ふいめいと旅する   美人女子大学院生三人
湯けむり旅情 in アレッポ



地図: The General Libraries, The University of Texas at Austin


旅の目的:

ハンマームとアレッポ石鹸で美しくなること。

旅の道連れ:



トルコの薔薇さん
(ホテルのベッドにて撮影)




a friend in Cairo さん
(ウマイヤモスク内にて撮影)


旅の経費:
航空券(カイロ→ダマスカス、アンマン→カイロ) 
約2万6千円
シリア滞在費(放蕩6日間) 約3万円
ヨルダン滞在費(節約4日間) 約2万円


2004年1月29日

トルコ留学中のその名も「トルコの薔薇」さんが来埃することになり、イード・アル・アドハー(犠牲祭)の連休を利用してa friend in Cairo さんとふいめいという女子院生三人は、シリア旅行に行くこととなった。普段は箸よりも重いものを持ったことのないとはいえ、在中東歴の短くない三人である。日程も泊まる場所も不定の行き当たりばったり旅行が始まった。


ダマスの空港に到着すると、タクシーが整然と並んでいる。その辺にいるドライバーと交渉して乗ろうとすると、「一番前の車に乗れ、値段はそこに書いてある」(確かに看板にアラビア語で340SLと書いてあった)と言われた。しかも、なんとタクシーにメーターがあるではないか。実に秩序のある国だ、と三人は最初の涙を流した(その涙もホテルに到着した後にドライバーと値段の件でもめたため、カラカラに乾いてしまったが…)。







次の日、さっそく観光に繰り出した三人は、とりあえず、「世界のモスクのお手本」として有名なウマイヤモスクへと向かった。



モスクへの道は長く険しかった。なんといっても600mものスークが続くのである。高い天井から漏れる陽光の中、工芸品、スカーフ、アイスクリーム、カイロとは比べられないおしゃれ度の高い服の店などが続いていた。目を輝かせながらお店チェックを続ける三人は、だんだん、「いったい日暮れまでにモスクにたどり着けるのだろうか」と不安になってきた。
しかし、どうにか陽が高いうちに、ウマイヤモスクに到着することができた。


観光客がモスクに入るためには50SP(約100円)を支払い、スカーフを持っていない場合は茶色いネズミ男のようなコートを着なければいけない。





ウマイヤモスクは8世紀初め、ウマイヤ朝カリフ・ワリードが聖ヨハネ教会の敷地を接収して建てたものである。四つの門と三つのミナレット、三つのドームから成る巨大なモスクの内部には、いくつかの廟があり、一つには聖ヨハネの首が、また一つにはイマーム・アリーの息子、フサインの首が収められているという。


そのためだろうか、ダマスカスにはイランからの巡礼者が非常に多い。私たちが宿泊した中級ホテル二つは、どちらもイラン人で占拠されており、スークでもペルシア語が普通に通じたりするのには驚いたものである。
2004年1月31日


さて、ダマスカスを満喫した三人は、シリア中部のホムスという町に移動した。カイロの歴史家の友人たちがおすすめしてくれた十字軍の城、「クラック・デ・シュバリエ(アラビア語はカルア・エル・ホスン)」を観に行くためである。


乗合のミニバスに揺られること一時間くらいだろうか、ようやく丘のふもとに到着。さらにそこから車を見つけて城までたどりつくとすでにお昼近くなっていた。


城内に入った三人はその美しさと情緒に、感嘆のため息をもらした。13世紀末にマムルーク朝の手に落ちたというこの城は、ヨーロッパの城の持つ荘厳さ(←まだ実物を見たことはないが)とイスラムの装飾技術が美しく混ざり合っていた。私たちはしばし、時を忘れて過去をさまよった。




(左から) トルコの薔薇さん、a friend in Cairo さん、ふいめいの三人。


2004年2月2日

私たちはシリアをさらに北上し、旅の最終目的地、アレッポに到着した。今日こそはハンマームだ、とはりきって町にくりだした三人を迎えたのは、イードのため、シャッターすべてが下ろされ、人っ子ひとりいないスークであった。


ところどころに犠牲となった羊の骨や内臓、毛皮などが落ちている。前夜の供犠の跡であろう。血の海を慎重によけながら、本当にハンマームは開いてるのだろうか、と不安になりながら、私たちはスークを抜けた。






幸運なことに、目指していたハンマームは営業していた。


「イードだから、今日は特別に男性用になっているが、貸切料金(一人450SL、約900円)を払えば君たちのために開けてあげよう」


という話だったため私たちは喜び勇んで、順番を待つことにした。
このハンマームの歴史はかなり古く、モンゴル軍に一度破壊されたものを1381年にヤルボガー・アル・ナーセリーという名のアミールが再建したのだという。


丁寧に補修されている上、調度品にも凝っているため、中は夢のように美しい空間になっている。


さて、オリエンタリズム絵画のように横たわって待っていた私たちに、係のおばさんは「裸になってこれを巻くように」と格子柄の布を手渡した。右の写真の真ん中にあるカーテンのかかった部分が着替え用スペースである。私たちは、おいおい、番頭のおっさんがニヤニヤしてるじゃないか、と少し抵抗しながらも一枚布姿となった。



ハンマームの中

石鹸とタワシ
さて、いよいよハンマームに入る段となった。


まず、すごい勢いで熱風と水しぶきの飛び散るスティームサウナに通された。ほとんど周りは見えない。ふいめいの頭に、去年の春に見た大分の地獄谷温泉の記憶が甦った(かなりの刺激なので健康に自信がある人以外、やめた方がいいかもしれません)。


やがて、サウナから出て洗い場へと移動した私たちを、肌のつるつるしたシリアのおっかさん風おばさんが待ち構えていた。おばさんは私たちを床に転がし、次々と洗い始めた。まずは石鹸で頭をごしごしと泡立て、その後ざざっと体中の垢をすり、仕上げに白いタワシを延ばして泡をつくり、丸洗いする。その間、ハンマーム内部にはおばさんの鼻歌が静かに響いていた。


商業用ハンマームの常として、それほど真剣には洗ってくれない。昨今、「垢の山」を見せられて驚く、などという神話を期待してはいけないらしい。また、ここは有名な観光地のため、私たちが芋洗いされている間も、観光客(もちろん女性のみ)がハンマーム内部に入ってきて見学するのである。これは考えられない展開であった。



それでも、毛穴を全開にし、エジプトでの汚れをすっかり洗い流した私たちは、つるっつるの美人になってハンマームを出た。その後、けだるい午後を楽しみながら、おいしいシリア料理とワインに舌鼓を打ち、アラビア語(シリア方言)交じりの思いっきりくだらないガールズトークに花を咲かせたのであった。





カエル料理とレバノンワイン



おみやげ自慢



ダマス織の敷物とあかすりキット




(2004/2/9記)

ふいめいと旅する