ふいめいのにっき アメリカ学会発表顛末 


2005年9月28日

それは五月のある日、TNK氏の発した心ない、もとい、心ある一言ではじまった。

TNK氏は、「テンプル大で行なわれる学会の年次総会での発表者を求む。会員以外でもOK。大学院生も歓迎」というメールをアメ大メーリングリストから受け取った。恒例のアメ大レクチャーシリーズでの発表を終えたばかりで、心に隙間のあったふいめいは、「アメリカで発表ねぇ。いいねぇ。かっこいいねぇ。」と軽い気持ちで、最近仕上げたばかりの論文のアブストラクトを送ってしまったのである。


そんなこと、ほぼ忘れてしまっていた二ヵ月後、一通のメールが届いた。「パネルでの発表者として認めます」というものだった。




初めてのニューヨーク。渋谷みたい。

そのときから二ヶ月間、初めての海外学会発表に向けて、バリバリに準備するつもりだった。


しかし、8月は体調を崩したり、別の論文を書き始めたり、旅行に行ったりして過ごし、9月はいろいろな頼まれ仕事が山のように積もっていたためにとても忙しかった。アメリカ出発前は毎日2-3時間睡眠、心身ともに休まることのない生活が続いた。


・・・とそんな言い訳をしたところで、申し込んでしまった以上、発表しなければならない。「一番安い航空券を。あ、でも、エジプト航空以外がいいです」と某旅行社のWさんに頼んで、ハンガリーのブダペスト経由ニューヨーク行きのチケットを取ってもらった(約850ドル)。


ひさしぶりのアメリカ行きである。前回、エイミーの結婚式のために渡米したときは入国するのに少なからず大変な思いをした。今回、二年のエジプト滞在の間に、エジプトのビザの数はさらに増えている。しかも、最近、アメリカはさらに入国に厳しくなっているらしい。いったい、入国できるのだろうか。不安な気持ちのまま、夜のJFK空港に到着した。


「ハロー。パスポート出して。」入国審査官は眠そうな中年男性だった。「ふあああぁ」とあくびをしながら、アフガニスタンだの、パキスタンだの、イランだの、エジプトだの、シリアだの、あやしいアラビア文字のビザで埋まった私のパスポートをながめた。


「ああ、失礼。ちょっと疲れがたまっててねぇ。じゃあ、ここに指を置いて。はい、ここを見てちょうだい。」

彼はパスポートの内容にはあまり興味なさそうに、指紋の登録と写真撮影の指示をした。現在、アメリカに入国する際には指紋と顔写真が登録されてしまうのである。この制度には少なからず反発を覚えたものの、こうして、とりあえず、無事に入国することができた。





フィラデルフィアの夜景

翌日、宿泊費の高いニューヨークから逃げるようにテンプル大のあるフィラデルフィアへと移動した。高速バスで20ドル、約二時間半の距離である。


フィラデルフィアはアメリカ建国とその初期の歴史にとって重要な古都である。ホテルは歴史的建造物の多い地区にあるプール付きのよいホテルだった。もともと210ドルのところ、学会割引で109ドルだった(ただし、税が高いため、結局130ドル以上支払うことになる)。


見物したい気もしたが、もう夜だし、翌日の発表のために最終準備を始めた。


論文自体はすでに英語で出来上がっていた。発表原稿もパワーポイントも、アメ大発表のときのものをはしょったものがあった。英語の発音も、TNK氏の愛読書『正しい英語の発音』(西東社、2002)を見ながら、機内で復習した。しかし、この晩初めて行なった「リハーサル」で、大変な事実が発覚した。


なんのことはない、発表が長すぎるのである。制限時間は20分、それなのに30分読んでもいっこうに終わらない。こうなると知りながら二ヶ月の間見て見ぬふりをし続け、一度も時間を計らなかったせいである。とんますぎる。

それから、勝負が始まった(っていうか、もっと早くやっておけよ、と今の私は思う)。


今回の学会は主にアメリカ在住のムスリムの研究者からなるものである。不要と思われる説明や補足など、どんどんはしょることにした。やっているうちに、鰹節を削るような、ダイエットに成功するような、なんとなくいい気持ちになってきた。


こうして原稿がようやく完成したのは、もう夜明けのアザーンの頃だった。





テンプル大の構内


2005年9月30日

学会初日。政治家のように立派に話す発表者や、すごい経歴の書かれた若手研究者たちの履歴に、すっかり萎縮してしまった。それに、実のところ、ふいめいは話し下手である。とくに、誰かに聞かせようとして話すとうまくいかない。しかし、今後の人生、そうも言ってられないだろう。

ふいめいの発表は16:30から始まる「イスラームにおける女性と社会」というパネルの三番目だった。今日の発表の内容は、1994年にエジプトの週刊紙『ルーズ・ル・ユースフ』の紙上で行なわれた、「ヒジャーブ(ヴェール)の着用はムスリムの義務か」をめぐる議論についてである。


発端は、エジプトのもと国家保安最高裁の判事アシュマーウィー氏が、この雑誌に「ヒジャーブの着用は義務ではない!」というセンセーショナルな論稿を掲載したことである。

それに対して、今度はエジプトで最高レベルの宗教権威タンターウィー師が、「否、ヒジャーブの着用は義務である」という論稿を送り、これが二週間後の号に掲載された。それを受けて、アシュマーウィー氏は、さらに「否、否、ヒジャーブ着用はやっぱり義務ではない!!」という反論を行なったのである。






今回の発表では、この二人がどういう根拠で、正反対の結論に至ったのか、どんな「戦略」をつかって、読者を納得させようとしたのかをじっくり見てみよう、というものだった。その結果、「ヴェールについて、いろんな人がいろんなことを言っているけど、鵜呑みにして大丈夫ですか?」と問いかける内容となった。


その日、十以上の発表があったものの、パワーポイントを使ったのはなぜかふいめいだけだった。パワーポイントはとくに、自分の発音で相手に理解してもらえるか、が不安な外国語発表の際には便利である。おかげで、なんとか無事発表を終えることができた。


発表後、四人のパネリストに対して自由に質問する時間になると、「ヴェール」というポップなテーマのせいか、ふいめいに質問の矢が集中した。一度はほのかな自信でふくらんでいたふいめいは、一気にしぼんでしまった。


修論でご著書を引用したイスラム学の権威の先生や、某イスラム団体の副会長の方から鋭いコメントをもらった。その一方で、「ヴェールの着用というのは服を買うお金を節約するためじゃないの?」「まずしい女性や田舎の女性が着用するんじゃないの?」など、時代遅れな質問やコメントに、皆がうなずいていたのは意外である。アメリカとエジプトという距離のせいだろうか。




帰りに寄ったブダペストにて
こうして今回の学会に参加したことで、今までごく短い間ではあるが、エジプトに住み、一つの現象を自分の目で見続けられたのは、本当にありがたいことだった、とようやく気づいた。


また、少しずつでも進んでいけば、人に何かを伝えられるという小さな自信も得た。


二年間奨学金を下さったHN財団のみなさま、リサーチ・フェローとして受け入れてくださったジェンダー・女性研究所のみなさま、本当にありがとうございました。


(2005/10/14記)


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