5月の時点で11月28日が決まって、その間があんまり何もないのでは裁判所としても「申し訳ない」ということで、中をとって7月に弁論だけ入れたんですよね。そのときにたまたま「警告書」出たからまた準備書面出したんですけど。だから今被告の最終準備書面待ちという妙な状態にあります。「最終準備書面」に対しては、裁判所が「最終準備書面とは考えてませんので」とはっきり被告側に言っています。立証に移って行くという方向を裁判所も要求しています。次回の弁論で私たちの申請している証人、文部省の役人とか市教委の役人とか敵性証人しかとりあえず出していないんですけど証人採否の決定と被告側の立証を促すというていうのが次回の弁論なんです。だから基本的には次々回から何らかの形で立証に入っていくことになって、被告側の証人がどうしてもダメだったら原告側から証人を立てて、立証に入って行くことになると思います。4点指導に対して被告側は何も言っていない。通り一遍の被告の主張は、「学習指導要領及び文部省の指導に基づき指導しているので4点指導は適法です。その適法な指導に基づく学校長の職務命令に反しましたので、処分しました。」程度のことしか主張していません。具体的な指導の中身に踏み込んで、どうこうは何も言っていません。言えないんだろうとは思いますけど、あえてそこを追及していきます。
 ピアノ伴奏については、もう一定終わってますね。職員の中で押しつけあって、誰かがピアノを弾くみたいな。ういの原告には少なくとも伴奏が回ってくることはないんで、弾くって言っても弾かしてくれないっていう。ただこのあいだ原告になった女性教員は、一度弾かされたらしいんですよね。だからいやな人にまで押しつけて弾かせるというのは、管理職との関係だけの問題じゃないですよね。職場の中の良くない関係を作り出していきますよね。北九州はピアノ伴奏拒否での処分はないというのが暗黙の了解のようなんですが、その中で誰かが弾かされているっていうか。

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