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「お疲れ様でした、デュッセル将軍」
闘技場内に数ある控え室の中の一室で甲冑を脱ぎ終えデュッセルが一息ついていると、一人の青年が話しかけてきた。背は高く、小麦色の肌と淡い金褐色の髪を持ち、整った顔立ちと精悍な眼差しが印象的な青年である。
青年は卓上に備えられた水差しを手に取るとグラスに水を注ぎ、デュッセルに差し出した。
「どうぞ」
「ああ、すまんな。どうもありがとう」
デュッセルはグラスを受け取ると口元に運び、一気に飲み干した。青年はそれを見届けた後、もう一つのグラスに水を注ぎ、自らも口にする。喉が渇いていたのだろう、こちらも一息で飲み干してしまうと大きく息を吐き出した。
「やれやれ…ようやく人心地ついたな」
「はい」
デュッセルが青年にグラスを渡しながらそう言うと、青年はそれを卓上に戻しながら相槌を打つ。
「今日の戦いぶり、お見事でした。さすがは我がグラドが誇る、帝国一の将軍です」
「なに…ただの年の功だ。…年甲斐もなく少々張り切りすぎたかな」
青年が誇らしげに上官を讃えると、デュッセルは困ったように苦笑した。明日は久々に筋肉痛に悩まされそうだ、などと冗談めかして笑うデュッセルに、まさかそうですねと首を縦に振るわけにもいかず、青年は曖昧に笑って相槌を誤魔化した。
まだ四十を少し過ぎたばかりであるデュッセルは確かに二十代三十代の頃と比べれば肉体的全盛期こそ過ぎているかもしれないが、日々鍛錬に余念の無いその鍛え抜かれた屈強な体躯はまさに頑健そのもので、衰えなどという言葉とは無縁の代物であることを、同じグラド騎士として常々手合わせしている青年はよく知っている。なのにこの将軍は何かと自分を年寄り扱いするのが常だった。
始めは謙遜かと思ったがどうやら少し違うらしい。二十を過ぎると女性はよく「もう若くない」と口にするようになるというが、それと似たようなものらしかった。…つまりは単なる口癖である。
「やはりわしのような年寄りが出しゃばるのはいかんな。今回は陛下直々のご指名とあって、止むを得んかったが…」
デュッセルは顎に手をやると、自慢の髭を掻きながら独りごちた。
デュッセルがあまりこうした公式試合の類に出たがらないのには理由があった。
戦の無い平時では武勲を上げる機会があまり無いこともあり、騎士にとって公式試合といえば名を上げる絶好の場である。まして他国との交流試合ともなれば注目度も高く、皇帝陛下に自分を売り込む千載一遇の機会と言えた。
だからデュッセルは自分より年若い者たちに進んでその機会を譲ってきた。既に将軍職にあり、自分にはもうこれ以上立身出世の必要などないからというのが彼の弁である。そうした私利私欲に乏しく名声に執着しない所が、皇帝ヴィガルドからの信が篤い所以でもあったのだが。
「グレン、次はそなたらにもっと頑張ってもらわんとな」
「はい…」
そんな彼を慕う騎士も多く、グレンと呼ばれたこの青年も無論例外ではなかった。
「今度の大会で己の未熟さを思い知りました。俺もまだまだ鍛錬が足りません。俺を代表にと推して下さった将軍のご期待に添えず、本当に申し訳ありませんでした」
「いや…決して責めているわけではない。そなたはよくやった。…ただ、相手が悪かったな」
深々と頭を下げる青年にデュッセルはねぎらいと慰めの言葉をかけてやる。
決してお世辞ではない。準々決勝で青年を下したのは、この大会の順優勝者だった。
「ステファン殿の強さは群を抜いておった。さすがはルネスの騎士団長を務めているだけの事はある。負けたからといって恥じる必要はない。あれだけの相手と戦えたのだ、堂々と胸を張っておればよい」
「はい。…それに将軍が仇を取ってくださいましたから。ありがとうございます」
好敵手と認めた相手に手放しで賛辞を送るデュッセルの、武人らしい純粋で気持ちのよい心根に目を細め、青年が言う。するとデュッセルは照れたように苦笑いを浮かべた。
「…そうおだてるな。わしの方がたまたま少しばかり運が良かっただけだ。もしあそこでステファン殿の槍が折れず、あのまま打ち合いを続けていれば、負けていたのはわしの方だったかもしれん」
「…そうでしょうか?」
そう謙遜してみせるデュッセルに、しかし青年は真っ直ぐに疑問を投げかけてきた。
「戦いで疲弊するのは我々人間や動物だけではない。武具もまた同じなのだ―――将軍、あなたはいつもこう仰ってるではありませんか」
「……」
「俺にはあれが偶然だとは思えません。ステファン殿の槍は激戦続きで消耗していた。将軍もそれを見抜かれていたから――」
「…さあ、どうだろうな」
青年の鋭い指摘は曖昧な返事にはぐらかされただけだった。だが口にした言葉とは裏腹にその表情は愉しげで、口元に浮かべられた笑みは青年の意見を肯定していた。青年の顔にも笑みが浮かぶ。
そうしてデュッセルが話題を変えようと口を開きかけた、その時だった。

「―――――――おい!何だ、お前は!」

突然、扉の向こうで鋭い誰何の声が上がった。
「何者だ?!」
「止まれ!…止まれと言っている!」
見張りの兵士数名の怒鳴り声と、慌ただしい足音が廊下に響く。
にわかに騒々しくなった外の気配に不穏なものを感じた二人は、傍らに立てかけてあった剣に素早く手を伸ばす。顔を見合わせ黙って頷くと、二手に分かれ扉を挟むように位置に付く。そうしている間にも足音はどんどん近づいて来ていた。そして――――
バン!
