ふいめいのにっき  ウェディング in アイオワ 


2003年6月14日

高校留学時代に仲良しだったエイミーの結婚式のためにアメリカに行くことになった。今回は日本で英語教師をしている友人テラと一緒だったので、まったく気ままに飛行機に乗り、ミネアポリス(ミネソタ州)へと向かった。


1.入国審査

留学したのが10年前。最後にアメリカの地を踏んだのは、かれこれ8年前になる。箸を落として「Oooops」と呟くなど、10年前は確かにアメリカかぶれだった私であるが、その後、何を血迷ったか、中東諸国をうろうろするようになった。そのため、入国時に思わぬ困難が待ち受けていた。

イミグレーションのブースには、ビバリーヒルズ高校白書のケリーに似た超美人が座っていた。「ハ〜イ」とにこやかにアイコンタクトを取ったのもつかの間、私のパスポートをパラパラとめくった彼女はごく厳しい表情になった。

「あなたは何でアフガニスタンに行ったの?」「イランにはどれくらいいたの?」「エジプトには何回行った?」

質問攻めに対して、今まで入国時に止められることなどなかった私は一瞬驚いてどぎまぎしてしまった。確かに、日本人の女の子としてはおかしなところにばかり足を運んでいる。私は仕方なく、大学でペルシア語を専攻し、その後イスラム文化研究を続けていること、たまたまNGOの活動にくっついてアフガニスタンに行ったこと、今回は友人(名前や知り合った経緯まで聞かれた)の結婚式のために来たことなど詳しく説明しなければならなかった。




2.人口200人の町、アイオワ州 ラコタ



とにかく入国できた私は、旧ホストファミリーとともに、ミネアポリスから車で4時間ほど南に下ったアイオワ州北部にある、ラコタという町へ向かった。

アイオワといえばケビン・コスナーの『フィールド・オブ・ドリームス』が有名である。このラコタという町もとうもろこし畑に囲まれた、とてものどかな場所である。というか、ほとんど何もない。

「アイオワで一番危険なものは何か知ってるか?」「いったい、なんだい?」「牛さ。」

という郷土ジョークもある。




10年前に聞いたラコタの人口は200人だった。町の様子がほとんど変っていなかったところを見ると、今もそれくらいなのだろう。当時、スピーチなどをする度に、「私は人口200万人のナゴヤからやってきました。いえいえ、ラコタとあんまり変りません。0がちょっと増えるくらいです(笑)。」と言って、鷹揚な笑いを取っていたものである。


ここでホストファミリーと一緒に、チョコチップクッキーを焼いたり、ピアノを弾いたり、映画を観たりして、のんびりと過ごした。ホストファーザーは教会の牧師さんなので、日曜日には朝と夜と二回教会に行く。ある程度成長した今、再び礼拝に参加すると、いろいろと考えさせられた。



高校はラコタではなく、隣町(25kmほど離れている)にあったが、そこも一応訪れてみた。夏休みなので、誰もいなかったが、以前と同じにおいがした。


英語もうまくしゃべれず、化粧の濃い女の子たちに圧倒されながら、物静かに過ごした日々が思い出されて、なんとも複雑な気分になった。







3.ウェディングまでのプロセス


一概には言えないであろうが、アメリカでは花嫁の実家近くの教会で結婚式をすることが多いらしい。そこで滞在四日目に、現在エイミーの両親が住んでいるスピリット・レイクという町へと移動した。ここもやはりアイオワ州北部で、ラコタからは1時間半程度かかる。


結婚式まであと四日、というのにエイミーは意外に落ち着いていた。


そうはいっても、当日のヘアスタイルを決めたり、ネイルサロンに行ったり、いろいろと準備がある。何も手伝えない私は、記録者に徹することにした(といいつつ、ついでにネイルをやってもらった)。



アメリカの一般的なウェディング・プロセスは次のようなものらしい。

結婚式二、三日前 親戚の集まり(エイミー・ママは"Get Together"と呼んでいた)。
         前日 リハーサル(結婚式で一定の役割を果たす人たちが集まり、一通り結婚式の流れを通してみる)
             リハーサル・ディナー(前夜祭のようなもの)
              option: バチェラー・パーティー(花婿独身最後の危険なパーティー)

        当日 教会にて挙式
            写真撮影
            披露宴


とうとう、結婚式当日。私はフラワーガールとして、結婚式が始まった直後に、二本の大きなデイジーを祭壇に運ぶという役割を果たした(どうやら、これは一般的なものというよりは、いろいろな友人に参加してほしいと考えたエイミーがとくに付け加えた役割だったらしい)。他のフラワーガールズとも仲良くなって、なかなか楽しかった。


花婿のダンは得意のバイオリンでカノンを弾きながら、エイミーを迎えた。エイミーパパとの抱擁、涙。日本の結婚式に出たことがないので比較できないが、形式ばっていない分、やる方も見る方も安心できるし、感動的である。


新郎新婦のおばあちゃんたち三人による聖書の朗読。"This is so sad. It is the worst part" とリハーサル後にエイミーが涙目で言っていた部分である。本番もやはり涙を誘った(蛇足であるが、感動して泣ける場合には"I was sad"と言うこと、泣かせるようなものについては"tear-braker"という表現を使うことを知った)。それから、エイミーのおばさんたちの歌。


その後、誓いの言葉と指輪が交わされ、二人によってロウソクが灯された。





その後、レセプションがあり、料理とシャンパン、エイミーのお姉さん夫婦によるアメリカンジョーク交えの感動的なトークを満喫。正直、あまり社交が多くて一時はかなり疲れてしまった10日間であるが、このとき、来てよかったなぁ、と思った。




今回は、人生の一大事を目前として、いろいろ付き合ってくれたエイミー一家に心から感謝したい。





(2003/6/28記)


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