本人の思想・良心に反して「ピアノ」伴奏の強制は、「違憲無効の疑いが極めて強い」 第2東京弁護士会が音楽専科教員に「君が代」ピアノ伴奏を強制した校長に「勧告書」 |
2004年2月18日、第2東京弁護士会は、校長から「君が代」ピアノ伴奏を職務命令によって強制された音楽専科教員の申立に対して、「違憲無効の疑いが極めて強い」との勧告書を出しました。勧告書は、全国で「君が代」ピアノ伴奏の強制が強まっている中で、はじめてこの問題での憲法上の解釈を打ち出したものです。とりわけ「勧告書」の「結論」部分には、12.3日野市での「ピアノ」伴奏強制を巡る東京地裁判決とは対象的に「君が代」のピアノ伴奏が職務上義務づけられていないことを論じています。さらに、たとえ職務上義務づけられていたとしても当該教員の思想・良心の自由を制約する条件として「厳格な審査基準」(@「重要な利益を追求した結果であること」A「ピアノ伴奏の強制という手段が必要不可欠であったこと」)を示しながら、どちらも合理性がないことを証明しています。ピアノ伴奏の強制は「違憲無効の疑いが極めて強い」と結論づけています。 全国では、「君が代」ピアノ伴奏の圧力が益々強まっています。今回、申立人から「この貴重な勧告を、広くそして多くの方に活用していただきたい」との話を頂きましたので、、出来るだけ卒業式に間に合うようにテキスト化しました。東京での貴重な成果を是非、様々なところで活用してください。 2004.3.14 「日の丸・君が代による人権侵害」市民オンブズパーソン 事務局 第二東京弁壌士会発第469号 2004年(平成16年)2月18日 国立市立国立第二小学校絞長 殿 第二東京弁護士会 会 長 勧 告 書 当会人権擁護委員会は、申立人○○○○○氏からの標記に関する人権救済申立事件につき、下記のとおり勧告いたします。 記 【勧告の趣旨】 1.相手方国立市立国立第二小学枚校長○○○○は,申立人○○○○に対し、「君が代」のピアノ伴奏について、思想・良心の自由を守るために行いたくないとする申立人に対して、その理由を知ったうえでなおピアノ伴奏を行うことを強制しないよう、勧告する。 2.同相手方は、「君が代」のピアノ伴奏について、職員会議での教職員の意見を十分聴取したうえで、できる限り申立人を含む教職員の理解と納得を得られるよう努力するよう、勧告する。 【勧告の理由】 . 別紙調査報告書記載のとおり(本件は併合審査となっておりますので、貴殿に係る部分の報告書を添付します)。 以 上 人権救済申立事件報告書 2004年1月14日 第二東京弁護士会 会長 ○○○○ 殿 人権擁護委員会 委員長 ○○○○ (省略) 第5 結論 1 思想・良心の自由 思想・良心の自由は、個人の内面的精神活動の自由の中で、最も根本的なものである。日本では、明治憲法下に置いて、治安維持法の運用に見られるように、特定の思想を反国家的なものとして弾圧するという、内心の自由そのものが侵害される事例が少なくなかった。このため、諸外国の憲法とは対照的に、日本国憲法は、精神的自由に関する諸規定の冒頭、19条において、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と明定し、特に保障している。 憲法19条が保障する「思想及び良心」とは、世界観、人生観、主義、主張などの個人の人格的な内面的な精神作用を広くふくもむのと解されている。そして、このような思想・良心の自由を「侵してはならない」とは、国民がいかなる思想を抱いているかについて、国家権力が露顕を強制することは許されないこと、すなわち思想についての沈黙の自由の保障を含むものと解されている。それゆえ、江戸時代のキリスト教徒の弾圧の際に行われた「踏絵」などで、個人の内心を推知しようとすることは、認められない。 2 信教の自由と政教分離の原則 日本国憲法は、思想・良心の自由の次に、20条第1項で、「信教の自由は、個人に対してもこれを保障する」として個人の信教の自由を保障すると共に、国家と宗教の分離を明確化している(政教分離の原則) 明治憲法においても、信教の自由は保障されていたが(28条)、実際には、「神社は宗教にあらず」とされ、神社神道は国教として扱われ優遇された。