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笹川種郎「金聖歎」 『帝國文學』2-3 (1897年)

※ 原文には返り点を打った箇所がありますが、本テキストではこれを省略してあります。


金聖歎

笹川種郎

崑崙維れ峙ち、江河維れ流るゝのほとり、文學の光輝夙に燦として異彩六合に溢れ。其發して彰はるゝもの、北方文學となりては莊重にして雄大。南荊楚に入ては奇拔となり、典麗となり、思想自ら豐富に。其蜀に起こるものは豪莊あり、沈痛ありて。別に特殊の本色を備ふ。源を三千載の古に開きてより泉流滾々。先秦に盛に。之を承くるに漢代の華瞻、六朝の纎靡を以てし。其粹を鍾めたるもの唐代の粉紅駭緑となり。餘香猶永く後代に薰ぜり。之を西方アリアン種族の文學に比するに豈些個の愧色あるものならんや。然れども支那開化の發展は實際的傾向を有する北方人種の間に剏まれり。從て北方文學は實際的傾向を有し其影響する處小説戲曲の萌芽を促すと能はず。且つや北方人種の間に起こりて上下古今禹域の人心を繋ぎたる儒教の勢力は空に架し、虚中有を生ずるが如き小説戲曲の發達を妨げ、躬行實踐の大旨義は史筆をして偏長ならしめ、實用的文學をして發育せしめたりと雖終に人情の琴線に觸れ、其極微を穿ち、社會の觀察を遂げ、其巨細を探るが如きものを出す能はず。小説戲曲は士君子の蔑にしたる處。後世の作家猶且其姓名を晦まし以て世の毀言を免れんとす。故に漢魏の間文學旺盛なりしと雖僅に漢武内傳、飛燕外傳雜事祕辛一流の物を出すに過ぎず。唐代の文學前後に絶するの盛を致したりと雖偶元微之の會眞記若くは張文成の遊仙窟を産したるのみ。   ∥《   貫華庵  http://www003.upp.so-net.ne.jp/haoyi/guanhua/   ∥

歳月久しきを經、宋末元明の間に至て小説戲曲は漸く發達の運に遭遇せり、羅貫中の作と傳ふる水滸傳も此時に出で、王實甫が西廂記も此時に顯はれぬ。西遊記出で琵琶記出で、三國志出で、金瓶梅出で、牡丹亭傳奇出で、其清に入てや、孔尚在の桃花扇を出し、李笠翁の十二樓、十種曲を出し、蒋藏園の紅雪樓、四種曲を出し、曹雪芹の紅樓夢を出し、一時文壇の奇觀を添へたりと雖小説戲曲は猶未だ士君子か好遇を受くること能はず。寧ろ一隅に屏息するの状を呈しぬ。而して獨り此間に立て卓然として小説戲曲の爲に萬丈の氣焔を吐けるものあり。是を呉縣の人金聖歎となす。   ∥《   貫華庵  http://www003.upp.so-net.ne.jp/haoyi/guanhua/   ∥

聖歎は粉々たる毀譽襃貶の間に猶浮沈せり。千古の卓見を以て目するもの、呼で放恣となすもの、評して迂愚と云ふもの、亦以て其地位の支那文壇に輕からざるを見るべし。其聲望は爾かく中外に響くと雖其傳記に至ては載籍之を記するもの甚だ少く、逸事として傳はるもの亦稀れなり。吾人は彼を評するに先ち、姑く廖柴舟が金聖歎先生傳に據て其一生の大略を見んか。   ∥《   貫華庵  http://www003.upp.so-net.ne.jp/haoyi/guanhua/   ∥

