ルドルフ皇太子死の謎と地底湖
〜ウィーン〜


1889年1月、ウィーン郊外マイヤーリンクの狩猟小屋の寝室で、早朝2発の銃声が響いた。執事が 鍵のかかったドアを破って中に入ったところ、当時のフランツ・ヨーゼフ皇帝長男 ルドルフ皇太子と、愛人の男爵令嬢マリー・ヴェツエラが死んでいるのを発見した。 ルドルフは33歳、マリーはまだ17歳であった。 この事件は、「マイヤーリンク事件」と呼ばれ、映画「うたかたの恋」で愛する二人の美しい悲劇の代表選手のようになっているが、 実は、彼の死に関しては謎も多く、単なる心中事件でない可能性もでてきているのである。

ゴージャス姉妹は、この事件の謎に迫る為、3日目も朝早くからウィーンの森半日ツアーに でかけた。ウィーンの森は、ウィーンを包むように広がる広大な丘陵地帯で、美しい自然のみならず 旧所名蹟や温泉まである。本日のツアーは、シティラマ主催の英語ツアー。 最初の目的地マイヤーリンクに着くまで約30分。大量のロシア人をはじめ、 多国籍民族(含むゴージャス姉妹)を乗せたバスは、森に向いひた走る。今日も空は低い。

森にひっそりと囲まれたかつての狩猟館は、今は修道院となっている。 今でこそ、当時の部屋の様子や、フランツ・ヨーゼフ皇帝やルドルフ皇太子の写真が飾られ、 観光客が押し寄せているが、事件直後は物々しい厳戒体制が引かれ、悲しみに暮れた皇帝は、 全てを忘れたくて、その館を修道院にしたという。
ルドルフには、ベルギー王女の妻がいたが、全くそりが合わず 街に出ては、飲んだくれているうちにマリーと出会ったようである。 彼は、離婚してマリーと一緒になりたいと思うが、離婚を禁止しているローマ教皇が、これを却下。 そして皇帝はカンカン。
「おまえの結婚は、ベルギーとの国交の為に結んだものだ。離婚なんぞ許さん! しかも、一緒になりたいという娘はどこの馬の骨とも知れぬ、低い身分の女ではないかっ!あほか、おまえはっ#」
事実、マリーはどこの馬の骨ともしれぬ、かなり野心家の女性であった、らしいが、 とにもかくにも、コテンコテンにやられ、彼の前途は絶望的。その上、さらにきつくなった父上の監視で、もともと 繊細で自由を好む彼は、とうとう弾けてしまったのだろう。 愛するマリーと一緒に死への道を選んだ、、、というのが通説であった。
ところが、およそその90年後、亡命していたハプスブルグ家最後の皇帝カールの妻ツィタが 衝撃的な告白をした。
「ルドルフ皇太子は、暗殺されたのです」

その根拠となるいくつかの証言を彼女は聞いており、夫カールもフランツ・ヨーゼフ皇帝から
真相探求の依頼を受けていたという。
その証言というのは、
(1)自殺した皇太子の葬儀の許可がローマ教皇からおりなかったが、皇帝がこの死に関して
 暗号電報を打つとたちどころに、許可がおりている。
(2)現場近くの家具職人が、事件2日後片付けに行くと、家具がひっくり返り、争った後が
 見られた。壁にも弾痕があり、銃声は2発ではなかった。
(3)葬儀の際、皇太子は黒い手袋をしていたという。軍服なら普通手袋は白いはずである。
 しかも黒い手袋の中には綿がつめてあった。
(4)現場にかけつけた当局の話では、皇太子の右手は手首からサーベルで切り落とされて
 いたという。
(5)皇太子が側近に「私は知りすぎた。殺される」と言っていた。
また、皇帝自身も「暗殺と知りながら、政府の要人が絡んでいた為、政治的波及を避けたく、 箝口令を引いた」と洩らしていたと言う。
では、暗殺とすれば、一体誰が?何のために?
革新的な自由主義組織や地下組織と付き合いのあったルドルフが、陰謀計画に加担していたため、 と言う説が有力である。
そして、秘密の漏洩を恐れた仲間に殺されたのか(その仲間はかなり皇帝に近い人物と思われる)。 またはそれを危険と感じた皇帝が刺客を放ったか、、、。

事件に関する書類は事件後全て破棄され、本当に暗殺事件だったのか、 はたまた結局は悲恋の末の心中だったのか、今となっては真実も闇の中である。


Tama