その反面、他の宗教は冷遇され、キリスト教などのように弾圧された宗教も少なくなく、国粋主義の台頭と共に、神社に与えられた国教的地位とその教義は、国家主義や軍国主義の精神的支柱となった。1945年(昭和20年)12月連合国総司令部は、「国教分離の指令」を発し、神道の特殊性を否定し、日本に信教の自由の確立を要請したが、日本国憲法は、このような沿革をふまえて、個人の信教の自由を保障し、国家と宗教の分離を明確化している。 憲法20条1項前段は、「信教の由由は、何人に対してもこれを保障する」と定める。信教の自由には信仰の由由を含むが、これは、個人の内心における由由であって、絶対に侵すことは許されない。この結果、内面的な信仰の自由の外部への表現である信仰告白の自由が当然に認められ、国は、信仰に反する行為を強制したりすること(たとえば踏絵)は許されない。 ここにいう「強制」とは、直接的ないし物理的なものに限らず、間接的・付随的な負担を個人の信教の自由に課すものも含む。 また、憲法20条3項は、政教分離の原則の一として、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定め、国家の宗教的中立性を明示している。 3 憲法尊重擁護義務 憲法99条は、「公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と定めている。この義務は、道徳的な要請であり、公務員が行った個別具体的な私法上の行為の効力を規制するものではないとの見解もあるが、少なくとも道義的な要請としても、同条が、公務員に対し、個人の内面的精神活動の由由のなかで、最も根本的な思想・良心の自由と信教の自由及びこれに伴う政教分離の原則を尊重し擁護する義務を課していることは疑いの余地がないところである。 4 本件救斉申立ての争点 本件救済申立ての争点は、公立小学校の音楽専科の教師が、思想・良心の由由または信教の自由からの理由とこれに基づく教育的見地から、入学式及び卒業式で「君が代」のピアノ伴奏ができないとの信条を持っている場合に、校長が「君が代」のピアノ伴奏を命ずる職務命令を発し、当該教師に対しピアノ伴奏を強制することについての憲法上の当否である。 以下、「君が代」ピアノ伴奏の法的根拠を検討したうえで、思想・良心の自由(憲法19条)及び信教の自由(同20条)を制限することが許されうる基準をふまえて、その憲法上の当否について判断する。 5 「君が代」ピアノ伴奏についての破務命令の法的根拠 平成15年3号事件相手方○○○○、同筆7号事件相手方○○○○、同28号事件相手方○○○○(以下、3事件の相手方をまとめて、相手方らという)は、いずれも、当会当委員会当委員長からの照会に対し、各事件申立入らの本件事件に至る経緯についての詳細な事実関係については認否しないものの、公立小学校の入学式及び卒業式における「君が代」のピアノ伴奏を命ずる職務命令の法的根拠については、概ね、次のとおり回答している。 すなわち、小学枚学習指導要領第4章特別活動編では、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と示されている。このことに従い、入学式、卒業式において国旗を掲揚し、国歌を斉唱している。また、教育公務員は法令や上司の職務上の命令に従って教育指導を行わなければならないという職務上の責務を負うものである。また、校長が学習指導要領に基づき法令の定めるところに従い所属職員に対して本来行うべき職務を命じることは、当該教職員の思想、良心の自由を侵すことにはならない、と。 6 国旗・国歌法と「学枚における国旗及び国歌に関する指導について」 1999(平成11)年8月13日に、「国旗及び国歌に関する法律(国旗・国歌法)が公布・施行され、文部省(当時)においては、同年9月17日付で「学校における国旗及び国歌に関するる指導について」(初等中等教育局長及び高等教育局長通知)を、附属学校を置く各国立大学長、各都道府県知事、各都道府県教育委員会教育長に通知しているが、公立小学枚における「君が代」ピアノ伴奏についての法的根拠となり得るものとしては、小学校学習指導要領第4章第3の3における「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」ことが摘示きれ、相手方らも、これを法的根拠とするものである。