聖歎は清朝順治の間の人なり。名を采、字を苦采と呼ぶ。其性倜儻にして高奇なりと云ひ、其人や酒を嗜み、好で書を評すと云ふ。其學や博く、其識や高し。貫華堂の高座に踞して經を講ず。經を聖自覺三昧と云ふ、聲音宏亮、徒を集めて開講し、講學を以て聞ゆるものあれば起て之を排す。後名を人瑞字を聖歎と更め、讀書・著述を以て業となし、自ら樂む。評する所離騷、莊子、史記、杜詩、西廂記、水滸傳あり。之を六才子書と名く。其最も喜ぶ所は易にして乾坤兩卦を講じ、十萬餘言至ると云ふ。以て異色の學者たりしを知るべし。生平王劉山と交て善し。劉山はもと侠者の流なり。一日三千金を以て聖歎に與て曰く、君此を以て子母を權し、母は後我に歸せ。豫則ち君が爲に燈火を助く、可ならんかと。聖歎諾し、月を越えて殆ど之を盡くす。乃ち劉山に語て曰く、此物君が家に在らば適ま守財奴の名を増すのみ。我れ已に君の爲に之を遣へりと。劉山一笑して之を置けり。劉山稜々たる侠骨想ふべし。聖歎が劉山の事を記すを見るに口數十萬卷を盡くし、手數十卷金を盡くすとあり。又記して曰く劉山讀盡三教書而不願以文名、傾家給客而不望人報、有力如虎如輕裘緩帶縐走、楊々繪染刻雕吹竹彈絲無技不精、而通夜以佛火蒲團作伴、今頭毛皚々而尚不失童心、瓶中未必有三口糧而得錢尚以與客と。劉山の任侠自ら喜ぶの風ある洵に欽すべきあり、而して聖歎之と結託して誼兄弟の如し。自ら記して曰く、彼視聖歎爲弟、聖事之爲兄、有過呉門者、問之無有兩人也と。英雄英雄を識り、好漢好漢を識る。聖歎の人物尋常儒者と全然異るある知るべきのみ。然も聖歎が末路は甚だ悲むべきものあり。柴舟が傳之を載せず。單に記して慘刑に罹ると云ふ。桂林漫録に載する處の秋坪新語の文は稍此間の消息を傳へり。曰く金聖歎著はす處の解唐詩、五七言の律詩を中より分ち。上四句を前解とし、下四句を後解とす。當時の人戲れて、唐詩を腰斬に爲たりとぞ稱しける一日金京師へ行きけるが、東の四牌樓の邊にて内逼ければ街心にて袴を褪ぎ、大便を遣りけるにぞ、見る人駭かざるは爲し。坊卒出でゝ之を叱り禁むれば金傲然として色を作し且便し、且晒ひて曰く群狗吾矢を噬はんとするのやるせなさに、反りて我を叱やと坊卒大に怒りて鞭打てば金も亦大に怒り。移口に毒詈す。坊卒腹に居ゑかね。金吾の處へ達しければ抅へて訊爲ける處、愈惡言止まざりける故遂に公の沙汰となり、平日の事蹟を搜査ありしに、著はす處の書不法の語のみ多かりしに依り、誹謗の罪に坐せられ市にて腰斬にぞ行はれける。唐詩を中より分ちたるは其識なりと人云ひあへりしとなりと。廖柴舟の傳に據れば識を説て曰く、先生杜詩を解くの時、自ら言はく。人有り、夢中より語て云はく。諸詩皆説くべし、惟古詩十九首を説くべからずと。先生遂に以て戒となす。後醉に因て縱に青々河畔草の一章を談ず。未だ幾何もあらず。遂に慘禍に罹る。刑に臨で歎じて曰く、頭を斫る、最是れ苦事。意はず、無意中に於て之を得たりと。其識の如何は之を問ふを罷めよ。荆軻が秦皇を生刧せんとしたるを以て千載の恨となせる侠者王劉山の友なる金聖歎が滿腔骯髒の不平は終に奇禍を買て身を滅すに至りしなり。   ∥《   貫華庵  http://www003.upp.so-net.ne.jp/haoyi/guanhua/   ∥

