ふいめいと旅する  ラクダのいる修道院



地図: The General Libraries, The University of Texas at Austin


旅の一口メモ

旅の道連れ

ひろぐまさんご夫妻

JMさんご夫妻

旅の目的:

「アブー・ミーナーの修道院をたずねる」


旅の経費:

ひろぐま氏記念財団のお車での移動



ふいめいは某外国語大学出身である。だから、海外に行くと現地で活躍している同じ大学出身の人々と出会うことが比較的多い。カイロも例外ならず。最近、同窓会カイロ支部会に混ぜてもらい、定期的にある集会にも参加させてもらっているのだが、不思議な経歴や性格の人も多く、かなりおもしろい。

今回、突然「明日ひま?」とアブー・ミーナー行きに誘ってくださったひろぐまさんご夫妻も、語科こそ違うが同じ大学の先輩である。

アブー・ミーナーはアレキサンドリアから車で一時間くらいのところにあるコプト都市で、八世紀頃まで最大の巡礼地でもあった町である。この町の遺跡は今や世界遺産に指定されている。


四月のお天気のいい早朝、ひろぐまさん宅前で集合して、出発。アレキに続く砂漠ロードに入った。


ひろぐまさんは、熱いアラブポップファンである。実は、それがご縁で知り合ったという経緯もある。そこで、高速道路入口にあるナンシー・アグラムののぼり群を見て、「ああ、写真が撮りたい」というふいめいの思いを、いともたやすく察知してくださった。



その後、揺れること約三時間、一同が気分的にも実際にも埃だらけになったところで、車はアブー・ミーナーに到着した。



アブー・ミーナーは四世紀にコプト教の修道者聖メナスが埋められた土地である。


紀元285年、現在のメンフィス近くの役人の家に生まれたメナスは、父の死後、軍隊に入隊し、若くして高位の役職を得た。しかし、数年後、キリスト教を捨てて偶像崇拝をすることを迫られたメナスは、職を去り、父の財産をすべて貧者に与えて、砂漠の中で隠遁生活を送るようになった。


メナスは神に祈り、断食をし、聖書を読んで日々を過ごした。五年後、彼は神の声を聞いた。「メナス、おお、祝福された者よ。汝は三つの聖冠を受けるであろう。一つは汝が独り身を貫いたことに対して、一つは汝の禁欲に対して、もう一つは汝の殉教に対して。」




アブーミーナーの巡礼町の廃墟(と思われる)場所にて



それを聞いたメナスは殉教することを願うようになった。そこで、彼はその地の総督のところへ行き、自分はキリスト教徒であると告白した。


総督はなんとかしてこの勇気ある青年を改宗させようとしたが、メナスはいっこうに応じようとしなかった。そこで、いらだった総督は、メナスに対して激しい拷問を始めた。メナスの皮膚は鉄の釘でひきさかれ、歯は折られた。身体を松明で焼かれても、メナスは意志を変えなかった。


こうして、拷問の中でメナスは頭部を切断され、望んだとおり殉教した。




メナスを慕う者たちは、彼の遺体をラクダに乗せて西方砂漠へと向かった。と、ある場所にいったとき、ラクダが突然歩くのをやめて動かなくなった。メナスはそこに埋葬され、その地から水が湧き出たという。


その場所が現在「アブー・ミーナー」とよばれる土地である。四世紀には、ここに聖堂が建てられ、聖地として巡礼者が絶え間なく来るようになった。しだいにその周辺は町として栄えていった。


しかし、八世紀、ファーティマ朝の時代に、聖堂の石は持ち去られ、町自体ベドゥインの略奪にあい、一帯は廃墟となった。
1950年代、聖メナスを信棒するコプト大司教によって、この地に新しい修道院が建設された。これが今回訪れたアブー・ミーナー修道院である。


門のところで、なんと「今日は一般公開していない」と断られてしまった。ここまで来て、中に入れないのか。皆の顔に不安が走った。


しかし、ひろぐま氏はひとり余裕な顔で、職業的技能(交渉力とねばり)をつかって、門番の人と話を続けた。その結果、一分間だけ中に入っていい、ということになった。


(訪問される方は事前に電話連絡していったほうがいいかもしれません。ウェブページあり。)




結局、修道院の中にいられたのは、残念ながら五分間だけだったが、そこは周囲の砂漠とはまったく別世界の、きれいな空間だった。


なによりも大聖堂は立派だった。その奥に輝くステンドグラスは、今まで入ったどの教会とも違う図柄だった。







砂漠の中にぽつんとある修道院に、ラクダがいたのである。

なんとなく心温まる光景だった。



連れて行ってくれたひろぐまさんご夫妻と、中に入れてくれた修道士の方々に感謝。



(2005/5/20記)

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