文部大臣も、国旗・国歌法の制定にあたり、「法制化が行われた場合においても、学習指導要領に基づき、学校におけるこれまでの国旗・国歌の指導に関する取扱いを変えるものではないと考えており、今後とも、学校における指導の充実に努めてまいります」と述べている(1999年6月29日衆議院本会議)。 もっとも、この学習指導要領においては、国歌斉唱の指導に関する取扱いについて、「君が代」ピアノ伴奏を明記してはいない。 これは、内閣総理大臣が学習指導要額に基づく国歌の指導については、児童生徒の内心にまで立ち至って強制しようとする趣旨のものではなく、あくまでも教育指導上の課題として指導を進めていくことを意味する」と述べるとおり(1999年7月21日衆議院内閣委員会)、子どもの思想・良心の自由及び信教の自由を保障する趣旨から、「君が代」ピアノ伴奏が子どもに対する国歌斉唱への参加を強いる結果となることを避ける配慮がなされているためであると解せられる.文部大臣も、「どのような行為が強制することになるかについては、当然、具体的な指導の状況において判断をしなければならないことと考えておりますが、例えば長時間にわたって指導を繰り返すなど、児童生徒に精神的な苦痛を伴うような指導を行なう、それからまた、たびたびよく新聞等々でいわれますように、口をこじあけてまで歌わす、これは全く許きれないことであると私は思っております。児童生徒が例えば国歌を歌わないということのみを理由にいたしまして不利益な取扱いをするなどということは、一般的に申しますが、大変不適切なことと考えておるところでごぎいます」と述べるところである(1999年7月21日衆議院内閣委員会文教委員会連合審査会)。 国旗・国歌法の制定にあたり、「君が代は、日本国民の総意に基づき、天皇を日本国及び日本国民統合の象敏とする我が国のことであり、君が代の歌詞も、そうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解すること」は国会においても確認されているところであるが、同時に、「古歌君が代が明治時代に国歌として歌われるようになってからは、大日本帝国憲 法の精神を踏まえ、君が代の「君」は、日本を統括する天皇の意味で用いられ」たことも確認されているところである(1999年7月21日衆議院内閣委員会 内閣総理大臣)。明治憲法下においても、特定の思想を反国家的なものとして弾圧し内心の由由そのものが侵害される事例や、神社神道が国教として扱われ優遇される反面で弾圧された宗教も少なくないことに照らしても、国歌「君が代」の斉唱によって日本を統治する天皇の意味を招来することのないように、君が代の「君」についての過去の歴史に留意することにより子どもの思想・良心の自由及び信教の自由は特段の保障が求められるところである。 同時に、学習指導要領において国歌斉唱の指導に関する取扱いについて「君が代」ピアノ伴奏を明記していないことは、子どもの教育を受ける権利に対応する教師固有の思想・良心の自由及び信教の自由を保障する趣旨にも基づくものと解せられる。個人の内面的精神活動の自由の中で、最も根本的なものである、思想・良心の自由及び信教の自由は、何人にも保障されるものであり、公立小学枚の教師といえどもその例外ではない。 公立小学絞の教師が「君が代」ピアノ伴奏が子どもの意思に無関係に国歌斉唱へと誘導する、強制のための補助手段となっていると考え、これを避けるために、教師固有の思想・良心の自由及び信教の自由に基づき、「君が代」ピアノ伴奏をしないことは、憲法の保障するところであり、道義的義務にとどまるかは措くとしても、公務員として憲法を尊重し擁護する義務にも基づくものである。 