インターネットが暗示する資本主義後の世界
エリック・レイモンド『伽藍とバザール』光芒社 1999
私の職場(国際大学グローコム)のネットワークのサーバーは、外部からの侵入やシステム停止などのトラブルに悩まされていた。ところが、このほどシステムをウィンドウズNTからリナックスに全面的に切り換えたところ、こうした深刻なトラブルはまったくなくなった。リナックスは、インターネット上でソースコード(内部の詳細設計)が公開されている「オープンソース」のOSである。無料で公開されているソフトウェアの信頼性が高価な商用ソフトウェアよりもはるかに高いのはなぜだろうか?本書は、こうした問題を論じてリナックスが世界的に注目されるきっかけとなったレイモンドの論文を集めたものだ。ただし「原著」は存在しない。ここに収められた三本の論文は、すべてインターネットで公開されたもので、翻訳もすべて訳者のホームページで読める。
従来、OSのような大規模なソフトウェアはゴシック建築のカテドラル(大聖堂)のような構造物であり、統制のとれた組織で開発しなければならないと考えられてきた。ところがリナックスはこの常識を破り、フィンランドの大学生、リーヌス・トルバルスを中心として、全世界に分散したボランティアたちの共同作業で開発された。それを可能にしたのは、インターネットを通じてバザール(市場)のように自由に情報交換するシステムだ。ソフトウェアの開発では、プログラミングに劣らずデバッギング(不具合の修正)が重要だ。リナックスは、コードを初期の段階で公開し、ユーザーにデバッグさせることによって、どんな巨大企業にも不可能な数万人による並列エンジニアリングを実現したのである。
彼らが金銭的な報酬も著作権もないソフトウェアを開発するのは、利他的な動機によるものではなく、プログラマーとしての名声を競う「評判ゲーム」だと著者はいう。事実、リナックスの付属文書には多くの開発者の名前がクレジットされている。著者によれば、ソフトウェアは工業製品ではなく、本質的にユーザーに合わせた「サービス」を提供するものである。したがって、インターネットの普及とともにソフトウェアをパッケージで売る時代は終わり、企業もソフトウェアを公開し、それに付随するサービスから収入を得るようになるだろう。
こうした主張は、最初に発表された二年前には世界に衝撃を与え、ネットスケープ社がブラウザーのソースコードを公開するきっかけとなったが、いま読むと常識的に見えるかもしれない。またゲーム理論の言葉が出てくるが、経済メカニズムの分析は十分ではない。しかし著者の思想が陳腐化したのは、現実が彼に追いついたからに他ならない。リナックスは、すでにサーバーの国際標準としての地位を確立し、多くのメーカーがソースコードを公開し、そしてマイクロソフトの社長までが「ソフトウェアをパッケージで売る時代は終わった」と宣言するに至った。
著者の主張は、実はインターネットの世界ではオーソドックスなものだ。そのプロトコルや言語はすべて全世界の技術者の共同作業で作られて公開されており、こうした非営利組織によって初めてグローバルな情報共有が実現したのである。情報を「知的財産権」で独占して利益を上げる資本主義のシステムは、ネットワーク時代にはそぐわない。著者もいうように、情報はモノと違って、共有されることによって価値を増すからだ。インターネットは、資本主義を超える新しい経済システムを作り出そうとしているのかもしれない。
訳文は型破りなおしゃべり調だが、原文のカジュアルな感じをうまく伝えている。ただし、cathedralを「伽藍」と訳したのはいただけない。カトリック教会の大聖堂は、仏教の伽藍とはまったく異なる設計思想にもとづく建築物だからである。
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