名奉行 遠山金四郎家顕彰碑


 遠山氏は大織冠、藤原鎌足公の後裔である。源頼朝の重臣加藤景廉が、文治元年(1185)美濃国遠山庄の地頭に補せられ岩村に築城、景廉の長男景朝は加藤の姓を改め遠山と称し岩村城に居城する。
 明知系景重寛永元年(1624)徳川家光に召し出され、旗本として使える。景重二男あり、景重隠居に当たり、次男景好に石千二百石のうち上総国岩熊村に石三百石分地仰付け一家を創立する。初代景好・二代景義・三代景信・四代景好・五代景晋・景善を経て六代景元・七代景幕・八代景彰・九代景之・十代景福相継ぎ岩熊村の地域を領有する。
 遠山家は五代景晋を中興の祖とし景晋は金四郎、左衛門尉と称す。従五位下に叙せられ蝦夷地取締り御用・長崎奉行・作事奉行・勘定奉行を歴任し清廉の士として用いられる。
 六代金四郎、大隅の守、左衛門尉と称す、景元は才幹あり、小普請奉行・作事奉行・勘定奉行・北町奉行・大目付・南町奉行を歴任して世に名奉行として知られる。特に天保の改革に際し、事績あがる。
 九代金四郎景之は剣道の達人で、講武所奉行支配・海軍奉行支配・目付を歴任する。十代景福、慶応四年(1868)八月跡目相続大政奉還により九月三日旧領岩熊村に帰農する。景福仁恵あり、遠山家の農民、景福を慕い明治三年(1870)遠山講を組織する、遠山講中相集い歴代領主の功績を称えここに顕彰碑を建立し永世に伝える。


 平成四年十月吉日

遠山講一同

記念碑の裏には、顕彰碑の協賛者として、テレビで遠山の金さんを演じている、前進座の俳優「中村梅之助」の名前も見えます。