文科省が隠したがる「国旗国家法」をめぐる国会答弁集


 3年前政府・文科省は、国論が二分する中で国旗国歌法を強引に制定しました。国会審議では、「日の丸・君が代」の解釈、子どもたちの内心の自由の尊重、教職員の職務と内心の自由の関係、職務命令と処分、教育内容での取り扱いの留意点など、多岐にわたり議論が繰り返されました。政府・文科省の国会答弁の多くは、国旗国歌法を成立させることで学校現場に「日の丸・君が代」を一層徹底させようとするものでした。ただしその中には、反対世論の高まりに配慮して、強制を進める上で一定の制約になりうる答弁もあります。法案そのものから尊重規定や義務づけも外さざるを得ませんでした。
 しかし文科省は、膨大な政府・文科省関係者の国会答弁の中で、「日の丸・君が代」を一層実施し、教職員の抵抗をそぐために都合の良い部分だけを取り出し、「国旗及び国歌に関する関係資料集」として配布し、「日の丸・君が代」強制の正当化に利用してきました。
 法制化後3年たった今、「強制はない」と約束した文科省は、職務命令と処分の乱発、最近では人事考課制度と「指導力不足等教員」のレッテルはりを武器に教職員をがんじがらめに縛り付け、「日の丸・君が代」のすさまじい強制を行っています。毎年、卒・入学式では子どもたち、保護者、教職員の人権が侵害される事態に至っています。
 私たちは、当時の政府・文科省関係者の答弁の内容だけで人権侵害が防げるとは思っていません。しかし今の現状は、そこで確約されたことさえ簡単に無視され、国旗国歌法を盾に「日の丸・君が代」の強制が際限なく広がっています。
 ここでは、文科省が隠したがる国会答弁をピックアップし紹介します。これら全ては、国会審議の中で政府・文科省関係者が発言したもので、法制化の前提となる公約事項です。今春の卒・入学式の中で、「国会審議さえ守られていない!」と訴えることは、行政的対応しかしない管理職に対しては有効なのではないでしょうか。


「君が代」の歌詞の意味のとらえ方は、個々人の内心に関わる事柄

○「これらの政府の見解(「日の丸・君が代」政府解釈)は、政府自身の見解でございまして、国民お一人お一人が君が代の歌詞の意味などについてどのようにお受け止めになるかについては、最終的には個々人の内心にかかわる事柄であると考えております。」
       (野中広務官房長官 1999年8月6日国旗及び国歌に関する特別委員会)


不起立、不斉唱で子どもたちが不利益をこうむることがあってはならない

○「子どもは当然、通常の場合に、学校が定められた教育活動に主体的に参加していく、これは教育活動の本来持っております作用でありますし、教員はそういった教育活動の本来的な作用に従って児童生徒を指導していくと言うことでございますけれども、指導の結果、最終的に児童生徒が、例えば卒業式にどういう行動をとるか、あるいは国旗・国歌の意義をどのように受け止めるか、そういうところまで強制されるものではないという意味で、強制するものではないと申し上げているところでございます。」
                (御手洗政府委員 1999年8月4日文教委員会)

○「これ(内心の自由にまで立ち入って強制することがあってはならない)は学校教育におきましても国民一般の場合におきましても何ら異なるところはないものと思っておりますし、教育に当たる学校の教員が、憲法に保障された基本的人権であります内心の自由にまで立ち入って強制すると判断されるような教育活動を行ってはならない。こういう点につきましては、私ども、今後とも十分留意をして参りたいと思っております。」
             (御手洗政府委員 1999年8月4日文教委員会)

○「それでは、ご質問のどのような行為が強制することになるかについては、当然、具体的な指導の状況において判断しなければならないことと考えておりますが、例えば長時間にわたって指導を繰り返すなど、児童生徒に精神的な苦痛を伴うような指導を行う、それからまた、たびたび新聞等で言われますように、口をこじ開けてまで歌わす、これは全く許されないことであると私は思っております。児童生徒が例えば国歌を歌わないということのみを理由に致しまして不利益な取り扱いをするなどと言うことは、一般的に申しますが、大変不適切なことと考えておるところでございます。」
         (有馬文部大臣 1999年7月21日内閣委員会文教委員会)


