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 レバノン・ベイルート(1975〜)
中近東のオアシスから戦場に
ベイルート(レバノン)は、地中海に面し、気候も温暖で、中近東のオアシスとして、
素晴らしい所で、また中近東地区への玄関口として、度々訪れる機会がありました。
しかし宗教的対立による国内戦争により、街は壊滅状態になりました。

アフリカ、サウジアラビアからの帰途に、戦争中のベイルートに着いてしまい、
戦争に巻き込まれ、危険な目に会いましたが、ベイルートから
JAL最終便で脱出しました。
街には高級リゾートホテルが立並び、紺碧の地中海にはヨットが浮かび、山ではスキーも可能で、
ベイルートはまさに中近東のオアシスでした。
左は、いつも宿泊していた地中海沿いの高級ホテル。後日戦争により炎上
地中海の紺碧の海、雪をかぶった山もあり、素晴らしい所でした。雪山の向こう側はシリア
ベイルートの街中風景。右は有名なハムラストリート。JALのオフイスもここにありました。
ベイルートは、中近東とヨーロッパの接点で、国際色豊かな都市でした。
果物屋さんの店頭には、色々な果物が豊富で、ベイルートの海岸で飲んだオレンジの生ジュースの
美味しかったことは、今でも忘れることが出来ません。

戦争中のベイルートに着陸
JAL最後の便で日本へ
アフリカ、サウジアラビア等長旅の後は、勝手のわかったベイルートで過ごそうと夜に空港に到着。
ところがベイルートで戦争が勃発しており、空港からホテルまでタクシーに乗ったが、銃を持った兵士の
尋問を受け、誘導されている内に、機関銃の弾が飛び交う戦闘地域に迷い込んでしまいました。

その時はもうダメかと思いましたが、何とかその地域から脱出。戦場から離れたホテルに宿泊しましたが、
一晩中爆弾でホテルのガラスが音をたてていました。国際電話も不通で、所持金も少なくなり、途方に暮れましたが、
かろうじて国際空港は閉鎖されていないことが分り、JALの東京行きの便のみが着陸するとのことで、
タクシー代を通常の5倍位払って、道を迂回して、空港に到着。

JALの鶴のマークを付けた飛行機が空港に着陸した時には、これで助かったと安堵しました。
すでに東京発の下りの便はベイルートには着陸していなくて、私の乗った便が、
ベイルート発のJALの最後の便となりました。
市街戦で炎上するベイルートの市街。 爆弾の音でホテルの窓ガラスがビリビリと振動
一夜明けた早朝の映像(宿泊したホテルより) 

国際空港には少しの便だけが離着陸していました。ベイルートからのJAL最後の便で東京へ