 聖歎が文を讀まんとするものは先づ以上一生の大略を知了するを要す。其文に氣采あり。其見に奇拔あるの所以亦以て默會するに足らんか。其水滸を評する、其西廂を評する。細に入り微を穿ち。聖歎自己の創見を以て縱横之を解かざるなし。肉を放ち骨を去り、髓に入り、手に從て之を剪る。小説戲曲彼に依て九鼎大呂より重し。其水滸を賛するや、或は天下の文章水滸の右に出づるものあるなしと云ひ、或は天下の樂第一は書を讀むに若くはなく、書を讀むの樂第一は水滸を讀むに若くはなしと云ひ。其西廂を稱するや、或は西廂記、必ず地を掃て之を讀むべし。地を掃て之を讀むものは一點の塵を胸中に存するを得ざるなり。西廂記は、必ず香を焚て之を讀むべし。香を焚て之を讀むものは其恭敬を致し、以て鬼神の之に通ぜんことを致すなり。西廂記、必ず雪に對して之を讀むべし。雪に對して之を讀むものは其潔清を資くるなり。西廂記、必ず花に對して之を讀むべし。花に對して之を讀むものはその娟麗を助くるなり。西廂記、必ず一日一夜の力を盡くすべし。一氣之を讀むものは總て其記盡を覽るなり。西廂記必ず半月一月の功を展べて精切之を讀むものは細かに其膚寸を尋ぬるなり。西廂記、必ず美人と並座し之を讀むべし。美人と並座之を讀むものは其纏綿多情なるを驗するなり。西廂記必ず道人と對座して之を讀むべし。道人と對座して之を讀むものは其解脱無方を歎ずるなりと連呼し。或は記し得たり、聖歎幼時初めて西廂を讀みし時他不偢人待怎生の七字を見。悄然書を廢して臥すもの、三四日。此れ直に活人此に於て死すべく。死人此に於て活くべく。悟人此に於て又迷ひ。迷人此に於て又悟るものなり。知らず此日聖歎是れ死、是れ活、是れ迷、是れ悟なるかを。之を總ぶるに悄然一臥三四日に至り、茶せず。飯せず。言はず。語らず。石の海に沈むが如く。火の滅盡するが如きもの皆此七字。匃魂攝魄の氣力なり(韻第酬十二節の評語)と絶賞す。此に於てか、水滸、西廂は莊子、離騷、史記、杜詩と相較せれるゝに至る。其言に曰く、故若莊周屈平馬遷杜甫以及施耐庵董解元之書皆所謂心絶氣書而猶死人、然後其才前後繚繞得成一書者也、莊周屈平馬遷杜甫以其妙如彼不復具論、若夫施耐庵之書而亦必至於心盡氣絶面猶死人、而後其才前後繚繞得成書と。又曰く。故用筆而其筆不到者、如今世問横災梨棗之一切文集是也、用筆而其筆到者、如世傳韓柳歐王三蘇之文是也、若用筆而其筆之前後不用筆處無不到者、舍左傳吾更無與歸也、左傳之文莊生有其駘宕、孟子七篇有其奇峭、國策有其匝緻、太史公有其巃嵸、夫莊生孟子國策太史公又何足多道、吾獨不意西廂記傳奇也、而亦用其法、然則作西廂記者其人眞以鴻釣爲心、造化爲手、陰陽爲筆、萬象爲墨者也と。是れ豈從來士君子が爲に蔑如せられたる小説戲曲の爲に萬丈の氣焔を吐けるものに非ずや。   ∥《   貫華庵  http://www003.upp.so-net.ne.jp/haoyi/guanhua/   ∥

小説戲曲の絶好保護者たる彼か批評は眼紙背に徹し。包丁牛を解き、宜僚丸を弄するか如きものあり。然れども一意の盲服は全篇盡く之れ絶好文辭。絶好脚色にして彼は白玉の裡に微瑕を發見すると能はず。許多の文辭を列ね、分解し、賞贊し、而して獨り破顏せり。然れども是れ支那評家が同轍の弊にして古今を通して常に此病あるを免かれず。我豈獨り我金聖歎を咎むるを要せんや。然れども聖歎海の如き才あり。其才は小説戲曲を評するに於て殆ど小説戲曲を取て自家藥籠中のものとなせり。有躰に云へば彼は小説戲曲を評するに非ずして、自家氣焔を吐かんが爲に小説戲曲を假りたるが如し。所謂彼は他の酒盃を假りて自己の〓魂に澆ぎたるもの。故に其水滸を評するや水滸をして金聖歎の水滸となさしめ了ぬ。西廂に至ても亦聖歎の西廂たるに外ならず。其甚しきに至ては水滸傳一百二十回を削りて七十回となせり。曲亭馬琴其玄同放言に於て詳に論じて曰く、

