エドワード・エルガーその人

 日本でエドワード・エルガーといえば、行進曲《威風堂々》と《愛の挨拶》といったほんの一部の曲でしか名前を知られていない。しかし実際にはエルガーは、三つの交響曲、幾多の管弦楽曲、二つの協奏曲、大規模な声楽作品、器楽曲から小規模なサロン音楽までというほぼ全てのジャンルの作品を残しており、彼の作品は今なお英国では盛んに演奏され続けており、ほぼ毎日英国内のどこかでエルガーの演奏会が行われている状態。
 実際、毎年のように現在進行形で新しい動きがある。例えば、1997年にはアンソニー・ペインの手によって未完の《交響曲第3番》 が補完され、同時に初演と録音が行われたのは記憶に新しい。このCDは英国ではUKヒットチャート上位にランクインしているし、メニューイン独奏の《ヴァイオリン協奏曲》の再発CDは同じく第4位に入っている。《第3交響曲》以外にも《ピアノ協奏曲》と歌劇《スペインの貴婦人》という未完作品の補完も試みられている。また、1999年には新20ポンド紙幣にエルガーの肖像が登場し、2000年の夏、グレート・モールヴァンに新しいエルガー像と《エニグマ変奏曲》をモチーフとした噴水が作られ、バースプレイス(生誕博物館)も規模拡張して再オープンとなった。更にはエルガーに関する新刊、および新録音は年に数件の割合で市場に送り出されている。
 ところが、このエルガーの人気も英語圏の国に限られてしまう。かつて作曲家黛敏郎がエルガーと夏目漱石の、そういう点が似ていると例えたことがあった。日本における漱石の知名度も、一歩海外へ出るとその名はほとんど知られていないというのが実情であり、確かにエルガーと似ているかもしれない。漱石を愛する人は、漱石の作品を他国の言葉で紹介すれば、必ず漱石の良さを理解してもらえると感じているのではないだろうか。エルガーの音楽もしかりである。
 例えば、英国でエルガーの作品でポピュラーなものを3つ挙げるとすれば《威風堂々第1番=希望と栄光の国》、《エニグマ変奏曲》、《ゲロンティアスの国》となるだろう。ところが日本では、《威風堂々》に《愛の挨拶》という具合に最高傑作の有力候補《ゲロンティアス》が完全に落ちてしまっている。これではエルガーの真価が紹介されているというには程遠い現状である。
 エルガーはロンドンから離れたウースターという地方の楽器商の息子として生まれ、専門的な音楽教育は一切受けずに独学で作曲を学んだ。後には王室音楽主任に任じられ、数々の勲章や位を受賞するなど、下から上までの階級を一気に昇りつめる人生を送った。にもかかわらず彼は最後まで庶民としての視点を忘れなかった。エルガーの音楽には、そういう誠実さと温かみが表れているのが魅力なのである。よく英国人は最初のうちはとっつきにくいけど、一度親しくなってしまうと心からの付き合いができると言われるが、エルガーの音楽もそんな感じだと思う。
 彼の生まれ故郷ウースターにあるエルガー像は街のド真ん中にあり、歩いているといきなり眼前に現れてしまって意外な感じする。それこそ触ろうと思えば自由に触れる場所にあるのだ。そんなところにも「等身大の作曲家」エルガーの親しみやすさを感じ取ることができる。
 特に愛妻家として知られるエルガーにとって妻アリスの存在と、その支えは大きく、二人の愛の結晶を思わせる作品も多い。婚約の記念となった《愛の挨拶》、結婚3周年を祝った《弦楽セレナード》、また、自ら詩集を出版するなど作詩の才能もあったアリスの詩による、いくつかの声楽作品は、二人の共同作業といってもいい。
 そのアリスの突然の死は、エルガーから創作意欲を根こそぎ奪ってしまった。エルガーは友人に宛てた手紙でこう言っている。「私の成し遂げたことは、妻によるものが大きい」
 最晩年にエルガーは故郷ウースターで《交響曲第3番》、《スペインの貴婦人》の完成目指して急ピッチで作業を進めるが、1934年に亡くなってしまう。
 しかし、その後エルガーの業績に対する賞賛の声が高まり、その名声は今日の英語圏の国々で不動のものとなっているのは冒頭に触れた通りだ。エルガーの死の翌年にはウースター大聖堂に《ゲロンティアスの夢》をモチーフにしたステンドグラスが設置され、生家はバースプレイス博物館として整備されている。1981年にはウースターに像が建立され、プリンス・オブ・ウェールズにより除幕式が行われた。
 最近、日本でも少しづつではあるが、エルガーを始めとする英国音楽への関心が高まりつつあるようだが、《愛の挨拶》《威風堂々》以外のエルガーの作品もぜひ聴かれるようになってほしいものだ。


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