ふいめいのにっき  恐怖の初発表 @ アメ大 


2004年3月23日


「留学生」にはあるまじき、浮かれた日々を送ってい(るように見え)たふいめいに、とうとうその日がやってきた…。


私はアメ大の「リサーチ・フェロー」という立場なので、とくに授業に出る必要がない。唯一の義務は、研究所の企画する研究会に出席し、年に一度発表をすることである。ま、いつかそういうこともあるだろう、とは思っていたが、実際に日時を指定するメールが送られてきたときは声なく絶叫してしまった。


初の英語発表、というだけでも充分恐ろしいのだが、それよりも何よりも問題なのは内容である。私が持っている唯一の発表ネタは、「コーランとヴェールの関係」についてなのである。


今まで、私は自分自身が正しい理解をできるようにとヴェールについて勉強してきた。そして得た知識を日本人や欧米人など、イスラムとはあまり縁のない人々にわかりやすく伝えたい、という思いで発信する努力をしてきた。しかし、今回の聞き手はアメ大生やアメ大に所属する研究者たちである。つまり、ほとんどがばりばりの「ムスリム」たちなのだ。






そんな彼らの前でコーランについて語るというのは、たとえば、弁護士の前で六法全書を語ることよりも、ずっと厄介なのである。とくに最近のカイロには、「イスラム復興」を目指して活動をする人々が増加しており、彼らは常にコーランやイスラムに関する言論活動に目を光らせている。


さらに、フランスで公立学校でのスカーフ着用を禁止する法律が可決されて以来、ヴェールに関する話題や、外国人のヴェールに対する見解について、皆が非常にセンシティブになっている。


「…だって、他に発表できるネタもないもん。」

両手を広げて肩をすくめてみたところで、状況は変らない。



『コーランとヴェール:啓示の背景とその解釈について』


こうして、「タブー」であるキーワードすべてを含んだような私の発表題目は、e-mailという恐ろしいメディアに乗って、アメ大のアカウントすべてに送付された。




前日にパレスチナのイスラム組織ハマスの精神的指導者、アフマド・ヤースィーンが暗殺されたため、デモを警戒したのか、当日のタハリール広場はあちこちに兵士や警官、装甲車が見られるなど、ものものしい雰囲気に包まれていた。



アメ大の前はとくに厳しい警備が行なわれているようだった。どんよりとした天気と、3月だとは思えないようなねっとりとした湿気が、あたりの空気をさらに重々しいものにしていた。





アメ大前の装甲車を背ににっこり笑うa 30 in Cairo さん。
(精神的・実務的サポートのためにかけつけてくれました)




さて、とうとう研究会の開始時刻17:00となった。研究会が行なわれる「ブルールーム」という部屋は、会議室のように四角く机と椅子が並べられていて、おそらく5,60人が座れるほどの広さである。


今回、私はあらかじめWordで作っておいた発表原稿を、紙にプリントアウトするのではなく、そのままパソコンの画面に映しながら読むことに決めていた。その方が顔が上向きになり、声が通ると思ったからである。それに、いつも一緒に勉強しているジョー(パソコンの名前)と一緒ならば、心も落ち着くはずだ。


「日本人がコーランやヴェールについて何を言いたいんだろう」と思ったのか、私が原稿を読み始めた頃から、どんどんと人が増えていき、とても座りきれなくなってしまった。見かねた司会の先生は、発表を一度中断し、立ってる人々に「床に座って楽にしなさい」と指示した。聴者の中には、あご髭を蓄えた青年や、アメ大の構内では珍しい、アバーヤ+大判ヴェール姿の女性もちらほら見えた。目の前には、5台のカセットテープレコーダーが並べられ、カメラのフラッシュが光った。たった一言の失言によって、私の研究人生どころか、エジプト生活自体終わることもありうる。…恐怖は最高潮に達した。



今回の発表内容は次の通りである。


@コーランの中でヴェールに関係すると言われる三つの節に関するハディース(伝承)を分析、そこから、初期イスラームの文献から読み取れる「ヴェール着用の理由」を抽出する。


Aそのうち、初期の伝承がほとんど残っておらず、また、使われている言葉の意味があいまいな一つの節(24章31節)を取り上げ、その節が後のコーラン注釈者たちによって、いかに「解釈」されていったかを時代を追いながらみていく。


Bその「解釈」の過程において、「ヴェール着用の理由」自体がいかに変化していったかを示す。









さて、結論であるが、今回は聞き手が違うことや前述のような現在の状況を考えて、日本語で書いたときとは少し違うものにまとめなおした。それは、こんな内容である。


とくに20世紀を境に現在に至るまで、ムスリム女性のヴェールはいろいろな主張を持ついろいろな人々によって論じられてきた。ヴェールは、ときに批判され、賛えられ、推奨され、強制されることさえもあった。こうした議論を見ていくと、ある興味深いことに気付く。ヴェール賛成派であろうと、反対派であろうと、ほとんど必ずといっていいほど、その主張を裏付けるために同じ根拠(コーラン)を用いているのである。なぜ、そのようなことが可能なのだろうか。

中世期の「解釈」による「ヴェール着用の理由」の変化の過程を見ていった結果、私は24章31節の特性(ハディースの不在と言葉の「曖昧さ」)がそれを可能にしていると考えるに至った。


やや、「逃げ」も入った結論で、今、日本語にするだにうさんくさいが、とりあえず、なるべくかっこいい響きの語彙を連ね、それなりに自信ありげに読んでみた。



質問、コメントはすごい数にのぼった。







ぼこぼこに叩かれること予測し、「困った顔でごまかす作戦」に入っていた私に、人々は、なんと、実に暖かいねぎらいの言葉をかけてくれたのである。


もちろん、まるで、モスクでの講義を聴いてるようだ、と半ば皮肉交じりにコメントする人もいた。また、あまりにも「中立」に聞こえるが、あなたの立場は何なのだ、と言われたり、フランスの法制化に対してどう思う、と言われたりもした。非ムスリムがイスラムを研究することの意義についても一時熱い議論が沸き起こった。


あご髭を蓄えた青年たちも、何かのコピーや携帯用コーランをめくりながら、順番にコメントしてくれた。私の英語が聞き取りにくかったこともあり、発表内容を誤解し、たとえば、引用したものを私自身の意見だと思っていたり、私のコーラン訳を聞き間違えて「あなたのコーラン理解は間違っている」と言われたりして、冷やっとする場面もあった。しかし、他の聴者の人たちが「彼女は正しいことを言っていた」とかばってくれて、事なきを得た。


研究会終了後、何人もの人々が「イスラムのことを一生懸命勉強してくれて、真剣に理解しようとしてくれて、どうもありがとう。」と言いに来てくれた。


*      *      *



ヴェールの向こうにあるものを知りたいと思った。


コーランや宗教書を辞書を引きながら必死で読んだ。ヴェールの巻き方をおしえてもらって、カイロっ子たちのようにお洒落にかぶれるようにもなった。モスクに行くときなど、家からきちんと巻いて出かけることもあった。


それでも、いつも自分がヴェールの外にいるのを感じていた。カイロに暮らしても、自分は外の人だと感じるのと同じ感覚だった。いくら勉強をしても、いくら努力しても、決してその中に入ることはもちろん、のぞくことすらできないと思った。


実際、そうなのかもしれない。そして、今後もずっと、この疎外感を感じ続けるのかもしれない。


しかし、今回発表して(もちろん「アメ大」というやや特殊な空間ではあるが)、暖かい言葉をかけてもらって、はじめて、イスラムやヴェールを理解するための扉が少し開かれた気がした。



(2004/3/24記)





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