1.学校へ行こう
   ―黒板があればそこは教室

カーブル市中心部から40分ほど走ったところの、畑のまん中で車は止まりました。こんなところに学校があるの?と首を傾げながら細いあぜ道を慎重に渡っていくと、小屋のような建物にたどり着きました。ここは、SDF Educational Center です。この辺りには公立の学校がないため、SDFがここに学校を開いたのです。1年生から6年生まで、二つのクラスに分かれて男女交代でここで勉強をします。外は日差しが強くて暑いのですが、土壁作りの建物の中はひんやりしています。床にビニールシートを敷き、その上にあぐら座りをして授業を受けます。前にはぼろぼろの黒板が一枚。先生がいて、黒板があれば、そこはりっぱな教室なのです。
教育educationへ
 カーブル郊外の土っぽい小さな街区に、SDFが支援するもう一つの学校がありました。とはいえ「校舎」はなく、モスクで授業が行われています。アルカイダの基地として有名だったと言われるこの付近はパシュトゥーン人が多く、授業もパシュトー語です。

 「モスクに敷く絨毯を寄付してくれないか」

 この村の村長というターバンと口ひげの老人が言いました。この小さなモスクでは、80ドルあれば絨毯が敷き詰められるというのです。「ここで勉強する子どもたちの励みにもなる。」村長の懇願は続きます。
 「平和とは何ですか?」先生がペルシア語で生徒たちに訊ねると一斉に手があがります。「危険のないことです」「人々が皆仲良く暮らすことです」子たちは覚えたての単語で言い換えながら、次々と答えていきました。
 モスクの奥にいくつか部屋がありました。その中の、窓が一つだけある暗く狭い部屋で「大きな女子のクラス」の授業が行われていました。アフガニスタンでは、ターリバーンによって禁じられていた女子の教育が再開されてまだほんの四ヶ月ほど。

「先生は宿題を出してくれません。家で勉強したいと思っても、ノートがないからです。私たち、もっと勉強したいのに。」

部屋の隅に座っていた、すらりとした女の子が指でスカーフを押さえながら私たちに訴えました。毎年毎年、新しい学年になるとノートを新調し、ちょっとでも書き損ねると捨ててしまう。私はそんな生活を振り返り、彼女と目を合わせることができませんでした。
アフガニスタンには、まだまだ机も椅子もない教室がたくさんあります。いろいろな団体が、壊れた机や椅子を直し、こうした学校に寄付をしたり、児童たちにノートや鉛筆などの学用品を配給する運動を行っています。しかし、皆に行き届くまで、時間がかかりそうです。
 アフガニスタンの学校の夏休みは10日間だけ。夏は日差しが強いですが、校舎に入ってしまえば結構涼しいからです。そのかわり、冬には3ヶ月間の長期休暇があります。長く厳しい冬の間、暖房がないので授業ができません。この三ヶ月の間に、アフガン人教師が日本に来て、あるいは日本人の専門家が現地に赴いて、研修活動をできれば効率的だ、とGRSPのナーゼリー氏は提案します。
1年生から9年生まで、計2400人が通うカーブル市の学校です。教師は男性が15名、女性が14名。宗教の授業一時間以外、女子の生徒には女性の教師がすべての授業を教えているそうです。10日間の夏休みの間に、GRSPの手によって急ピッチで校舎の改装作業が進んでいます。新しく机と椅子の入った教室を見せてもらいました。
児童の通信簿です。科目ごとに40点満点で評価がついています。
 ジョグリーにあるスルターニー・ハイスクールと呼ばれる男子校の様子です。夏休みにもかかわらず、生徒たちが集まってくれました。「外国人たちが何か言っているけど、よく聞こえないや」と身を乗り出しては、「ムチ」を片手にすごい剣幕の先生方に叱られていました。規律が重んじられています。

 「日本語で、サラームは“こんにちは”ですー。」と教えると、けっこう喜んでくれました。ジョグリーは電気がほとんど通っていない山間の村で、テレビを見ることもできないため、日本のことはほとんど知られていません。「こんにちは」、いつまで覚えてくれているでしょうか。
↑自然と出る友情ポーズ。アフガニスタンでは男性同士で手をつないでいる姿をしばしば見かけます。
↑ムチを持った先生たち。威厳たっぷり。
       関連サイト 

ユニセフのアフガニスタン情報

アフガンキッズ教育支援プロジェクト

SDF公式サイト
JETAでは、訪れた学校・施設に対し、今後SDF, GRSPと協力しつつ直接、学用品等の寄付を行う予定です。また、日本の学校との姉妹校提携、両国間の教師・生徒の交流にも取り組みます。JETAの活動に関するご意見・ご感想、あるいは不要な学用品など、寄付の送付先のお問い合わせは、公式HPができるまで、こちらまでお願いします。