NOZIRAの放浪記 |
| 196x年松田優作が海外へ旅立ったころ、幼獣期NOZIRAは同じ港町に生まれました。 (↑小、中学校のセンパイにあたる) 住まいは4〜5軒屋根のつながった長屋がいくつか向かい合うところ。 ちょっと今では見ないコミュニティですね。 NOZIRAの家族は両親とおばあちゃんと兄ちゃん。 そしてその長屋に住む同じ年頃の子供たち10人が、日々、兄弟のように遊んだりしておりました。 |
NOZIRAの家はあちこち建て増ししたり改造したりで、ちぐはぐな部分の多い家だった。
きものを仕立てていたばあちゃんの仕事場は、そんな建て増し部分のひとつで、屋根は青いビニールのトタンだった。雪が降ったら積もる様子や溶ける様子が見え、雨の降り具合やなんかも一目瞭然の便利な屋根だった。でも、暑さ寒さもビシビシだし、雨やアラレが降ったらば、TVの音なんてかき消されてしまう、困った屋根でもあった。
そんな屋根の下での、ばあちゃんとNOZIRAの楽しみは、屋根の上のネコをたぶらかす事だった。
屋根の上を散歩するネコに、下からニャーニャー鳴きマネをするのだ。
するとネコは声のする方向を探そうとするが、よもや足下から聞こえているとは思ってもいないらしく、「どっから聞こえるんじゃい!」と探し回る。
NOZIRAとばあちゃんはその様子を下から眺めて「ふっふっふ!探しよる!」と面白がるのだった。
兄ちゃんの机はやはり建て増しされた台所の食卓の隅にあった。しかもトイレのドアの隣で、臭いモノを済ませた後には居たくもない所だった。
でもそれはまだいいほうでNOZIRAの机は小学三年生までなかった。さんざんダダをこねて買ってもらった机は、置き場所がなくて玄関先の上がりかまちのすぐ近くにしか置けなかった。
どちらもプライバシーのかけらもない場所で、隠れてマンガを読むには苦労したものだった。
そんな兄ちゃんとケンカもよくした。兄ちゃんは無口で大人しい。NOZIRAは口から生まれてきたんじゃないかというくらいよくしゃべる。このけんかはたいていNOZIRAが泣いて親に訴え、味方につけようとするが失敗したうえ、兄ちゃんに仕上げの一発をくらってさらに泣くハメになるのだった。
NOZIRAは親にも平気でケンカをふっかけていた。いつもギャーギャー泣くのは近所で有名sだった。
でもそれは親も悪い。泣き止むきっかけがつかめそうなときに、「まだ泣いとるんか!」と、追い撃ちをかけてポカリとやるから、また泣き止みそこねるのだ。
そんなこんなで、「あやまれ!」「あやまらんもん!」と、またゲンコツが落ちてきそうになると、いろんな所に逃げ込んだものだ。押し入れ、物置…。
あるときトイレに逃げ込んだ。猛然と追っかけてくるオヤジ!手がふるえてなかなかカギが閉められない。NOZIRAは必死にドアについていたタオル掛けを引っ張って抵抗をしたが、オヤジは大人げもなく全力でドアを開けようとした。結果、ものすごい勢いでドアは開かれ、タオル掛けは戸から外れて…。
あえなくNOZIRAはトイレから引きずり出されてボコボコにされたのであった。
でもNOZIRAもだまってやられはしない。じたばた反撃して悪態をつくので……。これまた親の怒りに火を注いでしまうのだった。
今考えれば、どっちもが火に油をそそぎあっていたようですね…我が家は。
NOZIRAは親の怒りを買って外に放り出されることが、しばしばあった。そこは玄関先だったり、裏口だったり。
しかしNOZIRAはだまって大人しく外に居はしない。かといって、自分が諸悪の根源であるのが、すご〜く明白なことが多かったので、近所の友達の家に助けを求めるわけにも行かず。で、どうしていたかというと、勝手に家の中に戻っていた。
広いわけではないが、いつも誰か家に居るので、戸締まりをきちんとしているような家でもないし、なにせ幼獣であるから、トイレの小窓からだって忍び込めるのだ。
だが、そんな姑息な方法で舞い戻っても、すぐに見つかって、振り出しに戻るハメになるNOZIRAだった。
友達と歌うときの舞台はその日遊んでいいと許可の出た家の玄関先だった。
近所の女の子達とやるモノの必須は、ピンクレディとキャンディーズ。
しかしNOZIRAは兄ちゃん達とも遊ばなければならなかったので、仮面ライダーやマジンガーZも歌えなくてはならない。必然的に、前者の振り付けから変身ポーズまでこなすようになった。
そして当時の流行歌もいろいろ歌った。
もっぱら家の中で親を相手にTVにあわせて歌う。
しかし、「女の子のいちばん大切なモノをあげるわ〜」とか、「15.16.17と〜私の人生暗かった〜」とか歌って親に叱られた。
ちあきなおみのマネを、カーテンやふすまをしずしずと開けながら「いつものよ〜に幕が開〜き〜」なんてやると、けっこうウケたりしたものだった。
夜になるとよく天井がうるさくなる。始めは何かが、とててててて、と走る。それを追って右へ左へ…。しだいに天井がドタバタしてくる。
親に何だろうと聞くとネズミだという。
たまにそれに猫やイタチが加わった日には、屋根裏は大混乱だ。ホコリも降ってくる。
朝にはよく耳元の壁の中でカリカリ何かかじっている音が聞こえた。
ネズミはゴキブリなみに生息していたようだった。
ちなみに長屋では床下も屋根同様つながっているわけで、よく、友達の家の床下から床下を、近所のガキンチョ探検隊でゴソゴソ渡り歩いて叱られたものだ。
天井のネズミ、床下のガキ…。
NOZIRAの家は雨が降ると、臨戦態勢に入らねばならないことがたびたびあった。
親の指示の下、洗面器やバケツを持ってこなくてはいけない。天井にできたシミの下に置くのだ。天井の板にポッタン、洗面器にピッタン…。子供心には楽しいものだった。天井に不思議な模様は出来るし、音は愉快だし。
しかし親のほうは、どこが浸水するか解らないので、気が気ではなかったらしい。(アタリマエカ…)
お父さんは雨上がりにしっくいを塗りに屋根に上がる。はしごも常備されていた。(これがまた、絵に描いたような木のはしごだった)
いつも登ってみたくて、屋根の上にいるお父さんがうらやましかった。なにが見えるのか、下がどんなふうに見えるのか、気になってしかたがなかったのだ。
しかしNOZIRAが屋根に登ることはついにありませんでした。
家にいとこが遊びに来たときのこと。そのいとこがタンスの上にゲーム盤のような箱を発見した。
「あの(まごころ)ゲームをしよう」
そんなゲームは、この家の者である私達兄妹ですら知らない。いつのまに?と、思いつつ、高いところに置いてあったので親に取ってもらおうとしたら、ソレはただの電気毛布の箱だった。
しかし、「まごころゲーム」をしようと盛り上がった気分は押さえがたく、我々は「まごころゲーム」をつくることにした。
そしてゲーム盤、というか、ただのスゴロクなのだが、我々は一致団結して、想像通りのゲーム盤をつくりあげた。
いろいろな試練の後、「まごころ」にたどりつくという、壮大な(笑)テーマを含んだ、私達にとってのすばらしいゲームの完成であった。
伝説のゲーム「まごころ」!
この後しばらく、私達兄妹の間でゲーム盤つくりが流行り、「絶対に終わらないゲーム盤」とか、くっだらないゲームをいろいろ産みだしたものである。