7 「君が代」伴奏の職務命令と思想・良心の自由と信教の自由の保障の審査基準 ところで、拍手方らは、いずれも、申立人それぞれの主張に対し個別具体的に認否・反論しないものの、一般論として、教育公務員は法令や上司の職務上の命令に従って教育指導を行わなければならないという職務上の責務を負うものであるから、校長が学習指導要領に基づき法令の定めるところに従い所属職員に対して本来行うべき職務を命じることは当該教職員の思想・良心の自由を侵すことにはならない旨主張するので、この点について判断する。 公立小学校の校長による教師に対する職務上の命令は、地方公務員法32条及び地方教育行政法43条2項等に基づく「上司の職務上の命令」であり、公立の小中学枚では、校長がすべての教職員の上司であるとされている(昭和31年1月5日委務第2号 初中局長回答)。本件においては、「君が代」ピアノ伴奏は、学習指導要領に基づくものであるところ、学習指導要領は、各学校の教育課程の基準として、法規としての性格を有しており、各学校においては、学習指導要領を基準として枚長が教育課程を編成し、これに基づいて教員は学習指導を実施するという職務上の責務を負うものであり、前記小学校学習指導要領第4章第3の3に基づいて国歌「君が代」のピアノ伴奏が職員に対して職務上義務づけられていると主張されている。 この点について、申立人らは、学習指導要領にはそもそも法規性がないものと考え、仮に法規性が存在したとしても、「君が代」指導に関する部分については違憲無効であるものと主張しているので、以下、この点について検討する。 前記のとおり、公立小学絞の教師が「君が代」ピアノ伴奏が子どもの意思に無関係に国歌斉唱へと誘導する、強制のための補助手段となっていると考え、これを避け、子どもの思想、良心の自由及び信教の自由を保障するために、教師固有の思想、良心の由由及び信教の自由に基づき、「君が代」ピアノ伴奏をしないことは、憲法19条、20条の保障するところであり、明治憲法下における思想弾圧や宗教弾圧の歴史的事実に照らしても十分に尊重されなければならないところである。とりわけ、国立市内の公立小中学枚では、入学式と卒業式における「日の丸・君が代」について、前記第2、1、イ記載の背景があったことは、その概要において公知の事実であるから、子どもと教師固有の思想、良心の自由及び信教の自由は十分に尊重されなければならない。 これに対し、相手方らは、前記小学校学習指導要領第4章第3の3に基づいて国歌「君が代」のピアノ伴奏が職員に対して職務上義務づけられていると解し、申立入らに対し、職務命令として「君が代」ピアノ伴奏を義務づけ、ピアノ伴奏を強制しようとすることは何ら違法ではないと主張するものである。 しかしながら、前記6のとおり、子どもの思想・良心の自由及び信教の由由並びに教師固有の思想・良心の自由及び信教の自由をふまえて、国旗・国歌法の公布・施行においても、小学校学習指導要領第4章第3の3における「入学式や卒業式などにおいては、その意義をふまえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と述べるにとどまり、国歌「君が代」のピアノ伴奏を職務上義務づけてはいないものと解される。 ところで、仮に、小学校学習指指導要領第4章第3の3が公立小学校の教師に国歌「君が代」のピアノ伴奏を職務上義務づけていると解すると、当該教師の思想・良心の自由及び信教の自由を侵害することになるが、その由由権に対する制約が許容されるかどうかについては、思想・良心の自由及び信教の自由が、基本的人権の体系の中で優越的地位に置かれた精神的自由権であることから、その制約の許容性を判断するにあたっては厳格な審査基準を用いなければならない。このことは最高裁判所も認める(最高裁昭和50年4月30日判決・民集29巻4号572項)、確立された憲法上の原則である。 そして、本件における思想・良心の自由及び信教の自由に対する制約は、枚長において望ましいと判断した教育を行うために付随的に申立人に思想・良心に負担をかける行為が要求されるという付随的な負担に関する問題であるから、その審査基準としては、厳格な合理性の基準が採用される。