著者は、東大教養学部のの科学哲学の主任教授である。廣松渉氏の後継者と自認し、廣松氏の葬儀では、自分がいかに廣松氏に重用されていたかを延々とのべる「弔辞」を読んでひんしゅくを買った。私も学生時代につきあったことがあるが、とにかくエゴイストで、出世主義者である。廣松氏に取り入ってその後釜に座ったが、学問的な功績は足元にも及ばない。しかも、今どき珍しい「トロツキスト」である。学生時代から第4インターを支持し、三里塚に行ったりしていたが、危なくなると逃げ、他人を利用することしか考えていないので、だれもついて来なくなった。
本書も、内容は語るに足りない。クーンやファイヤアーベントなどの科学論を「マルクス主義」と接合して、古めかしい下部構造決定論で科学を語っているだけだ。おまけに、最後に環境問題を解決するには「環境社会主義」が必要だという結論が出てくるのには唖然とした。こういうふうに、学問と党派を混同して恥じないのも、彼の特徴である。「社会主義」などという言葉は、マルクスは軽蔑的にしか使わなかったし、「生産手段の国有化」によって問題は何も解決しないどころか新たに作り出されることは、20世紀の歴史的実験で証明された。そんなことにも気づかないで、100年前と同じ呪文を唱えている人物が科学を批判するとは笑止千万だ。
トロツキーの『わが生涯』は20世紀の自伝文学の最高傑作だが、その岩波文庫版は「解説者」である著者の第4インターの宣伝で台無しだ。トロツキーは、革命家としても思想家としても超一流だが、ソビエトのような極端な前衛党主義は、彼やレーニンのような知識人が指導している限りでしか機能しない「賢人政治」であり、スターリンのような俗物の手に落ちたとたんにとんでもない暴力装置になるのである。
頭の中では「革命家」なのかもしれないが、実際にやっていることは学問政治と派閥取引。中沢新一氏の助教授任用を妨害する工作の中心人物だったともいわれ、駒場の教授会の中身は、彼のおかげで翌日には岩波書店に筒抜けだそうである。廣松氏は、私がこれまでの人生でもっとも大きな学問的影響を受けた大哲学者だが、こういう俗物がその後継者を自称するのは許しがたい。まあ学界でも評判は最悪のようだから、こういう連中が東大や岩波書店の知的権威を失墜させるのは、むしろ歓迎すべきことなのかもしれない。