田叔禾西湖遊覽志云水滸傳出宋人筆、近金聖歎自七十回之後斷爲羅所續、因極口誣羅、復僞爲施序於前、此書遂爲施有矣、予謂世安有爲此等書人當時敢露其姓名者闕疑可也、定爲耐庵作、不知何據といへり。この言愚意と符合せり。施耐庵か自序の僞作なるよりは余も亦金聖歎か西廂記の序中に渠その馬脚を露はしゝを見つけたり。小説を好むものは彼序に心をつけて見るべし。但その宋人の序に出でたりといふは何に據れるにや(中畧)又華亭王圻續文獻通考卷第百七十七云水滸傳、羅貫著、貫字本中、杭州人、編撰小説數十種而水滸傳敍宋江事奸盜脱騙機械甚詳然變詐百端壞人心術、説者謂子孫三代皆唖、天道好還之報如此。書影云故老傳聞羅氏爲水滸傳一百回、各以妖異語引其首嘉清時郭武定重刻其書削其致語獨存本傳。かゝれば水滸傳を羅貫中か作といふは普通の説なり。且貫はなほ著述多かり、施耐庵は別に見る所なし。金聖歎か詐欺はよく測るべからず。さるを讀書の人水滸傳といへば施耐庵が作として且金聖歎を推すもの多かり。こゝろ得難し。

馬琴が斷じて羅貫中の作となすもの、未だ全く首肯すべからざると雖聖歎が恣に削除改竄したるに至ては疑ふべからず。   ∥《   貫華庵  http://www003.upp.so-net.ne.jp/haoyi/guanhua/   ∥

聖歎西廂記を批す。是れ聖歎の文字、是れ西廂記の文字ならずと自稱するは偶以て彼か眞意を領するに足るべし。聖歎が評する處は是れ作者に忠實なるものに非ず。然も其書をして絶大の價値を有せしむるの功に至ては沒すべからず。蒪郷贅筆の著者が罵て『古の詞を談ずるもの曰く元の詞家一百八十七人。王實甫は花間の美人の如し。自ら是れ絶調と。其品題目の如きに過ぎざるのみ。乃ち聖歎一己の私見を恣にし、本と解する所なし。自ら謂ふ。別に手眼を出し、章を尋ね、句を摘み、瑣碎割裂。其前に列ぬる所の八十餘條を觀るに謂ふ。天地より即ち此妙文あり。上は風雅に追記し、馬莊を貫串すべしと、或は之を證するに禪語を以てし。或は之を制作に擬し。忽ちにして呉歌、忽ちにして經典亂雜不倫、且曰く聖歎批する所の西廂記、是れ聖歎の文字。是れ西廂記の文字ならずと。直に己が有となさんと慾す。噫迂にして愚なりと謂つべし』と云ふが如きは頗る酷評と云はまくのみ。聖歎豈之が爲に氣死するものならんや。」   ∥《   貫華庵  http://www003.upp.so-net.ne.jp/haoyi/guanhua/   ∥

『聖歎云。或問、題目如西遊三國如何。答曰這個都不好。三國人物事躰説話太多了。筆下拖不動、踅不轉、分明如官府傳話奴才。只是把小人聲口、替得這句出來。かくいひながら聖歎又外書三國志演義云。吾才子書之目宜以三國演義第一といへり。嗚呼是何等の亂説ぞや。その三國演義を評する日はこれを第一と稱し、又水滸傳を評する日は三國志をいたく譏れり。その兩舌かくの如きは媒婆といふども猶羞づべし』と是れ馬琴か皮肉の痛言にして聖歎の肺腑を穿て頗る當れり。聖歎一氣文辭を絶賞するの弊は獨り三國水滸の評語相矛盾するに止まらす。水滸一卷中猶之を觀るべく、西廂一篇中猶之を認むを得べし。彼が一書を評する一意其書を觀て極力其美を稱し、殆ど矛盾の有無を知らざるなり。聖歎批評の弊又洵に此に存せり。   ∥《   貫華庵  http://www003.upp.so-net.ne.jp/haoyi/guanhua/   ∥

水滸傳は聖歎が愛玩し措かざりしの書其楔子の外書に記して『哀いかな。此書既に成て之に命じて水滸と曰ふ。是の一百八人なるもの、其人ありとなすか。其人なしとなすか。誠に其人あるや、即ち何の心有りて水の滸に至れるや。其人なしとせんか、則ち此書を爲くるものゝ胸中、吾れ知らず其何等の冤苦あつて必ずしも一百八人を説言して又遠く之を水涯に托するやを』と。謂ふべし聖歎無慮の感慨ありて此書を評したるなりと。然れども其讀第五才子書法に於ては則ち曰く。

