生埋め(zende be gur)--ある狂人の手記より

サーデク・ヘダーヤト
石井啓一郎訳
国書刊行会、2000年
(文学の冒険シリーズ48)


 先日、るテレビ番組で2030年の生活を予想していた。科学技術はさらに進歩し、自動車は空中を走り回り、各自が高性能の眼鏡型携帯電話を頭部に装着して交信する。一切の家事から解放された主婦は、ヴァーチャル映像を使って家に居ながら「パリ」のブティックでショッピングを楽しむ。同時通訳装置があるため、もはや語学の勉強をする必要はまったくない

 外語大学出身の私は(自らのアイデンティティの危機さえもたらしかねない)この台詞に非常な憤りを感じた。言語とは一体何のために学ぶのか。それを考えはじめたとき、さらに大きな不安と疑問が脳裡をよぎった。科学技術がこのように「快適」で「安易」な生活をもたらしたとき、人は何をして生きるのであろうか。何のために生きるのであろうか。

 1930年代、決して科学先進国ではなかったイランにおいて、サーデク・ヘダーヤトはすでにこの疑問に捕らえられていた。さらに、彼はもっと先を見ていた。そして一つの「結論」に達したのである。

 本書に収められている七つの作品の最後を飾るのが未来小説「S.G.L.L.」である。紀元後4000年期、人間は科学の力によって、飢え、病、老いなどあらゆる困難に打克ち、生活はすべての面で満たされた。しかし、それでもたったひとつの癒し難い苦悩が残っていた。それは「目的も意味もない人生に対する疲労と倦怠」であった。自殺が人々の心を捉え、人類根絶が提案された。そうした時代の救世主が、性に対する欲求を奪い繁殖を阻止する「S.G.L.L.」と呼ばれる血清であった。 「S.G.L.L.」という名の科学技術によって、最後の苦悩に対しても人類が勝利するはずであった。しかし、サーデク・ヘダーヤトの出した「結論」は人類の勝利ではなく、絶滅でもなかった。


                       知は酒盃をほめたたえてやまず、
                       愛は百度もその額に口づける。
                       だのに無情の陶器師は自らの手で焼いた
                       妙なる器を再び地上に投げつける。
                        (オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』小川亮作訳 No.43


 小川亮作訳『ルバイヤート』が、サーデク・ヘダーヤトによって選出・刊行されたものを底本にしていることを、(不勉強のほどが知れるが)本書の「解題」においてはじめて知った。なるほど、本書の随所にハイヤームの四行詩と重なる部分があり、合わせて読むとさらに味わい深い。誰もが天によって操られている人形であり、この世で一くさりの演技をしているにすぎない、とハイヤームは言う。本書の表題作である「生埋め」の主人公は、さまざまな方法を用いて自殺を試みるが、死を選択することさえも彼には許されない。すべては「運命」としてゆっくりと流れており、それは止めることも、変えることもできないのである。本書に収められている他の二編、人形を偏愛する男と彼を愛する女の悲恋を描いた「幕屋の人形」、妻と自殺してしまった親友との不倫に疑いを抱いたために起こる悲劇「深淵」は、どちらも意外な結末でありながら、それでいて、冷淡な「運命」の正確で絶え間ない息遣いが感じられる。

 人類の「運命」も人間が変えることはできない、とサーデク・ヘダーヤトは言うのか。そして人類を操る天が存在する。天の陶器師が壊した土器は土に返り、そこから新しい器が生れる。「S.G.L.L.」の最後の場面、人類の最終段階に現われた裸の男女と白蛇は、運命の冷酷さを嘆きながら本書を読み終える者に一筋の光明をもたらすであろう。しかし、相変わらず一つの不安が残る。アダムは再び禁断の果実を口にしてしまうのであろうか。(2001/03)
 



収録作品

幕屋の人形
タフテ・アブーナスル
捨てられた妻
深淵
ヴェラーミーンの夜
生埋め―ある狂人の手記より―
S.G.L.L.
解題(石井啓一郎)

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