NOZIRAの放浪記 |
| 高校を出ておとなしく実家からОLをしていたのだが、「このまま見合いをしてヨメにいって終わるか? 人生コレじゃイカン!」と思ったNOZIRAは、貯めたお金を握り締め、 荷物をまとめて「専門学校に行くことにしたから」と、親に事後報告。 野望としてはお江戸を目指していたのだが、資金不足と、先に出奔していた友達を頼れるところから、 大阪停まりとなった。 そして親元を離れたNOZIRAの放浪人生が始まった。 |
はじめての独り暮らし。ハタチを越えたら自分の責任で生きて行くぞ!これが放浪の始まりだったのです。
でも、責任とれない事はしない、のモットーで、バイトは最小限、昼の専門学校に自費で通うことにしました。(権利には義務、自由には責任。義務や責任を守れない者は権利や自由を主張する資格はナイと思うから。)
大阪では友達のいたアパートの空き部屋に転がり込んだ。1・2階は大屋さんち。3・4階が貸部屋という所の4階に。引っ越しと言っても、家具はなく、ダンボールばかり。受け取り手(自分)不在だったため、大屋さんと友達が汗水流して4階まで運びあげてくれていました。思えば、大屋さんを働かせた極道な入居者よね…。
また隣のビルの屋上で飼われていた犬がうるさかったとき、コワめのオジさんが怒鳴り込んできた。これによって足下にはそういう人がお住まいであることが発覚したのでした。
高卒、地元中心の学生達の中で、年齢不詳の出戻り学生で独り暮らしの私はとても都合のいい存在であったらしく、何かと友達が集まって泊まっていったりする、やたら出入りの激しい部屋でもありました。
まさに当時はバブル華やかりし頃。大家さんちのおばあちゃんが亡くなり、その遺産相続争いに住人も巻き込まれて、アパートは処分されることになって、1年余りで出ていくこととなりました。
自分の稼いだお金で学校に行くというのは、どれもやってみたかった授業内容、という事もあってかなり燃えた。田舎で働いていた会社では、専門知識がないからと、ロットリングペンすら握らせてもらえなかったという屈辱を晴らすべく、写植やデッサン、写真などをやりました。
しかし、足りない学費を捻出するために、各季節休みには、避暑を兼ねたリゾートバイト(その実態はただの住み込み出稼ぎ労働者)をしたので、ますます私は放浪の度を深めていくのでした。
ねぎやきとは、ねぎだけでつくるお好み焼きで、しょうゆのようなタレをうすくひいてレモン汁をかけて食べます。ここは家族のみが店をやっているので、この味はここでしか味わえない門外不出の逸品です。
私のおススメは「すじねぎ」で、味が染み込んでじっくり柔らかく煮込まれた牛筋がたまらないコクを出します。開店から閉店まで、行列のない日はありません。カウンターだけの小さなお店なんだけど、接客も満点のイイお店で、気持ち良く食べさせてくれます。あ〜食べたいっ!
関西と関東でお風呂やさんの湯船が違うし、流儀が違うって知ってました?
西日本では風呂場の中心に湯船があって、壁にシャワーと蛇口が並んでます。まず、湯船のお湯で身体を洗います。壁のシャワーや蛇口は頭を洗うときに使います。わりと湯船のお湯を使うんですよね。
薬湯、電気風呂などがあります。
関東では壁際に湯船、ついたてのように鏡と蛇口が並んでる。
蛇口を1ヶ所占有して使いますよね。湯船のお湯は使わないみたい。
サウナがたいていついてますね。シャグジー系の湯船がオプションというのが多いのでは。
他にも流儀があるんでしょうか?
大阪ではサーカスの団員の金髪のおネエちゃんが、電気風呂(関東では無いよね)に驚いてたりしてました。両親がいなくておばあちゃんちで暮らしている女の子にオトナはいいねといわれたり…。彼女は家出の常習犯で補導歴もたっくさんあるコだったけど、冒険をいっぱいしてきた行動派の面白いコでした。
関東では大将のアパートにはお風呂が無くて、神田川の世界、してました。(笑)でもオンナの私より、大将の方が長湯で、いつも待たされるのは私の方だったな。
生まれたての女の子と3歳くらいの女の子と親子をよく見かけてました。お姉ちゃんは頭を洗われるのがイヤらしく、ぬれてもいないのに、「洗った」と主張してたのがおかしかった。りんご風呂のときはリンゴに小さな歯形がついてたり。
季節ごとにしょうぶ湯、ゆず湯、酒風呂、りんご湯、などなど楽しめて…そんなお風呂屋さんが私は大好きです。
肉うどんのお肉ってどういうのですか?