この基準によれば、制約目的に関して、重要な利益を追求した結果であること、そして制約手段の選択に関して、ピアノ伴奏の強制という手段が必要不可欠であったこと、つまり、それに代わる別の手段が存在しなかったことが明らかにされる必要がある。 この点について、申立入らのような地方公務員は、全体の奉仕者であって(憲法15条2項)、公共の利益のために勤務し、かつ、職務の遂行に当たっては、全力をあげて専念する義務があるのであり(地方公務員法30条)、思想・良心の由由も、公共の福祉の見地から、公務員の職務の公共性に由来する内在的制約を受けるとする見解も考えられる。しかし、思想・良心の由由及び信教の由由が基本的人権の体系の中で最も優越的地位に置かれた精神的自由権であることにかんがみれば、「公共の福祉」をもって一律に規制することは好ましいことではなく、上記「厳格な合理性の基準」をもって、公務員の職務の公共性に由来する制約もまた個別具体的に検討されるべきである。 以上の立論をふまえて、本件各救済申立事件について判断する。 8 平成15年第3号事件 (1)以上のとおり、憲法19条は思想及び良心の自由を保障し、憲法20条は信教の自由を保障しているところ、思想・良心の自由及び信教の自由は、個人の人格と深く関わり、憲法が保障する精神的由由権の中核をなすものであって、公権カが個人に対して特定の行為を強制した場合において、当該個人が、当該行為が自己の思想、良心ないし信教の自由を侵すものと主張する場合には、当該行為は当該個人の人間性の核心部分を否定するおそれがあるのであるから、高度の配慮が必要とされなければならず、厳格な合理性の基準に基づき、思想・良心の自由及び信教の自由の制約目的に関して重要な利益を追求した結果であるか、制約手段の選択に関して「君が代」ピアノ伴奏の強制という手段が必要不可欠であるか、それに代わる別の手段が存在しなかったかが検討されなければならない。 (2)これを本件についてみると、まず、小学校学習指導要領第4章第3の3は、公立小学校の教師に国歌「君が代」のピアノ伴奏を職務上義務づけていると解することはできないから、同学習指導要領に基づき申立人○○○○○に対して、相手方○○○○が、2001年度の国立市立第四小学校の卒業式及び2002年度の入学式と卒業式における「君が代」のピアノ伴奏について、思想・良心の自由を守るために行いたくないとする申立人○○の理由を知ったうえで、なおピアノ伴奏を行うことに関する職務命令を出したことは違憲無効の疑いが極めて強い。 また、仮に、小学校学習指導要領第4章第3の3は、公立小学校の教師に「君が代」のピアノ伴奏を職務上義務づけていると解したとしても、上記の厳格な合理性の基準に基づき、当該職務命令は違憲無効の疑いが極めて強い。 すなわち、申立人○○がピアノ伴奏を拒否する理由は、自らの母及び祖父母が被爆者であり、また、自らが音楽の教員となった動機が、児童に対して平和に繋がる素直に表現できる歌を教えたいというものである。 この理由は申立人○○の人格の核心部分と関わるものであって、申立人○○のピアノ伴奏拒否の理由は、同申立人の思想・良心に基づくものである。 他方、君が代斉唱に当たって音楽専科教員によるピアノ生伴奏は必須のものとは言い難い。事実の問題としても、ピアノ生伴奏がなくとも君が代斉唱は可能である。すなわち、君が代斉唱は、楽器による伴奏がなくとも為し得るし、伴奏を付けるとしてもそれが生演奏である必要はなく、従来そうであったように録音テープやフロッピーディスク又はコンパクトディスク等の使用等によることも可能かつ容易である。また、伴奏に用いる楽器がピアノであるべき必然性はなく、シンセサイザーその他の楽器を用いることも可能である。仮に、ピアノ生伴奏によるとした場合であっても、これを音楽専科教員が行う必要はないし、これを申立 人○○以外の者が行うことも可能であるから、他の代替的方法を採ることが可能かつ容易である。さらに、申立人○○は、相手方○○○○に対し、他の代替的方法を提案している。