アラビアン・ナイトメア
ロバート・アーウィン著
      若島 正 訳

  国書刊行会、1999
   これから始まる物語は、本書の短評、実話、そして
   ちょっとのフィクションをまぜ合わせたものです。
   それでは、ふいめいの「アラビアン・ナイトメア」を
         どうかお楽しみください。
 本書を読み始めてよく夢を見るようになった。ベッドの中で見る夢でははなく、バイトや学校の行き帰りの電車でうとうとと見る、短い夢である。はっと目が覚めて一瞬の間呆然とする。あたりを見回して、自分のいる場所を確認した瞬間消えてしまう、そんな夢。


 今日もバイト帰りの常磐線で本書を開いた。今、四分の三くらい読み終えたところだが、あまりにいろんな人物が登場し、あまりにめまぐるしく話が展開し、しかもそれが夢なのか現実なのか、その設定すらよくわからない。前嶋・池田訳の『アラビアン・ナイト』がモノクロの素朴な線描画だとすると、アーウィンの『アラビアン・ナイトメア』はカラーテレビに映し出されるアニメーションのようだ。訳文の文体のせいもあるだろうが、ちょっと華やかというか軽すぎるきらいもある。まあ、ともかく一度全部読んでみよう。今日は第15章「挿話―しゃべる猿の物語」からだ。
 どうやらみんな疲れてちょっと訳がわからなくなってきたような気がする。ここで一息入れて休む必要があるが、休んでいる間に私は退屈しのぎの物語を語ろう。これは気を紛らわせるための短篇で、それ以外の目的はない。でも、まずここで言っておかなければならないのだが、方向を見失わないために本当に必要なことはと言えば、それは夢と覚醒とをしっかり区別し、あるレベルの夢と別のレベルの夢をはっきりと区別することだ。この点に関する手引きを得られれば、すべてははっきりするし、この物語もたやすく結末に向かうことができるだろう。この町にそうしたことができる人間が一人いるとしたら、それは不潔なヨルだ。
 ここまで読んだとき、なんとなく視線を感じて目を上げると、前の席に座った小柄で浅黒い肌のおじさんと目が合った。なに?この人、何でじろじろ見てくるの?私はにらみ返した。そして、はっとした。

 あ、このおじさん見たことがある・・・。
― 1 ―
 今年の1月2日、モロッコでの一週間の滞在を終えた私は、カサブランカからカイロに戻る飛行機を待っていた。モロッコでのJJとの喜びの再会(私たちはお互い初モロッコのくせに12月27日18:00、マラケシュの××ホテルの前に集合、という強引な約束をした)、街にうごめくジュラバおやじたち。バスとタクシーを苦労して乗り継いだタルーダント行き。あのときのタクシーの運転手の若者は私を見て、交通事故で死んでしまった婚約者に似ている、と悲しそうな声で語ったが本当だろうか。各地で知り合った「ムスタファ」たち。なぜみんなムスタファという名前だったんだろう。そして寝過ごしてしまった NEW YEAR の瞬間。最後の一日半は一人で過ごしたけど、それも波乱続きだったなぁ。短い滞在ながらいろいろなことが頭を過ぎる。

 21:30発の
ROYAL MOROCCO AIR はバスケットのナショナルチームの若者で一杯だった。早めにチェックインした私は、前の方の比較的静かな窓側の席に座ることができた。一つ挟んで隣はドイツ人らしい女性で、すぐ隣は空席らしい。ほっとしながら離陸を待った。それにしてもバスケチームは騒がしい。あちこちで問題を起こしている。

 「エクスキューズ・ミー」

 ようやく離陸のアナウンスが流れたとき、一人の小柄なおじさんが隣の席に入り込んできた。


 「せっかく一番前の席だったのに、隣の老人に息子の介護が必要だから席を替わってくれ、って言われてしまったんだ。あんなふうになるんじゃ、年なんか取りたくないね。」


 そのおじさんは流暢な英語で話しかけてきた。色は浅黒くて、眼鏡をかけている。あまり彫りが深くないせいか、アジア系にも見える。国籍不明だ。私は聞いてみた。


 
「モロッコにはお仕事でいらっしゃったんですか?」
 
― 2 ―
 意外にも彼はエジプト人だった。今はアメリカのデトロイトに住み、中小企業のパートナーをしているという。旧友を訪ねてモロッコで10日ほど過ごしたが、これからカイロの両親のところへ寄るらしい。

 
「今は休暇なんだよ。家族も一緒に行こうと誘ったんだけど、皆忙しくてね。」

 一人娘は今年大学4年生。「ちょうどあなたと一緒くらいだね。」と言われて、喜んでしまった。私は、自分は日本人の学生で、友達とモロッコ旅行をしてきたところで、これから二週間ほどカイロに滞在することを話した。

 
「モロッコではどこの街に行ったの?」

 「カサブランカとマラケシュ、あとタルーダントっていう西部の町にも行きました。あ、それからラバトも。」

 「私はマラケシュだけ。七年ぶりに行ったんだけど、ずいぶん変わってたなぁ。」

 「そうなんですか。フナ広場とか、その奥のスークとかは今でも十分雰囲気ありましたけどね。」


 「フナ広場」と聞いた瞬間、彼の顔が急にほころんだ。

 
「どうかしたんですか?何だかとてもうれしそう。」

 彼はちょっとの間、私を値踏みするように見つめた。それからこう言った。

 「ここで会ったのも何かの縁だね。実は七年越しでようやくある物を手に入れたんだ。ようやく。それでうれしくてね。ほんとに長くかかってしまった。」

 そして、彼は語り始めた。
― 3 ―
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