西日本では味付けされて煮込まれた牛肉がうどんに乗っかってる。関東に来て、湯通ししただけの味のない豚肉がゴロンと乗っかっててビックリ。
つゆも透明でカツオの香がぷんぷんしてるのが関西風。関東は醤油の香りしかしなくて私的には哀しい。
内地と沖縄では違うし、大阪でもあまり本物のちゃんぽんに出会うことはありませんでした。
私の思うちゃんぽんは、九州と同じだと思うんですが、リンガーハット系の白いとんこつ風スープに炒めものが乗っている太いちゃんぽん麺が特徴的なもの。大阪ではあんかけラーメンが出てきたことがたくさんあってショックでした。
沖縄はさらに全く違うものだそうです。ちゃんぽんと言うと、なんと、あんかけ丼が出て来るんだそうだ!
ツボのコーナーでも書いてますが、時代小説にハマると現地に行きたくなる私。くまなく行きました。宮本武蔵コース、幕末コース、千利休コース、光源氏コース、安倍晴明コース等々。
幕末だと「維新記念館」があって、すぐ裏に竜馬の墓とかあったり。そういや幕末の旅籠で、今も営業している「寺田屋」も不況のあおりで存続の危機というニュースがありましたが、どうなったんでしょうね。
道端の立て看板や石碑を読んでみながら、あちこち歩いてみると、藩邸から住んでる所まで何分くらいで行ける距離だったんだな、とか体感できて楽しい。
京都御所や桂離宮なども見学願を出して見に行きました。
それこそ先年昔の宮中の生活から、京都御所の扉には幕末の騒乱の鉄砲跡まで、今だに残っているなんて、なんかスゴイと思いませんか?
博物館帰りに降りだした雨にぬれて歩いていたとき、通り掛かりのじーさんが傘に入れてくれたのですが、幕末話で意気投合。円山公園の料亭でいもぼうをご馳走になった。思えば不思議な体験です。
銀閣寺近くの哲学の道から一つ裏道にある洋館の「おてんばキキ」という喫茶店、お気に入りだったんだけど、今もあるんでしょうか。夜だったら先斗町にも小さないいお店がいっぱいあるんですよね。
そういえば京都駅のホテルグランヴィアにも泊まったことが有りますが、あそこはい〜ですね〜!部屋は広いし、駅直結だし。あそこに泊まってるのよ、的な感覚はちょっと優越感アリです。
過去も現在も多分未来も、大好きなところです。
後にいっしょに暮らす某まんが家さんちに遊びに行き、大阪で世話になっていた友達と道後温泉に行き、行くならトコトン、ということで高知まで足をのばしました。現在その漫画家さんは超メジャーまんがを描き、大阪の友人は今私と同じく育児中。
やっぱり時代小説にハマると現地に行きたくなる私。で、土佐の高知のはりまやばしに。それから竜馬記念館のノートに「長州脱藩浪人」と書いて帰った。(笑)
駅で宿を探したんですがなぜかどこもいっぱい。桂浜近くの民宿になんとかもぐりこみました。翌朝浜へ行ってみると、野球選手。ちょうど西武ライオンズがキャンプ中だったんですね。でもただの竜馬ファンにはそんなことは知ったこっちゃない。ただウルサーイ!と思ってました。
高知城も歴史を知って臨むと、ここではキビシかった階級の重さを思うと、今こうして誰でも入れるなんて、昔じゃ考えられなかったんだろうな、と。
帰りは船で大阪に戻りました。船の二等船室の中には洗面器があちこちに。船は湾から太平洋に出た途端、1〜2mくらい上下。土佐っ子は一升瓶登場で宴会開始!私は船酔いしないよう、爆睡をカマしました。
季節労働をしたところです。図らずも避暑になって、夏の熱い大阪から脱出できてました。私は乗鞍高原で、上高地では名古屋の友人がバイトをしていました。
その宿のおじいさんが乗鞍岳の山頂に有るコロナ観測所を建てた人で、お父さんが働いてた関係で、その観測所でも2週間ほどバイトをしました。面白かったですね。気分はハイジ!カモシカや雷鳥を見たりしたし、岩場によじ登って、死にそうになったり。ちっとも働く気のないダメダメバイト人でした。
乗鞍高原でも休み時間に牧場、滝見物、自転車の練習(乗れなかった!)近所を探検しまくってました。毎日朝から晩まで働いて、動いて、たっぷり食べさせてもらって、温泉につかって…。大変なバイトでしたけど、若いから出来たっていうような、いい経験でした。