大凡讀書先要曉得作書之人是何心胸、如史記須是太史公一肚皮宿怨要揮出來、所以他於游俠貨殖傳、特地着精神、乃至其餘諸紀傳中凡遇揮金敎人之事、他便嘖々賞歎不置、一部史記、只是緩急人所時有六箇字、是他一生著書旨意、水滸傳却不然、施耐庵本一肚皮宿怨要發揮出來、只是飽煖無事、又值心閒不免伸紙弄筆、尋箇題目、寫出自家許多錦心繡口、故其是非皆不謬於聖人、後來人不知、却於水滸上加忠義字、遂幷比於史公發憤著書一例、正是使不得水滸傳有大段正經處、只是把宋江深惡痛絕、使人見之、眞有大彘不食之恨、從來人却是不曉得、水滸傳獨惡宋江亦是殲厥渠魁之意、其餘便饒恕了。

故に馬琴罵て嗚呼是何等の亂説ぞや、施耐庵が冤苦の有無、評論前後鉾盾して醉狂の如し。敎戲粉紜、われ其取らん所を知らずと云ふ。然れども是れ馬琴燃犀の眼識なきの致す處。徒らに表面を讀で裏面を曉らず。聖歎一肚皮の慷慨あり。然も時勢は彼をして滿腔裏に鬱勃したる不平を吐露せしむるを許さず。其水滸に評語として顯はるゝもの僅に此間の消息を漏らすと雖彼は當時に對して巧に之を隱蔽し、彌縫せざるべからず。然も猶且つ彼が慘禍に遭ひしもの多く水滸傳外書の致す所なりしと云ふに非ずや。彼の宋江を評する殆ど詬罵を極む。或問於聖歎曰、魯達何如人也、曰闊人也。宋江何如人也、曰狹人也。曰林冲何如人也、曰毒人也。宋江何如人也、曰甘人也。曰楊志何如人也、曰正人也、宋江何如人也、曰駁人也。 曰柴進何如人也、曰良人也。宋江何如人也、曰歹人也、曰阮七何如人也、曰快人也。宋江何如人也、曰厭人也。曰李逵何如人也、曰眞人也。宋江何如人也、曰假人也。曰吳用何如人也、曰捷人也。宋江何如人也、曰呆人也、曰花榮何如人也、曰雅人也。宋江何如人也、曰俗人也曰盧俊義何如人也、曰大人也。宋江何如人也、曰小人也。曰石秀何如人也、曰警人也、宋江何如人也、曰鈍人也。然則水滸之一百六人 , 殆眞莫不勝於宋江といふが如き。葢此書寫一百七人處皆直筆也好即眞好。劣即眞劣。若爲宋江則不然、驟讀之而全好。再讀之而好劣相半。又再讀之而好不勝劣、又卒讀之而全劣無好矣と云ふが如き。一事宋江に及べば語を極めて之を痛罵す。然れども是れ亦焉ぞ醜語詆罵の間に不可言の意を寓したるものに非ざるなきを知らんや。馬琴が言を盡して『又その李逵を抬擧して獨宋江を責むるを作者の大象とすといふ事もこゝに得がたし。宋史所云淮南盜宋江は責むべく罪すべきものなれど水滸傳なる宋江はふかく憎むべきものにあらず。彼等罪を賊寨に避けて天威を凌ぎ、財寶を掠奪し、行人を屠殺せしを罪せんとならば李逵といふとも何の好慮かあらん。水滸傳は作者の大意草賊を賢とし、衣冠を賊とす。その筆力人情を盡すが如きは寔に小説の巨擘なり。後世これに加ふるものなし。但勸懲には甚遠かり。その趣向の立てざま善惡正しからず。潔からぬ筋のみなれば宋江を責め。宋江を罪せんとならばその兩賊が奸邪愚惡を論ふにしも及ばず。水滸傳を廢斥して可なり』と云ふが如きは未だ共に金聖歎を語るに足らざるなり。 (未完)   ∥《   貫華庵  http://www003.upp.so-net.ne.jp/haoyi/guanhua/   ∥