■志布志(しぶし)

2013/10/23更新

薩摩藩が治めた時代から船運を利用した物産の集積場所として栄えました。
戦前は連合艦隊が集結して訓練したり、志布志駅北西の台地に海軍が飛行場を建設するなど軍事色も濃く、関連して鉄道輸送も盛んだったようです。
戦後は鉄道輸送が減り、昭和62(1987)年には志布志線も廃線になり、現在は日南線の終着駅として、1日10本のディーゼルカーが行き来するのみです。
志布志機関区や操車場のあった区域が再開発され、鉄道記念公園にはC58112とディーゼルカーが保存されていました。
志布志機関区隆盛時には8620、9600、C11も僚機として活躍していたようです。古い町並みは分散して残されていましたが、あまり多くはありません。
漂泊の俳人として有名な種田山頭火も昭和5(1930)年志布志を訪れ沢山の句を読んでおり、あちこちに碑が残されていました。
現在志布志は種田山頭火の碑や旧跡を最大限に活用し「志あふれるまち」を合言葉に、活性化を果たすとともに、国際コンテナーターミナルとして再び大きく世界に羽ばたこうとしていました。

 

↑松尾城、高城に挟まれた街道上に散在する旧武家屋敷の一つ。/2013年9月

↑明治15年築の山中家。右の空き地に、種田山頭火の「秋の白壁を高う高う塗り上げる」の碑がある。/2013年9月

↑前川沿いにある津口番所跡。志布志は古くから港町として栄え、この番所で藩政時代には廻船・貿易船の積み荷を取り締まっていました。橋の向こうに霞んで見えるのは権現島です。/2013年9月

   
 

↑平山氏庭園。大岩盤を生かし、木々を配した江戸時代初期に作られた豪放な庭園である。/2013年9月

 
     

↑その昔連合艦隊の戦艦が集結し訓練を行ったという志布志湾を望む。右手に停泊している白い船が大阪南港との間を往復しているフェリー「さんふらわあ」である。/2013年9月

 

 

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