加えて、他の代替的方法を採用することで、当該公立小学校の教育秩序が維持できなくなるとか学絞運営に重大な支障が生ずるとかのおそれはない。 よって、申立人○○の思想・良心の自由に反してまで、ピアノ生伴奏を強制することは、憲法上の人権に対する配慮を欠き、妥当性を欠くものであり、違憲無効の疑いが極めて強いため、前記第1、1のとおり勧告する。なお、相手方○○○○は、2003年4月東京都杉並区内大宮小学校に校長として転任しているため、国立市立第四小学校のこととして申立てられている前記第2、1、(1)、イ、ウについては、勧告せず、今後のことも含め、前記第1、1のとおり勧告する次第である。 9 平成15年第7号事件 (1)前記8、(1)と同様、憲法19条は思想及び良心の由由を保障し、憲法20条は信教の自由を保障しているところ、公権力が個人に対して特定の行為を強制した場合において、当該個人が、当該行為が自己の思想、良心ないし信教の由由を侵すものと主張する場合には、当該行為は当該個人の人間性の核心部分を否定するおそれがあるのであるから、高度の配慮が必要とされなければならず、厳格な合理性の基準に基づき、思想・良心の自由及び信教の自由の制約目的に関して重要な利益を追求した結果であるか、制約手段の選択に関して「君が代」ピアノ伴奏の強制という手段が必要不可欠であるか、それに代わる別の手段が存在しなかったかが検討されなければならない。 (2)これを本件についてみると、前記8、(2)と同様、まず、小学校学習指導要領第4章第3の3は、公立小学校の教師に国歌「君が代」のピアノ伴奏を職務上義務づけていると解することはできないから、同学校指導要額に基づき申立人○○○○○に対して、相手方○○○○が、2001年度の国立市立第二小学校の入学式と卒業式における「君が代」のピアノ伴奏について、思想・良心の自由を守るために行いたくないとする申立人○○の理由を知ったうえで、なおピアノ伴奏を行うことに関する職務命令を出したとすれば、違憲無効の疑いが極めて強くなったところである。 また、仮に、小学校学習指導要領第4章第3の3は、公立小学校の教師に「君が代」のピアノ伴奏を職務上義務づけていると解したとしても、当該職務命令が出された場合には、上記(1)の厳格な合理性の基準に基づき、当該職務命令は違憲無効の疑いが極めて強くなりうるところである。 すなわち、申立人○○がピアノ伴妻を拒否する理由は、申立人自身及び同人の父及び祖父がキリスト教徒であり、かつて天皇を神として賛美した曲である君が代を演奏することには信仰上の強い抵抗がある、といものである。 この理由は申立人○○の人格の核心部分と関わるものであって、申立人○○のピアノ伴奏拒否の理由は、同申立人の思想・良心ないし信仰心に基づくものである。 他方、君が代斉唱に当たって音楽専科教員によるピアノ生伴奏は必須のものとは言い難い。事実の問題としても、ピアノ生伴奏がなくとも君が代斉唱は可能である。すなわち、君が代斉唱は、楽器による伴奏がなくとも為し得るし、伴奏を付けるとしてもそれが生演奉である必要はなく、従来そうであったように録音テープやフロツピーディスク又はコンパクトディスク等の使用等によることも可能かつ容易である。また、伴奏に用いる楽器がピアノであるべき必然性はなく、シンセサイザーその他の楽器を用いることも可能である。仮に、ピアノ生伴奏によるとした場合であっても、これを音楽専科教員が行う必要はないし、これを申立 人○○以外の者が行うことも可能であるから、他の代替的方法を採ることが可能かつ容易である。さらに、申立人○○は、相手方○○○○に対し、他の代替的方法を提案している。加えて、他の代替的方法を採用することで、当該公立学校の教育秩序が維持できなくなるとか学校運営に重大な支障が生ずるとかのおそれはない。 よって、これまでの経過に照らし、今後も、申立人○○の思想・良心の自由及び信教の自由に反してまで、ピアノ生伴奏を強制するとすれば、憲法上の人権に対する配慮を欠き、妥当性を欠くものであり、違憲無効の疑いが極めて強いため、前記第1、2、(1)及び(2)のとおり勧告する。 