2.破壊された街・生まれ変わる街

 1979年のソ連軍侵攻以来、続く内戦、さらに、昨年の米軍による爆撃まで、アフガニスタンは多くの破壊行為にさらされてきました。その傷跡はカーブル市の至るところに残っています。
 アフガニスタン復興を目指すNGO、SDFの一員で、現在ペシャワールの大学で経営学を学ぶエフサン(25歳)が昔住んでいたカーブル市西南部は、破壊がとくにひどく、町全体が廃墟のようになっていました。

 「ここが僕の小学校だった。」「あそこでよく遊んだんだ。」ペシャワールに移住して何度かカーブルに来る機会があったのですが、ここを訪れる勇気はなかったそうです。今回、彼は7年ぶりに故郷を見ました。

 「あそこが僕の家だ。」

 彼は声をつまらせながら、石の塊を指差しました。 
   「いつまた壊されるかわからない」


 というのが破壊された建物が修復されずに放っておかれた最大の理由です。しかし、内戦は終わり、平和と安定の兆しが見えるようになりました。廃墟のように見えた西南部でも、あちらこちらで建て直しの作業が始まっています。他の町に移住した人が戻ってきて、壊れた自分の家を建て直すケースが多いようです。町が活気を取り戻す日もそう遠くないのかもしれません。

学校も被害を受けました。
右はカーブル西にある高校の建て直しの様子です。
→ジャリール(19歳)はイスラマバードに避難している家族のために、3ヶ月かけて自分で家を修復しました。この写真の3日後に家族が戻ってきました。
 半壊した建物、銃撃の痕が残るビル壁などカーブルでは珍しくありません。その下で人々は商売をし、お茶を飲み、談笑するのです。カーブルの生と死をいっぺんに見た気がしました。
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市の中心から西へ向かう道沿いの様子。かろうじて残った一階部分が利用されています。
数メーターごとにある、焼け爛れた電信柱が爆撃のすさまじさを物語ります。
オレンジ色の夕暮れの中、かつての激戦地に、静かなときが流れていました。