見どころ
三本滝・善五郎の滝・番所大滝 どれも20m級のダイナミックな滝でスゴイです。
一ノ瀬牧場 夏はサイクリング、冬はスキーが楽しめます。牛止め池は人工の音が一切しない究極の静けさを味わえます。
乗鞍でバイトしたあとに、能登半島で大阪の友達と遊ぶ予定だったのが、ついついバイト先の居心地の良さに長居をしてしまって、一人旅になってしまった行程。どうせ一人だし、松本から黒部立山アルペンルートを何気なく行ってみたら、立山まで抜けたときに日が暮れてしまったので駅のビラから宿をさがして、ユースホステルに1泊。そこには山口から来ていた女性客が同室にいました。あと、ユースをバイトしながら全国を渡り歩いている人にも会いました。
翌朝立山から富山に降りてきて(途中キツネに会う)そこからJRなんだけど、ヒマはあるから、と、普通切符一枚を京都まで買って、京都からは阪急で帰ったのです。普通電車でコトコトと何処までも。途中金沢で降りて、兼六園の池のほとりで昼を食べました。
何も拘束されない、ヒマはあるけどお金はなかった、きままないい旅でした。
後に、能登へ行った友人からスゴイ宿と料理をほおばっている写真を見せてもらって、行きゃ〜よかったとスゴ〜ク後悔いたしました。
妊娠。これはとってもバイオな体験でした。自分も動物だったんだなあ、と。ハラが出るだけでなく、いろんなことが己の身におこる。この劇的な変化はほんとに仮面ライダーが変身するがごとく…って、そんなにスマートなもんじゃないか(笑)。
半年やそこらで10kgも増えた体重に、足はビシビシ、ハラは1m。ヘソはひっくりかえって出ベソになった後に真っ平らに。 こうなるとトイレに行くのも死に物狂い。和式なんて、しゃがんだが最後、立ち上がれない。寝るのも、仰向けやうつぶせはできなくなり、腹式呼吸もできず、いびきをかくようになってしまった。(坊主が出たら治った)
そしてついでに、いきなり「身体の不自由な人」になって、世間の見方も変化しました。コギャルには「ウザイ人種」になったわけで。でも、自分もこうなってみるまでは、「身体の不自由な人」の生活がこんなに大変なものだとは思ってもいませんでした。
通勤ラッシュにおける妊婦への気遣いもほとんどなく、都会の人々は90%冷たかったですね。「そこのオヤジ!小娘!シルバーシートで狸寝入りしてんじゃねえ!」と、心の中でキレる日々でした。
でも、「妊娠中毒症」などの症状はなく、臨月にはいっても「獅子座流星群」を見に行ったり。ガキンちょが出てきたら当分行けないからと「行列が出来るラーメン屋」巡りをしたりと、最後の、のんきなコブなし生活をエンジョイしていたのでした。
自分の母はいつまでも「口うるさい人」という印象しかなかったんですけど…。しかあ〜し!この出来事はすべての見方を変えました!
世の母ちゃんはエライ!すべての母はスゴイ!何人も産んだ人はもっとスゴイ!!自分の母ちゃんもいきなり神様に思えましたよ。ああ、こうして自分も産んでもらったんだ、と。人間はこうやって人生を折り返していくんですねえ。
イタイのはイヤだから、すぐ出てきてくれないかな、と思ってたんですけど、2日かかりました。しかも土壇場になって、子供の頭囲が大きくて、骨盤を通らないかも、なんて言われて、いきなりレントゲンを撮ったり。
大将はずっと腰を押してくていて、指が痛くなってツボ押くんを買いに走ったり…。最後は看護婦さんがハラの中に手を突っ込みすぎて、破水。頑張って激痛散歩したりしてたんですが、お産が進まず、陣痛促進剤投与。やっと分娩台にあがった時にはどっと眠気が襲ってきて、ヤバかったです。で、結局ひっぱりだしてもらったのでした。(鉗子分娩)
病院で1週間、母ちゃん教育を受けるのですが、そんなモノでヒトは親にはなれないことを、その後思い知ることになりました。なんとかなるんじゃないかと、大将と2人で産後をがんばりました。大将は1ヶ月、仕事をせずに料理に買い物などに奔走!