乱暴な音を立てて扉が開き、待ち受けていた二人の間に闖入者が転がり込んできた。その人物を見て青年は思わず驚いた。
「――――子供…?!」
息せき切らせ飛び込んできたのはまだ少年だった。
年の頃は十二か十三、あまり大柄な方とは言えず、むしろ華奢と言っていい。南洋を思わせる鮮やかな碧の髪に、幼さを色濃く残してはいるが整ったその顔立ちは美しく、少女と見まごうほどだ。ただ、燃え盛る炎のような強い意志を宿した翡翠の瞳が放つ苛烈な眼光は、そうした柔和な印象を全て焼き払い、見る者を圧倒する。そんな不思議な少年だった。
少年と目が合った。その射るような眼差しに気圧され、青年は一瞬怯んでしまう。だがしかし直ちに気を取り直すと、素早く少年を観察した。
―――見たところ丸腰のようだが気は抜けない。子供だからといって刺客の類ではないとは言い切れないのだ。むしろ女子供を使うのはこちらの油断を誘う手としては常套手段と言える。青年は剣の柄にかけた手に力を込めた。
「…貴様、一体何者だ―――」
「デュッセル将軍!グレン隊長!ご無事ですか!?」
青年が少年に問うたのと少年を追って兵士が室内に雪崩れ込んできたのはほぼ同時だった。
青年は問いかけを一時中断し、安否を気遣う兵士らに頷き返す。
「申し訳ありません!賊の侵入を許してしまいました!」
「…ああ。我々なら大事無い」
「お二人とも、お下がり下さい!」
「後は、我々が―――」
「その必要はない」
口々にそう言いながら少年を取り囲もうとする兵士らを制止する声が突然上がり、皆が一斉にそちらを振り向く。声の主はそれまで沈黙を保っていたデュッセルその人だった。
「…は、ですが…」
「このような賊ごとき、将軍のお手を煩わせる程では…」
「――わからんか?お前たち。この方は賊などではない。この方は―――…」
戸惑いを見せる一同の顔を一人ずつ順に見渡しながらデュッセルが言う。一旦言葉を切り、再び少年へと視線を戻してから、おもむろに口を開いた。
「ルネス王国王太子、エフラム殿下だ」
「―――――あ…!」
言われて一人、青年だけが声を上げた。他の兵士らは皆ぽかんとしている。無理も無い。青年とて直に拝謁した事など無く、遠巻きに眺めたのも今回の大会が初めてだった。このような間近で顔を見た経験などなく、ましてこのような登場の仕方をされ一体誰がこれを王子だと気付くだろうか。デュッセルの言葉を疑う訳ではないが、青年には目の前の光景がにわかには信じられなかった。
だがそれはデュッセルも同じ事だった。驚きの余り呆気に取られ、二の句が継げず立ち尽くしていると、目の前の少年――エフラム王子がようやくその口を開いた。
「―――お前がデュッセルか」
「は…いかにも、私がデュッセルですが…」
そこまで言いかけて自分が王子を見下ろしたままである事に気付いたデュッセルは、急いでその場に跪こうとした。しかしエフラムはそれを片手で制すると
「いい、構わん。それよりお前に頼みがあるんだ。俺を、お前の弟子にしてくれ」
デュッセルの目を真っ直ぐ見上げながら、口にするのももどかしいといった様子で一気にまくし立てた。その言葉にデュッセルはまず己の耳を疑った。
「…は…失礼ですが、今、何と…?」
「聞こえなかったのか?弟子にしてくれと言ったんだ」
…どうやら聞き違いではないらしい。今度はこの唐突かつ突飛な申し出に首を傾げる番だった。
他の者も皆同じらしく、一様に狐につままれたような顔をしてこの王子を見ている。デュッセルは恐る恐るもう一度訊ねた。
「…弟子、とは一体…」
「―――だから!俺に槍を教えてくれと頼んでるんだ!」
デュッセルからの再三に渡る問いかけに痺れを切らし、エフラムが苛立ちも露わに声を荒げる。その内容にようやくデュッセル他グラドの面々はルネスの王子が何をしにわざわざこんな所にまで出向いてきたのかを理解した。
