テーマ別エルガー研究室 第1回

威風堂々/希望と栄光の国のヴァリエーション

 エルガーという作曲家を語る時に、その代名詞のようによく知られているのは5曲からなる行進曲集「威風堂々」であろう。これは、《エニグマ変奏曲》によって成功を収めたエルガーが、1901年に作曲したもので、良き友人であるアルフレッド・ロードウォルドに捧げられた。ロードウォルドは、リヴァプールに住む繊維会社を経営する実業家であると同時に自ら組織するリヴァプール・オーケストラ協会の指揮者であった。また彼はエルガーへの経済的な援助を行うよき理解者でもある。このサポートには、エルガー自身も大変感謝しており、この行進曲の第1番を彼と彼のオーケストラへと捧げたのであった。
 そのリヴァプールでの初演の4日後の1901年10月23日に行われたロンドン初演の様子は、指揮を務めたヘンリー・ウッドの自伝により特に有名なエピソードとなっている。
「人々は立ち上がって歓声をあげた。私はもう一度演奏しなければならなかった。しかし結果は同じだった。ただ秩序を回復するためだけに、結局私は都合3回も演奏しなければならなかった」
 中間部の魅力的なトリオが、今日もっともよく知られたメロディで、エルガー自身も「人生に一度しか作曲できない」と語り、時の国王エドワード7世も「世界中の人々が口ずさむようになるメロディだ。これに歌詞をつけたらどうだろうか」とまでアドヴァイスを与えている。
 エルガーは、これに応えて、翌年の国王の戴冠式のために作曲した「戴冠式頌歌」の終曲に、この「威風堂々」のトリオの旋律に、アーサー・クリストファー・ベンソンによる歌詞を付ける至った。
 その初演は1902年9月に行われたのであるが、その前に楽譜出版社のブージーは、この人気に目をつけ、独立した1曲として売り出すことを考え、作曲のエルガーと作詞のベンソンを説得することになる。結果、「希望と栄光の国」という独立した歌曲が出版され、「戴冠式頌歌」初演(つまり国王の戴冠式)よりも3ケ月早く初演が行われた。独唱はエルガーお気に入りのコントラルト歌手クララ・バットが務めた。この時に歌われた歌詞は、「戴冠式頌歌」の中のオリジナルの歌詞とは違うものが付けられ、このことが後に混乱を招く要因の一つとなった。
 パターンを以下に表記してみる。

1.《戴冠式頌歌》の終曲に組み込まれたもの。歌詞はオリジナル。録音はギブソンとレッジャー指揮の2種類があるが、どちらも同じ楽譜を使用。
2.歌曲「希望と栄光の国」という1曲に独立したもの。歌詞は改定版。更に1914年にはアーサー・ファッグによる編曲版が登場。前者の録音として、ソロントン独唱盤、エルガー指揮盤、バット盤の3種類あるが、全て異なる構成となっている。後者の録音はヒコックス指揮によるものが唯一。

アーサー・ファッグ版のMIDI
                
3.行進曲「威風堂々」第1番の中間部に2の歌詞が入るもの。これに関しては、いつ誰の編曲で始まったのかは不明。ただ、「プロムス」での観客参加を呼びかけたマルコム・サージェントが始めたということも考えられる。これもユニゾンで歌うか、ハーモニーで歌うのか、またハミングするかなど細かく分かれる。ただ、合唱部分がファッグ編曲のハーモニーで歌われるものは、オーマンディ指揮によるものが唯一。逆にこのパターンであるにもかかわらず「威風堂々」と表記する傾向もあり曖昧化がさらに進んでいる。
4.歌は入らない、ただの「威風堂々」第1番なのに、「希望と栄光の国」と呼ばれる場合。エルガー自身の1931年のアビーロード・スタジオでの録音もこのパターン。




       


 このように「希望と栄光の国」と一言で称した場合、これだけのパターンがある。この点を理解できている人は本国でも少ないようで、CDの表記などでも誤っているものを見かけることがある。どうやら、あの「威風堂々」の中間部の旋律が入っている場合を、大雑把に「希望と栄光の国」と呼んでしまうという傾向もあるようだ。しかし、そうすると1927年にカナダの自治領60周年記念のために作曲された《オブリガート・フォー・カリヨン(Obbligato for Carillon)》も「希望と栄光の国」のメロディに合わせて演奏されたというから、この一連の仲間に入れなければならなくなってしまうのだが・・・。


            


なぜ学校の卒業式で、この曲が演奏されるようになったのかという由来について

 1905年エルガーは、アメリカのエール大学にて音楽博士の称号を授与を受けるために親友のサンフォード教授の招きで同大学を訪れている。その授賞式の席上で威風堂々第1番の演奏が行われた(アメリカ初演は1902年シカゴ)。以来、アメリカの大学や高校の記念すべき式典では、この曲が演奏されることが恒例となり、少しづつ浸透するようになった。この流れが近年になって日本にもやってきたようである。



                  Sir Edward Elgar conducts Land of Hope and Groly
           






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