スーパーマーケット
 人々が憩う広い公園の前にはジューススタンドがあり、「アイスクリーム」と書かれた看板があった。その先には大きな市場がある。木製の骨組みとビニールシートでつくった簡易店舗や青空市で衣服、雑貨、絨毯、食料品などが売られている。アフガニスタンの通貨はアフガーニーだが、イランのリヤルやパキスタンルピー、米ドルを使うこともできる。新市街に行けば、サッカーボールからスーツ、カメラまで手に入るスーパーマーケットもある。
 しかし、しばらく車を走らせていくと、中東の他の町とは違う、カブール特有の風景も見えてくる。そして、それは20年以上に渡る戦争の残したものだった。

5.カブール、街の風景


 標高1800mに位置するアフガニスタンの首都カブールには、北東から南西にかけてカブール川が流れ、いくつもの小高い丘がある。毎日のように避難民が帰還し、現在のカブール市の人口は150万人とも200万人とも言われている。

 舗装された広い道路、くすんだ色のビル、黄色いタクシー。裏通りに入れば土造りの家が並んでいる。カブールの最初の印象はイランやエジプトなど、今まで訪れたことのある中東の町とあまり変らなかった。しかも,通りにはきれいな日本車がたくさん走っていた。中には「××家具販売」などと書かれているものも見かけた。ある現地NGOは移動式クリニックに、日本の旅館の送迎用マイクロバスを使用していた。日本がアフガニスタンの復興にこのような形で貢献していたことはまったく知らなかった。新品の自転車も多い。どれも同じような形をしているところを見ると、最近持ち込まれたようである。   




 市場の入り口に、爆撃で無残な姿となったビルがあった。半壊した建物、銃撃の痕が残るビル壁などカブールでは珍しくない。1979年のソ連軍侵攻以来、続く内戦、さらに、昨年の米軍による爆撃まで、アフガニスタンは多くの破壊行為にさらされてきた。その傷跡はカブール市の至るところに残されている。破壊されたビルの下で人々は商売をし、お茶を飲み、談笑する。市内にある学校の外壁には一面に弾丸が食い込んだ痕があった。授業が再開し,意気揚々と通う子どもたちは毎日この光景を見なければならない。




  「カブールで一番破壊された地域を見せてあげよう。」

1989年発行カブールの地図
西部にあるインター・コンティネンタルホテルから見たカブール市
路上で飲み物を買う人々
カブール中心部の様子
中心から少し入ったところにあった市場

アフガニスタン復興を目指すNGO、SDF(Sanayee Development Foundation)の一員で、現在ペシャワールの大学で経営学を学ぶエフサンは、そう言って、彼が昔住んでいたカブール市西南部へと連れて行ってくれた。タリバンによって破壊されたというその町はまさに廃墟のようだった。

       「いつまた壊されるかわからない」



というのが破壊された建物が修復されずに放っておかれた最大の理由だという。しかし、内戦は終わり、平和と安定の兆しが見えるようになった。廃墟のように見えた西南部でも、あちこちで建て直しの作業が始まっている。他の町に避難していた人が戻ってきて、壊れた自分の家を建て直すケースが多い。

  「ここが僕の小学校だった。」

  「あそこでよく遊んだんだ。」


 ペシャワールに移住して何度かカブールに来る機会があったが、ここを訪れる勇気はなかったという。今回、彼は7年ぶりに故郷を見た。



  「あそこが僕の家だ。」



 彼は声をつまらせながら、石の塊を指差した。

 19歳のジャリールは今年の5月、家を修復するために家族の住むイスラマバードから一人でカブールに戻ってきた。三ヶ月後、修復を終えた家に家族7人がやってきた。イスラマバードで有名なフレンチベーカリーを経営していたジャリールの父親は、カブールに店舗を出すつもりだという。

 町を再生するのは容易ではない。住居、仕事、学校など、あてもないまま戻ってくる人も多いという。仕事に就けたとしてもごくわずかな月給しか得ることはできず,家賃は月収の5〜10倍にものぼると聞いた。それでも毎日アフガン人は故郷を目指して帰ってくる。これからもアフガニスタンの人々にとって困難な日々は続くだろう。しかし,彼らの明るさと忍耐によって町が活気を取り戻す日もそう遠くないのかもしれない。

修復中の家の前でポーズをとるジャリール
    アフガン・レポート

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6.破壊された街、
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