History of Afghanistan
 東西通商路の中心に位置するアフガニスタンは、紀元前四世紀のアレクサンドロスの遠征から20世紀のソ連侵攻に至るまで、つねに他国や他民族の侵入にさらされてきました。それに対し、当地の人々は部族同士で団結し、厳しい地形を生かして必死に抗戦してきたのです。しかし、外見も言葉も精神性も違う部族同士は、共通の敵に対しては協力するものの、常にお互いを牽制し合い、部族間の抗争を繰り返してきました。

 一方、アフガニスタンはバーミヤンの石仏をはじめ、古代文明に彩られた場所でもありました。また、西方の町ヘラートは、ティムール朝の都であり、学問と芸術の中心地でした。ここでは、こうしたアフガニスタンの歴史を、年表の形で簡単にたどっていきたいと思います。
1494-5年ヘラートでアブドゥル・ラザックに
よって描かれた預言者ムハンマドの昇天図。
ペルシアの画家としてもっとも有名な
ベヘザードもはじめヘラートで活躍していた。
ここでは、「アフガニスタンの歴史」について簡単な年表にまとめてみることにします。
年表の作成には以下の本を参考にしました。
・マフマルバフ著『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない
   恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』武井みゆき+渡部良子訳、現代企画室、2001
・グッドマン著『アフガニスタン』沢田博訳、原書房、2001
・深町弘樹・小田尚也「国家存立の危機か:アフガニスタンとパキスタン」
   (アジ研トピックリポート)no.44、2001
・『イスラーム辞典』岩波書店、2001
        *** アフガニスタン早わかり年表 ***


 @古代〜中世

 BC334-324  アレクサンドロス大王が現在のアフガニスタンを含むアケメネス朝
           ペルシアを滅ぼし、インドに侵攻する。

 AD 1世紀頃  ヘレニズム文化と仏教が融合し、ギリシア式仏教芸術「ガンダーラ美術」
           が生まれる。

 642      アラブ軍によってササン朝ペルシアが滅びる。イラン高原周辺地域の
          
 イスラム化が始まる。

 977       アフガニスタン東部の町ガズニーを首都とするガズナ朝が興る。
   ガズナ朝(977-1187)

最盛期には東イランから北インドまでを支配。ホラーサーン地方にあったサーマーン朝のアミール・アルプタギーンによって創始された王朝。インド大陸にイスラームを広めるが、インドのゴール朝によって滅ぼされた。
ガズニーは
この辺ね。
 1221     チンギス・ハーンのモンゴル帝国が侵入。ホラズム・シャー朝下のヘラート、
          カンダハールなど主要都市が破壊される。

 1380     ティムールがヘラート、カンダハール、カーブルなどを征服。ヘラートは
          
ティムール朝の都の一つとして栄える。
 16世紀〜  ティムール朝の衰退と同時にムガル帝国とサファヴィー朝がアフガニスタン
         の覇権をめぐり争う。

 18世紀〜  ムガル帝国・サファヴィー朝が衰退し、ナーデル・シャーが興したアフシャール朝
         がアフガニスタンの地に侵攻する。

 1747     ナーディル・シャーに仕えたパシュトゥーン人、アフマド・アブダーリーが
         カンダハールを中心に
ドゥッラーニー朝アフガニスタン王国(-1973)を建国。
   ティームール朝(1370-1507)

チャガタイ族のティームールがサマルカンドを征服して成立。中央アジア・西アジアにまで支配を広げる。ティームール没後の混乱を治めたシャー・ルフ支配下で、ヘラートが首都になり、同朝は政治・学芸の両面で繁栄した。
A近代

 1838-42    第一次イギリス・アフガン戦争
          ドゥッラーニー朝ドゥースト・ムハンマド・ハーンを嫌った英領インド軍が侵攻。

 1878-80    第二次イギリス・アフガン戦争
          国王の親露政策に反発し、インド帝国軍が侵攻。

 1893      イギリスとの交渉により現在の国境線がほぼ確定される。

 1919      第三次イギリス・アフガン戦争
アマーヌッラー・ハーンの指揮)
          停戦後、条約によってアフガニスタンが完全に独立する。
         この頃イギリスとロシアがアフガニスタンに侵攻を開始する。
  ドゥッラーニー朝(1747-1973)

ナーディル・シャー暗殺後の混乱に乗じてアブダーリーがカンダハールで独立して興した王朝。三度にわたるイギリス・アフガン戦争を退け、1919年に完全独立を達成。1973年クーデターにより倒されるまで続く。
 1929      アマーヌッラー・ハーンの近代化政策に反感を持つ伝統主義者によって
            内乱が起こる。ナーディル・シャーが王位を復古する。

 1933      ナーディル・シャーの暗殺により、息子である
ザーヒル・シャーが19歳で即位。
       アマー・ヌッラーハーン(1892-1960)

第三次アフガン戦争後、ラーワルビンディー条約によって完全独立を達成(19)。その後、ソビエトと友好条約を締結(21)、トルコやイランなどとも外交関係を結び、アフガニスタンを国際社会へとデビューさせた。国内では憲法によって国民と自由と平等を保障し、政治と社会の近代化に努めた。彼の治下、カーブルにヴェールを脱いだ女性が見られるようになった。
         ザーヒル・シャー(1914-)

29年に父ナーディル・シャーが暗殺され、33年に王位を継承。60年代には立憲君主制の新憲法を発布し、二院制議会の開設や出版の自由などを認めた。新憲法は王族の政治への関与を制限したため、1973年、ザーヒル・シャーが病気治療のため欧州に滞在しているとき、従兄弟であるムハンマド・ダーウードのクーデターが起こる。それ以後亡命生活をしていた。
アフガン現代史: 1973年無血のクーデターへ続く
ザーヒル・シャーによる比較的安定した時代がしばらく続きます。しかし、40年後の1973年、
アフガニスタンは再び戦火と混乱に巻き込まれてしまいます。