著者は私の同僚であり、優秀な研究者だが、本書の議論には致命的な欠陥がある。日経新聞の経済図書文化賞に続いて、朝日新聞の大仏次郎論壇賞の奨励賞までもらったが、専門家には「なぜあんな本が」という疑問の声も多い。学問的な評価とかけ離れたところでマスコミ的な評価のインフレが起こるのはいかがなものかと思われるので、一つぐらい批判があってもいいだろう。以下は本人にも直接コメントし、彼もおおむね認めた点である:
この本の中核となる「組織破壊」の議論が依拠しているのは、Blanchard-Kremerの移行経済に関する有名な論文である。これは経済がマフィア化して流通が寸断され、大規模な「ホールドアップ問題」によって資金調達や部品供給が不可能になったロシアやウクライナの状況を分析したもので、現在の日本に当てはめるのは荒唐無稽である。日本でホールドアップ問題が頻発しているという証拠はない(著者は例も挙げることができなかった)。日本経済の問題は、むしろ全員が長期的関係にトラップされて切るべき取引が切れないことにあり、移行経済のモデルとして当てはまるのは、中国の国有企業に見られるsoft budget constraintである。要するに、本書は日本経済の問題をまったく逆さまに見ているのである。
このように問題のとらえ方が根本的に間違っているので、大げさな理論が出てくる割には、結論は「不良債権を早く処理する」という当たり前の話だ。しかし、これは本書のモデルとは矛盾している。もしも日本でdisorganizationによって与信の不足が起きているなら、必要な政策は不良債権処理ではなく、大規模な資本注入による銀行の全面救済である。「需要拡大」と「構造改革」を対立させ、みずからの立場をあたかも両者を止揚するかのような高みに置く議論もトリッキーだ。不良債権の処理は、構造改革のもっとも重要な政策である。
この程度の本を大家の先生が「新しい経済学の成果を踏まえて」云々とほめちぎる日本の経済学界の知的退廃は、かなり重症である。こういう先生は、新しい論文をもう読んでいないのではないか。日経の審査委員会では、複数の委員の反対があったが、「啓蒙書だから」ということで無理やり授賞したという。これが営業上の配慮だとすれば、経済図書文化賞も落ちたものだ。こういう「ほめ殺し」でマスコミの売れっ子になってだめになった経済学者は多いので、著者は気をつけたほうがよい。