なお、前記第2、2、(1)、ウについては、相手方○○○○が申立人○○の主張に対し、詳細な認否をしないこともあり、相手方○○の平成15年8月29日付「再照会事項回答について」と題する書面などをもってもにわかに事実を認めることができないので、勧告しない。 ただし、「君が代」の歌唱指導において、申立人○○がピアノ伴奏をしないことについて相手方○○○○から不当な取扱いを受けることがあってはならないことは、いうまでもないことである。 10 平成15年第28号事件 (1)前記8、(1)と同様、憲法19条は思想及び良心の自由を保障し、憲法20条は信教の自由を保障しているところ、公権カが個人に対して特定の行為を強制した場合において、当該個人が、当該行為が自己の思想、良心ないし信教の自由を侵すものと主張する場合には、当該行為は当該個人の人間性の核心部分を否定するおそれがあるのであるから、高度の配慮が必要とされなければならず、厳格な合理性の基準に基づき、思想・良心の自由及び信教の自由の制約目的に関して重要な利益を追求した結果であるか、制約手段の選択に関して「君が代」ピアノ伴奏の強制という手段が必要不可欠であるか、それに代わる別の手段が存在しなかつたかが検討されなければならない。 (2)これを本件についてみると、前記8、(2)と同様、まず、小学校学習指導要領第4章第3の3は、公立小学校の教師に国歌「君が代」のピアノ伴奏を職務上義務づけていると解することはできないから、同学校指導要領に基づき申立人○○○○○に対して、相手方○○○○が、2003年度の国立市立第四小学校の入学式における「君が代」のピアノ伴奏について、思想・良心の自由を守るために行いたくないとする申立人○○の理由を知ったうえで、なおピアノ伴奏を行うことに関する職務命令を出したことは違憲無効の疑いが極めて強い。 また、仮に、小学校学習指導要領第4章第3の3は、公立小学校の教師に「君が代」のピアノ伴奏を職務上義務づけていると解したとしても、上記の厳格な合理性の基準に基づき、当該職務命令は違憲無効の疑いが極めて強い。 すなわち、申立人○○がピアノ伴奏を拒否する理由は、自らの母及び祖父母が被爆者であり、また、自らが音楽の教員となった動機が、児童に対して平和に繋がる素直に表現できる歌を教えたいというものである。 この理由は申立人○○の人格の核心部分と関わるものであって、申立人○○のピアノ伴奏拒否の理由は、同申立人の思想・良心に基づくものである。 他方、君が代斉唱に当たって音楽専科教員によるピアノ生伴奏は必須のものとは言い難い。事実の問題としても、ピアノ生伴奏がなくとも君が代斉唱は可能である。すなわち、君が代斉唱は、楽器による伴奏がなくとも為し得るし、伴奏を付けるとしてもそれが生演奏である必要はなく、従来そうであったように録音テープやフロッピーディスク又はコンパクトディスク等の使用等によることも可能かつ容易である。また、伴奏に用いる楽器がピアノであるべき必然性はなく、シンセサイザーその他の楽器を用いることも可能である。仮に、ピアノ生伴奏によるとした場合であっても、これを音楽専科教員が行う必要はないし、これを申立 人○○以外の者が行うことも可能であるから、他の代替的方法を採ることが可能かつ容易である。さらに、申立人○○は、申立外前国立市立第四小学校校長○○○○に対し、他の代替的方法を提案してきた。加えて、他の代替的方法を採用することで、当該小学校の教育秩序が維持できなくなるとか学校運営に重大な支障が生ずるとかのおそれはない。相手方○○は、申立外○○よりこれらの事実について引き鍵ぎを受けていると推認されるが、同相手方として、新たに、当該職務命令を出すことが、申立人○○の思想・良心の自由の制約目的に関して重要な利益を追求した結果であるか、制約手段の選択に関して「君が代」ピアノ伴奏の強制という手段が必要不可欠であるか、それに代わる別の手段が存在しなかったか等について検討したとは、にわかに解しがたい。 よって、申立人○○の思想・良心の自由に反してまで、ピアノ生伴奏を強制することは、憲法上の人権に対する配慮を欠き、妥当性を欠くものであり、違憲無効の疑いが極めて強いため、前記第1、3のとおり勧告する。 |