著者は、吉川洋氏と並んで霞ヶ関の人気者である。今どき「景気対策」が必要だと主張する数少ない経済学者だからだ。日本は、世界にも珍しいマルクス派とケインズ派の棲息する経済学の「ガラパゴス島」なのである。ただ、著者はリチャード・クー氏の ような落第生ではなく、博士号を持っているから、その議論もそれなりにマクロ経済学をふまえたものだ。要するに不良債権の処理などによって「供給側」の効 率を上げる政策は、完全雇用のときには正しいが、現在のように不完全雇用によって過剰設備が生じている場合には、供給能力を削減するのではなく有効需要を 追加することによって設備と労働の有効利用がはかれるというのである。
しかし、そんなことをしたら過剰設備は温存され、いつまでたっても供給の効率は上がらない、という批判に対して、著
者は「過剰設備は景気が回復してから削減すればいい」という。あきれた空論である。景気がよくなってから、わざわざ苦しいリストラをやるかどうか、経営者に聞いてみればよい。不
況というのは、hard budget constraintによって非効率な設備や雇用を削減する圧力となることに意味があるのだ。著者のような「どマクロ」経済学者に
は、経済は個人商店の集合体みたいに見えているのかもしれないが、現代においては企業や組織を変えないで経済を変えることはできない。資本主義とは、不況期に否応なく外部者が介入して企業を解体・再構築する「制度変化」の装置なのである。
短期的には、これは設備も人間も余っているのにもったいないように見えるが、長 期的にはこうした人的・物的資本の再配分によってTFP(全要素生産性)が上がる。逆にいえば、生産性を上げない限り、どんな需要喚起策をとっても、終わったら元に戻るだけである。コーポレート・ガバナンスをめぐるShleiferなどの実証研究でも 明らかになったように、経済システムにとって最も重要なのは、借りたカネは返す、返せない会社はつぶれるという規律と、それを支える司法機関や規制などの 「制度」の効率である。著者のいうように行き当たりばったりに財政出動したら、そういう資本主義による規律づけのメカニズムが壊れ、今の日本のように際限 なく問題が先送りされてしまう。
おまけに、その用途はゾンビのような銀行や漁港・農道だ。「よい公共事業」を選別すべきだ、というのが著者や吉川氏の主張だが、何がよい公共事業な のか。「これは悪い公共事業です」と銘打って行われる公共事業があるのか。そんな選別ができる政府なら、もともとここまでひどいことになっていないだろ う。いつまでたっても、政府は民間より賢明だという「ハーヴェイ・ロードの前提」が忘れられないのも、ガラパゴス派の特徴である。
後記:吉川氏は、経済財政諮問会議のメンバーになって「構造改革 派」に転向したようだが、著者はいまだに『節約したって不況は終わらない』などという本を出している。最近は「日本の景気が悪いのは中国のダンピングのせいだ」と かいう1980年代のジャパン・バッシャー顔負けの中国脅威論を展開し、私の同僚が怒って「読んではいけない調」で批判している。