民族 割合比 主な言語 主な宗教 主な
居住地域
パシュトゥーン 50% パシュトー語 スンナ派
(ハナフィー学派)
南部
タジク 25% ダリー語 スンナ派
(ハナフィー学派)
北東部
ウズベク 10% トルコ語 スンナ派
(ハナフィー学派)
北部
ハザーラ 10% ダリー語 シーア派
(ジャアファリ学派)
中央部
4.アフガニスタンの民族

 アフガニスタン国内にはいろいろな民族がいます。だいたいの割合、言語、宗教、居住地域は一般的に以下のように言われています。(以下は主要な民族のみで、その他、アイマク、トルクメン、ファルシーワン、キジルバシュ、バルーチなど多数の民族がいます。)

10000アフガーニー=15ルピー=25¢=約30円
    (2002年7月現在)
物価の例:
ナン5枚       =10000アフガーニー
ペットボトルの水(大)一本
            =20000アフガーニー
コーラ一缶     =20000アフガーニー
レストランのアフガン料理一品
            =20000〜100000アフガーニー
 ちなみにパキスタン・イスラマバードのホテルはバス・トイレ、エアコン、冷蔵庫、ケーブルテレビ付で一部屋28ドルでしたが、カーブルのホテルはバス・トイレ共同で一部屋40ドルと、かなり高くなります。カーブルの物資不足、電気・水道事情、建築物の不足などを考えると当然とは思いますが、当初はかなり不意をつかれました。それでも従業員は多く、清潔に保たれ、お湯も出たので快適に過ごすことができました。
 カーブルの7月日中の気温は30〜35℃程度で、日差しは強いものの、湿気がないため、蔭に入ればかなり涼しく感じます。夜は扇風機なしでも眠れます。
カーブルのムスタファーホテル
Welcome To Afghanistan
1.アフガニスタンの概観

  面積:約65万km² (日本の1.7倍)
  人口:1800万人 (日本の約1/7)
  首都:カーブル (人口約140万人)
2.陸路で行くアフガニスタン

 パキスタンから陸路でアフガニスタンに入るには、内務省から「国境を越える許可」Cross Border Permitを得る必要があります。今回は、現地NGOであるSDF(Sanayee Development Foundation)の協力を得て、この許可を取得、「銃を所持する護衛兵を伴ってペシャーワルからアフガン国境まで移動」することとなりました。CNNでは数日前から「ビン・ラディンがアフガン・パキ国境付近に潜伏している模様」という報道が流されています。国境付近はもしや無法地帯?それにしても護衛兵が必要って一体…(汗)?と思っていたら、何の事はない、ぼろっとした気のいいおじいさん兵隊一人が、さんざん「お茶」の時間の延長で私達を待たせたあげくに、車に乗り込んできました。では、ペシャーワルから国境、ジャーラーラーバード、さらにカーブルに続く道の様子をご覧下さいませ。
 ペシャーワルから国境までは1時間半程度。道もよく、交通量も多いため、まったく危険な感じはしませんでした。有名な「ハイバル峠」を越えてぐんぐんとアフガニスタンに近づいて行きます。
 2時間程度で、ジャラーラーバードの町に入ります。パキスタンからここまでは道も舗装されていて、行き来も楽ちん。おかげで物も豊富で、活気もあります。


 ここからカーブルまでの道はもともと舗装されていないのか、表面が削れてしまったのか、とにかくガタガタで、埃っぽくて大変です。普通に走ればおそらく3時間程度の距離ですが、6時間以上かかってしまいます。
 灼熱の太陽と乾いた山間の土地、イメージを勝手に持っていたのですが、ジャラーラーバードからカーブルへ続く道の途中、ほとんど絶え間なくカーブル川の流れを目にしました。休憩のために立ち寄った川の水は冷たくきれいで、泳いでいる人もいました。

 ただし、近年の降雪不足のため、水位は下がっており、また、とくに川から隔たった砂漠地や山間地ではここ数年ひどい旱魃に見舞われ、大きな問題となっています。
 川のある平野、砂漠地帯、山、を交互に繰り返して進んで行きます。アフガニスタンは景観も素晴らしいところです。1972年以前には観光客が数多く訪れたというのもうなずけます。
 山の途中で降りて写真を撮っていると、銃を持った兵士がやってきました。一瞬緊張が走ります。「Hold up.」などとこんなところで言われたら、おしまいです。しかし、彼は「外人」を見に来ただけのようで、記念撮影ににんまり。カーブルに近づくにつれて少しずつメンバーの緊張もほぐれていきます。
3.アフガニスタンの通貨

アフガーニー(アフガンルピーとも言うようです。その他パキスタンルピー、米ドルなども使えます)

カーブルの街並へ
 パシュトゥーン人が半数近くを占めるのですが、アフガニスタン全体でもっとも普通に用いられているのは、ペルシア語のアフガン方言、ダリー語です。ほとんどの学校では、授業はすべてダリー語で行われ、パシュトー語は「国語」の一つとして週に一時間だけ教えられています。ただし、パシュトゥーン人口の多い地域の郊外の小さな学校では逆の場合もあります。

 小さな目と低めの鼻を持つハザーラ人は、日本人とよく似ています。あら、○○ちゃん、なんでこんなところに!○○先生、お久しぶりです、なんてこともよくあります(?)。ということで、そっくりさん探しもアフガニスタン旅行の楽しみの一つ。fuimeiも各地で「Dokhtar-e khaale-am(叔母の娘=従姉妹)」と呼ばれて可愛がられました。
ハザーラ人の男性     パシュトゥーン人の男性
 ハザーラであろうと、パシュトゥーンであろうと、タジク、ウズベクであろうと、今回出会ったアフガン人は皆親切で、寛大で、それぞれ何のわだかまりもなく、お互いに協力し合って共存しているようでした。JETAに惜しみなく協力してくれたNGOの一つ、GRSP(Ghazni Rural Support Program)はハザーラ人を中心とする団体だったため、私達もハザーラの人々と会う機会が一番多くなりました。シーア派イスラームを信仰するハザーラは、ターリバーンによってとくに酷い扱いを受け、多くの人々は早々にパキスタン、イランなど外国に避難しました。ターリバーンの去った現在、ハザーラの人々は、少しずつアフガニスタン国内に戻り始めています。19歳のジェリールは三ヶ月かけて、一人でカーブルにある家を修復し、7月末にイスラマバードから家族を呼び寄せました。アメリカで神経科医をしていたアブドゥは今年5月、カーブルに戻り、ボランティアで医療活動を始めました。ハザーラだけでなく、多くのアフガン人が世界各地から母国を目指し始めています。「○○民族」としての結束ではなく「アフガニスタンは我々の母国である」という意識が新しいアフガニスタンをつくる大きな機動力となっているようです。
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←こんな感じの道路が続きます。車内は半端じゃない揺れ具合と砂埃。
 アフガニスタン国境へと到着しました。パキスタン人ドライバーは国境から先に行く許可を持っていないので、ここで車を乗り換えます。国境の門から少し行ったところに、ぼろぼろで小さな小屋の「入管」がありました。ここでパスポートをチェック、さらに税関を通過します。これで、無事アフガニスタン入国が完了。最初の町はトルハムです。ここから一路ジャラーラーバードへと向かいます。
この緑と白の門がパキスタンとアフガニスタンの国境です。右がパキスタン、左がアフガニスタン。