夕暮れどきの革命




アフメド・ジャヴェド・ズィーラク著


 タクシーの運転手は座席を倒し、背もたれに深く寄りかかった。それから、身体が痛くなるまで腕を前に伸ばして車の日よけを下げ、目と額の部分が日陰になるように調節した。太陽は地平線に近づき、今では彼のちょうど目の前にあった。市場のある狭い通りにひしめく、泥や煉瓦でできた家の上から照っていた。彼の古ぼけたタクシーはその通りの脇に寄せて停まっていた。

 人差し指を読みかけの本に指し込んだまま、彼は時計に目をやり、悪態をついた。もう何時間も乗客が来ない。実際のところ、客が少ない日はもう何日も続いている。彼は再び後ろにもたれかかり、雑誌の間に挟んだ分厚い本を読みはじめた。その本を隠しながら、評判のよくないプロパガンダのための雑誌を読んでいる振りをしているようだった。

 彼が座っている方のドアガラスを誰かがノックした。彼は反射的に本を雑誌の間から、二つの前座席の間にある隙間にすべりこませた。それから、こっそりとラジオのダイアルを音楽番組から国家のプロパガンダを行っているチャンネルに替えた。ラジオからは耳障りな愛国頌歌が聞こえてきた。
 
 窓に寄りかかっていたのはブルカ―もう五年もの間、カーブルに住むすべての女を覆い隠してきた頭からつま先までの長さの衣服―を着た女だった。こいつは乗客じゃない、と彼は思った。近親の男性を伴わない女は物乞いか、娼婦のふりをする政府のスパイだけだった。乗客かもしれない、という彼の希望は打ち砕かれ、彼はふたたび悪態をついた。座席の位置を戻しながら、ゆっくりとハンドルを回して窓を開け、彼は用心深く女を眺めた。必死に何かを訴えている様子から、女が物乞いで、何か必要なものをほしがっていることが分かった。女は声を立てずに、身振りだけで不安げに後部座席を指し示し、病的に青白い指をヴェールの下から出して、泥と煉瓦でできた家々の方を指さした。太陽は今では家々のうしろに差しかかり、通りに長くぼんやりとした影を映しだしていた。おしか、と彼は思った。「おしの乞食め」彼は怒ったように声に出して言った。彼は追い払うように手を振り、「行きなさい、俺はあんたと同じくらい貧しいんだから。本当だとも。」と言った。運転手は頭を座席に戻した。「ほら、行って誰か同情心と金の両方を持ち合わせた奴に頼みな。」運転手はこう言うとハンドルを回して窓を閉め始めた。彼はふたたび座席の背もたれを倒すと、前座席の間にある本に手を伸ばした。しかし、バックミラーを見て、ずっと向こうで横道からパトロール・カーが現れたに気づいた。彼はひどく下品な言葉で大統領の母親をののしり、野卑た呪いの言葉を発した。女はますます不安そうになった。彼女は突然、窓を強く叩き始めた。「なんてことをしやがるんだ…。」運転手は不躾な女の横柄さと厚かましさに驚いた。彼女は今にも窓を壊してしまいそうな勢いだった。

 彼はドアのハンドルをつかむとそれを押し開けたが、そのとき通りの向こうの方でパトロールのトラックから兵士達が次々と下り、店や歩行者の間に散らばっていくのに気付いた。女は運転手の怒りなどまったく気にとめず、後のドアをつかむと、一瞬の隙をついて後部座席に乗り込んできた。女のあまりの厚かましさに逆上したのと、通りの500メートル先まで迫ってきた兵士を見て不安になったのとで、運転手は女性をつかんで車から追い出そうとした。もし、同伴者のいない女性をタクシーに乗せているところをパトロールの兵士が見れば、大変なことになる。しかし、振り返った瞬間目に入ってきたものを見て彼は固まってしまった。

 女性はブルカを上げて、美しい金髪に縁取られた若々しい顔を出していた。美しい両眼には薄い涙の膜が張り、絶望的に輝いていた。その目は傷ついた鹿のようだった。たとえそこに宇宙人が座っていたとしても、彼はここまで惑わなかっただろう。それは若くて驚くほど魅力的な女性だった。間違いなく西洋の国から来たのだということがわかった。運転手は危険を察知した。西洋人は彼をもっと大変な立場に追い込むだろう。ここ数ヶ月の間、西洋人のリポーターは向こう見ずにもアフガニスタンに入り、アフガン女性が黙してきた苦しみを暴き、原理主義政権が民族的・宗教的少数派に行っている残虐行為に関するドキュメンタリーを製作していた。運転手はこのことを知っていた。そしてもしも彼が外国人のレポーターと一緒にいるところが見つかった場合、どのような罰を受けるかも知っていた。反逆者という悪名を記されての死刑、裁判などあるはずがない。宗教というヴェールですべての政策―たとえそれがどれほど非人道的であろうと―を正当化する暴虐的・全体主義の独裁者への反逆という罪で…。

 彼はさきほど兵士達が道に散らばった後、この女性が必死になって車に駆け込んできた理由もよくわかっていた。兵士達はこちらに向かってきていた。刻々と彼らに近づいていたのだ。

 彼は難しい選択に迫られていた。彼女が気を失いそうになっていることも、声もなく泣いていることも無視し、石のような心をもって、彼女を追いかける血に餓えた卑劣漢たちにこの気の毒な女性を引き渡すべきだろうか。彼の本当の信念や感情を欺き、けっきょくのところ、当局からその「勇気ある行為」や「英雄的な行動」に対して、心のこもらない褒め言葉をもらうのだろう。しかし、そうした「勇気ある行為」とは臆病さから出たものであることも、「英雄的な行動」とは自分勝手さかの結果に他ならないことも彼には分かっていた。それとも、別の方法を取るべきか?自分の本当の感情や信念に忠実になり、女の目の中にある途方に暮れた表情を見て(その表情は、彼が毎晩何も持たずに、たった一部屋しかない「家」と呼ばれる場所に帰り着いたとき、病気の妻と四人の子供たちの嘆願するような目の中に見るものと酷似していた)、彼一人の小さな方法で不正義と暴虐に反乱を起こすべきだろうか。そうして、彼は残りの人生の間(もし、生き長らえることができれば、であるが)、自分も一度は沈黙を破ったのだ、自分の正しい信念に確固として従ったのだ、一度は悪に対して立ち向かったのだ、ということに満足するべきなのだろうか。

 そのすばらしい考えは彼を鼓舞した。自分が何かできるチャンスなのだ。もちろん、その代償は払う覚悟だった。反逆者というのは自己を犠牲にしなければならない、と彼は自分に言い聞かせた。しかし、過激で反抗的な感情と、家族や自分の人生に対する不安で彼の心は揺れたため、その考えを受け入れることは困難となった。ついに彼は決心した。沈黙を破る決意をしたのだった。運命が悪い方向へ流れていくのではないか…、という不安に最後まで捕らえられたが、恐怖は彼の決心を止めさせるほど強くはなかった。結局のところ、彼の人生はいつも賭けだった。確かに、「幽霊の町」というあだ名のこの町ではすべての人生が賭けのように不確かだった。それに、これは冒す価値のある危険だ…。

                                    
* * *

 その日の午後遅く、いつもの午後のように人々は道にたむろしていた。怒りながら人々を追う兵士は誰一人、男とヴェールに隠れたフランス人レポーターが乗った古い黄色い車に気付かなかった。車は普段どおり、狭い市場の道を、奥にある泥でつくられた家々に向かって走っていった。家の上には夕焼けがさしかかり、不吉な夕暮れのぼんやりとした光りが地平線にひろがっていた。







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