24時間昼夜の区別のつかない赤ん坊のお世話は、私達の想像を絶する大変さでした。妊娠中に行った母親教室の人形と違って、坊主の重いこと!そのうえ動く!小さいながらそのパワーに圧倒されまくってました。
「あんたもそうだったのよ」と親に言われると頭がさがるやら、やるしかないと思うやら。
いつになったら朝までぐっすり眠れるのだろうかと思うこと1年。徹夜の平気だった年頃に産んどきゃよかったと思うことしきり…。
そんなブルーな気持ちをはらすべく、このHPに4コマが炸裂することとなったわけです。
国内格安航空券の発売を知ったとき、この計画は動きだした。定額の1往復分で2往復できる!
そして私は飛んだ!坊主を連れて私の実家に飛び、3日間じじばば達と枕を付きあわせて強化合宿!坊主には否が応でもじじばばに慣れてもらい、私はこっそり独身になって舞い戻る。戻った翌日には大将と成田からGo!
私は初めての海外旅行でした。ツアーだったので何の心配も有りませんでしたけど、中身は全部フリーの1週間。何処へ行くのも食べるのも、全部フリー。ハーレムなどのヤバイところはツアーで行き、あとはなるべく日本人ばかりの団体行動は避けました。(笑)
朝イチのワールドトレードセンタービル、最終ギリギリのエンパイアステートビル、カーネギーホールで激安でニューヨークフィルを聴けたり、博物館や美術館でヘトヘトになったり、中華街でめちゃくちゃ美味しい本場料理が食べれたり、おりしもイースターでどの教会もすごいパイプオルガンが聴けたり。
ニューヨーカーのこわれた味覚のイースターエッグをお土産で受け取った不運な友人達に、改めて…すまんかったです…。知らなかったんですよ。あんなにゲロ甘な代物だったなんて…。罰ゲーム用には最適だったかもね。
そして身体がやっと時差に慣れたころ、戻って来ました。けっこうキツイ時差ですね〜。昼夜逆転って。
さらに私は坊主を迎えに空を飛ぶ!坊主は私を見て飛びついてくるかと思いきや、「あ、いるの。ふ〜ん」くらいで終わりでした。がっくり。
初めては6〜7ヶ月のとき行きました。その時は突発性発疹をわずらい、小児科の先生の予言通りきっちり3日40度の熱に坊主はうなされました。このとき、なけなしの母乳でも出るようにがんばっといてよかったなあと思いました。そしておじいちゃんおばあちゃんちだったので、私も看病に専念できたし、おろおろしなくて済んだし。ほんとにありがたかったです。
そして2回目。1歳8ヶ月のときに沖縄のお盆を体験しに行きました。内地のお盆と全く違うしきたり。坊主はワケわかってなかったですけど、集まる親族、それに付随して集まる子供たちにまみれて、とても楽しそうでした。
子連れ天国
以前は出歩かなかったので気付きませんでしたが、沖縄はやはり子供の数が多い。空港にもちゃんとプレイゾーンがあるし、どのレストランに行っても子供イスや子供メニューは絶対にあるし、どのコンビニにもおムツなどの赤ちゃん用品はあるし、下手な内地よりよほど子供連れに適していると思いました。
沖縄の太陽は殺人的な強さなので、赤ちゃんには用心が必要ですが、サンゴ礁の海は波が穏やかで、水もきれい。ユウタも怖がることなく海に入っていました。
が……私1人、思いっきりウニを踏みつけて最悪でした。マリンシューズは必要ですね…。コレ、内地より、こっちで買ったほうが種類も豊富で安いです。(子供靴もこっちの方が豊富かもしれない)
沖縄は夜遊ぼう!
スーパーも深夜1時2時までやっているところが多い。プレイスポットは日が暮れてから行くと、涼しくてGood!ディナーの後に遊びに出かけるのがミソらしい。お買い物もお出掛けも熱い昼より涼しい夜!