ジャララバードまでの道に比べ、交通量は減ったものの、カブールまでの道はごく平和だった。しかし、途中道のところどころに放置された戦車や兵器の残骸が20年以上続いた戦闘の過去を生々しく物語っていた。また、カブールに近づくにつれ、国内避難民(IDP)**のキャンプが増えていった

ジャララバードの街中
 2時間ほどしてジャララバードに到着した。ニュースなどで馴染みのあるこの町は思いのほか物も豊富で活気があった。しかし、ここは素通りしてカブールへの道を急ぐ。外国人は日没後に移動することが禁じられているからである。

 ジャララバードからカブールまでの道は、まったく舗装されていない部分や、かつて舗装されていたが破壊されたり、表面が削られてしまった部分ばかりで、車はなるべく平らな道を探しながら、ゆっくりと蛇行しなければならない。車内はひどい揺れで腰や頭を何度もぶつけてしまった。土埃がひどい場所では窓を開けていては全身真っ白になっていまう。カブールまで、普通に走れば3時間程度の距離だが、6時間以上暑さと埃と激しい振動に耐えなければならなかった。

 途中に見えるヒンドゥークシュ山脈とカブール川の流れは、ジャララバードからカブールへ向かう道に美しい景観をもたらしている。しかし、近年の降雪不足のために川の水位は下がっており、完全に干上がってしまっているダムも見かけた。また、川から隔たった砂漠地帯や山間部ではここ数年ひどい旱魃に見まわれ、大きな問題となっている。

4.カブールまでの道のり


 アフガニスタンへの入国が無事完了し、いよいよ私たちの車はカブールへと向かう。国境の町トルハムからジャララバードを抜けてカブールへと続くこの道には、かつてムジャーヒディーン*のチェックポイントがいくつもあり、そこを通る人々は財産を強奪されたり、打たれたり、レイプされたりしたという。その後タリバンが支配していた時期にも、旅行者は車を停められる度に賄賂を払わなければならなかった。先ほどの護衛兵は国境までしか来ない。これから、私たちだけで大丈夫だろうか、と不安がよぎる。しばらく進むと兵士が何人か集まり、道幅いっぱいにロープを張って車が停めていた。最初の検問である。

 ドライバーは車を停めると外に向かって「外人の車だ」と言った。兵士は面倒くさそうに顎で「行け」、と合図した。車は再び走り出し、一同はほっと息をついた。

   アフガン・レポート

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パキスタンからカブールへ向かう路線バス
干上がってしまったダムと置き捨てられた戦車
国内避難民キャンプのひとつ。 残った建物の壁に国連のテントのビニールを使って屋根にしている。テント生活をしている人も多い。
*ムジャーヒディーン…「聖戦の遂行者たち」の意。アフガニスタンでソ連軍と共産党政権に対してイスラームの防衛のために立ち上がった武装ゲリラの総称。もう少し詳しく知りたい方はここをクリック。

**国内避難民(Internally Displaced People)…金銭・体力などの理由によって国境を越えて難民となることができず、アフガニスタン国内で難民と同じような状態に陥ってる人々。国際法上の難民の定義には当てはまらないが、人道的援助の対象とされている。現在、パキスタンやイランからアフガニスタンに帰還しても、住居がないことや物価の高騰によって「国内避難民」となる場合が多い。