―春雷 1―
桜はすっかり散り終え、青々しい若葉が枝を覆う季節となった。
清々しい日差しが差し込む昼下がり、いずみが自室の窓辺でまどろんでいるとカツン、と小さく何かが窓に当たる音がした。
「…?」
伏していた顔を上げて窓の方を見る。と、今度は小さな石がコツンと窓に当たったのが分かった。
「あ…っ」
思い当たることがあったいずみは急いで部屋から出ると、広い屋敷の中を小走りに中庭の方へ向かう。
「お、早いねーお嬢さん」
庭に出るとやはり彼女の予想は当たっていて、そこには大木に寄りかかっていた直足袋姿の小柄な青年がおりいずみに笑顔で軽く手を振った。
「剛くん!」
いずみが駆け寄ると、剛は懐から白い封筒を取り出していずみの前に差し出す。
「お待ちかねのもん、だろ?」
いずみは封筒を受け取ると、まるでその差出人をそうするかのようにきゅっと胸で抱きしめる。
「いつもありがとう」
笑顔でそう言ういずみに剛は照れ隠しのように素っ気ない振りで「なんてこたねーよ」と答えた。
「それ本当にお嬢さんの大事な人からの手紙なんだ?」
剛に言われて、鼓動が跳ねる。
そう、それは快彦からの手紙だった。いずみは高鳴る胸を押さえ手紙を抱きしめたまま、声を顰める。
「…剛くん、このことは」
「大丈夫だって。俺と岡田以外誰も知らねえよ。じゃあね」
「ん。本当にありがとう」
剛は軽く手をあげると、中庭から去って行った。
いずみはその姿を見送ると急いで部屋に戻った。その途中、ちょうど部屋から出てきた博と鉢合わせた。
「どうしたの、いずみ。そんなに息せき切って」
「えっ…ううん?」思わず手の中の手紙を後ろ手にしながら、いずみは首を傾げて答える。
博は何だか楽しそうに見えるけど?と笑顔で言いながらも、さしていずみの手元を気にする様子もなく「慌てて怪我しないようにね」と言うと1階のほうに降りていった。何とか気付かれずに済んだみたい…いずみはほうっと安堵の溜息をついて自室のドアを開けた。
桜舞い散るあの日、別れ際に快彦はいずみに「手紙を書くよ」と約束した。
「どうやって?」
しかし、きっと知らぬ男の差出人の手紙を取り次いでもらうことは出来ないだろう。そう思っていずみが問い掛ける視線を向けると、快彦は少し考える素振りをしてから「大丈夫」と笑顔を見せた。
そして、その5日後のこと。
いずみが1階のリビングに1人でいると、窓を小さな音でカツカツと鳴らす音が聞こえた。何かしら、といずみが近づくと窓の外に周りの様子をチラチラと窺いながら剛が立っている。
「剛くん?」
「よ、お嬢さん」
剛の父親はいずみが生まれる前から有島家に出入りしている腕のいい庭師で、剛はその父の後を継ぐために5年前から父に付いてこの家に出入りするようになった若い庭師である。一見取っ付き難そうな雰囲気を持っている剛は案外気さくで、いずみと年が近いこともあり彼に対しては好意的な感情を持っていた。
とは言え、いずみとはたまたま数回ほど言葉を交わしたことがある程度の剛が一体…と思っていると、彼は懐から真っ白な封筒を取り出した。
「これ。俺の知り合いに頼まれた。お嬢さんに渡してくれって」
「私に…?」
封筒には宛名も差出人も書かれておらず、いずみは首を傾げながら封を開けると中には2枚ほどに渡って文章が綴られている。
もしかして…。
徐々に早くなってくる鼓動で最後に書かれた差出人の名前を確認すると、いずみの心は感動でいっぱいになった。
『井ノ原 快彦』
やはり今度も彼は約束を守ってくれたのだ。だけど、どうして…?
「どうして剛くんががこれを?」
いずみが訊ねると、彼はたまたま知り合いだったんだよと答えた。
剛の父親は腕利きというだけあって有島家以外にも多くの得意先を抱えていて、その1つに岡田の働いている出版社のビルもあった。彼らはひょんなことから知り合いになっており、快彦から話を聞いた岡田は剛がいずみの家にも出入りしていることを知っていたので自分たちが仲介になることを申し出たのだ。
「そう、そうなの…」
だが、2人の仲介者に感謝しながらもいずみは少し不安だった。その表情を読み取ったのか、剛が笑顔で言う。
「心配しなくてもいいよ?ちゃんと分かってっから。このことは俺と岡田以外誰も知らねえし、誰にも言わねえ」
それから、週に1度やってくる剛に今度はいずみが手紙を託けて、岡田から渡してもらう…という文通が始まった。
このことをいずみは博には言っていない。言うべきとは思うものの彼は父に付いての仕事が忙しく、以前の彼とは違うように見えることも最近ではよくあった。そんな彼に自分の恋愛事で煩わせるのは申し訳なかったし、何より彼女自身が快彦と再会できたことで彼とは大丈夫だと、勇気づかされていたのだった。
ペーパーナイフを取り出し、はやる気持ちで封を開ける。するとそこには彼の筆跡でたくさんの文章が綴られている。
内容は学校のことや、映画や芝居のこと、雑誌に文章を書いていることなど他愛のないことではあったが、いずみにとっては彼女の知らない快彦を知ることが出来るだけで嬉しかった。
そして手紙の最後にはいつも「いつも君を想ってる。早く逢いたい」と、そう書いてあった。
「私も逢いたい…」
何度も何度も読み返しては、いずみもそう1人呟くのだった。
【Back】 【Home】 【Next】