「…つまり、私に槍の指南をして欲しいと仰るのですな?」
「そうだ。さっきから何度もそう言ってるだろう」
デュッセルが確認するとエフラムは憮然とした表情のまま頷いてみせた。とても人に物を頼んでいるとは思えないその態度にデュッセルは内心苦笑いしつつ、これ以上この王子様のご機嫌を損ねないよう慎重に言葉を選びながら、辛抱強く語りかけていった。
「…王子御自ら直々にご指名いただき、このデュッセル、誠に光栄です。…ですが槍の使い手ならばルネスにも数多くおられますでしょう。何もわざわざ私のような他国の者に頭を下げずとも―――」
「駄目だ。俺はお前に教わりたいんだ」
丁重に断ろうとするデュッセルを遮って、ぴしゃりとエフラムが言い放つ。先手を打たれ鼻白むデュッセルに畳み掛けるようにエフラムは続けた。
「俺は大陸一強い男になりたいんだ。だから、この大会を制したあんたでないと意味が無いんだ」
言葉を重ね、懸命に訴えるエフラムの表情から徐々に不機嫌さが薄れていく。
「さっきの試合、凄かった…」
代わりに浮かんできたのは感動と興奮。熱に浮かされたような目だった。
「あんなに感動したのは初めてだ。見ていて鳥肌が立った。本当に凄いと思ったんだ…」
先刻の試合風景を思い出しているのか、夢見るような眼差しはここに無く、どこか遠くを見ているようだった。だがしかしそれもほんの一時のことであった。
「…俺の目指す強さはこれだと直感した。これしかない、そう思ったんだ」
軽く目を伏せたかと思うとすぐ視線を戻してきた。先程までよりも一層強く、真っ直ぐな瞳でデュッセルを見据えながら、エフラムは再度口を開いた。
「頼む、俺を弟子にしてくれ。あんたでなきゃ、駄目なんだ」
「…エフラム王子、誠に申し訳ございませんが…」
だがそんなエフラムの嘆願にデュッセルは首を振るばかりだった。
「我々は明日の朝にはもうグラドへ発たねばなりません。ですから…」
「…だったら、それまでだけでもいい!今からすぐ始めれば、あと半日はある!」
しかしエフラムも決して諦めようとしない。
「ほんの少しの時間でもいい、とにかく一度あんたと槍を合わせたいんだ!だから…」
「…わかりました」
しつこく食い下がるエフラムに、デュッセルも折れるしかなかった。 「本当か!?」
「しょ、将軍…?」
その言葉にエフラムは一転して表情を輝かせ、他の者は驚き慌てた。
「…将軍、よろしいのですか?」
「…仕方ないだろう。エフラム王子はひどく頑固で強情な方と聞く。あの様子ではこちらが何を申し上げた所で、一向に聞き入れて下さいそうにもない」
「はあ…ですが…」
エフラムに聞こえぬよう小声で耳打ちしてきた青年に、デュッセルも小声で囁き返す。そして尚も不安そうにこちらを見てくる青年を安心させるよう小さく笑って、こう付け足した。
「…なに、どうせ子供の気まぐれだ。いくらか付き合って差し上げれば気も晴れるだろう」
デュッセルはエフラムの申し出を思いつきだけで行動した結果だろうと判断していた。
エフラムは武芸を磨き、強くなることに殊更こだわる王子だと聞いている。おそらく先刻の試合の熱気に当てられ、一時的にのぼせ上がっているのだろう。一番強かった者に教わる事で、それにあやかりたいのだ―――いかにも子供じみた、短絡的な発想だ。こんなにも強情かつ強引なのも、我侭放題が許されてきた王族の子弟ならではの傲慢さ故だろう。下手に逆らって事を荒立てては、ルネスとグラドの友好関係に波風を立てる事になりかねない。それよりは大人しく従って程々に満足していただくのが一番だろう―――そう考えていた。
だがデュッセルはこの後つくづくと思い知らされる羽目となる。
エフラムがそんな並の常識で計れるような思考回路の持ち主ではないという事を。