9・11事件以来、日本でチョムスキーの本が売れているという。本書もベスト10に名を連ね、大江健三郎氏や坂本龍一氏は著者を「米国の良心」と称えている。しかし米国では、彼の政治関係の本はまともな出版社からは出してもらえず、自費出版のような形でしか出せない。内容が反米的な偏見に満ち、でたらめだからである。特に1980年ごろにポル・ポト派の虐殺を「西側のメディアのでっち上げだ」と擁護する本を出したことが致命的で、それ以来、著者は米国のジャーナリズムからは黙殺される存在となった。こういう欧米では狂人扱いされている人物の著書がベストセラーになる現象が、日本の「平和」論議の軸が世界の常識から大きくずれていることを象徴している。
この本は9・11の前に書かれたものだが、彼の結論は最初から決まっている。第三世界の貧困は米国のせい、中東問題も米国のせい、テロも米国のせい。あげくの果ては「米国こそ世界最大のテロ国家だ」という。他方、現地の社会主義勢力の作った政権はみんな正義の味方で、それを独占資本と結託した米国政権がCIAによる謀略で倒そうとしている、という類の話が繰り返される。チリのアジェンデ政権の話など、当たっている部分もあるが、自由貿易を「第三世界を搾取するためのレトリック」にすぎないと断じ、WTOにもNAFTAにも反対するのを読むと、さすがにだれでもおかしいと思うだろう。
著者の本業は、政治学ではなく言語学である。言語学にノーベル賞ができたとすれば、最初に受賞することが確実な巨匠である。そんな大学者が政治的にはこんな幼稚な議論を繰り返すのは不思議だが、よく読むと両者には共通点がある。彼の提唱した「生成文法」は、人間は生まれながら遺伝的に頭の中に「普遍文法」を持っているという超合理主義である。これを著者は「デカルト派言語学」と呼ぶが、実際にはデカルトはこんな生物学的決定論を主張したわけではなく(彼の時代には遺伝子という概念もなかった)、むしろその背景には神の存在がある。
一時は、生成文法で自動翻訳を実現しようという「人工知能」が流行したが、すべて失敗に終わった。言語理論としての生成文法も破綻して枠組みが二転三転し、最近では「ミニマリスト」理論という比較言語学の骨組みのようなものだけになってしまった。この事実が証明したのは、言語は著者の想定するようなデカルト的な構造にはなっていないということである。生成文法で文と非文を識別する基準になっているideal speaker-listenerは神の別名である。こうした超合理主義が市場経済を否定し、社会を「計画的」に運営しようという社会主義的アナーキズムにたどりつくのは、ある意味では必然ともいえる。著者の政治評論には何の影響力もないが、こうした形而上学的な言語理論が人文科学やコンピュータ・サイエンスに及ぼした悪影響は、それよりもはるかに大きい。
後記:この反書評は、日本のチョムスキー信者を激怒させたようだが、アマゾンの書評にも書かれているように、チョムスキーがポルポト派を擁護したことは歴史的な事実である。おまけに、彼がイラクに対する経済制裁に反対して書いた"Iraq under Siege"という本の共同執筆者は、イラク戦争のあと逮捕された「ミセス炭疽菌」と呼ばれるバース党の女性幹部だ。チョムスキーの反米キャンペーンがフセイン政権の正当化に悪用された罪は大きい。後記2:言語学の理論としても、チョムスキーはもはや主流ではない。たとえばLakoffの"Philosophy in the Flesh"を読めば、チョムスキーが米国ローカルの「自民族中心主義」であることがわかるだろう。今時こんな認識論的に幼稚な言語理論が生き残っている米国の文化的後進性も困ったものだが、それがチョムスキー学派の解体した今ごろ輸入されて流行する日本の現状は、なんと評したらよいのだろうか。