子どもたちに「心理的な強制力」「精神的な苦痛」を与えることは強制そのもの

○「従いまして、今ご指摘のように、起立をしなかった、あるいは歌わなかったといったような児童生徒がいた場合に、これに対しまして事後にどのような指導を行っていくかということにつきましては、まさに教育指導上の課題として学校現場に任されているわけでございますけれども、その際に、ご指摘のように、単に従わなかった、あるいは単に起立しなかった、あるいは歌わなかったといったようなことのみをもって、何らかの不利益をこうむるようなことが学校内で行われたり、あるいは児童生徒に心理的な強制力が働くような方法でその後の指導等が行われるというようなことはあってはならないことと私ども思っているわけでございます。」            (御手洗政府委員 1999年7月21日内閣委員会文教委員会)

○「当該児童が憲法の思想、良心の自由ということを意識してそういった(歌わない、起立しない)行為を行うということは当然あるかと思います。従いまして、あくまでも強制にわたらないということが肝要でございまして、先ほど申し上げましたように、事後に精神的苦痛を伴うような指導を行うとか、あるいは他の児童生徒に対して個別具体の名前を挙げながら適切でないというような、そういう教育的に見ても適切でないような指導を行い、それが児童生徒に心理的な強制を与えると言ったようなことであれば、これは許されないものと考えています。」   (御手洗政府委員 1999年7月21日内閣委員会文教委員会)


憲法学習の中で内心の自由を教えること

○(卒業式での「君が代」斉唱という具体的な問題を通して内心の自由を教えることについての質問に対して)「基本的には小学校6年生の憲法学習の中で基本的人権についてしっかりと教えるように学習指導要領で決められているところでございますし、実際にも教科書等におきましては基本的人権に関する記述がございますので、各学校において適切な指導が行われているものと考えているところでございます。」
     (御手洗政府委員 1999年8月6日国旗及び国歌に関する特別委員会)


「法律を楯に強制的に無味乾燥な議論に入ってはならない」
学校現場で、「日の丸・君が代」の歴史をしっかり教えること

○「これからもこの法律を盾にして強制的に無味乾燥な議論に入っていくのじゃなく、教育の中で正確に、日の丸の歴史とそして君が代が生み出されてきた歴史、また一時期これがゆがめられて使われた事実、そういうものをきちっと教えることによって学校現場の教育が生かされ、それが民族のアイデンティティとなって国際的な人間として我が国の国民が育っていくように私どもは努力していかねばならないし、またこの席で私は文部大臣にも要請をしておきたいわけです。」
       (野中広務官房長官 1999年8月2日国旗及び国歌に関する特別委員会)


教職員が内心の自由に従って行動するのは「やむを得ない」

○「教育公務員として、あるいは教員として、地方公務員としての制約はございますね。ですから、その制約と、ご自分の、教員一人一人が持っている内心の自由、今その両方の関係をご質問だと思うけど、どの人が仮に内心の自由で何かをしたくなかったときに、その人が最終的に内心の自由でしないと言うことは、それはやむを得ないとおもいますけれども、しかしながら、教育をする人間としての義務は果たさなければいけない、そういう問題が私はあると思うんですね。ですから、その人に、本当に内心の自由で嫌だと言っていることを無理矢理する、口をこじ開けてでもやるとかよく話がありますが、それは、子どもたちに対しても教えていませんし、例えば教員に対しても無理矢理に口をこじあける、これは許されないと思います。しかし、制約と申し上げているのは、内心の自由であることをしたくない教員が、他の人にも自分はこうだということを押しつけて、他の人にまでいろいろなことを干渉するということは許されないという意味で、合理的な範囲でということを申し上げているのです。」
                   (有馬文部大臣 1999年8月4日文教委員会)


校長は、職員会議の場でしっかり議論しなければならない

○「学校におきましては、国旗・国歌の指導をおこなうにあたりまして、校長は、日頃から職員会議等の場を通じまして、教員との間で国旗・国歌の指導やその意義等につきまして意思疎通あるいは共通理解を図るように努めて、全教員が一致協力して国旗・国歌の指導を行うような学校運営上の配慮を行うことが何よりも大切でございます。」
                 (有馬文部大臣 1999年8月4日文教委員会)

○「私は、教育というのは根本的に先生と児童生徒の信頼関係であり、またそれを生み出すのは先生方同士の信頼関係だと思っています。ですから、職務命令というのは最後のことでありまして、その前に、先生がおっしゃられましたようなさまざまな努力ということはしていかなきゃならないと思っています。」
(有馬文部大臣 1999年8月6日国旗及び国歌に関する特別委員会)

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